ギイ・ブルダン(1928–1991)は、パリ生まれの写真家。兵役中にダカールで写真に携わり、帰国後は絵画・素描と写真を並行して制作した。1952年の最初の写真展にはMan Rayが序文を寄せ、1955年からフランス版『Vogue』で活動した。シャルル・ジョルダンなどの広告で、飽和色、切断された身体、空室、道路、鏡を用いた演出写真を展開した。
1950〜70年代のファッション写真では、服や靴を魅力的に見せることが広告の基本機能だった。ブルダンはシャルル・ジョルダンの広告で、商品より先に切断された脚、道路、ホテル、空室、強い色面を見せ、読者が「何が起きたのか」を考える時間を広告へ持ち込んだ。靴やアクセサリーは身体の一部と交換可能な記号のように現れ、見開き、裁ち落とし、ページ順まで含めて欲望の流れが設計された。商品を見る視線と女性身体を見る視線を同じフレームで働かせたため、ブルダンの広告は消費社会の欲望を刺激する装置であると同時に、女性の人格が身体の断片と商品へ還元される仕組みまで露出する。1970年代の女性解放と性的な広告表現が並行した時代に、その矛盾を色、切断、物語、商品配置が一体化した広告の形式として記録した。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
シュルレアリスム
ブルダンは1928年にパリで生まれ、1948–49年の兵役ではダカールで空軍の見習い写真家として働いた。帰国後は絵画、素描、写真を並行し、1952年の最初の写真展にはMan Rayが序文を寄せた。*1 MoMA所蔵の1953年《At the Sculptor Adam’s Studio》には、彫刻、身体、室内を一つの舞台として構成する関心がすでに現れている。*10 Estateも1950年代の実験をシュルレアリスムと当時の主観的写真の文脈から紹介している。*2 1986年に撮った画家フランシス・ベーコンの肖像がNational Portrait Galleryに収蔵されていることからも、身体を心理的な場面として構成する関心は商品撮影だけに限定されていなかった。*13 ファッション写真を始める前から、ブルダンは物と身体の配置によって、現実には存在しない心理的な出来事を画面に作ろうとしていた。後年の商品広告に現れる異様さは、絵画とシュルレアリスムの実践から続くイメージ観の延長として理解できる。
Vogue Paris
1954年にフランス版『Vogue』編集者エドモンド・シャルル=ルーへ作品を見せ、1955年2月号の帽子特集《Chapeaux-Choc》から同誌の仕事を始めた。*1 その後80年代末まで長く『Vogue』へ寄稿し、シャルル・ジョルダンをはじめとする広告でも強い作者性を発展させた。*1 ブルダンの実験は、まず服や靴を売る商業媒体の中で進んだ。雑誌には商品情報、モデル、ブランド、ページサイズという制約がある。見開き、裁ち落とし、商品位置といった制約を利用し、読者の注意を広告の物語へ引き延ばした。UALの研究が完成プリントだけでなく誌面、コンタクトシート、スケッチを並べるのは、ブルダンの作品が一枚のプリントだけでは成立しきらないためである。*5 Museum für Fotografieはブルダンとヘルムート・ニュートンを、雑誌を主要媒体としながら前衛的な視点で美的慣習を破った二人として並置しており、商業誌そのものが戦後ファッション写真の実験空間になったことを示している。*3
1970年代の身体表象
ブルダンの代表的なカラー広告が成熟した1970年代、ファッション写真の社会的背景も大きく変わった。Gettyは、女性解放運動や就労女性の増加に合わせて日常的で活動的な女性像が広がる一方、ブルダン、ヘルムート・ニュートン、クリス・フォン・ヴァンゲンハイムらが過剰な性表現や暴力をファッション写真へ持ち込んだと整理している。*20 V&Aも、1970年代に女性性とセクシュアリティをめぐる社会的態度が変化し、宗教や暴力といった禁忌がファッション写真へ入り込んだと位置づける。*14 つまりブルダンの不穏な女性像は、個人的な奇抜さだけで説明できない。女性の社会的自由が拡大する時代に、広告がその身体をより攻撃的な欲望の対象として使うという矛盾の中で成立していた。
広告の物語
