ニッキー・S・リーは、自分自身を被写体にしながら、セルフポートレートを実在の集団の中で作った作家である。《Projects》では、パンク、ラテン系コミュニティ、オハイオの白人層、スケートボーダーなどと数週間から数か月生活し、服装や振る舞いを身につけたうえで、仲間や通行人に日付入りのスナップを撮らせた。自己像が本人の演技だけでなく、集団の受容、撮影者の視点、観客による人種・階級・ジェンダーの分類から成立することを、セルフポートレートとヴァナキュラー写真の形式を重ねて示した。
セルフポートレートでは、作家自身がカメラと画面を制御し、自分の身体を単独で演出する形式が長く中心にあった。1970年代以降、シンディ・シャーマン、エイドリアン・パイパー、エレノア・アンティンらは仮装、ペルソナ、公共空間での行為を通じて、自己像が社会的な役割から作られることを問題にした。リーの《Projects》では、そこへ実在の共同体との時間が加わる。作者は数週間から数か月その集団に入り、装いや振る舞いを学び、最後のシャッターを仲間や通行人へ渡した。日付入りのスナップが持つ「この人はここに一緒にいた」という生活写真の証拠らしさを使うため、自己像は作者一人の変装では完結しない。集団が彼女を受け入れること、別の人がフレームを決めること、観客が外見から所属を判断することまでが一枚の写真に組み込まれる。この点で《Projects》は、セルフポートレートを個人の顔や役柄の提示から、社会的な承認と分類が働く集合写真へ接続した実践として位置づけられる。
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リーは韓国で育ち、写真家だった父のもとで多くの画像に触れて育ったが、自分が写真家になることを早くから決めていたわけではない。中央大学で写真を学び、1994年にニューヨークへ移った後はFashion Institute of Technologyでファッション分野にも接し、写真家David LaChapelleのアシスタントも経験した。2025年のApertureのインタビューでは、当時はファッション写真家を志望していたこと、NYU大学院で商業制作から距離を取り自分の表現を探したことを振り返っている。*22
Guggenheimの教材は、リーが韓国で写真を学んだ後にニューヨークへ移り、NYU在学中の1997年から《Projects》を展開した経緯を整理している。*21 制作の中心に置かれたのは写真技術の完成度ではなく、実際の集団へ入り、その一員として撮影されるまでの手続きだった。
本人は後年、撮影技術の巧さや「美しい画面」を作ることより、遺影、スナップ、家族アルバムのように、ある人がそこにいた時間を証言する写真へ関心があったと語っている。映画を志望していたリーにとって写真は、長い物語を連続して見せる媒体の代用品ではなく、人物と場所の関係を一枚に残し、その像が後から「事実らしく」受け取られる性質を持っていた。*11
1990年代末のニューヨークでは、写真、パフォーマンス、アプロプリエーション、マルチカルチュラリズムを通じて、固定した自己像を疑う実践が広がっていた。リーの《Projects》はその環境に現れたが、個人の仮装だけで完結せず、特定の集団へ実際に入り、共同生活の時間を制作に組み込んだ点が特徴である。*7
福岡アジア美術館が所蔵する《The Young Japanese Project (6)》の解説も、作者が集団に仲間として認知され、そこで撮影される手続きそのものを作品の条件として説明している。*6
集団の中で作るセルフポートレート
西洋美術の自画像では、作者が自分の姿を画面内の主要な対象として提示し、その像を作者自身が定義するという前提が長く働いてきた。現代のセルフポートレート写真では、シャッターを他者が操作することや、作者が役柄を演じることによって「自分で自分を写す」という単純な作者像が崩れていく。リー研究は《Projects》を、この主語と被写体の関係をさらに集団と観客へ開く実践として論じている。*9
リーは各集団を観察し、装い、姿勢、話し方、行動を身につけ、数週間その日常に参加した後、実際のメンバーと同じ写真へ入った。U.S. Department of Stateの資料も、この観察・参加・撮影の順序を制作方法として説明している。*5 変装の完成度だけでなく、誰と並び、どの距離で立ち、どの場面なら一員として扱われるかまでが制作に含まれる。セルフポートレートの成立条件を作者の身体だけに置かず、共同体の反応まで含めた点を、リー研究も作者・集団・撮影者・鑑賞者の位置関係から論じている。*9
スナップ写真の証言性
《Projects》で普通のスナップを選んだことは、技術を簡略化するためだけではない。リー自身が写真の「証言」としての性質を重視したように、友人、仲間、時には通行人に自動カメラで撮らせることで、作品を家庭写真や友人同士の記念写真に近づけた。*11
画面端の日付表示、少し粗い色、中心から外れた人物配置は、作者が構成した美術写真より、偶然その場にいた人の写真に見える。だからこそリーは、ヴァナキュラー写真が無意識に与える「一緒に写っているのだから、この人はこの集団に属している」という信憑性を作品の材料にできた。*1
