ルイ・ダゲール
ダゲールはダゲレオタイプを発明し、1839年8月19日の公開により写真を事実上「全人類の所有物」とした。各プリントが複製不可能な一点物であるこの形式は、肖像写真の民主化を…
ダゲールはダゲレオタイプを発明し、1839年8月19日の公開により写真を事実上「全人類の所有物」とした。各プリントが複製不可能な一点物であるこの形式は、肖像写真の民主化を…
タルボットはカロタイプ(ネガ=ポジ方式)を発明し、一枚のネガから複数の陽画を作るという写真の複製性の基盤を築いた。「自然の鉛筆」(1844〜46年)は商業出版された最初の…
弁護士出身のフェントンは1853年に英国王立写真協会の設立に中心的役割を果たし、1855年のクリミア戦争で最初の大規模な従軍写真プロジェクトを遂行した。「死体を撮るな」と…
ヴェネツィア生まれでイギリスに帰化したベアトは、クリミア・インド・中国・日本と英仏軍の展開する場所を追い続けた写真家だった。1863年から横浜に拠点を置き、手彩色の写真帖…
ジャーナリスト・風刺漫画家として当代の文化人と深く交流していたナダールは、1853年頃から肖像写真家に転身し、グレーの無地背景と自然光のみで被写体の内面を引き出す革新的な…
パリで絵画を学んだル・グレーは1840年代後半から写真に転じ、ナダールらを育てた写真教育者でもあった。コンビネーション・プリント(複数ネガの合成)による海景写真の技術的革…
複数カメラによる連続撮影で運動の時間構造を可視化し、ズープラクシスコープで動きとして再投影した写真家。University of Pennsylvaniaとの共同研究、講…
単一乾板に複数露光を重ねるクロノフォトグラフィーで、運動を時間の解析図として可視化した生理学者。マイブリッジが系列として時間を分解したのに対し、マレーは時間を一枚の画像に…
ニューヨークのスラムを写真・文章・講演・書籍の複合メディアで可視化した改革者。みずからを写真家とは考えず、社会変革のためのコミュニケーターとして実践し、フラッシュ技術によ…
ハウスマンによるパリ改造を前後して、旧市街の消滅と新パリの出現を市の委嘱のもとで記録した写真家。行政的記録として依頼された仕事が、都市の自己表象を構成する視覚アーカイブと…
産業都市グラスゴーの旧市街、取り壊し直前の密集路地を市の委嘱で系統的に記録した写真家。改善政策の記録として依頼された写真が、都市貧困の証言として再評価される逆説的な位置に…
1840年代からアメリカ最高の肖像写真家として大統領を含む著名人を撮影したブレイディは、南北戦争において私財を投じて20人以上の写真家を組織し、米国史上最大規模の戦場写真…
ヴィクトリア朝イギリスで、肖像写真を単なる外見の記録から、感情、信仰、文学的想像力を帯びた像へ押し広げた写真家。ソフトフォーカス、近接、大判ネガ、湿板写真の揺らぎを用い、…
エマーソンがスタジオ演出を「不正直」と批判し、単一ネガ・単一露光による写真を芸術の条件とした根拠は、ドイツの生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの視覚生理学にあった。ヘ…
291ギャラリーと写真誌『カメラ・ワーク』を主宰し、写真を絵画と並ぶ芸術として美術館に送り込んだアメリカ近代写真の中核。「エクイヴァレンツ」では被写体ではなく形式そのもの…
ガートルード・ケーゼビアは、絵画を学んだ後に写真へ転じ、肖像写真にピクトリアリズムの光と構成を持ち込んだ写真家。スティーグリッツとともにフォト・セセッションを創設し、《祝…
スタイケンがピクトリアリズムに向かった出発点は、写真が絵画と同等の芸術的地位を得るためには「絵画のように見える」ことが最も有効な戦略だという判断だった。ルクセンブルク生ま…
ロベール・ドマシーは、ゴム重クロム酸塩プロセスをピクトリアリズム写真の核心的な手法として擁護したパリの写真家。裕福なアマチュアとして制作を行いながら、スティーグリッツや『…
ピクトリアリズムの絵画的模倣を離れ、写真固有の直接性と構造を軸にしたストレート写真の方法を1910年代に展開したアメリカの写真家。《White Fence》《New Yo…
ピクトリアリズムの叙情的な画面から都市の俯瞰へ、さらに鏡装置を使った抽象写真へと展開したイギリス・アメリカの写真家。1916〜17年の《Vortograph》シリーズは写…
ダダとシュルレアリスムの中心で活動したアメリカ生まれの作家。暗室での偶然と光の操作によるRayograph、ソラリゼーション、ファッション写真などを通じ、写真を記録装置か…
バウハウスの教育とフォトグラム実験を通じ、写真を記録ではなく知覚を更新する装置として捉えたハンガリー生まれの芸術家・教育者。新しいヴィジョンの理論と実践を、写真、映画、デ…
ドイツ社会の職業、階級、地域をカメラで記録した《20世紀の人々》で知られる肖像写真家。個人の顔を社会の索引へ変換する系列化の方法は、写真による社会の可視化として写真史に位…
レンガー=パッチュは、ピクトリアリズムの美化ともバウハウス的な視覚実験とも異なる立場から、事物そのものの構造的な美しさを精密に示した新即物主義写真の中心人物である。
Farm Security Administrationの写真部門で農業移住民の困窮を記録し、《移住者の母》で大恐慌の視覚的象徴を作った。日系人強制収容の記録では、国家委…
ウォーカー・エヴァンスは、看板、商店、路上、室内、小作農の肖像を、説明しすぎない正面性と連作の中に置いたアメリカの写真家。FSA(米国農業安定局の政府写真プロジェクト)、…
絵画で培った構成感覚を、ライカの機動性と街頭の偶然に結びつけ、日常や政治的出来事の一瞬を「写真で読む」形式へ変えた写真家。『Images à la Sauvette』、英…
ハンガリー出身の報道写真家。スペイン内戦から日中戦争、D-Dayまで戦場の最前線に肉迫し続け、「最も偉大な戦争写真家」という神話を雑誌メディアとの共犯関係の中で作り上げた…
戦前の報道写真から出発し、戦後は子ども・古寺・ヒロシマを連作で記録した日本の写真家。「絶対非演出・絶対スナップ」を原則とするリアリズム論を写真雑誌で展開し、木村伊兵衛との…
W・ユージン・スミスは、『LIFE』誌のフォト・エッセイ、ピッツバーグ、水俣を通じて、写真を一枚の速報ではなく、人物の仕事、疲労、生活環境、社会制度を読む長編の証言へ広げ…
ロバート・フランクは、写真集『The Americans』で戦後アメリカの道路、車、国旗、ダイナー、人種隔離の場面を、粗い粒子と不安定な構図、緻密な編集順序でつなぎ直した…
ウィリアム・クラインはニューヨーク生まれだが、除隊後のパリでフェルナン・レジェのもとで絵画を学び、エルスワース・ケリーやジャック・ヤングマンらアメリカ人画家と交流した。1…
荒木経惟は電通の広告写真家として働く傍ら、同社の秘書として働いていた青木陽子(ヨーコ)と1971年7月7日に結婚した。その新婚旅行(柳川・九州)で撮影した写真を私家版写真…
東松照明は1930年に名古屋で生まれ、戦時中に軍需工場に動員された世代として、終戦と同時にアメリカ軍の占領を直接経験した。占領軍の兵士に対する個人的な親切と、その存在が日…
ガリー・ウィノグランドはニューヨーク・ブロンクス生まれで、1950年代に雑誌のフリーランス写真家としてキャリアを始め、35mmライカカメラを常に携帯して街頭での速写を続け…
リー・フリードランダーはワシントン州アバディーン生まれで、1953年からロサンゼルスのアート・センター・スクールで写真を学び、1956年からニューヨークを拠点にエスクァイ…
ダイアン・アーバスは、戦後アメリカの人物写真を、社会の説明ではなく「見る側と見られる側の関係」を露出させる場へ押し広げた写真家。正面性の強い肖像、雑誌仕事、New Doc…
東京や日本各地の路上、劇場、歓楽街、広告、雑誌やテレビのイメージを、粗い粒子、ブレ、強いコントラストのスナップでとらえ、1960年代後半以降の日本写真に大きな転換点をつく…
シンディ・シャーマンは、自分自身を映画、広告、雑誌、美術史の見覚えある人物像へ変えることで、写真を「現実の証拠」や「作者の内面」を示す媒体から、イメージが人物をどう演出し…
ロバート・メイプルソープは1946年ニューヨーク・フラッシング生まれ。プラット・インスティテュートで美術を学んだのち、1970年にポラロイドカメラで写真を撮り始め、独学で…
バーバラ・クルーガーは1945年ニュージャージー州ニューアーク生まれ。パーソンズ美術大学でダイアン・アーバスとマービン・イズラエルに学んだのち、コンデ・ナスト社の雑誌「マ…
ウィリアム・エグルストンは1939年テネシー州メンフィス生まれ。1960年代から35mmのカラーフィルムで撮影を始め、1976年にMoMAでジョン・ザルコウスキーの企画に…
1953年にワシントンDCで生まれたゴールディンは、11歳で姉バーバラを自殺で失った経験から「写真は愛する人を失う前に記録し続けることができる」という確信を抱き、16歳で…
ジェフ・ウォールは、ライトボックスによる大型写真、映画的な準備、絵画史や文学の再読を通じて、写真を一瞬の記録から、出来事の見え方を組み立てる媒体へ押し広げた作家。バンクー…
1955年ライプツィヒ生まれのグルスキーは、写真家の父・祖父のもとで育ち、フォルクヴァング芸術大学でオットー・シュタイネルトに学んだ後、デュッセルドルフ芸術アカデミーでベ…
1944年ブラジル・ミナスジェライス州生まれのサルガドは、経済学の博士課程修了後に世界銀行のエコノミストとして赴任したアフリカで写真と出会い、「数字やレポートでは伝わらな…
マーティン・パーは、英国の海辺、家庭、買い物、観光、食べ物を、飽和したカラーと近距離のフラッシュで撮影した写真家である。白黒の社会的ドキュメンタリーを背景にしながら、悲劇…
ベルント(1931〜2007)とヒラ(1934〜2015)のベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ芸術アカデミーで出会い、1959年から共同制作を開始した。20世紀後半に急速に…
画家としての構図知識とロバート・アダムソンの技量を組み合わせ、1843〜48年にカロタイプで約3000点を制作したヒルは、写真を芸術的媒体として意識的に用いた最初の本格的…
1843〜48年のわずか5年間でヒルとともに約3000点のカロタイプを制作し、26〜27歳で早世したアダムソンは、ヒルの絵画的直観を写真技術に変換した技術的な主導者である…
写真・写真油絵・石版印刷・文化財調査を横断し、明治国家の視覚制度形成に関わった複合的実践者。江戸城撮影・壬申検査への参加・博覧会記録など明治初期の視覚記録制度の核にあり、…
熊本で冨重写真所を創業し、肖像写真・熊本城記録・夏目漱石や小泉八雲の肖像を残した写真師。地方都市における写真の制度化を担い、継承される写真館として地域近代の自己表象を支え…
イングランドとフランスのゴシック大聖堂を、プラチナ印画の繊細な階調で記録した写真家。建築を物理的構造としてではなく、光と空間に宿る精神性の経験として捉え、写真を芸術として…
冨重写真所の二代目として、利平が築いた写真館の制度と記録文化を持続させた写真師。個人の表現者というより、地方近代における写真館の継承そのものを体現した存在として、写真史の…
アジェがカメラを手にしたのは1897年頃、40歳のときだった。俳優と画家への夢を断ち、「芸術家のためのドキュメント」(Documents pour artistes)と名…
鹿島清兵衛は「写真大尽」と呼ばれた明治の写真パトロンで、銀座に玄鹿館スタジオを構え、国産乾板製造会社の設立、日本写真会の組織化、X線写真の公開実演などを通じて、明治写真界…
亀井茲明は公家・伯爵の身分から写真に関心を持ち、日清戦争(1894–95)の記録写真チームを組織した明治の写真パトロン。300枚を超える従軍写真を『明治廿七八年戦役写真帖…
ルイス・ハインは、エリス島の移民、炭鉱や製造工場の子ども労働者、エンパイア・ステート・ビルの建設現場という三つの場で写真を撮り、写真を社会変革の証拠として体系的に用いた先…
エドワード・ウェストンは、初期のピクトリアリズム的肖像から離れ、鉄工所、身体、貝殻、野菜、砂丘、岩を、大判カメラと接写、精密な階調によって「形態」として見直したアメリカの…
ジャック=アンリ・ラルティーグが写真を始めたのは1901年、7歳のときだった。裕福な実業家の父から与えられたカメラで、ブーローニュの屋敷での家族の遊び・初期飛行機の実験・…
ポール・ジェニオーはブルターニュ出身のフランス人写真家で、1900年前後のパリの街頭職人・小商人・行商人を記録した。兄シャルルと「ジェニオー兄弟」として活動し、ブルターニ…
このサイトでは「ルイ・ヴェール(louis-vaire)」として登録されているが、資料上は Louis Vert(ルイ・ヴェール、1865–1924)として確認される。パ…
屋須弘平は幕末に生まれ、グアテマラで「フォトグラフィア・ハポネサ(日本写真)」スタジオを開いた日本人写真家。フアン・ホセ・デ・ヘスス・ヤスの名でカトリックに改宗し、アンテ…
鳥居龍蔵は独学で人類学を修め、1895年から台湾・満洲・朝鮮・沖縄・アイヌ・モンゴルなどで現地調査を行った日本の人類学者・考古学者。約2500枚のガラス乾板写真を残し、考…
資生堂初代社長として企業文化を形成しながら、写真芸術社の設立と資生堂ギャラリーの創設を通じて日本の写真芸術制度を整えた写真家・文化人。制度形成と表現の双方から日本近代写真…
絵画主義的な印画の質感と近代的な人物把握を結び、日本近代写真の肖像表現を切り開いた写真家。ピクトリアリズムから日本固有の写真モダニズムへの移行期に、身体と顔の存在感を写真…
急角度と斜線構図によって日常の対象を革命後社会の新しい視覚として提示したロシア・ソ連の構成主義作家。写真、グラフィック、フォトモンタージュ、デザインを横断し、ソ連の印刷文…
ハンガリーからパリ、ニューヨークへと移動しながら、都市の日常と偶然の配置に私的な詩情を見いだした写真家。後のストリート写真や詩的ドキュメンタリーの形成に深く影響した作家と…
工業構造を断片と斜線で編集した写真集『Métal』で知られるドイツ生まれの写真家。前衛、写真集、報道、商業媒体を横断し、複数の国を移動しながらモダニズム写真の大衆的流通を…
ニューヨークとパリでの経験を神戸・芦屋の写真文化へ接続し、日本モダニズム写真の形成に関わった写真家。商業写真と構成的実験の双方を担い、阪神間モダニズムの視覚文化を支えた。
浪華写真倶楽部・丹平写真倶楽部など関西写真文化の中で活動し、ピクトリアリズムから構成写真、合成ネガまで幅広い実験を展開した写真家。戦前日本写真の実験性を代表する作家として…
写真、絵画、映画を横断し、アメリカの建築と産業構造を精密な近代的秩序として可視化した作家。ポール・ストランドとの映画《Manhatta》、フォード・ルージュ工場の記録など…
イギリスの階級社会の記録から超広角レンズによるヌードへの転換を、様式の断絶としてではなく、現実の奇妙さへの一貫した関心として読める写真家。暗部と強いコントラストが、社会的…
ハンガリー出身の写真家として1930年代のパリに定住し、夜の都市、娼館、カフェ、グラフィティを記録した。写真集『Paris de Nuit』は、夜の都市を詩的・社会的な構…
メキシコシティ生まれ。革命後メキシコの文化政策とモダニズムが交差する時代に、日常・身体・死・路上を詩的な構成として写真に変換した。
工業写真・ソ連取材・LIFE創刊表紙・戦争報道を横断し、近代の機械と権力を壮大な構図で可視化したアメリカの写真家。LIFEの第1号表紙(1936年)を飾り、女性として初め…
ロベール・ドアノーは、パリ郊外・労働・広告・演出を横断しながら、戦後フランスのヒューマニスト写真の制度を作り上げた写真家。偶然と演出のあいだにある独自の観察眼は、「パリの…
