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PHOTOGRAPHERS/KANSUKE YAMAMOTO ·日本写真 ·UPDATED 2026.09
KY
§ 383 — Photographer Index — 日本写真

山本悍右

Kansuke Yamamoto 1914–1987
Country日本 Period1930–1940s Channel写真史の論点 · 日本写真
Abstract

1914年、愛知県名古屋市生まれ。山本悍右は、写真、コラージュ、フォトグラム、詩、雑誌を往復し、日本のシュルレアリスムを長く実践した作家である。自作の写真、詩、文を組んだ『夜の噴水』、不穏な物の配置、影や身体の断片は、1930年代の国際的な前衛思想を名古屋の出版・写真ネットワークと戦時下の検閲の中で実践する方法だった。

この写真家が変えたこと

1930年代の日本でシュルレアリスムを実践する条件は、欧州の図像を参照することだけでは説明できない。山本悍右は名古屋を拠点に、写真、詩、コラージュ、フォトグラム、自主出版、グループ活動を同時に行い、海外から届く思想を地域の制作と流通の中で扱った。電話、鳥籠、椅子、人体、影といった日常物は、切断、並置、スケールの錯乱によって通常の用途から外れ、『夜の噴水』では写真と文章の順序そのものが作品の意味を作った。1939年に特高警察の懸念を受けて刊行を停止した経緯は、この前衛活動が戦時下の政治状況と切り離せなかったことを示す。 山本は、名古屋で写真、詩、コラージュ、自主出版を一体で実践し、国際的なシュルレアリスムを地方都市の文化ネットワークと戦時下の統制に応答する制作として持続した。 その仕事を見ると、日本の前衛写真を東京中心の運動史や「欧州からの受容」だけで説明することが難しくなり、翻訳、雑誌、地方グループ、検閲、戦後の継続までを含む複数の経路が必要になる。

Keywords 山本悍右 シュルレアリスム 夜の噴水 名古屋写真アヴァンガルド フォトグラム 前衛写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

写真・詩・翻訳

ゲティ美術館の詳細な作家資料によれば、山本はアマチュアのピクトリアリズム写真家だった父のもとで育ち、十代から写真と詩に関心を持った。1929年頃に東京でフランス詩と文学を学び、名古屋へ戻った後に詩とコラージュを制作している。写真が後から加わった付随的な媒体ではなく、言葉と像を並行して扱う環境が早くからあった。*1 1930年代日本のシュルレアリスム写真は、東京の一つのグループから全国へ同じ様式が伝わった運動ではなかった。Jelena Stojkovićの研究は、写真雑誌、展覧会、同人誌、地域の写真クラブを通じて新興写真と前衛写真が複数の場所で形成され、検閲下でも多様なシュルレアリスム作品が制作されたことを一次資料から検討している。名古屋の山本をこの広い地図に置くと、地方性は周辺性ではなく、思想が別の制作環境で具体化した条件として読める。*30

ゲティの「Japan’s Modern Divide」は、濱谷浩の記録的な方向と山本の前衛的な方向を対置し、近代日本写真に複数の道筋があったことを示す。山本の作品を日本写真の傍流と見るより、都市化、国際交流、社会不安が同時に進んだ昭和初期の一つの応答として見る構成である。*2 同展の解説は、大正期の近代化から世界恐慌、軍国主義の強まりへ続く社会状況の中で、山本が欧州のシュルレアリスムから刺激を受けつつ社会意識を持つ作品を制作したと位置づけている。*3

名古屋の前衛

2013年のゲティ図録は、山本と濱谷を通して「近代日本の分岐」を国際的に提示した研究成果で、国立国会図書館の書誌でも刊行情報を確認できる。*4 NDLの著者検索には、山本名義の刊行物や後年の復刻・研究資料が集約されている。*5 こうした出版記録は、写真家の活動をプリントだけで追うと見落とす雑誌、詩集、復刻本の層を補う。 山本がシュルレアリスムへ接近した経路では、パリへ移住して運動の中心へ参加した経験より、翻訳された詩、雑誌、展覧会、仲間との小規模な出版活動が重要だった。ゲティの研究は、フランス文学への関心と写真・詩の制作を同じ形成期に置いている。地方都市にいながら海外の思想へ接続したことは、1930年代日本の前衛が東京だけで成立していなかったことを示す。*1 この条件が、山本にとって写真を選ぶ理由にもつながった。詩が言葉の通常の意味関係を崩せるように、写真は現実の物を写しながら、その大きさ、位置、組合せを変えて意味を不安定にできる。山本にとって写真と詩は別々の活動というより、日常にすでにあるものを異なる関係へ置き直す二つの手段だった。