《Projects》から《Parts》へ
《The Ohio Project》《The Hispanic Project》《The Punk Project》《The Exotic Dancers Project》では、集団ごとに身体の見え方が変わり、シリーズを横断して見ることで同じ人物が複数の社会的役割を持つことが明らかになる。Zabludowicz Collectionは、事実とフィクションの境界を曖昧にする「痕跡」としてスナップを位置づけている。*8
2002年以降の《Parts》では、男性パートナーの身体を画面外へ切り、腕や脚だけを残した。Cahier de Séoulのインタビューは、相手によって変わる外見や振る舞いを通じて、親密な関係の中でも自己像が変化するという問題が継続していることを示す。*11
National Museum of Women in the Artsも、《Projects》から《Parts》までを、女性の自己像が服装や身体だけでなく周囲の人との関係によって作られる実践として紹介している。セルフポートレートの焦点は「本当の顔」を示すことではなく、相手や集団が変わると同じ人物の見え方も変わるという条件に置かれている。*2
この展開は、《Projects》を「好きな自分になれる」という自己変身の肯定だけで検討することを難しくする。写真に写る自己は、周囲の人、恋人、観客が何を読み取るかによって成立し、作者が完全には所有できない。*10
人種・階級を演じる倫理
リーの実践には、人種や民族の記号を身体に取り込むことへの批判も伴う。X-TRAの批評は、作品の魅力と同時に、誰が一時的に別の集団へ入って戻れるのかという権力差を考える必要を示している。*4
したがって《Projects》の歴史的な意味は、アイデンティティの流動性を祝う一点に絞れない。写真が人種、階級、ジェンダー、年齢を外見から分類する習慣を利用して成立する以上、その分類を可視化する力と、同じ分類を反復してしまう危うさが同時に残る。*20
《The Yuppie Project》は、民族的少数者だけを「人種化された集団」として見る習慣を反転させ、白人の上層・専門職層にも服装、場所、身体の振る舞いによって識別される社会的コードがあることを示す作品として早くから論じられた。Maurice Bergerは2001年の『Art Journal』で同作を「whiteness」を可視化する問題として扱い、《Projects》が他文化への変身だけでは説明できないことを指摘している。*24
《The Ohio Project》
《The Ohio Project (8)》では、金髪、衣服、姿勢、室内での身体の距離までが中西部の白人コミュニティのスナップに合わせて調整されている。リーが単独で「白人らしい外見」を演じるのではなく、実在の人々と同じ写真の文法へ入ることが作品の条件である。The Metも、各集団のスタイルと行動を学んでから撮影する手続きを作品の中心として説明している。*1
一枚だけなら平凡な記念写真に見えるが、複数のProjectを並べると、同じ顔が異なる「普通さ」の中へ入り直す。そこで、自然に見えた服装、姿勢、集団内の距離が、各コミュニティで学習された写真の形式だったことが明確になる。*19
《The Hispanic Project》と《The Hip Hop Project》
Princetonの教材は《The Hispanic Project (1)》を、民族性と社会的コードが写真の中でどのように認識されるかを考える題材として扱っている。*3
Guggenheim所蔵の《The Hip Hop Project (1)》は、衣服やポーズだけでなく、集団の中でどの位置に立つかが「所属」の見え方を作ることを確認できる作品である。*13
一方《The Yuppie Project》では、同化が完全に成功しているように見えない写真もあり、各Projectは変身の成功例のカタログではなく、社会的な分類がどこで機能し、どこでほころぶかを比較する連作になる。*14
《a.k.a. Nikki S. Lee》
2006年の映像作品《a.k.a. Nikki S. Lee》では、リー自身が異なる「ニッキー」を演じ、作家の素顔を明らかにするはずのドキュメンタリー形式へ虚構を持ち込んだ。e-fluxの上映記録は、同作が写真から映像へ移った後も、自己像とフィクションの境界を主題にしていたことを確認させる。*12
《Projects》で他人にシャッターを切らせた方法と、この映像で「作家本人」という役まで演じる方法は連続している。どちらも写真や映画が人物の真実を自動的に保証するという期待を、作品の形式そのものから揺らしている。*12
シャーマン、パイパー、アンティンとの比較
シャーマンのセルフポートレートでは、作者自身が映画のスチルや美術史の人物を思わせる役柄へ変身し、画面の中心で既存の女性像や表象の型を露出させた。リーも変装を使うが、《Projects》では既存イメージの役を一人で再演するより、実在の集団へ入り、他者が撮った集合写真の中で自己像を成立させる。韓国のセルフポートレート研究も、この「作者一人」から作者・集団・観客へ広がる制作構造を、シャーマンや森村泰昌との重要な差としている。*9