スロバキア出身の移民写真家として、1930年代フランスの全産業を横断して記録した委嘱写真集『La France travaille』(全15巻)を残した。産業・労働・広告…
ニース生まれのフランスの写真家。パリの夜の都市を長時間露光と精密な光の計算で記録し、フランス「新しい視覚」の潮流と1930年代の雑誌文化の交点に位置する。
植田正治は、鳥取の砂丘と家族を舞台に、日常を演出された場面として提示した写真家。記録でも報道でもない、配置と余白によって日常を劇場化する「植田調」は、日本写真のモダニズム…
金丸重嶺は、商業写真・写真教育・批評を束ねて日本モダニズム写真の制度を作った人物。撮影者としてより、欧米の新興写真を日本へ移植し、広告写真の語法を教育によって定着させた媒…
写真家・編集者・写真史家の三役を担い、1930〜40年代の日本写真文化を支えたインフラ的人物。撮影技法書の執筆、雑誌編集、写真教育、外地写真展への関与を通じて、日本の写真…
満洲、ヒマラヤ、インドを撮影地とする旅行・探検写真集を相次いで刊行し、1930〜40年代日本の外地表象と出版写真文化の交点に位置した写真家。戦後は国内の仏像・古寺写真へと…
スペイン内戦から戦後ヨーロッパの子どもたちまで、柔らかいが政治的な視線で報道写真の人道主義的言語を形成した。「Chim(シム)」として知られ、1947年にマグナム・フォト…
FSAのファイル整理補助者から始まり、ロイ・ストライカーの指導のもとで写真家として成長した。劇的な象徴より地方都市・道路・穀物倉庫・人々の平熱を記録し、FSAの視覚記録が…
FSA写真部門の最初期スタッフとして、Dust Bowlの視覚的記憶を形成した。牛の頭蓋骨写真をめぐる演出論争は、ドキュメンタリー写真における記録と構成の境界という問いを…
FSA写真家としてアメリカ農村・炭鉱・鉄道の貧困を記録し、プエルトリコに移住後は写真・映画・音楽・文化政策を通じて島の社会変容を担った。ニューディールの社会記録写真が戦後…
ラッセル・リーはFSA写真家のなかでも最大規模の記録を残した写真家。農村・炭鉱・日系人強制収容所を粘り強く撮影した大量アーカイブは、一枚の傑作よりもコミュニティの実態を積…
FSA写真部門への参加を通じて、社会的リアリズムを絵画・壁画・ポスターと横断する視覚言語として展開した。画家として評価されながら、その写真は同時代の視覚政治と労働表象の問…
アンセル・アダムスは、ヨセミテとアメリカ西部の風景を、露光・現像・プリントの精密な判断によって構成した、目の前の自然を光と階調の言語へ変換した写真家。ゾーンシステム、Gr…
スティーグリッツの「等価物(Equivalents)」の概念を受け継ぎ、風景・岩・光の表面を内面的経験の等価物として連続的に組み立てた。Aperture誌の創刊(1952…
ニューヨークの路上でチョーク落書きを遊ぶ子ども、路地の即興的な身振り、街角の人間的な演劇を撮り続けた。子どもをノスタルジーではなく都市の遊戯性・階級性・身体の即興として捉…
戦時の報道写真と戦後の家族・子ども・都市の記録を長期にわたって撮り続けた日本の写真家。報道の文脈と私的な記録の眼が混在する写真群は、昭和期の生活史を視覚化する資料として東…
1916年生まれ、2001年没。1940〜1950年代のニューヨーク——とりわけタイムズ・スクエアと14番街——を撮影したストリート写真で知られる。
1911年リトアニア生まれ、1980年没。本名イスラエリス・ビデルマナス。
1924年ドイツ(東プロイセン)生まれ、2023年没。難民としてイギリスに移住した後、戦後ロンドンを拠点にストリート写真・ポートレートを中心に長い活動歴を積んだ。
1925年オランダ生まれ、1990年没。戦後のパリに渡り、サンジェルマン・デ・プレのボヘミアン・サブカルチャーに関与しながら撮影した写真集『左岸の恋』(1956年)で知ら…
1940〜60年代のマリ・バマコで活動したセイドゥ・ケイタは、スタジオポートレートを通じてアフリカの写真的近代性を切り開いた。被写体みずからが装い・姿勢・小道具を選ぶ共同…
田沼武能は、終戦直後の東京から始めた60年以上にわたる記録活動で、戦後日本の市民生活と都市の変容を写し取った。人間の存在を歴史の尺度とする市民的・人道的なまなざしが、同時…
1921年生まれ、2022年没。日本各地の祭礼・民俗・民間習慣を主な被写体とし、急速な近代化が進む戦後日本において失われつつある風俗・文化を長年にわたって記録した。
1943年アメリカ・オクラホマ生まれ。写真家・映画監督。
1933年山形生まれ。戦後日本の前衛文化を背景に、舞踊家・作家との協働による演劇的・象徴的なモノクロ連作を発表した。
1940年生まれ、2024年没。セレブリティのポートレート・ヌード写真・建築・雑誌・写真集にわたる広範な活動で知られる。
1947年ニューヨーク生まれ。《アメリカン・サーフェシズ》(1972〜73年)と《アンコモン・プレイシズ》(1973年〜)によって日常的なアメリカの場景をカラー写真の主題…
1945年カリフォルニア生まれ、2014年パリ没。1975年の《ニュー・トポグラフィクス》展に参加し、郊外の工業地帯・空き地・無名の建造物を精緻な白黒で記録した。
1938年ニューヨーク生まれ。1960年代のストリート写真から始め、1970年代にカラーへと転換した。
1937年生まれ。アメリカ西部の郊外化・環境的変容を静謐な白黒写真で記録し、1975年の《ニュー・トポグラフィクス》展に参加した中心的な写真家。
1936年アラバマ生まれ、2016年没。アラバマ州ヘイル郡を生涯にわたって撮り続けた写真家・画家・彫刻家。
1944年ニューヨーク生まれ。大判カラー写真によってアメリカの風景・日常・社会的矛盾を記録した。
1944年スウェーデン生まれ。クリスター・ストレームホルムに学び、ハンブルクの酒場に集うマージナルな人々を長期撮影した写真集《カフェ・レームリッツ》(1978年)で知られ…
1938年東京生まれ、2015年没。写真家・批評家。
自然史博物館のジオラマ、映画館の投影光、海の水平線、蝋人形の肖像、数理模型や光学実験を、大判カメラと長時間露光で撮影してきた作家。杉本博司は、被写体の内容だけでなく、展示…
1960年サイゴン生まれ、ベトナム系アメリカ人。《Small Wars》《29 Palms》など戦争の再演・軍事訓練・景観を大判カメラで記録した連作群で知られる。
1964年ドイツ生まれ。複数のカメラを同時に起動させ、同一の瞬間を異なる視点から同時に記録する《Exposures》シリーズで知られる。
1962年ドイツ生まれ。ベッヒャー・スクールの影響を受けながら、都市郊外に広がる市民農園・耕作地・小屋を大判カラー写真で記録してきた。
1958年ドイツ、モアース生まれ。生物学者として訓練を受けた後、1980年代末から写真へと転向した。
1955年ランス(フランス)生まれ。写真・オブジェ・彫刻・インスタレーションを横断する現代美術家。
1972年オランダ生まれ。思春期の少女を中心に据えた繊細なカラーポートレートで知られる。
1963年生まれ、オランダ、ロッテルダム在住。政治的紛争・宗教・移民など報道が頻繁に扱う主題を分析的な距離から写真とインスタレーションで扱う。
1966年マドリード生まれ。インスタレーション・パフォーマンス・映像・写真を横断する現代美術家。
サントス・R・バスケスは、展覧会参加記録は確認できる一方で作品内容の資料が限られる作家。アーカイブでは、作品評価を断定せず、1970-80年代の展示制度と資料の空白を示す…
1940年生まれ、2019年没。《風姿花伝》(1976年)を代表作とし、祭・街・日常の断面に潜む異質な時間と身振りを独自の白黒写真で記録した。
1946年生まれ。アフリカ・中東・チベットなど過酷な自然環境と宗教的な巡礼地を長年にわたって記録し、祈りの形と大地の関係を写真で追い続けた。
1950年東京生まれ。ガラパゴス諸島での撮影を契機に野生動物写真の道に入り、アフリカ・海・ネコなど多彩な対象を世界各地で撮影してきた。
1947年群馬生まれ、横須賀育ち。1970年代から写真活動を始め、横須賀・身体の傷跡・女性の経験・衣服の残留物を通じて個人の痕跡と歴史的記憶を重ね合わせる写真を展開してき…
1948年生まれ。ベトナム・カンボジア・ラオス・沖縄・コソボなど戦争の傷跡が残る地域を長年にわたって記録した日本のドキュメンタリー写真家。
1954年生まれ。森山大道のワークショップ写真学校で学んだのち、直接フラッシュと近接距離による対立的なストリート写真《Photo Express: Tokyo》などで19…
1939年生まれ。《俗神》(ゾクシン)《ヒロシマ 1945–1979》など都市・民俗・原爆後の日本を主題とした長期連作で知られる。
1953年フランス生まれ。見知らぬ他者を尾行し、他人の日常を記録し、儀式的な行為を手続きへと変換するという行為主義的な方法論で知られる。
1947年アメリカ生まれ。既存の図像——ウォーカー・エヴァンスらの正典的な写真——を再撮影した《After Walker Evans》(1981年)で知られる。
1958年ドイツ生まれ。ベルント・ヒラ・ベッヒャーに師事し、デュッセルドルフ派から出発した写真家。
1951年アメリカ・ハートフォード生まれ。精密に制御された照明と半演出による場面構成を通じて、ドキュメンタリーの事実性と映画的フィクションの間に存在する写真を制作した。
1956年イギリス生まれ。カラー写真・連作・ブック形式を組み合わせ、ドキュメンタリー写真を内側から刷新した。
1951年大阪生まれ。西洋美術史の正典的なイメージ——ヴェラスケス、マネ、フリーダ・カーロなど——に自らの身体を挿入することで知られる。
ガブリエル・オロスコは、街路で見つけた物や偶然の配置、短時間だけの介入を、カメラの位置と切り取りによって作品として持ち出したメキシコの作家。
1954年イタリア・カルピ生まれ。チルトシフトと選択的ピントによって実際の都市を縮尺模型のように見せる航空・高所写真で知られる。
1967年ドイツ生まれ、ロンドン拠点。夜の都市——再開発の残滓・不完全な構造・見過ごされた表面——を長時間露光の大判カラー写真で記録した。
1958年ベルギー・エークロ生まれ、ヘント在住。室内・カーテン・ホテルの一室・身体の断片を、暗く圧縮されたトーンで捉える大判モノクロ写真で知られる。
1972年フィンランド・ヘルシンキ生まれ。自画像・風景・コンセプチュアルな映像作品で知られる写真家・映像作家。
1965年イギリス生まれ。16mmフィルムを中心としながら写真・ドローイング・テキストを横断する現代アーティスト。
1967年オランダ・レーワルデン生まれの写真家。壁紙・ポスター・プラスチック木目など室内の代替的自然を主題に、高精細カラー写真で日常的な空間を観照的なイメージへと変換する…
1970年ドイツ・マインツ生まれ。複数の写真断片をデジタル合成して風景・都市景観を構築する手法で知られる写真家。
1958年チェコスロバキア生まれ、1982年に西ドイツへ亡命しエッセンを拠点に活動する写真家。故郷・移住・帰属を主題に、ポートレートと風景を通じてアイデンティティと環境の…
1967年スウェーデン・ヨーテボリ生まれ。大判カラー写真と彫刻・インスタレーションを通じて制作する現代美術家。
1972年滋賀県生まれ。2001年の写真集デビューから《うたたね》《花火》《Illuminance》《Ametsuchi》など連続する書物形式を通じて、日常の細部・光・生…
1972年滋賀生まれ、東京拠点。日用品や家庭的な空間を精密にステージングし、スケール・配置・フレーミングによって対象の大きさや実在性への確信を揺るがす写真で知られる。
1958年岩手県陸前高田生まれ。採石場・爆破・地下水路・都市河川など産業的に変容した風景を大判カラーで長期にわたり記録してきた。
1962年東京生まれ。《Tokyo Suburbia》で木村伊兵衛賞を受賞し、日本の郊外・消費空間・家族という主題を冷静で繊細な観察で記録してきた。
1965年日本生まれ。モデル・女優が自らの「架空の死のシナリオ」を発案し、写真家がそれを精密にステージングするという協働的方法論で知られる。
1969年アメリカ・ニューヨーク州生まれ。1990年代末から少女・道路文化・アメリカの風景を大判カラーで演出・記録し、男性的な移動神話に女性の集団的自由という対抗神話を対…
1960年オーストリア・ザルツブルク生まれ、ベルギー・ブリュッセルを拠点に活動する写真家・アーティスト。建築・採石場・モダニズム構造物・都市空間をリサーチの対象とし、アー…
1969年イタリア・コモ生まれ。建築の内部から撮影するカラー写真で知られる。
1969年生まれのフランス・イギリス系アーティスト。映像・写真・インスタレーション・アーティストブックを横断し、政治的・軍事的・経済的システムの中でいかに映像が生産・媒介…
1970年オランダ生まれ、アムステルダム拠点。写真・映像・ポートレートを通じて、政治的・軍事的な公的イメージがいかに演出・構築されるかを問い続けてきた。
1962年デンマーク生まれ。写真・映像・音・インスタレーションを通じて、オカルト・薬物・植民地主義・カウンターカルチャーなど証拠が不完全または汚染された歴史を探求するリサ…
1957年ルーマニア・ティミショアラ生まれの写真家・建築家・アーティスト。subREALグループのメンバーであり、ブカレスト国立美術大学写真・映像・コンピュータ画像処理学…
ドイツの写真家。1990年代初頭から「写真演出(Fotoinszenierungen)」を一貫した方法論として展開してきた。
1968年パリ生まれ。写真・映像・パフォーマンスを横断し、実際には起こらなかった歴史的場面を捏造してドキュメンタリー的権威を付与する実践で知られる。
1965年フィンランド生まれ。建築空間に影・色面・薄布状の遮蔽物を重ね、視覚的な読み取りを複雑化する大判カラー写真で知られる。
1974年フィンランド生まれ。熱帯雨林の研究ステーションに赴き、科学者と協働しながら鳥や動物のポートレートを携帯スタジオで制作してきた。
1959年ポーランド生まれ。後期社会主義・ポスト社会主義ポーランドのクリティカルアートの中心的人物。
1973年ドイツ・シュトゥットガルト生まれ、ロサンゼルスとケルンを拠点に活動する写真家。風景写真とデジタル操作を組み合わせ、描写的でありながら絵画的・人工的な映像を生み出…
1946年フランス生まれの写真家。ありふれた野鳥とその生息環境を主題に、数ヶ月単位の長期的な待機と観察を経て大判カラー写真を制作する。
1960年ダーバン生まれの南アフリカ人写真家。アパルトヘイト終焉期から移行期にかけて、タウンシップ・非公式居住地・職場の人々を大判カラーで記録した。
1963年ナイジェリア生まれのイギリス人写真家。自らのキャリアを「〈戦場〉という語の意味を探索し拡張すること」と定義し、戦闘の瞬間よりも戦場の風景・廃墟・軍事インフラを大…
1962年ハンガリー生まれ、オランダ在住の写真家・アーティスト。写真・映像・インスタレーション・絵画の閾で作動し、映像の構造・光・建築・視覚の不安定性を探る。
1968年ドイツ生まれ。地方新聞の報道写真やアマチュア撮影のヴァナキュラー画像を収集・分類・再配置することで新たな意味を生み出す。
1962年ブラジル生まれ。廃棄・放置された写真的材料——旧聞のアーカイブ・アルバム・ネガ・新聞記事——を収集・再配置・再活性化することで、写真が記憶の生産と喪失の場として…
メキシコにルーツを持ち、チューリッヒで学んでジュネーブを拠点に国際的に活動するアーティスト・写真家。写真・複製物・コピー・アーティストブックを通じて、文化的な技法・流通・…