ブルダンの広告では、商品は消えないが、画面の意味を決める唯一の中心から外される。シャルル・ジョルダンの仕事では、靴より先に切断された脚、道路、ホテル、プール、車内、無人の部屋が目に入り、商品は「この場面で何が起きたのか」を推測させる手掛かりになる。Somerset Houseは、完成写真、ポラロイド、スケッチ、誌面を並べ、この物語的な広告が綿密な準備から作られたことを示した。*4 ここで広告の仕組みは二重になる。商品を欲しいと思わせる商業的な欲望と、写真の前後を知りたいという物語的な欲望が同じ画面で働く。商品説明を弱めるほど場面の謎が読者の視線を引き留め、結果として広告への注意が持続する。Gettyのコレクションには《Chapeau Choc》、シャルル・ジョルダン広告、フランス版『Vogue』、Bloomingdale’sの仕事が並び、同じ物語化の方法が帽子、靴、衣服、百貨店広告へ横断していたことを確認できる。*8
切断と色
強い赤、青、肌色、床や壁の大きな色面、フレーム外へ切られた頭部や脚は、ブルダンの視覚言語として繰り返される。SFMOMAの《20 ans》では、身体、衣服、背景色の境界が商品情報より先に視覚を支配する。*11 National Gallery of Victoriaも、極端なトリミング、綿密な演出、映画的な物語性を作品の中心としている。*6 身体の切断は、画面外の出来事を想像させて写真を見る時間を引き延ばす。同時に、女性の身体を顔や人格から切り離し、脚や肌を商品と同じ視覚的要素として扱う。V&Aもブルダンを1970年代の性的・暴力的なファッション表象の一例として論じており、形式と身体政治を切り離して評価できないことが分かる。*14 鮮烈な色と極端なトリミングは、視線を引きつける造形と、身体を商品化する広告の仕組みが同じ画面で働くところに特徴がある。
シャルル・ジョルダン
シャルル・ジョルダンの広告は、ブルダンの方法が最も明確に現れた仕事である。靴を履く全身像を避け、脚だけを道路、工業地帯、海辺、ホテルの室内へ登場させることで、商品と人物の関係を一枚から確定しにくい構成を反復した。《Walking Legs》が後年の回顧展でシリーズとして提示されたことで、一枚ごとの奇抜な広告より、移動、場所、切断された身体を連続的に変奏した仕事として見えるようになった。*4 British Vogueの回顧も、ポラロイドや未発表資料を通して、最終画面が即興だけでなくロケーション、構図、光の準備から作られたことを示している。*19 商品を小さく扱う構成はブランド名を弱めるように見えるが、結果として「ブルダンの広告」という強い記憶をブランドに残した。商業上の要求と写真家の作者性が互いを利用して成立していたところに、この仕事の歴史的な意味がある。
雑誌見開き
ブルダンにとって雑誌の見開き、裁ち落とし、余白、隣ページは作品の外部ではなかった。UALの展覧会研究は、『Vogue』の誌面、コンタクトシート、スケッチ、テスト写真を完成プリントと併置し、写真が印刷物のレイアウトによって意味を変えることを示した。*5 1976年のBloomingdale’sカタログ《Sighs & Whispers》でも、下着の商品一覧より、人物と室内を連続する場面として34ページの流れを構成した。*18 University of Michigan Museum of Artは、このシリーズがBloomingdale’s副社長Arthur Cohenの依頼による1976年9月のランジェリー・カタログであり、タブロー、B級映画的な演出、劇的な照明、切断された室内が物語を示唆しながら完結させない構造を持つと整理している。*12 生前の主要な発表場所が雑誌と広告だったため、現在美術館で単独プリントとして見るブルダンと、当時の読者がページをめくって見たブルダンは同じではない。British Vogueも、本人が大規模な写真集による自己回顧に積極的ではなかったことを伝えている。*19 2022年のKYOTOGRAPHIEは、完成作とともにポラロイド、雑誌アーカイブ、記録映像を展示し、山口小夜子を撮った仕事も含めて制作過程を再構成した。*7 ブルダンにとって掲載媒体そのものが、写真の意味を決める構造だった。
作者性と身体