愛知県美術館の作家データは、山本が1914年に名古屋市で生まれ、1987年にも同地で没したことを記録している。海外前衛の受容を「東京から地方へ伝わった二次的な現象」とだけ見ると、生涯の制作拠点そのものが名古屋だった事実を見落とす。*21 2017年の「日本のシュルレアリスム写真」展は、中山岩太、椎原治、安井仲治らと山本を同じ場に置き、1930年代の新興写真がスナップ、クローズアップ、フォトグラム、フォトモンタージュを通して絵画模倣から離れようとした歴史を整理している。山本の写真はその全国的な技法革新と接しながら、詩誌や名古屋のグループ活動へ強く結びついていた。*24 名古屋の前衛は山本一人で閉じた環境ではない。1937年、瀧口修造と山中散生が企画した「海外超現実主義作品展」が各地を巡回し、名古屋でも前衛写真の組織化を刺激した。タカ・イシイギャラリーの研究資料は、その後のナゴヤ・アバンガルド倶楽部、1939年のナゴヤ・フォトアバンガルドへ続く流れを示している。山本の地方性は孤立の別名ではなく、詩人、画家、写真家、翻訳者が海外の雑誌や展覧会を受け取り直す地域ネットワークの中で成立していた。*24

§ 02 / 04 表現の核心

『夜の噴水』と検閲

文化庁のアートプラットフォームジャパンは、山本を日本近代美術の作家として整理し、作品と収蔵館を横断できる基礎データを提供している。*6 同じAPJの全国美術館収蔵検索を見ると、写真、フォトグラム、コラージュが複数館に分散して所蔵されている。*7 作品の形式が一つに固定されていないことは、山本のシュルレアリスムが「写真技法」の範囲を超え、像を作り直す方法全体に及んでいたことを示す。 東京都写真美術館の「アヴァンガルド勃興」は、1930年代日本の前衛写真を東京だけでなく各地のグループ、写真家、詩人、デザイナーを含む運動として扱っている。1937年の「海外超現実主義作品展」などを通じ、外国作品や言説が地域の写真文化へ流入した背景も確認できる。*8

モンタージュとフォトグラム

東京都のコレクションに残る山本の《フォトグラム》は、物体を感光材料上へ直接置き、レンズを通さず光の痕跡を像にする。現実の物を使いながら、通常の遠近法や撮影者の立ち位置から切り離すため、シュルレアリスムが求めた異化に適した技法だった。*9 《マダムQ》のような作品では、人物や物の意味が説明的に整理されず、画面内の配置そのものが不穏さを作る。*10 山本にとって写真は現実を透明に説明する窓というより、現実の断片を再配置して既成の意味を不安定にする材料だった。 山本が1938年に創刊した『夜の噴水』のような小冊子は、作品を既成の写真雑誌へ投稿するだけでは得られない編集の自由を持った。写真と詩をどの順序で置くか、どの語と像を近づけるかまで作者側で決められるため、冊子そのものがシュルレアリスムの実践になる。ゲティ資料が刊行停止を特高警察への懸念と結びつける点は、前衛的な出版が美学だけで完結しなかったことを示している。*1 ただし、この政治状況から個々の写真の意味を逆算するのは危険である。奇妙な物体配置や身体断片のすべてを検閲への暗号と読む根拠はない。確認できるのは、表現と出版の自由が狭まる環境の中で、山本が直接的な報道や声明とは異なる像と言葉の操作を選び続けたこと、その活動自体が監視を意識せざるを得なかったことである。

国立アジア美術館は山本を、フランス文学を学んだ詩人であり、写真とコラージュによって潜在意識や夢の力を扱った作家として紹介する。同館が「抑圧的な1930年代末」と戦後の両方を四十年以上の制作へ連続させることは、戦時下の検閲を一時的な逸話にせず、長期的な前衛実践の条件として見るうえで重要である。*29 ケヴィン・マイケル・スミスの戦間期フォトモンタージュ研究は、ドイツ、ソ連、日本の間を技法と印刷物が循環し、その同じモンタージュが労働運動の視覚、反ファシズム、広告、国家宣伝など異なる政治目的へ使われたことを示す。この歴史を踏まえると、山本がコラージュを使ったという事実だけから抵抗の意思を読み取ることはできない。山本が読んだ雑誌、参加した地域グループ、検閲が強まる時期に写真と詩を組み合わせた方法を追うと、海外思想が名古屋でどのように制作へ変換されたかを具体的に確認できる。*31 Stojkovićの研究が「Photo-Collages」「Images without Texts」「Coded Revolution」「Materiality」「Locality」といった章を設けるのも、1930年代日本のシュルレアリスム写真を夢の図像だけで分類できないからである。印刷物から切り取ること、文字を消すこと、感光紙へ直接物を置くこと、地域の雑誌で流通させることが、それぞれ異なる意味の作り方になる。山本の写真、詩、冊子を一緒に見る必要があるのは、この制作単位が一枚のプリントより広かったためである。*30