1962年スウェーデン生まれ。映像・写真・彫刻・インスタレーション・テキストを横断する現代美術家。
1962年ドイツ生まれ。建築・都市環境・肖像を主題に、写真を通じて抽象・権力関係・表象に埋め込まれた社会的コードを検証する写真家。
1963年ドイツ生まれ。超長時間露光によって都市・建築・歴史変容を一枚のイメージに圧縮することで知られる。
1966年中国生まれ、もともと絵画を学んだ。1990年代から巨大なステージド写真の制作に転じ、消費主義・国家イデオロギー・グローバル化の矛盾を社会主義リアリズムのエコーと…
1971年中国生まれ。映像・写真・絵画を横断するアーティスト。
1959年イギリス生まれ。建築・都市空間・空などを主題に、出来事の記録ではなく持続的な観察と連作による記述を方法論とする大判カラー写真を制作してきた。
1971年生まれ、ロンドン拠点のブリティッシュ・アーティスト。再撮影・マーカー・ステッカーによる介入・テキストの衝突を通じてマスメディアの映像を改変し、セクシュアルな表象…
1960年バルセロナ生まれ。社会人類学と写真ドキュメンタリーを基盤に、都市周縁部・政治的記憶を宿した景観・争われた場所の長期調査を実践してきた。
スイス/ドイツ出身の写真家。チューリッヒ・パリ・ロンドン・ニューヨーク・ロサンゼルス・オースティンを拠点に活動し、エディトリアル・セレブリティポートレートと、1999年か…
1968年フランス生まれ。抗議運動・デモ・仮設的な占拠・周縁的な公的集会を大判カメラで撮影するドキュメンタリー写真家。
1974年テヘラン生まれ、チューリッヒ拠点。ポートレイト・静物・風景・抽象という写真の既存ジャンルを出発点とし、それらを拡大・反復・他メディアへの翻訳を通じて変容させるこ…
1970年ノルウェー生まれ。商業写真の精緻な仕上がり、身体への近さ、奇妙な象徴性、親密さと不安が交錯するイメージで知られる。
1972年ドレスデン生まれ。廃棄された車両・家具・工業的残滓・空白の室内を主題にしながら、実際には被写体を見て・変形し・再演出した上で撮影するという方法を特徴とする。
1964年オランダ・デルフト生まれ、ロッテルダムを拠点に活動する写真家。都市景観・建築・グローバリゼーションが現代都市に及ぼす圧力を主題とする。
1957年生まれ、彫刻を出自とする写真家・教育者。長時間露光・光の軌跡・身体的な介入を通じて、日常的な環境を時間と行為が堆積するフィールドへと変換する。
1936年生まれの写真家・批評家・編集者。舞台公演や人物の記録写真を撮影する傍ら、日本の美術館写真コレクションの形成に関する執筆・編集にも携わった。
トーマス・デマンド(1964年ドイツ生まれ)は、既存の報道写真や記録写真を原寸大の紙とボール紙で再構築し、そのモデルを撮影して作品とする写真家・アーティスト。「現実の構築…
ヴォルフガング・ティルマンスは、雑誌、クラブ、展示空間、出版、政治的メッセージを横断し、写真を一点の作品ではなく、イメージが置かれ、流通し、共有される場として考えた現代写…
ニッキー・S・リー(1970年韓国生まれ)は、特定のサブカルチャーや集団に長期にわたって溶け込み、他者が撮影した日常的なスナップショットの中に現れる『Projects』シ…
シャロン・ロックハート(1964年アメリカ生まれ)は、写真と映画の両方を使い、労働・共同体・持続を主題に長期にわたる協働的プロジェクトを展開するアーティスト。静的なカメラ…
ローラ・レティンスキー(1962年カナダ生まれ、シカゴ在住)は、スティル・ライフと家庭的室内空間の写真で知られるアーティスト。食後の残物や日常の痕跡を通じて欲望・消費・視…
ジェームズ・ウェリング(1951年生まれ、アメリカ)は、抽象・建築・風景・フォトグラムを行き来しながら写真の可能性を問い続けるアーティスト。「私は写真家か、それともアーテ…
アクセル・ヒュッテ(1951年ドイツ生まれ)は、デュッセルドルフ派に連なる写真家。鮮鋭な大判カラー写真で風景・建築・夜景を捉えながら、霞・反射・光の乱反射によって視覚的確…
ジェームズ・ケースベア(1953年生まれ、アメリカ)は、建築的・制度的空間の模型を自ら制作して撮影することで知られる写真家。権力・収監・イデオロギーが空間にいかに埋め込ま…
トレイシー・モファット(1960年オーストラリア生まれ)は、写真・映像・モンタージュを横断し、人種・欲望・記憶・植民地的歴史を映画的な演出と大衆的イメージの流用を通じて問…
エルヴィン・ヴルム(1954年オーストリア生まれ)は、彫刻を主軸としながら写真を不可欠な要素として組み込むアーティスト。《One Minute Sculptures》に代…
マンフレッド・ヴィルマン(1952年オーストリア生まれ)は、写真家・キュレーター・編集者として活動し、Camera Austriaを通じてオーストリアの写真文化を形成して…
ロイ・アーデン(1957年カナダ生まれ)は、バンクーバーのフォト・コンセプチュアリズムの文脈に位置づけられることが多い写真家・アーティスト。都市の変容・廃棄物・開発地・ア…
アトラス・グループ/ワリード・ラードは、レバノン内戦をめぐる架空/準架空のアーカイブを通じて、写真・映像・文書が歴史の証拠として機能する条件を問い直したプロジェクト。
ソン・ウー・ベク(1973年韓国生まれ)は、シミュレーション・イデオロギー・表象の政治を主題に、写真そのものを疑わしい媒体として扱う写真家・アーティスト。ミニチュア都市や…
イト・バラダ(1971年生まれ、フランス・モロッコ)は、写真・映像・インスタレーション・アーカイブにわたる実践で、タンジェを拠点に国境・都市変容・移動の政治を探るアーティ…
ヴァレリー・ベラン(1964年フランス生まれ)は、ポートレート・スティルライフ・ボディ・商品など多様な被写体を通じて、超精細な描写と人工性の間の不安定な関係を探る写真家。…
リチャード・ビリンガム(1970年イギリス生まれ)は、自身の家族を撮影した写真シリーズ『Ray's a Laugh』で知られるアーティスト。工場労働者階級の家庭を親密な距…
ザビーネ・ビター/ヘルムート・ウェーバー(1993年より共同活動)は、写真・建築・都市表象を中心に活動するオーストリアのアーティスト・デュオ。モダニズム建築・住宅・都市計…
アヌシュカ・ブロマースとニールス・シュム(ともに1969年生まれ、オランダ)は、ファッション写真・スティルライフ・アート写真の境界を意識的に撹乱するデュオ。磨き上げられた…
ソニア・ブラス(1968年ドイツ生まれ)は、ジオラマ・動物園・スタジオ効果を用いた大判カラー写真で、自然の見た目を持つ作り物の場面を撮影するアーティスト。写真的リアリズム…
セルゲイ・ブラトコフ(1960年ウクライナ生まれ)は、ハリコフ写真学派に属する写真家・アーティスト。ポスト社会主義的な社会・セクシュアリティ・権力を、感情的に抑制された直…
アダム・ブルームバーグとオリヴァー・チャナリンは、ドキュメンタリーや制度的イメージ・システムへの批判的実践で知られる南アフリカ/イギリスの写真家デュオ。フォトブック、アー…
シュテファン・ブルガー(1977年生まれ、スイス在住)は、写真・彫刻・インスタレーション・アクションにわたる実践で、イリュージョン・展示・観客の期待をめぐる問いを展開する…
ジェラード・バーン(1969年アイルランド生まれ)は、映像・写真・インスタレーションを横断するアーティスト。歴史的な文書や雑誌インタビューを再上演することで、アーカイブの…
クロード・クロスキー(1963年フランス生まれ)は、ウェブサイト・出版・写真・映像・コラージュを横断し、情報の反復・消費文化・日常的視覚言語の不条理を分析するアーティスト…
collectif_factは、写真・映像・3Dスキャン・建築モデルを組み合わせ、都市空間やメディア映像が知覚をどのように条件づけるかを探るスイスのアーティスト集団。
ルック・ドラエー(1962年フランス生まれ)は、フォトジャーナリストとして出発し、後に戦争・政治・歴史的危機を主題とした大判ミュージアム写真の制作へと移行した写真家。フォ…
シャルロット・デュマ(1977年オランダ生まれ)は、動物を中心とした肖像的な写真で知られる写真家。奉仕・喪・同伴関係というテーマを通じ、動物の周囲にポートレートとしての尊…
ルーカス・アインゼレ(1963年ドイツ生まれ)は、写真・映像・テキスト・調査に基づくプロジェクトを横断するアーティスト。地雷・証言・イメージと証拠の関係を主題に、ポートレ…
ルート・ファン・エンペル(1958年オランダ生まれ)は、数千の写真断片から丹念に構築されたデジタル合成写真で知られるアーティスト。ハイパーリアルでありながら完全に構築され…
J・H・エングストローム(1969年スウェーデン生まれ)は、日記的で感情的に不安定な写真群をフォトブックの形式で発表することで知られる写真家。記憶・親密さ・疎外感を、断片…
ロー・エスリッジ(1969年アメリカ生まれ)は、商業的・民俗的・美術写真のイメージ語彙を混合することで知られる写真家。ファッション・広告写真と現代アート写真の間の境界を、…
シャルル・フレジェ(1975年フランス生まれ)は、制服・儀礼・仮装・集合的アイデンティティをテーマとした連続肖像プロジェクトで知られる写真家。類型論的な反復によって、コス…
スティーヴン・ギル(1971年イギリス生まれ)は、フォトブックを主要な発表形態として、ドキュメンタリー写真を素材実験によって根本から問い直すアーティスト。カメラの中に植物…
アンソニー・ゴイコレア(1971年生まれ、キューバ系アメリカ人)は、1990年代後半から演出的写真タブローで広く認知されたアーティスト。一枚の画面に自分自身を複数役で登場…
G.R.A.M.は1987年グラーツ結成のアーティスト集団。パパラッチ写真や議会写真など報道で定着した画像を自分たちの身体で再演し、「ニュースらしさ」の型を露わにする。
アネタ・グジェシコフスカ(1974年ポーランド生まれ)は、写真・映像・彫刻を横断しながら、自己の消失・身体イメージ・デジタル操作を主題とするアーティスト。自らの身体を消去…
ホセ・アントニオ・エルナンデス=ディエス(1964年ベネズエラ生まれ)は、彫刻・写真・映像・インスタレーションを横断するアーティスト。消費財・民俗信仰・スポーツ・宗教・大…
スゼ・ツン・レオン(1970年生まれ)は、地平線・領域・都市形態を主題に、大判カラー写真の連作でグローバル化と都市景観を探求するアーティスト。高所からのパノラマ的視点と体…
ポール・アルベルト・ライトナー(1957年オーストリア生まれ)は、写真・アーティスト・ブック・強迫的なアーカイブ収集を組み合わせる写真家。旅・日常的な事物・自伝的な蓄積を…
ネイト・ロウマン(1979年アメリカ生まれ)は、タブロイド・報道・犯罪図像・アメリカ大衆文化から見つかったイメージを反復的に流用する絵画・インスタレーション・版画の作家。…
オリヴァー・ムソヴィク(1971年北マケドニア・スコピエ生まれ)は、写真・映像・視覚的語りにわたって活動するアーティスト。ポスト社会主義的・ポスト・ユーゴスラヴィア的な文…
Multiplicityは、写真・地図・証言・映像を組み合わせ、移民、境界、インフラ、移動の政治を調査するイタリアの研究集団。単一の写真ではなく、複数の証拠形式で現代空間…
ワンゲチ・ムトゥは、民族誌写真・ファッション写真・医学図版などの断片をコラージュし、植民地主義とジェンダー化された身体表象の歴史を再構成するケニア出身のアーティスト。
アルノ・ノレン(1964年オランダ生まれ)は、写真・映像・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。反復する静止画像のシーケンスを通じ、記憶・欲望・ナラティブの連…
OHIOは、写真雑誌を展示空間のように扱い、日常的で複製可能な写真の編集・出版・流通を作品化したドイツのプロジェクト。単独作品ではなくページ上の並置から写真を捉え直す。
ヤサンスキー&ポラク(Lukas Jasanský と Martin Polák によるデュオ)は、ベルリンを拠点に活動するアーティスト・デュオ。平凡な建築・インテリア・…
マルコ・ポローニ(1962年スイス生まれ)は、写真・映像・インスタレーション・調査に基づく語りにわたって活動するアーティスト。国境・移民・紛争・政治的記憶の不安定さを主題…
ゴンサロ・プフ(1950年スペイン生まれ)は、写真・映像・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。人物・建築・オブジェクトを精巧に構築した場面に配置し、身体とア…
アンリ・サラ(1974年アルバニア生まれ)は、映像・音・インスタレーションを通じて記憶・政治的転換・歴史的語りの不安定さを探るアーティスト。ポスト社会主義的な文脈のなかで…
ジュール・シュピナッチュ(1964年スイス生まれ)は、半自動カメラシステムや長期的な連続プロジェクトで知られる写真家・アーティスト。監視・政治的スペクタクル・自動化された…
エリック・シュタインブレッヒャー(1963年スイス生まれ)は、写真・彫刻・テキスト・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。日常的な物や標識を最小限の手つきで扱…
イヴ・サスマンは、歴史絵画のタブローや写真の構図を映像・インスタレーションへ展開し、静止画像が時間、身体、演技によってどのように揺らぐかを探る作家。
フィリップ・テリエ=エルマン(1970年フランス生まれ)は、写真・映画・映像・インスタレーションを横断するアーティスト。映画的なフィクションが写真的イメージをいかに構造化…
アナ・トルフス(1963年ベルギー生まれ)は、写真・テキスト・プロジェクション・インスタレーションを使い、証言・翻訳・記憶・ドキュメンタリーの権威の不安定さを探るアーティ…
ジャナイナ・チェペ(1973年生まれ、ドイツ/ブラジル)は、写真・映像・パフォーマンス・彫刻・絵画にわたって活動するアーティスト。水・植物・神話的なイメージを通じて身体が…
イェンス・ウルリッヒ(1972年ドイツ生まれ)は、写真・彫刻・コラージュ・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。既存のイメージや文化的形式を反復・複製・転置す…
ユースフル・フォトグラフィーは、実用的・匿名的・日常的な写真を収集・編集し、美術作品ではなく社会の中で使われる画像として写真の価値を捉え直す編集プロジェクト。
オノデラユキ(1962年生まれ)は、ルール駆動の連作・暗室実験・大判手製プリントを特徴とし、写真過程を概念的な問いの生成装置として扱う写真家。「新宇宙の写真」賞を受賞し、…
長島有里枝(1973年生まれ)は、セルフポートレートと家族写真を通じて女性の身体的自律・ジェンダー・表象の政治を問う写真家・作家。1990年代の日本に登場し、写真家として…
ライアン・マッギンレー(1977年生まれ)は、ニューヨークのダウンタウン・ユース・サブカルチャーを身近な距離から撮影し、後に屋外での演出的な裸体ロードトリップへと展開した…
ヴィヴィアン・サッセン(1972年アムステルダム生まれ)は、飽和した色彩・深い影・断片化された身体・隠蔽された顔を特徴とするファインアートと写真ファッションを横断するオラ…
サラ・ヴァンダービーク(1976年生まれ)は、美術史・アーカイブ・都市の断片を一時的な彫刻として組み上げ写真に収め、その後解体するアメリカのアーティスト。写真はオブジェク…
シャノン・エブナー(1971年生まれ、ロサンゼルス拠点)は、段ボール・木材・コンクリートブロックで文字や語句を構築して写真に撮り、言語を視覚的構造として問うアメリカのアー…