ブルダンは商業写真の内部で強い作者性を獲得した一方、その視覚的自由は女性身体を使って成立した。切断された脚、倒れた身体、空室、事故現場を思わせる配置は、商品から視線を解放すると同時に、女性の身体を物語の材料として断片化した。V&Aはブルダンを、1970年代以降のファッション写真でセクシュアリティと暴力が前景化する流れの代表例として論じている。*14 Gettyも、同時期の過剰な性表現と暴力的イメージを、女性の社会進出や既存の性役割が揺らぐ時代の不安と結びつけている。*20 Moderna Museetはブルダンを、映画的な物語を持つ現代ファッション写真の先行例と位置づけ、とりわけ暴力、死、エロティシズムの結合が後続の写真家やデザイナーへ広く継承されたと論じている。*17 2003年のV&A回顧を論じた『Guardian』も、視覚的魅力と女性身体のフェティッシュ化、支配や死の暗示を同時に問題化した。*16 ブルダンの作者性を商業写真の自由として評価する際にも、その視覚的な強度を女性身体の断片化が支えた事実は残る。作者性の拡大と身体の物象化は、同じ広告画面の中で進んだ。
フェティシズム
ブルダンの身体の切断は、単に「危険でエロティックな雰囲気」を作る装飾ではない。Rachel Brettは2021年の研究で、ブルダンの写真をジェンダー、フェティシズム、Judith Butlerのパフォーマティヴィティ、Walter Benjaminの近代論から分析し、形式的な挑発が現代の欲望の構造と結びついていることを論じている。*21 ファッション写真の身体を記号論的に分析した研究では、ブルダンの後期作品でフレームが脚や靴などの細部へ狭まり、アクセサリーが身体を「着飾る」物から、身体そのものを代替する断片へ近づくと指摘されている。*22 この読みからは、靴が小さくしか写らない広告でも商品性が弱まっていない理由が分かる。商品、脚、肌、色面が同じ欲望の対象として交換されるため、人物の個性が消えるほど広告のフェティッシュな集中は強くなる。商品への注意を引き延ばす形式そのものが身体の断片化に依存しているため、広告としての強さと女性身体の物象化は同じ仕組みの両面として現れる。
美術館化
ブルダンは生前、雑誌と広告を主要な発表場所とし、大規模な回顧展や写真集による自己総括には積極的ではなかった。『Frieze』は、作品がファッション誌の表紙と表紙のあいだで読まれること自体を、ブルダンの仕事に近い「場所固有」の条件として論じている。*23 The Art Newspaperは2003年のV&A展を最初の本格的回顧展として報じている。*15 その後、Getty、Museum für Fotografie、Somerset Houseなどが、ファッション史、写真史、美術史の異なる枠組みから仕事を再展示した。*9 美術館ではブランド名や商品用途が後景化し、色、身体、演出、シュルレアリスムが独立した作品として見えやすくなる。一方、雑誌の見開きと広告の目的を外すと、ブルダンが消費社会の内部で作った緊張も弱くなる。現在の評価では、商業媒体の制約の中で作者性が形成され、その像が後に美術館で別の文脈へ再編された過程まで追う必要がある。
- マン・レイ ― 初期の重要な接点
- ヘルムート・ニュートン ― 同時代のファッション写真
- アレクセイ・ブロドヴィッチ ― 雑誌写真と編集デザイン
- Helmut Newton Foundation - Bourdin / Newton / Marino ↗
- Deichtorhallen - Guy Bourdin Retrospective ↗
- MoMA - Guy Bourdin, artist page ↗
- MoMA - 20 Years, ca. 1977 ↗
- MoMA - Untitled, 1956 ↗
- SFMOMA - Guy Bourdin, artist page ↗
- SFMOMA - Untitled, 1958 ↗
- SFMOMA - Untitled, ca. 1977 ↗
- Vogue Japan - Guy Bourdin, The Legend ↗
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。