エイドリアン・パイパーの《The Mythic Being》は、1970年代の公共空間で男性的なアフロ、口ひげ、サングラスを身につけ、人種、ジェンダー、階級を他人が瞬時に読み取る仕組みへ身体をさらした。リーも外見による分類を使うが、パイパーのように公共空間で観客との緊張を直接起こすより、共同体へ一定期間参加した後、その所属が自然に見えるスナップを残す。Cherise Smithは両者を、他者の位置を身体で演じる実践として同じ研究の中で比較している。*23
エレノア・アンティンは《The King》《The Ballerina》などで架空の人格を継続的に演じ、自己を単一の人物像として固定しない方法を1970年代から試した。リーの場合、人格は完全なフィクションではなく、現に存在するパンク、ヒップホップ、ユッピーなどの集団のコードから作られるため、演技には他者の文化を一時的に借りる倫理的な問題が残る。Smithの研究がアンティン、パイパー、リーを同じ「他者を演じる」系譜へ置くのは、この共通点と危うさを歴史化するためである。*23
したがって《Projects》のセルフポートレートとしての特徴は、「どんな人にもなれる」という変身能力だけにない。シャーマンが既存の表象、パイパーが公共空間の社会的な読み、アンティンが持続するペルソナを使ったのに対し、リーは実在の集団への参加と第三者のシャッターを制作条件にした。作者が自分をどう見せるかだけでなく、他者が作者をどの集団の一員として扱うかまでが画像の成立に関わる。*9
美術館に入ったスナップ写真
《Projects》が美術館で作品として扱われると、家庭写真そっくりの外観と、その外観を作るための長い手続きが切り離せなくなる。作者は集団へ参加し、外見と行動を調整し、第三者に撮らせ、最後に写真を選ぶ。SFMOMAなどが作品として収蔵する対象は、スナップの撮影技術だけでなく、この手続き全体によって「普通の記念写真」が作られる構造でもある。*16
Hundred Heroines Museumの作家資料は、リーの作品がMOCA Los Angeles、Museum of Contemporary Photography、Hirshhorn Museum、ICP、Guggenheim、福岡アジア美術館などのコレクションへ収蔵されていることをまとめており、《Projects》が地域や制度を越えて受容されてきた広がりを確認できる。*15
評価と批判
Liverpool Biennialはリーを、国民的・文化的アイデンティティの固定観念へ挑む作家として紹介した。*7
2003年のフランスの展覧会アーカイブには《The Lesbian Project》《The Ohio Project》の作品画像が残り、服装、態度、振る舞いが社会的所属の記号として働く点が紹介されている。ニューヨークで始まった《Projects》が、早い時期から米国外でも「集団に属して見えるための視覚コード」をめぐる作品として受容されていたことを確認できる。*18
2000年のFrieze評は、一見すると普通のスナップである写真に同じ人物が繰り返し現れることで、自然に見えた場面が構成されたものとして露出すると指摘した。*17 その仕組みは同時に、観客が髪型、服、肌の色、場所から人を素早く分類していることも明らかにする。現在の評価では、変身の巧さだけを称賛するのでは足りず、他者の文化へ一時的に入り、撮影後にはそこから離れられる作者の立場や、ステレオタイプを利用しなければ作品が成立しない矛盾まで検討する必要がある。
- シンディ・シャーマン ― 作者自身の変装を通じて既成の女性像を検証した先行例。リーでは演技の成立条件が集団との共同場面へ広がる。
- ステージド写真 ― 演じられた人物像を写真の現実らしさと接続する文脈。
- コンセプチュアルアート ― 撮影技術より、役割・手続き・社会的コードを作品の構造として扱う文脈。
- Nikki S. Lee, The Ohio Project (8) — Metropolitan Museum of Art ↗
- Nikki S. Lee — National Museum of Women in the Arts ↗
- Teach with Collections: Nikki S. Lee, The Hispanic Project (1) — Princeton University Art Museum ↗
- Hood Museum of Art - Consent: Complicating Agency in Photography
- MoMA - Nikki S. Lee's a.k.a. Nikki S. Lee
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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