ジェシカ・イートン(1977年カナダ生まれ)は、RGBフィルターと多重露光を用いたカメラ内加算色分離によって抽象的な色彩構造を生成するカナダの写真家。代表作「cfaal(…
アイリーン・クインラン(1972年生まれ)は、スモーク・鏡・マイラー・偏光ゲル・期限切れフィルムといった素材を使ったスタジオ実験でフェミニスト的写真抽象を展開するアメリカ…
ルーカス・ブレイロック(1978年生まれ)は、消しゴムや靴などの日常物を大判カメラで撮影し、Photoshopの加工痕をあえて残すアメリカの写真家。デジタル操作の「隠蔽」…
ケイト・ステシウ(1978年生まれ)は、インターネットやストックイメージ・データベースから画像を採取し、デジタル加工・プレキシグラス・コラージュと組み合わせた写真的構造物…
ラシード・ジョンソン(1977年シカゴ生まれ)は、ヴァン・ダイク・ブラウン印画などの歴史的写真プロセスと演出的なポートレートを通じ、黒人のアイデンティティ・二重意識・表象…
アーティ・ヴィアカント(1986年生まれ)は、写真・彫刻・デジタルファイル・オンライン流通を横断するアメリカのアーティスト。2011年開始の「Image Objects」…
ケリー・コネル(1974年生まれ)は、一人のモデルを複数の役割で撮影しデジタル合成した「Double Life」シリーズで知られるアメリカの写真家。架空の二人の関係として…
ナタリー・チェコ(1976年生まれ、ベルリン拠点)は、雑誌・新聞・商品パッケージなどの印刷物の中に既存の詩を「発見」し、文字をマーキングして写真に撮る「Hidden Po…
蜷川実花(1972年東京生まれ)は、高彩度の色彩・花・金魚・ポートレートを軸に写真・映像・空間インスタレーションを展開する写真家・映画監督。2001年度木村伊兵衛写真賞受…
ファビアン・マルティは、スキャナーや傷つけたネガ、フォトグラムでデジタルと暗室を往復し、画像がどの機械と手作業を通って作られたかを画面に残すスイスの作家。
松江泰治は、地平線と空を画面から外し真昼の順光と高解像度で山地・都市・墓地・都市模型を撮り、地表の細部を撮影後も読み続けられる形式へ変えた写真家。
志賀理江子(1980年愛知生まれ)は、宮城県北釜に長期滞在し地域住民と協働で撮影を続けた写真家。2011年の東日本大震災で拠点と多くの住民を失いながら活動を継続した「螺旋…
林典子(1983年生まれ)は、キルギスの花嫁誘拐・ヤジディ教徒の祈りなど国際社会で報道されにくい問題を長期取材するドキュメンタリー写真家。2013年にVisaポール・イマ…
アマリア・ウルマン(1989年アルゼンチン生まれ)は、2014年にInstagramとFacebookで「Excellences & Perfections」を実施したア…
横田大輔(1983年埼玉生まれ)は、フィルムを反復的に現像・スキャン・再撮影・焼損・折りたたむなど物理的・化学的・デジタルなプロセスを連鎖させ、写真の物質性そのものを主題…
小林健太(1992年神奈川生まれ)は、自ら撮影した写真をPhotoshopのスミアツールで引き伸ばす《#smudge》などで知られ、撮影後の編集画面・ピクセル・AI生成までを写真の現場として扱い、デジタル環境で現実がいかに編集されるかを問う写真家。
ヘリオグラフィーを発明し、現存最古の写真「ル・グラの窓からの眺め」(1826〜27年頃)を残したニエプスは、光化学的な像の固定を初めて実現した人物である。1839年の公式…
スコットランド出身のガードナーは南北戦争の写真記録においてブレイディの組織から独立し、写真家個人のクレジットを明示した写真集『ガードナーの戦争写真スケッチブック』(186…
南北戦争でガードナーの『スケッチブック』に44点を寄稿し(単独写真家として最多)、戦後は西部の地質調査に転じて「死の収穫」(1863年)から「タファ・ドームズ」(1867…
リー・ミラーは、シュルレアリスムの暗室実験、Vogueのファッション写真、第二次世界大戦の従軍報道を横断したアメリカの写真家。ソラリゼーションや身体の断片化、戦時下の女性…
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を撮り続け、ベルゲン・ベルゼン解放時の記録で写真史に衝撃を残した。その経験が「人間を撮る距離」への根本的な問い直しを迫り、戦後はアフリカへ向…
ウィリアム・ヴァンディヴァートは、『LIFE』誌のスタッフ写真家として戦時ヨーロッパを取材し、マグナム・フォトス創設メンバーとして写真エージェンシーの制度化に参加した写真…
岩宮武二は、寺社・庭園・工芸・仏像・民具といった日本の伝統的文化形態を主題に、ドキュメントと形式的探求の境界に立つ写真実践を展開した。伝統を観光的に再現するのではなく、写…
1933年生まれ。写真家集団「VIVO」のメンバーとして知られ、代表作『地図』(1959〜1965年)でフォトブック史に独自の位置を占める。
1934年生まれ、2012年没。家族・妻・孤独・自己崩壊を主題とした強烈に個人的な写真で知られる。
1936年ウェールズ生まれ、2008年没。マグナム・フォトスのメンバーとして知られ、代表作『ベトナム株式会社』(Vietnam Inc.
1935年ロンドン生まれのフォトジャーナリスト。キプロス、ビアフラ、ベトナム、カンボジア、北アイルランドなど世界各地の紛争地帯を取材し、戦後フォトジャーナリズムを代表する…
1946年マン島生まれ、2020年没。1970〜80年代のイングランド北東部——タインサイドの造船所・炭鉱・失業した工業地帯——を長期にわたって記録した。
アーヴィング・ペンは、Vogueの誌面で鍛えたデザイン感覚を、白い背景、古い劇場幕、自然光、静物、職業肖像、プラチナ・パラジウム・プリントへ展開した写真家である。ファッシ…
リチャード・アヴェドンは、Harper's Bazaar、Vogue、The New Yorkerなどの誌面で、ファッション写真とポートレートを戦後アメリカの視覚文化へ押…
1940年、南アフリカ、プレトリア近郊に生まれたアーネスト・コールは、雑誌『ドラム』周辺の黒人ジャーナリズムから写真を始め、1967年の写真集『House of Bond…
潮田登久子は、冷蔵庫、本、豪徳寺の部屋に残る光や生活用品を通じて、近しい人の時間を人物の表情だけに頼らず写してきた写真家である。桑沢で石元泰博、大辻清司に学び、街の人物写…
ピーター・ヒューゴは、南アフリカを拠点に、正面性の強いポートレートでポスト・アパルトヘイトの記憶、白人性、周縁化、電子廃棄物、他者表象の不安を扱う写真家。『The Hye…
星野道夫は1952年、千葉県市川市に生まれ、アラスカの野生動物、風景、人々の暮らし、神話を写真と文章で記録した写真家。十九歳のときに見たシシュマレフ村の航空写真をきっかけ…
アニー・リーボヴィッツは、Rolling Stoneで写真家として出発し、Vanity Fair、Vogueへ活動を広げながら、雑誌の表紙や特集の中で人物を強い場面として…
ジビレ・ベルゲマンは、東ドイツの文化誌『Sibylle』を舞台に、ファッション写真を都市と社会のなかの肖像として撮り直した写真家。アルノ・フィッシャーの写真教育と写真エッセイの方法を受け継ぎ…
占領後の横浜で、赤線地帯・診療所・女子プロレス・婦人保護施設など「働く女性」の生活を撮った写真家。写真集『危険な毒花』では一人称の文章と写真を組み合わせ…
ヌード、身体、植物、鉱物、デジタルコラージュを通じて、身体を見る視線そのものを問う写真家。写真集《NEW SKIN》では男性身体、ゲイ雑誌、彫刻、セルフィーを重ね、男性身体を見る視線の位置を組み替えた。
野村佐紀子(1967年下関生まれ)は、男性ヌード、夜、花、海を黒の濃度と写真集の順序で結びつける写真家。荒木経惟に師事しながら、露骨なエロスへ進まず、裸体を共有された時間と記憶の像として見せた。
田中義久と飯田竜太によるアーティストデュオ(2007年結成)。積層・切断・彫刻という物体的プロセスで写真を再定義し、expanded photographyとphotographic objectの文脈で世界的に評価される。
アレック・ソスは、ミシシッピ川沿いの人物・風景・部屋の断片を大判カラーと写真集編集で結び、アメリカの孤独と憧れを読む経験へ変えた写真家。
ボリス・ミハイロフは、手彩色・流用・演技・粗さを通じてソ連末期からポストソ連の社会崩壊と写真の倫理を露出させたウクライナの写真家。
エドワード・バートンスキーは、採石場・鉱山・石油・工場を大判写真で撮影し、美しさと環境不安が分離できない産業風景を可視化した写真家。
グレゴリー・クルードソンは、俳優・照明・セットを用いてアメリカ郊外の日常を前後不明の不穏な静止画へ変える演出写真の作家。
浅田政志は、家族が役を演じて写真を作る『浅田家』から震災後の写真洗浄とアルバム保存まで、写真を撮る・残す・返す行為として扱う写真家。
リネケ・ダイクストラは、若者・出産直後の母親・兵士・難民など社会的役割へ入る前後の身体を正面性と距離によって保留する肖像写真家。
トーマス・シュトルートは、無人街路・家族肖像・美術館の鑑賞者・科学技術施設を大判写真で撮り、人間が作った制度と視線の構造を可視化する写真家。
ザネレ・ムホリは、黒人LGBTQIA+コミュニティの肖像と演劇的セルフポートレートを通じて、写真を可視化・抵抗・記憶のアーカイブとして用いるヴィジュアル・アクティヴィスト。
百々新は、上海・カスピ海沿岸・シルクロード・京都などを移動し、土地の生活感覚と見る者の距離を写真集として編む現代日本の写真家。
木村伊兵衛は、小型カメラの速写性を文芸家ポートレート・東京の街角・秋田の生活へ接続し、戦後日本のリアリズムと写真制度を形づくった写真家。
1959年東京生まれ。手持ちのカメラで歩きながら大量に撮り、後から写真を選ぶ方法を続けてきた写真家。代表作《half awake and half asleep in the water》では、波が身体とカメラを上下させ、目が波と安全を確かめる一方でカメラは陸へ向き、撮影時に本人が確認できなかった画面が残る。身体・カメラ・その場の動きから生まれた写真を後から選ぶことを制作の中心に置く。
1899年生まれ。1920年代にサンフランシスコのコンスエロ・カナガのスタジオで写真を学び、帰国後は大阪で自らのスタジオを開いた女性職業写真家の先駆者。写真集『遠近』を経て、撮影前に物体・色・光を構成する抽象写真へ進み、代表作〈What I Am Doing〉では写真用品や過去の自作まで撮影素材にして、写真を作る材料と手順そのものを主題にした。
1987年埼玉県生まれ、群馬県育ち。先天性脛骨欠損症により9歳で両脚の切断手術を受け、義足とともに生きてきた経験を背景に、手縫いのオブジェや装飾した義足を自ら作り、それらと自身の身体を緻密に配置して撮影するセルフポートレートを展開した。写真集『GIFT』と第58回ヴェネチア・ビエンナーレでの展示は第45回木村伊兵衛写真賞の対象となり、義足で履けるハイヒールを作る「ハイヒールプロジェクト」など、装いと身体の選択肢そのものを制作の対象にしている。
1972年広島県呉市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。旅先や台湾・ニューヨークでの生活、呉の家族を膨大なスナップショットに撮りため、時間を置いた選択と写真集の構成によって、撮影時には気づかなかった経験を作品化してきた。2013年から広島市で暮らしながら川沿いの日常を撮った『川はゆく』(赤々舎、2017年)は、原爆ドームの前で踊る高校生など現在の生活に歴史の重なりを示し、第41回伊奈信男賞、林忠彦賞、木村伊兵衛写真賞を受賞。2023年には「New Stories」「花のゆくえ」など近年の活動により東川賞新人作家賞を受けた。
1978年生まれ。都市、群衆、家族、海を撮影したプリントを削り、燃やし、重ねる制作を続ける。《WHITE OUT》《Burnt Photographs》《I am in You》を通して、大量消費される画像に手の痕跡を戻し、写真を保存装置から、忘却、治癒、儀礼を試す物体へ変えてきた。
澤田知子は、自身の顔と身体を用い、証明写真、見合い写真、学校写真、履歴書写真など社会で使われる肖像形式を反復する写真家。《ID400》以後、外見から人物像を判断する慣習と写真の働きを検討している。
アンナ・アトキンスは、ジョン・ハーシェルのシアノタイプ法を使って1843年から『Photographs of British Algae: Cyanotype Impressions』を自費刊行した植物学者・写真家。藻類やシダを感光紙へ直接置き、輪郭と半透明部分を白とプルシアンブルーの像として記録した。分冊、差替え、ラテン名、手書き文字まで写真工程へ組み込んだ仕事は、植物分類、カメラレス写真、写真集、女性の科学参加が交差する初期写真の重要な事例である。
アントワーヌ・クローデは、フランスからロンドンへ移り、1840年代からダゲレオタイプ肖像館を運営した写真家・発明家。アデレード・ギャラリーやリージェント・ストリートの「Temple of Photography」で露光短縮、焦点測定、背景、手彩色を改良し、1850年代にはステレオ・ダゲレオタイプや立体視と屈折の研究へ進んだ。商業肖像と王立協会での光学研究を並行した彼の写真館は、撮影所、実験室、見世物、店舗という複数の機能を一つの空間に集めていた。
ビソン兄弟は、ルイ=オーギュストと弟オーギュスト=ロザリーが1852–63年に共同で運営したパリの写真工房。大型ガラス・ネガとアルブメン・プリントでフランス各地・欧州の建築を高精細に撮影・出版し、1861年にはカメラ、薬品、携帯暗室を25人のポーターらと山上へ運びモンブラン撮影を実現した。建築では細部を比較できる出版図版を、山岳では都市の観客が実際には行けない高所の様子を伝える写真を作った。
チャールズ・クリフォードは、1850年代のマドリードを拠点に、サラマンカ、トレド、グラナダなどの歴史建築、イサベル2世の巡幸、マドリードの給水事業を大判写真で記録した写真家。紙ネガから大型ガラス・ネガへ技術を更新し、修復前の建物の細部を残す一方、王室の移動や新しい公共事業もアルバムとして記録した。19世紀スペインで写真が文化財調査、王室広報、公共事業の記録にどう使われたかを一人のキャリアから追える。
アンリ・ル・セックは、画家・版画家として学んだのちギュスターヴ・ル・グレーから紙ネガ技法を学び、1851年のミッション・エリオグラフィックでランス、ストラスブールなどの歴史建築を撮影した写真家。国家委嘱では修復判断に使える全景と細部が求められたが、ル・セックは斜光、近接、斜めの視点を選び、石の損傷や彫刻の凹凸まで強く写し出した。文化財記録に撮影位置と光の判断がどこまで影響するかを考えるうえで重要な作家である。
イポリット・バヤールは、パリの大蔵省官吏として働きながら1839年に紙上直接陽画法を開発し、静物、石膏像、庭、自画像、パリの街路、歴史建築を撮った初期写真家。代表作《溺死者に扮した自画像》では、自身を死体として演じた像に手書きの文章を添え、発明者としての承認をめぐる状況を作品化した。その後は塩化銀紙、紙ネガ、ガラスネガも用い、1848年革命後のパリやミッション・エリオグラフィックの建築記録へ制作を広げた。
ヒュー・ウェルチ・ダイアモンドは、精神科医としてサリー州精神病院の女性患者を撮影し、表情や衣服を病状の記録・比較・診断に使おうとした初期医療写真の重要人物。同時にPhotographic Societyの形成、技術普及、古美術撮影にも関わった。写真なら患者の外見を正確に固定できると考えたが、実際の像にはポーズ、衣服、小道具、撮影者の判断も写り込んでおり、19世紀医学が写真に期待した「客観的な診断資料」がどう作られたのかを検討する資料になっている。