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

日常物と身体

《(草原と布)》のような作品は、日常的な物質と空間を奇妙な距離で組み合わせ、物語の前後を説明しない。*11 読者は象徴の正解を探すより、なぜこの物がこの場所にあるのかという違和感そのものに向き合うことになる。 名古屋市美術館所蔵の《Variation of “Buddhist Temple’s Bird Cage”》は、地域の宗教的モチーフをシュルレアリスムの組合せへ取り込む例として確認できる。*12 欧州の図像をそのまま複製するのではなく、身近な文化の物体を別の関係へ置くことで、国際的な方法を地域の経験へ接続した。 タカ・イシイギャラリーの2017年展資料は、1930年代から山本が写真でシュルレアリスムを実践し、名古屋の前衛グループに関わった経歴を整理している。*13

戦後の制作

同ギャラリーの作家資料では、戦後もVIVIなどのグループ活動を続け、写真と並行して絵画や詩を制作したこと、そして近年に国内外の美術館で再評価が進んだことが確認できる。*14 2001年の東京ステーションギャラリーでの展覧会記録は、ゲティの2013年展より前に国内で大規模な回顧が組まれていたことを示す。*15 山本の再評価は一度の「発見」で起きたのではなく、作品・資料の整理と展覧会が段階的に積み重なった結果である。 組写真や連作では、一枚ごとの象徴を解読するより、前後の像が互いの意味を変える仕組みが重要になる。ある物体が次の写真で別の身体断片と並ぶと、単写真では固定されていた用途や尺度が揺らぐ。タカ・イシイギャラリーが長い活動を写真、詩、絵画へまたがるものとして整理するのは、山本の核心が特定技法より、異質な要素を接続する編集感覚にあったことを示している。*14

名古屋市美術館の収蔵品には《[影]》《[シーツ]》《[帽子]》《[「伽藍の鳥籠」のヴァリエーション]》などがまとまっている。同じ生活圏にあるありふれた物を何度も撮り直したことから、山本のシュルレアリスムは珍奇な小道具の収集ではなく、日常物の組み合わせを変えて意味の安定を崩す反復的な仕事だったことが確認できる。*22 戦後もシュルレアリスム的な像を作り続けたことは、戦前の形式をそのまま保存したという意味ではない。1947年のVIVIなど新しい集団で活動を再開し、1950〜60年代の作品では、鳥籠、布、人体、海辺、空間の尺度を組み合わせながら、戦前から続く異化を別の社会環境で反復した。山本の長さは、1930年代の「前衛写真ブーム」の一作家として終わらず、運動の制度が解体した後にも、自分で発表の場と組合せの方法を作り続けた点にある。*14

§ 04 / 04 批評と受容

日本シュルレアリスム

メトロポリタン美術館の「Surrealism Beyond Borders」は、シュルレアリスムをパリから周辺へ輸出された一方向の運動ではなく、各地の政治、反植民地主義、社会運動、移動によって変形した国際的ネットワークとして再構成した。*16 同展の研究出版物も、数十か国の事例を横断し、翻訳、移住、雑誌、展覧会が思想を変形させる過程を重視している。*17 山本をこの文脈へ置くと、「日本人が欧州シュルレアリスムを模倣した」という説明より、名古屋で写真と詩を通じて受容を作り直した実践が見えやすくなる。

再評価の歴史

APJに登録された《(ヌード)》は、身体を一つの完結した肖像として扱わず、形と面の関係へ還元する前衛写真の一側面を示す。*18 同じくAPJの《フォトグラム》は、カメラを介さない像形成が山本の作品群に実際に含まれていたことを収蔵データで確認できる。*19 《(脱衣棚と椅子)》のような1930年代作品では、誰もいない室内と家具の配置が画面を支配する。*20 こうした作品をすべて検閲への暗号と断定することはできない。ただし『夜の噴水』が特高の懸念を受けて停止した事実と、山本自身が社会の既成価値に従わない姿勢を記した資料を合わせると、彼のシュルレアリスムが現実逃避の夢想だけではなかったことは明確である。写真を撮り、切り、直接感光させ、詩と並べ、冊子にする複数の操作が、社会から与えられた意味をそのまま受け取らないための継続的な実践になった。 戦後の日本写真史は、リアリズム、報道、戦後社会の記録を中心に語られることが多く、戦前から地方で続いたシュルレアリスムのネットワークは見えにくかった。2001年の国内回顧、2013年のゲティ展、さらに『Surrealism Beyond Borders』のような国際展は、山本を孤立した珍しい作家として紹介する段階から、複数地域で変形したシュルレアリスムの一拠点として位置づける段階へ評価を進めた。*16