ジョン・ジェイビズ・エドウィン・メイオールは、フィラデルフィアで磨いた大型ダゲレオタイプの明晰さをロンドンへ持ち込み、科学者や文化人、ヴィクトリア女王一家を撮った肖像写真家。1860年の《Royal Album》では王室肖像を名刺判写真(カルト・ド・ヴィジット)として一般販売し、同じ肖像を多数の家庭へ届けた。王族の写真を買い、交換し、自分の家族や著名人の写真と同じアルバムへ並べる19世紀の肖像文化を考えるうえで重要な作家である。
ジョサイア・ホーズは、画家を志したのちダゲレオタイプへ転じ、1843年からアルバート・サンズ・サウスワースとボストンでサウスワース&ホーズを運営した写真家。大型ホールプレート銀板、天窓の自然光、姿勢と背景の細かな設計によって政治家、作家、市民、学校、手術室、街路を撮影し、立体視カメラや連続露光も試した。個人帰属を確定できない作品が多く、家族、技師、着彩、機材改良を含む共同スタジオの制作体制が、初期アメリカ肖像写真の造形と商業を支えていた。
ルイ・デジレ・ブランカール=エヴラールは、リールを拠点に紙ネガ・ポジ法を改良し、1847年にフランス科学アカデミーへ工程を発表した写真技術者・出版者。1850年にはアルブミン紙の印画法を公表し、1851年にImprimerie photographiqueを開設した。自身の撮影に加え、シャルル・マルヴィル、マクシム・デュ・カンらのネガを多数印画し、建築、美術複製、旅行写真をアルバムや分冊として流通させた。写真を撮影後の印画、編集、出版まで含む生産工程として組織した人物である。
マクシム・デュ・カンは、ギュスターヴ・フローベールと1849–51年にエジプト、ヌビア、パレスチナを旅し、200点を超える紙ネガで遺跡を撮影した作家。正面性、真昼の光、人物による尺度表示を使い、遺跡の形と大きさを比較しやすい写真にした。1852年の写真集『Égypte, Nubie, Palestine et Syrie』では125点を同じ出版形式で提示したが、その画面は現地の生活より古代遺跡を優先し、19世紀フランスの考古学とオリエンタリズムの視線も伝えている。
リチャード・ビアードは、ロンドンの石炭商から写真事業へ参入し、1841年にロイヤル・ポリテクニック・インスティテューション屋上でダゲレオタイプ肖像館を開いた企業家。ウォルコット式カメラを導入し、英国のダゲレオタイプ特許権を軸に複数の店舗と地方ライセンスを展開した。「Beard Patentee」と刻まれた肖像の多くは雇用技師が撮影しており、作品の画面と同時に、ケース、商標、特許、分業が初期写真を商品と職業へ編成した過程を伝えている。
オスカー・レイランダーは、1850年代から1870年代に英国で活動したスウェーデン生まれの写真家。《The Two Ways of Life》では30点以上のネガを一枚へ焼き合わせ、歴史画規模の寓意を写真で構成した。肖像、子どもの身振り、チャールズ・ダーウィン『人及び動物の表情について』の写真も制作し、演出・合成によって作られた像が芸術では物語、科学では観察資料として働くという、写真の「事実らしさ」の複雑さを早い時期に示した。
1850年代半ばから1860年代の第二帝政期フランスで、カルト・ド・ヴィジット肖像を巨大な市場へ育てた写真家。四眼カメラと可動式ホルダーで一枚の湿板原板に複数ポーズを記録し、鶏卵紙をカード寸法に裁断して販売した。ナポレオン3世、ヴェルディ、市民の全身像、未裁断シート、家庭アルバムを手掛かりに、肖像写真が一回限りの注文品から、複数枚を交換・収集する大衆メディアへ変わった過程をたどる。
ベンジャミン・ブレックネル・ターナーは、1849年に写真を始め、1850年代を中心に活動した英国のアマチュア写真家。ロンドンで蝋燭・石鹸の家業を営む一方、カロタイプの紙ネガで田園、古木、修道院跡、クリスタル・パレスを撮り、『Photographic Views from Nature』に編集した。新しいガラス湿板が普及する時代に紙ネガを選んだ理由と、近代建築から田園へ進むアルバムの構成を通して、産業化期の英国で何を残すべき風景として見たのかを考える。
1840年代末から1850年代のフランスで、絵画、紙ネガ写真、写真製版を往復した写真家・版画家。パリの《The Chimney Sweeps》、南フランスとシャルトルの建築、ヴァンセンヌ帝国療養所を撮り、さらに写真像をインクで刷るヘリオグラヴュールを改良した。動く市民を短い露光で捉えることと、建築の細部を退色しにくい印刷版へ残すことを同じ制作の問題として扱った点から、初期写真の「瞬間」と「複製」を読み直す。
フランシス・ベッドフォードは、1850年代から1870年代を中心に活動した英国の建築・旅行写真家。建築製図とリトグラフの経験を湿板写真へ生かし、英国の聖堂や風景を出版したほか、1862年には皇太子の中東巡幸へ公式写真家として同行した。200点を超えるネガを撮影し、日付・地名・番号を伴う系列を展覧会、王室アルバム、市販写真へ展開した。その仕事から、旅行写真が場所を記録するだけでなく、王室の旅程、聖書・古典の知識、出版市場によって「どこを見るべきか」を組織した仕組みを考える。
1850年代にコンスタンティノープルを拠点とし、オスマン帝国造幣局の彫版師から写真家へ進んだジェームズ・ロバートソン。1853–54年のアテネ古代遺跡、イスタンブール、1855–56年、クリミア戦争末期から講和前後のセヴァストポリを撮影し、フェリーチェ・ベアトとの共同名義でも活動した。砲台、港、城壁、廃墟を広い画面で追う写真から、初期戦争写真が戦闘の瞬間より「戦争が地形と都市へ残したもの」をどう記録したかを考える。
ジョン・ディルウィン・ルウェリンは、1840年代から1850年代を中心にウェールズのPenllergareで活動した初期写真家・科学者。土地を相続した地主として庭園、湖、温室、観測所を整え、タルボット家との親族関係や科学者との交流を背景に、家族、植物、海岸、波、船、月を撮影した。1856年には湿板を屋外で扱いやすくするオキシメル法を考案し、娘テレザらも撮影・印画・天文観測に参加した。写真技術が個人の発明だけでなく、資金、設備、家族の分業、地域の科学文化から成立したことを示す人物である。
1854年から1860年にかけて、東インド会社軍の士官として南インドとビルマ(現ミャンマー)の寺院、宮殿、碑文、彫刻、都市景観を撮影したリンネウス・トライプ。1855年のビルマ使節団とMadras Presidencyの政府写真家として、蝋引き紙ネガを携行し、建築を複数方向から番号・キャプション付きで記録した。行政が求めた正確な情報と、雲や植生をネガへ描き足す手作業が同居する写真から、植民地調査における「客観的な記録」がどのように作られたかを考える。
マーティン・ラローシュは、本名William Henry Silvesterで、1840年代末から1860年代にロンドンを中心に活動した職業写真家。ダゲレオタイプ肖像館を営み、1854年のTalbot v. Laroche裁判で湿板コロジオン使用をめぐってタルボットと争った。チャールズ・キーンの《Richard II》《King Lear》などの舞台を再構成した写真も残り、初期写真を発明史だけでなく、営業写真館、特許、複製可能な俳優像の市場から考えるための人物である。
1852年から1855年を中心に、ロンドン万国博覧会のクリスタル・パレスがハイド・パークからシドナムへ移築・再建される工程を連続撮影した英国の写真家。柱の設置、梁と足場、蒸気機関、作業員、歴史展示の搬入、開館式までを追い、『Photographic Views of the Progress of the Crystal Palace, Sydenham』に160点を収録した。1850年代の建築写真が完成建物だけでなく、建設の時間と産業労働を記録する媒体へ広がった過程を示す。
1854年頃から1880年代まで活動し、北米、パリ、アルプス、イタリア、1862年ロンドン国際博覧会をステレオ写真として大量に出版した英国の写真家。London Stereoscopic Companyの撮影者として出発し、独立後は旅行シリーズを自ら販売した。左右一対の像をビューアで重ねると生じる奥行きを前提に、橋、山道、列柱、滝を手前から遠景へ配置した画面から、写真と観光と出版が同じ時期に大衆化した仕組みを読む。
ウィリアム・レイク・プライスは、1850年代から1860年代初頭に写真家・著述家として活動した英国の水彩画家出身の写真家。建築画の訓練を背景に、《Don Quixote in His Study》など文学や歴史を演じ直すタブロー、芸術家肖像、ロンドン都市景観、美術複製と写真製版を手がけた。撮影前の演技と構図、撮影後の印刷・出版までを制作工程として捉え、写真に「構図」をどう導入するかを実作と文章の双方で論じた人物である。
1827年にスコットランドのセント・サイラスに生まれ、1852年頃から1857年頃を中心に写真を制作したトーマス・キースは、エディンバラで診療する外科医でもあった。蝋引き紙ネガと塩紙プリントを用い、旧市街の路地・階段・石造建築、スコットランド西岸のアイオナ島の修道院跡などを撮影した。早朝や夕方の斜光を選び、建築の凹凸と深い影を大きな面として構成した写真は、都市改造で失われた場所の記録であると同時に、紙ネガの柔らかな描写を生かした独自の都市・建築写真として評価されている。
カールトン・E・ワトキンスは1829年ニューヨーク州オネオンタ生まれ。1850年代にカリフォルニアへ移り、1860〜90年代にヨセミテ、鉱山、鉄道、コロンビア川などアメリカ西部を撮影した。約18×22インチのマンモス・プレートとステレオ写真を使い分け、遠隔地の巨大な地形を精密に伝えた一方、その像は自然保護、観光、投資、資源開発という異なる目的に利用された。
1822年にスコットランドのカンバーノールド近郊に生まれ、1857年頃から1864年まで撮影したクレメンティナ・ホーワーデンは、ロンドンの自宅5 Princes Gardensで娘たちを集中的に撮影した。窓からの自然光、鏡、衣装、二人組のポーズ、家具を減らした室内を反復し、「Photographic Study」「Studies from Life」として発表した。家庭の内部を人物、光、鏡像の変化を試す撮影空間にし、ヴィクトリア朝の家族写真と芸術写真の境界を広げた写真家である。
1822年にイングランドのチェスターフィールドに生まれ、1850年代後半から1860年代を中心に活動した写真家・出版事業者。エジプト、シナイ、パレスチナを大判の湿板写真で記録し、『Egypt and Palestine Photographed and Described』では写真と地理・聖書解説を組み合わせた。帰国後はFrancis Frith & Co.を組織し、英国各地の町村写真を規格化して販売した。旅行写真を出版、観光、地誌、宗教的知識と結びつけ、大規模な視覚アーカイブへ展開した人物である。
ヘンリー・ディクソンは1820年生まれ。1860年代からロンドンで写真業を営み、1870〜80年代にはSociety for Photographing Relics of Old London(SPROL)のため、解体が迫る建築を記録した。ブール兄弟との分業、湿板ネガ、保存性を重視したカーボン印画を通して、写真が都市の消失を事前に記録し、後世の建築史資料として残る仕組みを考える。
1830年にイングランドのラドローに生まれ、1850年代から1890年代にかけて活動したヘンリー・ピーチ・ロビンソンは、写真家、写真館経営者、理論家として英国の芸術写真を論じ続けた。代表作《Fading Away》では複数のネガを一枚へ焼き合わせる組合せ印画を用い、1869年の『Pictorial Effect in Photography』では構図、明暗、撮影後の合成を体系的に解説した。後にはLinked Ringの形成に関わり、写真における構成、加工、真実性、作者性をめぐる19世紀後半の論争を代表する人物となった。
ジェームズ・ブッカー・ブレイクモア・ウェリントンは1858年バース近郊ランズダウン生まれ。1880〜90年代にピクトリアル写真を制作し、1892年にはLinked Ringへ参加した一方、1890年代以降はWellington & Wardで乾板、フィルム、印画紙の製造を担った。《Eventide》などの合成と柔らかな階調を、作品の「作風」だけでなく、それを可能にした乳剤、紙、複製法、写真材料産業まで含めて考えられる写真家・技術者である。
ジョン・トムソンは1837年エディンバラ生まれ。1860年代から東南アジアと中国で活動し、1870年代には『Illustrations of China and Its People』、帰国後の1877〜78年にはアドルフ・スミスと『Street Life in London』を刊行した。湿板写真を文章と連続出版に組み込み、遠隔地や都市の生活を具体的に伝える一方、人々を職業・民族・階層の「タイプ」として整理する近代の分類視線にも関わった。
ルイス・キャロルは、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが文学作品に用いた筆名である。1832年にイングランド・チェシャーのデアズベリーに生まれ、オックスフォード大学Christ Churchで数学を教える一方、1856年から1880年まで写真を制作した。Christ Church学寮長の娘で『不思議の国のアリス』成立の着想源となったアリス・リデル、同僚の娘アレクサンドラ・キッチン(愛称ジー)、芸術家や知人を繰り返し撮影し、衣装、物語的な演技、私的アルバムを用いて肖像を構成した。ヴィクトリア朝の芸術写真を代表する一人であり、現在は写真史上の達成と子どもを撮る成人撮影者の権力差の双方から検討されている。
1831年にイングランドのサフォーク州に生まれ、1850年代にロンドンで活動したロバート・ハウレットは、王室委嘱、クリミア戦争帰還兵の肖像、風景、産業写真を手がけた写真家である。代表作は、当時世界最大級の蒸気船Great Easternの建造現場と、その設計者イザムバード・キングダム・ブルネルを撮った1857年の系列。人間、鎖、船体、足場を同じ画面に入れて巨大な工業設備の尺度を伝え、写真を新聞版画やステレオへ展開したことで、産業の記録が公共的なニュース像になる過程を示した。
サミュエル・ボーンは1834年イングランドのマックルストーン生まれ。銀行員から職業写真家へ転じ、1863〜70年にインドで活動し、三度のヒマラヤ遠征を行った。大判湿板、携帯暗室、多数の運搬人を必要とする制作を、Bourne & Shepherdの番号付きカタログと販売網へつなげ、山岳、寺院、都市を購入可能な「インドのビュー」として広く流通させた。その形式美と技術的達成は、植民地の交通・労働・市場と不可分に成立していた。
ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンは1843年ニューヨーク州キーズビル生まれ。1870〜78年にF・V・ヘイデンの連邦地質調査へ参加し、イエローストーンやロッキー山脈を大型湿板で撮影した。1890年代には鉄道や世界交通を撮り、後年はDetroit Publishing CompanyでPhotochromの大量流通にも関与した。調査の「証拠」から観光商品まで、同じ土地の写真が制度と市場によって別の意味を持つ過程を一生の仕事で示した。
1853年リーズのヘディングリー生まれ。画家の父からカメラを与えられ、1870年に家族でウィットビーへ移住した。翌年父を失い、18歳で母と7人の弟妹を支えるため写真を職業にし、肖像写真館を営みながら、港、漁師、子ども、船、街路を数十年撮影した。《The Water Rats》《Dinnertime》などをLinked Ring周辺の美術写真へ発展させた一方、漁港と観光地が重なる町の社会史も残した。その二つの働きが同じ画面にどう成立したかをたどる。
1802年頃生まれとされるアルフレッド・ロスリングは、材木商であり、1850年代のロンドン、ウェールズ、庭園、橋、採石場などを紙ネガ系の技法で撮影し、Photographic Societyの創設期から展覧会や共同アルバムに参加したアマチュア写真家である。出生地、没年、作品単位の帰属には資料差が残るため、《The Float at Swansea》など技術記録の明確な作品と、後年フランシス・フリスが印刷・出版した地誌写真を軸に、初期写真の作者性、階級的なアマチュア文化、商業流通の変化を検討する。
1838年ニュージャージー州フレミントン生まれ。1860年代初頭にフィラデルフィアのフレデリック・グーテクンストのスタジオで働き、1864年に専門誌『The Philadelphia Photographer』を創刊した。ステレオ写真やエジプト・パレスチナの旅行写真も制作しながら、実物印画を綴じ込む雑誌、年鑑、技術書、ランタン上映を連動させた。南北戦争後のアメリカで、写真を個々の撮影者の技能から、共有・批評・教育・販売を伴う専門文化へ育てた人物である。
1856年ブライトン生まれ。父ロバートは同地の初期肖像写真家で、ファーマーは幼少期から写真と化学が身近にある家庭に育った。物理学を学び、1882年からRegent Street Polytechnicで写真を教え、のちに写真学校の初代責任者となる。Farmer’s Reducerとして定着した画像減力法、写真工程やカメラの特許、《A Wiltshire Thatcher》やストーンヘンジの野外写真を通じ、露光・材料・現像・補正を分解して教えられる知識へ整理した。写真が徒弟的な技能から高等・職業教育の専門領域へ移る過程を体現した写真家・教育者である。
1854年イングランド東部ローストフトの船大工の家庭に生まれ、官吏として働きながら1885年頃に写真を始めた。ピーター・ヘンリー・エマーソンの自然主義写真を学んだ後、1890年の《The Onion Field》ではピンホールによって細部を大きく抑え、写真の鮮明さをめぐる論争の中心に立った。1892年にはLinked Ringの創設に参加し、のちにKodak英国法人の経営者、キリスト教社会主義や社会改革運動の支援者となる。画面のぼけに加え、階級上昇、写真産業、展示制度、政治思想が交差する位置からピクトリアリズムを考えるうえで重要な写真家である。
1843年カナダ東部ファーナム生まれ。少年期にウィスコンシンへ移り、南北戦争で腕を負傷して大工仕事へ戻れなくなった後、1865年にキルボーン・シティ(現在のウィスコンシン・デルズ)で写真館を買い取った。ウィスコンシン川の岩場をステレオ写真の連続シリーズとして売り、《Stand Rock》では自作シャッターで跳躍を止め、量産設備や鉄道宣伝まで組み合わせてデルズの観光像を作った。Ho-Chunkの人々も商品写真へ組み込まれたため、地方景観の発見に加え、観光資本と先住民表象の歴史から読む必要がある。
1863年ロンドン生まれ。少年期から風景を素描し、前景の草木や地形を素早く記録する手段としてカメラを使い始めたアルフレッド・ホースリー・ヒントンは、ピーター・ヘンリー・エマーソンの自然主義写真から刺激を受けつつ、霧、雲、川岸、田園を大きな明暗と階調で構成した。Linked Ringの活動、『The Amateur Photographer』編集、技法書、展覧会評を通じて、急増するアマチュア写真家に美術写真の制作法と評価基準を伝えた。
1864年スコットランドのハミルトン生まれ。化学と自然哲学を学んだ後、写真家トーマス・アナンの家業で撮影と印刷に入り、1883年にウィーンでフォトグラヴュール技法を習得した。Linked Ringや『Camera Work』を通じて国際的なピクトリアリズムに参加し、自作の旅・肖像写真とヒル&アダムソンの1840年代のネガを同じ版画技術で再制作した。撮影、印刷、複製、展覧会、写真史の形成を連続した仕事として扱った点に特色がある。
1838年バーミンガム近郊アストン生まれ。ガラス製造と製紙業で財を築き、地方政治家、国会議員として活動する一方、古物・地誌資料の収集から写真へ入り、英国各地の建築、祭礼、職業習慣、国会を大量の写真と詳細なキャプションで記録した。1897年にはNational Photographic Record Associationを主導し、撮影、分類、保存、公共アーカイブへの収蔵を一つの計画として整えた。写真を将来の歴史資料として制度化した人物であり、その制度がどの「英国」を保存対象に選んだかも現在の重要な批評点である。
1864年フランス北東部エルブヴィル生まれ。少年期に英国へ移り、シアノタイプを試した後、木版職人として働きながら写真を趣味として続けたポール・マーティンは、1892年頃から包みのように偽装した小型乾板カメラでロンドンの市場、売り子、労働者、子どもを撮影した。昼は人々が撮影を意識する前の身振りを短い露光で捉え、夜はガス灯と濡れた路面を長時間露光した。《The Magazine Seller》《Trafalgar Square on a Very Wet Night》を通して、都市写真の時間と撮影者の存在感を変えた方法を検討する。
1846年ヨーク生まれ。眼科医として診療しながら山岳・氷河観察を続け、やがて火山学へ進んだテンペスト・アンダーソンは、乾板、パノラマ、幻灯を使って噴火と地形変化を記録した。1902年のスフリエール山・プレー山調査と『Volcanic Studies in Many Lands』を軸に、写真を現地観察、学会報告、公共講演へ連続させた科学写真の方法をたどる。
1831年、イングランドのケンブリッジシャー生まれ。1850年代にロンドンで写真家となり、肖像、建築、ステレオ写真を制作した。湿板コロジオンの感光液と現像、明るいレンズ、馬車を改造した移動暗室を組み合わせ、1860年代初頭の《Instantaneous Views of London》では馬車や歩行者が行き交う街路を短時間露光で定着した。大型機材と現地処理が必要な時代に、建築の形に加えて都市の交通や群衆まで写真の歴史資料にできることを早い段階で示した。
1871年、オハイオ州ウェスト・カーライル生まれのクラレンス・H・ホワイトは、簿記係を続けながら独学で写真を始め、妻や子ども、友人を自宅の窓辺や庭、早朝の光の中に配した作品で評価された。Photo-Secessionで活動した後、Arthur Wesley Dowのデザイン理論を写真教育へ取り込み、Clarence H. White Schoolから広告、ファッション、ドキュメンタリー、モダニズムへ進む世代を育てた。
1868年、パリ生まれのアドルフ・ド・メイヤーは、家族や親しい友人のスナップから写真に入り、Linked Ring、Photo-Secessionを経て、ニジンスキーの《L’Après-midi d’un faune》、社交界肖像、静物、『Vogue』『Vanity Fair』『Harper’s Bazaar』のファッション写真へ進んだ。日本旅行で深めた平面構成と逆光、反射する布や宝飾の階調を誌面にも用い、美術写真と近代ファッション写真が接続する過程を考えるうえで重要な写真家である。
1861年、ウェスト・ヨークシャーのキーグリーに生まれたアレグザンダー・キーグリーは、毛織物業の経営に携わりながら写真を続け、初期の演出人物写真から森、雪、農村、古建築、海外旅行の風景へ主題を広げた。撮影したネガを段階的に拡大し、その途中で細部を修整して炭素印画へ仕上げる方法と、Linked RingやYorkshire Photographic Unionを介した展覧会活動を通じ、地方のアマチュア制作を国際的な美術写真へ結びつけた。
1864年、ウェストヴァージニア州グラフトン生まれのフランシス・ベンジャミン・ジョンストンは、パリで美術を学んだ後、ワシントンD.C.で独立写真家となり、政治家肖像、雑誌報道、自画像、《Hampton Album》、庭園、南部建築調査まで仕事を広げた。依頼主や展示目的に応じて一枚の肖像、連続写真、索引付きアーカイブを使い分け、女性が写真を専門職として担う可能性と、記録写真が制度の価値観を帯びる問題を同時に残した。
1865年、ニューヨーク生まれのフランク・ユージーンは、ミュンヘンで絵画を学び、肖像画制作の補助として使い始めた写真を、やがて独立した作品媒体へ変えていった。ネガの乳剤を針で削り、筆や鉛筆で描き直した像をフォトグラヴュールとして複製し、Photo-Secessionと『Camera Work』で発表した。後年はミュンヘン、ライプツィヒで写真教育にも携わり、写真、絵画、版画、教育をまたぐ制作を続けた。
1864年、マサチューセッツ州ノーウッド生まれのF・ホランド・デイは、出版社Copeland and Dayで書物の紙、活字、挿絵、装丁に関わった後、写真で男性裸体、黒人青年、文学者、宗教的セルフポートレートを制作した。《The Seven Words》の連作、プラチナ印画、1900年ロンドン展を通じ、撮影だけでなく身体の演出、印画、配列、展示までを一つの制作として扱った。
1865年、プロイセン王国ハルツ地方シーロに生まれたカール・ブロスフェルトは、植物の芽、茎、種子、花序を拡大し、単純な背景で撮影した造形教育者・写真家である。1890年代から工芸教育の教材として蓄積した写真は、1928年の『Urformen der Kunst』、1929年の《Film und Foto》を経て、新即物主義やNew Visionの文脈で再評価された。教育、倍率、比較、写真集、ベンヤミンやバタイユの同時代批評から、教材写真が近代写真へ読み替えられた過程を追う。
1868年、アメリカのウィスコンシン州ホワイトウォーター近郊に生まれたエドワード・カーティスは、北米各地の先住民を撮影し、写真、文章、語彙、録音を1907〜30年刊の全20巻『The North American Indian』へまとめた写真家である。プラチナ印画、フォトグラヴュール、衣装や場面の演出による統一された像は広く流通する一方、「消滅する民族」という植民地主義的な時間観を強化した。同化政策、資金、先住民協力者、映画、現在の共同体による再解釈まで追う。
1886年ベルリン生まれのエーリヒ・ザロモンは、1920年代末からエルマノックス小型カメラと室内の自然光を用い、法廷、国際会議、外交官、政治家を公式行事の前後や進行中に撮影した写真家である。長くその場に留まり、フラッシュを避け、ときにカメラを隠す方法によって、疲労、雑談、待機、交渉の身振りをニュースにした。彼の仕事は、小型カメラの技術革新だけでなく、記者のアクセス、被写体との関係、撮影許可、雑誌の大量流通が一体になって成立した近代フォトジャーナリズムの条件を示す。
1883年、オーストリア=ハンガリー帝国領ボヘミアのプシーブラムに生まれたフランティシェク・ドルティコルは、プラハの肖像スタジオを基盤に、裸体、幾何学的セット、強い光と影を構成した写真家である。象徴主義的な初期作から、1920年代のモダニスト裸体、1930年代の紙・木の人形へ進み、後年は仏教研究、翻訳、絵画へ活動を移した。身体、舞台、光を撮影前から設計する方法と、写真を離れるまで続いた精神的関心をたどる。
1889年ドイツ、ゴータ生まれのハンナ・ヘッヒは、新聞、雑誌、広告の写真を切り抜き、異なる身体、機械、文字、民族資料の図像を不連続な縮尺で接続したベルリン・ダダの作家である。《Cut with the Kitchen Knife》や連作《From an Ethnographic Museum》では、ワイマール期の「新しい女性」、政治家、芸能人、非西洋文化の表象が衝突する。大量印刷が作る身体像をその印刷物自体から切り出し、ジェンダー、政治、人種化された分類が画像によって作られる仕組みを批判した。
1870年、イングランドのソールズベリーに生まれたハーバート・ポンティングは、日本やアジアを撮る旅行写真家を経て、スコットのTerra Nova遠征(1910–13)で公式写真家・映画撮影者を務めた。氷山、基地、科学者、船員をガラス乾板と映画で記録し、帰国後は幻灯講演、著書『The Great White South』、映画『The Great White Silence』へ再編集した。科学記録、探検広報、英雄化が同じ画像群からどう作られたかをたどる。
1883年、アメリカのオレゴン州ポートランドに生まれたイモージェン・カニンガムは、植物、裸体、肖像、家族、工業景観、路上を70年以上撮影した写真家である。写真化学と商業スタジオの経験を基盤に、《Magnolia Blossom》、1929年の《Film und Foto》、1932年のGroup f/64(西海岸で鮮明な写真表現を掲げたグループ)、Martha Grahamや『Vanity Fair』の肖像へ展開した。家庭、職業、モダニズムが長期実践の中でどう結びついたかを追う。
1868年、イギリスのリヴァプールに生まれたJ・ダドリー・ジョンストンは、港湾都市やヴェネツィアをガム・ダイクロメート印画、オイル印画で制作したピクトリアリストである。1907年にLinked Ringへ参加し、1920年代以降はRPSの会長・名誉キュレーターとして歴史的写真を収集した。作品制作とコレクション形成を通じ、英国で芸術写真が制作・保存・研究される制度にどう関わったかをたどる。
1886年マサチューセッツ州レノックス生まれのジェームズ・ヴァン・デル・ジーは、ハーレムの家族、恋人、花嫁、スポーツ団体、教会、UNIA、葬儀や街路を長期に撮影した写真家である。背景、小道具、衣服、照明、ネガ修整、手彩色、多重露光を組み合わせ、依頼者が望む自己像を写真家と共同で形にした。
1891年ベルリン近郊シュマルゲンドルフ生まれのジョン・ハートフィールドは、新聞写真、政治家の肖像、広告の文字を切断・合成し、週刊誌AIZや書籍表紙として大量印刷した政治フォトモンタージュの作家である。作品の核心はコラージュ技法だけでなく、制作、レタッチ、印刷、流通までを政治的介入の工程にした点にある。
1896年ボヘミアのコリーン生まれのヨゼフ・スデクは、プラハの街路、工場、広告用のガラス器、アトリエの窓、庭、静物を半世紀にわたり撮影した写真家である。建築・商業写真で身につけた物質観察と、戦時中以降の私的な反復撮影が連続している。
1870年ロッテルダム生まれのリヒャルト・ポラックは、1910年代前半に17世紀オランダ絵画を思わせる室内を実際に組み、古い衣装の人物を演出して撮影した写真家である。《Photographs from Life in Old Dutch Costume》では、家具、衣装、モデル、北向きの光、プリントまでを一つの制作工程として統制した。
1898年、米国オハイオ州スプリングフィールドに生まれたベレニス・アボットは、1920年代のパリでマン・レイの助手と肖像写真家を経験し、ウジェーヌ・アジェの作品保存に取り組んだ。1929年にニューヨークへ戻ると《Changing New York》を進め、戦後は科学写真へ向かった。
1904年、ロンドンのハムステッドに生まれたセシル・ビートンは、十代から妹たちをモデルに演出写真を作り、1920年代後半に『Vogue』でファッションと社交界の肖像を撮り始めた。のちに英国王室、第二次大戦の情報省公式写真、舞台・映画美術へ活動を展開した。
1894年、フランス西部ナントにルーシー・シュウォブとして生まれたクロード・カアンは、1910年代から執筆、演劇、写真を行い、マルセル・ムーアと長く共同制作した。剃髪、衣装、仮面、鏡、二重像を使うセルフポートレートと、1930年の書物『Aveux non Avenus』で、一枚の肖像が人物の性別、人格、作者を確定できるという期待そのものを不安定にした。