この再配置によって重要になるのは、欧州の図像にどれだけ似ているかではない。名古屋という場所、父から受けた写真文化、フランス詩の読書、グループ活動、自主出版、戦時下の監視が重なった結果として、写真がどんな役割を担ったかである。山本の作品は、国際的な前衛が同じ形のまま世界へ広がったのではなく、受け取られた土地の条件によって制作方法と意味を変えたことを示している。 板橋区立美術館の「シュルレアリスムと日本」は、1930年代に全国へ展開した運動が戦時下には危険思想として監視され、活動そのものが困難になったことを日本美術全体の文脈で示している。山本への検閲は孤立した逸話ではなく、前衛表現全体に政治的圧力がかかった時代の中で読む必要がある。*23 近年の収蔵状況を見ると、山本の再評価は2013年のGetty回顧展だけで終わっていない。MoMAは《Icarus’s Episode》(1949)と《Oval Landscape》(1963)をオンラインで公開し、後者を近年の収蔵品として示している。*25 Gettyも現在28点の作品を作家ページに集約しており、初期の建築的抽象から戦後の連作までを一つの制作史として追える。*26 スミソニアン図書館がデジタル公開する展覧会図録『Japan’s Modern Divide』は、写真史研究、作品図版、年譜、翻訳詩をまとめ、山本を浜谷浩との対照だけでなく、1930年代日本の近代化、前衛、地方ネットワークの中で検討する資料になっている。*27

Gettyの教育資料は、山本のコラージュで用いられるスケールの歪みや予期しない並置を、シュルレアリスムの方法として具体的に説明している。政治性を作品の「暗号」として一対一で解読するより、意味が一つに定まらない配置そのものが、既成の秩序へ従わない視覚を作る点に注目する方が作品に即している。*28 近年の研究では、山本は1930年代日本の新興写真、フォトコラージュ、前衛写真、造形写真と、検閲、印刷文化、地域性が交差する場に置かれている。Stojkovićも、この複数の実践を制度と流通の関係から検討している。山本の名古屋での活動も、この制度と流通の歴史の中で比較することで、作品の奇抜さより、なぜ写真、詩、自主出版を同時に必要としたのかが見えやすくなる。*30 2013年のゲティ展をめぐって、青木映子は『The Pacific Rim Divide of “Japan’s Modern Divide”』で、濱谷浩と山本悍右を「記録/前衛」という二つの道として対置する展示そのものが、太平洋を越えて日本写真史を作り直す行為だと検討した。記事は、山本が1939年に特高警察からシュルレアリスム写真が国家にどう役立つのか問われた逸話にも触れ、戦前の抑圧と、後年アメリカで文化的な橋として評価される状況の落差を指摘する。再評価は作品に元から備わっていた「正しい位置」を発見するだけの作業ではなく、展覧会、翻訳、図録、収蔵が新しい写真史の枠を作る過程でもある。*32 この視点から見ると、濱谷と山本の比較も固定的な二分法にはできない。ゲティ展の対置は、同じ近代日本でドキュメンタリーとシュルレアリスムが異なる回答を出したことを見やすくした一方、青木はその「分岐」を国際展が再構成していること自体を問題にした。山本を理解するには、濱谷の社会記録と違うことを示すだけでなく、中山岩太、安井仲治、椎原治らの新興写真、瀧口修造や山中散生が媒介したシュルレアリスム、戦時下の報道写真という複数の同時代領域の中で位置を確かめる必要がある。*32

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • 瀧口修造 ― 海外シュルレアリスムの紹介、展覧会、批評を通じて日本の前衛美術を組織した理論家
  • 山中散生 ― 詩誌『CINÉ』や1937年「海外超現実主義作品展」を通じて山本の世代へ理論と作品を媒介した詩人・批評家
  • 中山岩太 ― 神戸を拠点にフォトモンタージュや広告的構成を展開し、同時期の日本前衛写真を別の都市から形成した写真家
  • 濱谷浩 ― Gettyが山本と対置した写真家。地域社会を現場で記録する方法との違いから戦前日本写真の複数性が見える
  • 中平卓馬 ― 戦後の別世代から写真と言葉、前衛、社会の関係を批評した写真家・批評家
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§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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