1893年、ニューヨークに生まれ、ヨーロッパ各地で育ったフローレンス・アンリは、音楽と絵画を学んだ後、1927年にデッサウのバウハウスへ滞在して写真へ進んだ。鏡、球体、果物、木枠、身体を配置する静物とセルフポートレートで、実物と反射、複数の視点を一枚の写真に重ねた。
1896年、イタリア北東部ウーディネに生まれたティナ・モドッティは、十代でサンフランシスコへ移住し、舞台と映画を経て写真へ進んだ。1923年からメキシコでエドワード・ウェストンと活動し、電線、建築、花、労働者、農民、壁画を撮影した。
1902年、ドイツのデュッセルドルフに生まれたウンボ(オットー・ウンベール)は、1921年からヴァイマルのバウハウスでヨハネス・イッテンらに学び、ベルリン移住後に写真を始めた。近接肖像、急角度の俯瞰・仰角、夜景、長い影を用い、1928年創設のDEPHOTを通して挿絵雑誌へ写真を供給した。
1903年、アメリカ、ニューヨーク市生まれ。アーロン・シスキンは、Photo Leagueの《Harlem Document》で社会状況を共同記録した後、壁の剥落、落書き、ロープ、路上の痕跡を近接して撮り、抽象絵画に接近する写真へ進んだ。
1898年、当時のドイツ帝国西プロイセン、ディルシャウ(現ポーランド、トチェフ)生まれ。アルフレッド・アイゼンスタットは、35ミリカメラと既存光を使い、政治家、芸術家、戦争終結の群衆、学校や休暇地の日常を『LIFE』へ送り続けた写真家である。
1897年、ドイツ、ベルリン生まれ。アーウィン・ブルーメンフェルドは、ダダのコラージュからヌード、肖像、ファッション、カラー写真へ進み、アムステルダム、パリ、ニューヨークで制作した。
1905年、イタリア・アングリに生まれたフレデリック・ゾマーは、ブラジルで育ち、造園を学んだのちアリゾナ州プレスコットを拠点に写真、素描、コラージュ、音楽的スコアを制作した。
1910年、シュトゥットガルトに生まれたゲルダ・タローは、ナチ政権成立後にドイツを離れ、パリでロバート・キャパと協働したのち、スペイン内戦の共和国側を撮った。
1915年、東京に生まれ、上野で育った濱谷浩は、1939年の新潟県高田への取材を起点に、豪雪地帯の祭礼、農漁業、家族、移動を長期撮影し、『雪国』『裏日本』へまとめた。
1899年、ドイツ、フランクフルト・アム・マイン生まれのイルゼ・ビングは、美術史の博士論文に必要な建築写真をきっかけに写真を始め、ライカを手にパリの街路、建築、舞踊、ファッション、自画像を撮った。都市を歩く機動的な視点と、撮影者自身を画面に戻す自己検証が、同じ小型カメラから生まれている。
1914年、愛知県名古屋市生まれの山本悍右は、写真、コラージュ、フォトグラム、詩、雑誌を往復し、日本のシュルレアリスムを長く実践した作家である。『夜の噴水』や不穏な物の配置は、1930年代の国際的な前衛思想を名古屋の出版・写真ネットワークと戦時下の検閲の中で実践する方法だった。
1896年、当時のオーストリア=ハンガリー帝国コロジュヴァール生まれのマルティン・ムンカーチは、スポーツ、街頭、芸能、ファッションを走る身体と急角度の構図で撮った写真家である。ベルリンの挿絵新聞で身につけた瞬間の判断を『Harper's Bazaar』へ持ち込み、報道写真の速度が衣服と身体の見せ方を変えた。
1918年、山口県徳山の写真館に生まれた林忠彦は、戦後東京の焼け跡、闇市、浮浪児と、太宰治、坂口安吾、三島由紀夫ら文士を雑誌のために撮った。路上のスナップと酒場や仕事場での肖像は、敗戦後に急増した雑誌メディアの同じ速度から生まれている。
1899年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったガリツィアに生まれたウィージーは、ニューヨークの殺人、火災、事故、夜の群衆を警察無線と直射フラッシュで撮った。『Naked City』では死体だけでなく、事件をのぞき込む人々、警官、新聞のキャプションまで都市のニュースを作る要素として扱った。
1910年、パリに生まれたウィリー・ロニスは、街路、ベルヴィル=メニルモンタン、工場、ストライキ、家族を撮り、戦後フランスの人間主義写真を代表する写真家となった。1936年人民戦線期からの政治的関与と左派誌での報道を背景に、日常の身振りと都市の構図を結んだ。
1923年、フランス・パリ生まれ。École Estienneでグラフィックと印刷に関わる教育を受け、第二次世界大戦後に写真を始めた。初期にはLellaを継続して撮影し、1951年のLa Huneでの展示を契機に雑誌『Réalités』の仕事へ進んだ。以後、同誌の取材でヨーロッパ、アジア、中東、南北アメリカを旅しながら、パリの街路、子ども、家族、旅先の人々を長く撮影した。
1921年、オーストリア・ウィーン生まれ。第二次世界大戦後に本格的に写真へ向かい、1947年に帰還兵と家族の再会を撮ったシリーズで注目された。1949年にロバート・キャパの招きでMagnum Photosへ参加し、その後ニューヨークを拠点に活動した。1950年代からKodachromeによるカラー、低速シャッター、流し撮り、反射、ぼけを探究し、『Life』のカラー・エッセイや映画関連の仕事、1962年のMoMA個展へ展開した。
1912年、アメリカ・カンザス州フォート・スコット生まれ。1930年代末に独学で写真を始め、シカゴで肖像・ファッション写真を手がけた後、1942年にFSA/OWIでロイ・ストライカーのもとに参加した。1948年から『Life』で活動し、人種差別、貧困、犯罪、家族、著名人をピクチャー・エッセイとして取材した。のちに小説、自伝、音楽、映画へ活動を広げ、『The Learning Tree』『Shaft』などを監督した。
1912年、アメリカ・デトロイト生まれ。会社員として働きながら1938年ごろに写真を始め、Detroit Camera Guildとアンセル・アダムスのワークショップを経て、1946年からシカゴのInstitute of Designで教えた。1961年にRISDへ移り写真教育を整備し、妻エレノア、娘バーバラ、都市、草木や水面を、多重露光、接写、8×10判から35mmまでの異なる方法で反復撮影した。
1924年、スイスのSaint-Gingolph生まれ。ジュネーヴのStudio Boissonnasで写真技術を学び、1945年に資格を得てスタジオを開いた。翌年パリへ移り、Willy Maywaldの助手を経て、1950年代からRaphoとVogueで活動した。街路、子ども、労働、夜景、芸術家を撮る自主制作と、ファッション、広告、雑誌報道の依頼を並行し、戦後フランスを拠点に長く写真家として活動した。
1916年、スイス・チューリヒ生まれ。チューリヒのKunstgewerbeschuleでハンス・フィンスラーに写真を学び、静物、広告、ファッション、雑誌制作を経験した。1942年から文化誌『Du』で仕事をし、戦後はヨーロッパの復興と難民生活を取材、1949年にMagnum Photosへ参加した。1951年以降はインド、日本、朝鮮、インドシナ、南米を撮影し、1954年にペルーで事故死した。
クリステル・ストレムホルム(1918–2002)はスウェーデン、ストックホルム生まれ。絵画とグラフィック・アートを学び、戦後のパリで写真へ進み、1949年頃からドイツのFotoformと主観写真の動向に関わった。パリのPlace Blancheで知り合ったトランス女性たちを長期に撮影し、1962年から1974年までストックホルムのFotoskolanを率いた。1967年に写真集『Poste Restante』、1983年に『Vännerna från Place Blanche』を刊行し、1997年にHasselblad Awardを受賞した。
デイヴィッド・ゴールドブラット(1930–2018)は南アフリカ、ランドフォンテイン生まれ。金鉱山の町で育ち、紳士服店で働きながら撮影を続け、父の死後に店を売却して1960年代初頭から写真に専念した。鉱山、アフリカーナー社会、住宅、道路、教会、土地を長期撮影し、『On the Mines』『Some Afrikaners Photographed』『The Transported of KwaNdebele』『The Structure of Things Then』などへまとめた。1989年にはMarket Photo Workshopを設立し、カラー作品にも取り組んだ。
エリオット・アーウィット(1928–2023)はフランス、パリ生まれ。ロシア系ユダヤ人の両親とヨーロッパからアメリカへ移住し、ロサンゼルスで写真を学んだ後、ニューヨークのNew Schoolで映画を学んだ。ロイ・ストライカーの調査写真、米軍での写真任務を経て、1953年にMagnum Photosへ参加した。報道、雑誌、広告、映画制作と並行し、犬、恋人、家族、観光客、政治家、街路の偶然を長く撮影した。1959年のニクソンとフルシチョフの《Kitchen Debate》など歴史的な報道写真でも知られる。
ロイ・デカラヴァ(1919–2009)はアメリカ、ニューヨークのハーレム生まれ。Cooper Unionで絵画と版画を学び、Harlem Community Art Centerなどを経て、版画の資料として使っていた写真を1940年代末から主な表現にした。1952年にGuggenheim Fellowshipを受け、1955年にはラングストン・ヒューズとの写真集『The Sweet Flypaper of Life』を刊行した。ジャズ、家族、街路、労働、政治運動を長く撮影し、1975年以降はHunter Collegeで写真教育にも携わった。
ソール・ライター(1923–2013)はアメリカ、ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。ラビを目指して神学校で学んだ後、1946年に画家を志してニューヨークへ移り、リチャード・プーセット=ダート、W・ユージン・スミスらとの交流を通じて写真へ進んだ。1940年代末からカラー・スライドを使い、1950年代以降は『Harper’s Bazaar』などのファッション仕事と街路での個人制作を並行した。2006年の写真集『Early Color』以後、初期カラー作品が国際的に再評価された。
ヴィヴィアン・マイヤー(1926–2009)はアメリカ、ニューヨーク生まれ。幼少期から青年期にアメリカとフランスを往復し、1950年代初頭にニューヨークで撮影を始め、1956年以降は主にシカゴで乳母・ケア労働者として働きながら写真を続けた。Rolleiflexによる白黒の正方形写真に加え、35mmカラー、Super 8映画、録音も残した。生前に公的な写真家キャリアを築かず、作品の大半は未発表のまま分散したため、2007年以降の発見、収集、プリント、展覧会、研究を通じて作家像が形成された。
エド・ルシェ(1937–)は、ネブラスカ州オマハ生まれ、オクラホマシティ育ちのアメリカの美術家。1956年にロサンゼルスへ移り、Chouinard Art Instituteで商業美術を学んだ。Plantin Pressで活版印刷を経験し、広告制作や『Artforum』のレイアウトを経て、1960年代から絵画、版画、写真、映画、アーティストブックを制作してきた。現在もロサンゼルスを拠点に活動している。
石元泰博(1921–2012)は、米国サンフランシスコに生まれ、高知で育った写真家である。戦時中の日系人収容所を経て、シカゴのInstitute of Designでハリー・キャラハン、アーロン・シスキンドらに学び、1953年に日本へ戻った。桂離宮、シカゴと東京の街路、伊勢神宮、現代建築を撮影し、写真集と展覧会を通して日米双方で活動した。
イヴ・アーノルド(1912–2012)は、フィラデルフィア生まれ。ハーレムの黒人ファッションショーを出発点にMagnumへ入り、モンロー、公民権運動、出産、中国などを長期取材した。
ギイ・ブルダン(1928–1991)は、パリ生まれ。Man Rayとの交流を経て1955年からフランス版『Vogue』で活動し、シャルル・ジョルダンの広告などで強い色彩と演出写真を展開した。
インゲ・モラス(1923–2002)は、グラーツ生まれ。翻訳者・編集者を経てMagnumに参加し、イラン、スペイン、ドナウ川流域、映画現場、芸術家の肖像を撮影した。
マルク・リブー(1923–2016)は、リヨン近郊生まれ。1953年にMagnumへ参加し、中国、ベトナム、インド、アフリカを長期取材した。《エッフェル塔の塗装工》《花の少女》で知られる。
長野重一(1925–2019)は、大分市生まれ。『岩波写真文庫』、雑誌、映画、テレビを横断しながら、戦後東京の通勤者、群衆、工業地帯、郊外を撮影した。
ブルース・デヴィッドソン(1933–)は、米国イリノイ州生まれ。1958年にMagnum Photosへ参加し、《Brooklyn Gang》《East 100th Street》《Subway》などニューヨークの共同体と公民権運動を長期にわたり撮影した。
デュアン・マイケルズ(1932–2026)、米国ペンシルベニア州マッキーズポート生まれ。大学卒業後にParsons School of Designで学び、グラフィックデザインの仕事を経て、1958年のソ連旅行を機に本格的に写真を始めた。1960年代から商業肖像と私的制作を並行し、《Chance Meeting》《Things Are Queer》《The Human Condition》などの連続写真、二重露光、手書きテキストによる作品を発表した。
ヘルムート・ニュートン(1920–2004)、ドイツ・ベルリン生まれ。1936年からファッション写真家Yvaのスタジオで修業し、ナチ政権下の迫害を逃れて1938年にドイツを離れ、シンガポールを経てオーストラリアへ移住した。戦後はメルボルンでスタジオを構え、1961年にパリへ移った後、French Vogueをはじめとする国際誌を中心に活動した。
奈良原一高(1931–2020)、福岡県生まれ。中央大学法学部を卒業後、早稲田大学大学院で美術史を学び、1956年の個展「人間の土地」で写真界に登場した。1959年に東松照明、細江英公らとVIVOを結成し、1962〜65年にヨーロッパ、1970〜74年にニューヨークへ滞在。《人間の土地》《王国》《ヨーロッパ・静止した時間》《消滅した時間》などを制作した。
ポール・カポニグロ(1932–2024)、米国ボストン生まれ。幼少期からピアノを学び、十代で写真を始めた。1950年代後半にMinor Whiteのもとで学び、Ansel Adamsのゾーン・システムにも接しながら、米国、英国、アイルランドで森、石、古代遺構、静物を長期にわたり撮影した。《Redding Woods》《Stonehenge》《Avebury》などで知られる。
セルヒオ・ラライン(1931–2012)、チリ・サンティアゴ生まれ。1949年に米国へ渡って林学を学んだのち写真へ進み、1950年代からサンティアゴ、バルパライソ、ロンドンなどを撮影した。1959年にMagnumのアソシエイト、1961年に正会員となり、1960年代後半から職業写真の第一線を離れて、瞑想、文章、ドローイングへ時間を割いた。
ダニー・ライアン(1942–)は、ニューヨーク、ブルックリン生まれの写真家・映画作家である。シカゴ大学在学中の1962年にSNCCへ加わり、公民権運動のスタッフ写真家として南部を撮影した。その後、Chicago Outlaws Motorcycle Clubと生活を共にし、『The Bikeriders』を制作する。テキサス州の刑務所を長期取材した『Conversations with the Dead』では、写真、録音、手紙、公文書を交錯させた。
ジョセフ・クーデルカ(1938–)は、チェコスロヴァキア(現チェコ)のボスコヴィツェ生まれの写真家である。工学を学びながら写真を始め、1960年代前半にはプラハの劇場を撮影したのち、ロマ共同体への長期取材と1968年のプラハ侵攻の匿名発表へ進んだ。1970年に西欧へ移り、Magnum Photosへの参加を経て、『Exiles』とパノラマ作品へ展開した。
ラリー・バロウズ(1926–1971)は、ロンドン生まれのイギリス人写真家である。第二次世界大戦期にLIFE誌ロンドン支局の暗室助手となり、のちに同誌の写真家へ転じた。1962年からベトナム戦争を長期取材し、米軍部隊やヘリコプターに同行してカラーのピクチャー・エッセイを制作。1971年、ラオス上空で取材中のヘリコプターが撃墜され、同行記者とともに死亡した。
マリック・シディベ(1936–2016)は、フランス領スーダン(現マリ)のソロバ生まれの写真家である。バマコの工芸学校で素描と装飾を学び、写真家ジェラール・ギヤ=ギニャールの助手を経て1958年に独立した。Studio Malickを拠点に、結婚式や家族行事、夜のパーティー、スタジオ肖像を撮影し、独立前後から1970年代のバマコを商業写真と社交の両面から捉えた。
レイモン・ドパルドン(1942–)は、フランスのヴィルフランシュ=シュル=ソーヌ近郊の農家に生まれた写真家・映画監督である。地元の写真店で修業し、1958年にパリの写真家ルイ・フシュランのもとで学んだ。翌1959年にDalmas通信社で報道写真の仕事を始め、1966年にGammaを共同設立した。その後はMagnum Photosに加わり、戦争・政治報道と映画制作を並行する。後年は精神医療、司法、警察、農村、地方都市へ主題を広げ、写真・映画・文章を横断している。
高梨豊(1935–)は東京生まれの写真家で、日本大学で写真を学びながら、広告・デザインの仕事と作家活動を並行した。1968年に中平卓馬、多木浩二、岡田隆彦らと『PROVOKE』を創刊し、1974年に写真集『都市へ』を刊行。1970年代後半からは『町』で4×5カメラとカラーへ転じ、東京を異なる速度と機材で撮り続けた。
ベルナール・プロス(1945–)は、ベトナム南部ダラット生まれ、フランスを拠点とする写真家である。1965年のメキシコ旅行以後、旅・列車・街路・窓・家族・砂漠を50mmレンズで撮影した。『Le Voyage Mexicain』をはじめ、撮影から年月を隔てた写真集編集も制作の核となる。映画で培った時間感覚とFressonのマットな色調を重ね、写真・映画・写真集を横断しながら移動中の知覚を組み立てた。
エメット・ゴーウィン(1941–)は、ヴァージニア州ダンヴィル生まれのアメリカ人写真家である。1960〜70年代には妻イーディスとその家族を大判カメラで撮り、親密な肖像を長期の共同作業として育てた。1980年代以降は火山・核施設・採掘地・灌漑農地を上空から撮影し、『Changing the Earth』へ展開する。家族の身体と地表を同じ注意深さで見続け、肖像と航空写真を一つの制作史へ結んだ。
カタリーナ・ジーヴァーディング(1941–)は、プラハ生まれ、デュッセルドルフとベルリンを拠点とするドイツ人美術家である。1960年代末の《Eigenbewegung》から、自己像を反復・合成する《Stauffenberg-Block》《Transformer》へ進んだ。写真はやがて巨大化し、映像や街頭ポスターへ展開する。写真・パフォーマンス・印刷物・公共空間を横断し、顔を政治・ジェンダー・戦後記憶が交差する媒体へ変えた。
メアリー・エレン・マーク(1940–2015)は、フィラデルフィア生まれのアメリカ人写真家である。『Ward 81』では精神科病棟に滞在し、『Falkland Road』ではムンバイの性労働者と長く向き合う。『Streetwise』ではシアトルの若者を写真と映画で追い、その後もTinyを三十年以上撮り続ける。雑誌・写真集・録音・映画を横断し、長期取材が生む親密さと編集する側の権力を同じ作品の中に残す。
ミヒャエル・シュミット(1945–2014)は、ベルリン生まれのドイツ人写真家である。1970年代のベルリン連作では街区を灰色の階調で撮り、『Waffenruhe』では壁と若者を断片的なシークエンスへ組んだ。『Ein-heit』では自作写真と新聞・宣伝画像を混在させ、『Frauen』『Lebensmittel』では人物や食品へ対象を移した。Werkstatt für Photographieの創設を通じ、西ベルリンに写真教育と国際交流の場も築いた。
ラグー・ライ(1942–2026)は、英領インドのジャング生まれ、デリーを拠点に活動したインド人写真家である。『The Statesman』『India Today』で政治・宗教・街路・災害を撮り、1977年にMagnum Photosへ加わった。群衆の中で複数の出来事が重なる画面と、1984年のボパール化学災害を数十年追う仕事を通じ、新聞写真・雑誌・写真集をまたぐ独立後インドの視覚史を築いた。
クリスチャン・ボルタンスキー(1944–2021)は、フランス・パリ生まれの美術家である。1960年代末に写真や所持品へ虚構を織り交ぜた自伝的作品を始め、1980年代に《Monuments》《Les Archives》を展開した。写真や文書、音・衣服を展示空間で組み合わせ、資料を保存しても個人の生を取り戻し切れない矛盾を扱った。
クラウディア・アンドゥハル(1931–)は、スイス・ヌーシャテル生まれの写真家、活動家である。米国を経て1955年にブラジルへ移住し、1971年からヤノマミの人々と長期的な関係を築いた。赤外線や再撮影を用いた作品のほか、医療用の番号付き肖像《Marcados》を制作し、1978年以降は土地権運動に参加した。
グラシエラ・イトゥルビデ(1942–)は、メキシコシティ生まれの写真家である。1969年に映画を学び、マヌエル・アルバレス・ブラボの助手を経て撮影を本格化させた。1978年のセリ(コムカーク)取材と1979年から約十年続けたフチタンの撮影を通じ、儀礼や労働、鳥・人物を写真集の連続で結んだ。
ハンス=ペーター・フェルドマン(1941–2023)は、ドイツ・デュッセルドルフ生まれの美術家である。1960年代末から新聞写真や絵葉書・私写真を収集し、小冊子《Bilder》や連続写真《Time Series》を制作した。後に《100 Years》《Die Toten》や日用品を使う展示へ活動を広げ、画像の選択と配列が人や歴史の見え方を変える過程を作品にした。
ヘンリー・ウェッセル(1942–2018)は、米国ニュージャージー州ティーネック生まれの写真家である。1960年代末から35mmカメラで米国各地を巡り、1975年の展覧会「New Topographics」に参加した。西部の道路や郊外住宅、看板・通行人を撮った仕事を《California and the West》《Night Walk》などの連作へ結実させた。
J・D・オケイ・オジェイケレ(1930–2014)は、ナイジェリア南部オヴビオム生まれの写真家である。1950年代から官公庁やテレビ・広告業界で写真技術を磨き、1968年頃に女性の編み髪を長期撮影する《Hairstyles》を開始した。背面・側面からの白黒写真と髪型名を蓄積し、独立後ナイジェリアで移り変わる都市文化と身体装飾を記録した。
牛腸茂雄(1946–1983)は、新潟県加茂市生まれの写真家である。桑沢デザイン研究所で大辻清司に学び、『日々』(1971)、『SELF AND OTHERS』(1977)、『見慣れた街の中で』(1981)を刊行した。正面肖像と街頭スナップを軸に、写真集の見開きとページ順、製版指示まで設計した。
ピクトリアリズムは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、写真を絵画や版画に並ぶ美術として認めさせようとした国際的な潮流である。柔らかな焦点や手作業の印画技法ばかりが注目さ…
写真分離派は、1902年にアルフレッド・スティーグリッツがニューヨークで立ち上げたグループで、写真を絵画や版画と同等の美術として認めさせるための制度運動だった。重要だった…
ストレート写真は、ピクトリアリズムの絵画的加工から距離を取り、レンズの鮮明さ、階調、構図、プリントの精度によって、写真固有の言語を組み立てようとした流れである。そこで重視…
モダニズム写真は、20世紀前半の都市化、工業化、印刷文化の拡大のなかで、写真を近代生活にふさわしい視覚言語へ変えようとした広い流れである。抽象、急角度、クローズアップ、反…
新即物主義は、1920年代ドイツで広がった芸術潮流で、感傷や表現主義的誇張を避け、事物や人物を冷静で明晰な視線のもとに置こうとした写真の実践である。しばしば「客観的」と要…
新しいヴィジョンは、1920年代から30年代にかけて、写真が人間の習慣的な見方を破り、近代の身体と都市にふさわしい知覚を訓練しうるという考えのもとで展開した視覚の潮流であ…
バウハウスは、単独の写真流派というより、学校、印刷、広告、建築、舞台、デザイン教育が交差する場のなかで、写真の役割が大きく組み替えられた歴史を指す。モホリ=ナジが理論化し…
ヴォルテクシズムは、1910年代ロンドンで機械、都市、速度のエネルギーを抽象的な形へ凝縮しようとした前衛運動である。写真史でこの名が重要になるのは、アルヴィン・ラングドン…
ダダの写真は、写真を現実の証拠や美しいプリントとして扱うのではなく、切断し、貼り合わせ、再配置し、印刷物の中で政治的に機能させる素材へ変えました。第一次世界大戦への幻滅か…
シュルレアリスムの写真は、夢、無意識、偶然、欲望といった主題を扱っただけではなく、写真という現実に強く結びついた媒体が、かえって不気味さや不確かさを生み出しうることを示し…
レイオグラフは、マン・レイが自らのカメラレス写真に与えた名称で、印画紙の上に直接ものを置き、光を当てることで像を得る技法である。技法説明だけならフォトグラムと大きく変わり…
自然主義写真は、19世紀末にP・H・エマーソンが提唱した写真思想で、作為的な合成や寓意的演出を退け、実際の視覚経験に近い焦点と階調で自然や生活世界を撮ろうとした立場である…
リアリズム写真は、日本の戦後写真史で強い力を持った言葉で、とくに土門拳が唱えた「絶対非演出の絶対スナップ」に象徴されるように、演出や情緒的加工を避け、社会の現実へ正面から…
ドキュメンタリー写真は、現実の出来事や生活世界を記録する写真全般を指す広い語であるが、その意味は時代ごとに大きく変わってきた。19世紀の調査や戦争記録、社会改革写真、FS…
社会ドキュメンタリーは、貧困、労働、住宅、移民、差別、災害といった社会問題を可視化し、改革や世論形成へつなげようとする写真実践である。単に現実を写すだけでなく、どの現実を…
フォトジャーナリズムは、時事的な出来事を写真で伝える実践であるが、その本体は一枚の決定的な写真だけにあるのではない。雑誌や新聞の編集、キャプション、レイアウト、配信、著作…
FSA写真は、1930年代のニューディール政策のもとで進められたアメリカ政府の写真記録事業で、大恐慌下の農村、移住労働者、地方都市の暮らしを組織的に撮影したプロジェクトで…
決定的瞬間は、アンリ・カルティエ=ブレッソンの1952年の写真集題名とともに広まった概念で、形、動き、意味がひとつの瞬間に凝縮する時点を逃さず捉える写真の理想を指す。しば…
ストリート写真は、公共空間で起こる偶然の交差、人の身振り、看板、交通、匿名的な関係をとらえる写真実践である。単に街で撮れば成立するわけではなく、都市のリズムの中でどこに身…
プロヴォークは、1968年に創刊された同名の写真・思想誌を中心に展開した日本の写真運動で、「アレ・ブレ・ボケ」という見た目だけでは捉えきれない。背景にあったのは、言語が現…
私写真は、1970年代以降の日本で強く意識された写真表現で、家族、恋人、部屋、身体、記憶、死といったきわめて近い領域を主題にしながら、単なる私記録ではなく、見ることと生き…
ニューカラーは、1970年代アメリカで、カラーを広告や観光の派手な飾りではなく、郊外、ロードサイド、家庭用品、看板、舗装路の質感を読むための本格的な美術写真の言語へ押し上…
カラー写真の歴史は、色を再現する技術の発明史だけではない。手彩色、オートクローム、コダクローム、雑誌広告、家庭用スナップ、美術館での受容をたどると、色は写真の意味を変える…
大判カラー写真は、大型カメラの精密さとカラーの情報量を組み合わせ、写真を展覧会空間で絵画や映画と競合するスケールへ押し上げた実践である。単にサイズが大きいというだけでなく…
デュッセルドルフ派は、ベルント&ヒラ・ベッヒャーの教育を起点に、戦後ドイツの産業風景、博物館、群衆、市場、建築を、大判プリントとシリーズによって分析的に見せる写真の潮流で…
タイポロジー写真は、似た種類の対象を同じ条件で反復撮影し、並べて比較することで、個々の物や人の差異と構造を読み取る写真の方法である。標本的で無表情に見えるが、その目的は個…
コンセプチュアルアートにおける写真は、美しい像を作るためのものというより、アイデア、指示、記録、制度批評を成立させるための媒体として使われた。1960年代後半から70年代…
ピクチャーズ世代は、1977年の展覧会「Pictures」を起点に語られる作家群で、広告、映画、雑誌、テレビの既成イメージを引用しながら、作者性、オリジナル、ジェンダー表…
ステージド写真は、目の前で偶然起こる現実を待つのではなく、場面、光、人物配置、道具、時にはデジタル合成まで含めて状況を構成したうえで撮る写真である。写真は真実を機械的に写…
フェミニズム写真は、女性写真家の作品を集めたラベルではなく、写真が女性の身体、家事、欲望、広告、家族、労働をどのように表象してきたかを批判的に問う実践である。1970年代…
シネマトグラフィック写真は、映画に似た見た目の静止画を並べる呼び名ではなく、一枚の写真が場面の前後、照明の人工性、登場人物の関係、物語の欠落をどこまで引き受けられるかをめ…
ニュー・トポグラフィックスは、人間の手が加わった風景——郊外の宅地、工業団地、駐車場、造成地——を、感情を排した即物的で記述的なスタイルで撮る写真の系譜である。1975年、ニューヨーク州ロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウスで開かれた展覧会「New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape」に由来する。
家族・恋人・友人、そして自分自身の生活という最も近い圏域を、日記のような距離から撮る写真の系譜。ラリー・クラーク『Tulsa』(1971年)を起点に、ナン・ゴールディン『The Ballad of Sexual Dependency』(1986年)で決定的な形式を得て、1990年代の欧米へ広がった。
スティルライフ(静物)は絵画の最も古いジャンルのひとつだが、1990年代以降の現代写真はこれを批評的な形式として更新した。食後の残り物、日用品、商品、路上の断片といった「取るに足らないもの」を注意深く撮ることで、消費・欲望・日常の物質性を可視化する。
ポストインターネットは、インターネットが目新しい技術ではなく日常の前提となった2000年代後半以降の条件に応答する実践を指す。写真においては、画像がスクリーン・SNS・ストックデータベースを循環する流通の条件そのものが主題になる。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。