イヴ・アーノルド(1912–2012)は、米国フィラデルフィアのロシア系ユダヤ移民の家庭に生まれた写真家である。ニューヨークで写真を学び、ハーレムの黒人ファッションショーの取材を契機にMagnumへ参加し、1957年に女性として初の正会員となった。マリリン・モンロー、公民権運動、出産、労働、政治家、中国などを撮影し、のちに英国を拠点に国際的なフォトジャーナリズムを続けた。
1950年代の米国ファッション業界では、黒人モデルを起用しても商品は売れないという人種差別的な前提が残り、黒人女性の仕事は黒人向け媒体に限られがちだった。アーノルドはハーレムの地域ファッションショーへ通い、舞台上の服だけでなく、自分たちで衣服を作り、化粧し、観客へ見せる女性たちの仕事を撮った。マリリン・モンローでは、本人がポーズを選び、読書や休息を含む時間の中で自分の像を調整する過程を撮った。さらに『Picture Post』でハーレム写真に本人の意図と異なる文章を付された経験から、キャプションと記事にも関与するようになった。ハーレムでもモンローでも、被写体自身が衣服、姿勢、表情、振る舞いを選び、像の形成に関わっている。その像が編集部の文章と誌面によって別の意味へ変わる過程まで経験したため、アーノルドの報道肖像は、被写体・写真家・雑誌の三者が人物像を作る現場を記録する仕事になった。
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目次 · Table of Contents
ハーレムのファッション
アーノルドは1912年、フィラデルフィアのロシア系ユダヤ移民の家庭に生まれ、ニューヨークの写真現像工場で働いた後に写真を学んだ。*1 1950年、アレクセイ・ブロドヴィッチの講座で出されたファッション課題をスタジオからハーレムへ持ち出し、教会、バー、レストランで開かれていた黒人コミュニティのファッションショーを撮り始めた。*2 アーノルド自身は、当時のファッション写真が定型化されたスタジオ撮影に偏り、黒人の顔がほとんど登場しなかったと振り返っている。*2 V&Aのファッション史研究は、20世紀の主流産業で「黒人モデルは商品を売らない」という人種差別的な前提が長く働き、仕事が『Ebony』『Jet』など黒人向け媒体へ限定されがちだった経緯を整理している。*23 モデルのシャーロット・ストリブリングを紹介する公式資料では、服はモデル本人や地域の裁縫師によって作られ、白人中心のセブンス・アベニューの服飾産業に対する抗議の意味も持っていたという本人の説明が残る。*19 シリーズが記録したのはモデルの登場だけではない。地域で服を作る経済、自分をどう見せるかという自己演出、主流メディアに誰が掲載されるかという問題が、舞台裏から観客席までの流れの中に写っている。
Magnumと女性写真家
ハーレムの仕事は英国の『Picture Post』に掲載され、1951年にアーノルドがMagnumと関係を結ぶ契機になった。*17 1951年に準会員(associate)として参加し、1957年に女性として初めて正会員(full member)となった。*4 当時の国際フォトジャーナリズムは男性写真家を中心に組織され、女性であることが取材への入口になる場合と障害になる場合の両方を本人が語っている。*12 Los Angeles Timesの追悼記事も、女性写真家が二流の仕事へ回されやすかった業界環境を伝えている。*13 「Magnum初の女性」という肩書の背後には、政治、労働、戦場周辺、著名人の現場へ誰が入れるかを組織が左右していた時代がある。アーノルドはその制度の中で取材機会を得ながら、自ら主題を広げていった。
長期取材
アーノルドは、被写体について調べ、話し、同じ場所で時間を過ごすことを取材の基礎にしていた。PBSの長時間インタビューには、先入観を押しつけるより状況を理解してから撮ろうとした姿勢が繰り返し現れる。*10 家族による公式記録も、撮影前の調査と練習に多くの時間を使ったことを伝えている。*2 ニュース価値の高い瞬間だけを切り取らず、待機、準備、仕事、休憩を含む時間を共有したことで、被写体が公的な役割を演じる瞬間と、その役割を支える行動が同じシリーズに収まった。1976年の『The Unretouched Woman』は、貧困、出産、政治、仕事、名声など社会的位置の異なる女性を長年の取材から編集し、この方法を一冊の構造へまとめた。*1
モンローと自己演出
モンローとの仕事では、「素顔」を暴くことより、スター像が撮影現場でどう作られるかが重要になる。アーノルドは1950年代から《The Misfits》まで繰り返しモンローを撮り、撮影の合間の休息、台本、衣装、ポーズがスター像を作る過程を記録した。*3 美術史家グリゼルダ・ポロックは、1955年にモンローが『ユリシーズ』を読む写真を、女性写真家が受動的な女性スターを「暴いた」像とは読んでいない。ポロックは、モンロー自身も文化的な記号を選び取る創造的主体であり、二人の女性が性差別的・人種化された文化制度の内部で像を共同制作する「二重のエージェンシー」を論じている。*22 この視点に立つと、アーノルドの写真は「本当の顔を引き出した」という説明だけでは捉えにくい。撮られる側がカメラを理解し、自分の見え方へ働きかける時間まで画面に含めたことが、モンロー写真の批評的な意味になる。
ハーレムとモンロー
ハーレムのシリーズでは、モデルが自作・地域制作の服を着て舞台へ出る前後を撮り、ファッションを、コミュニティが自らの姿を示す場として記録した。*19 Magnumのアーカイブでも、着替え、化粧、観客、舞台という複数の時間が一つの仕事として残されている。*7 モンローの写真でも、完成したスター像と、その準備や休息が同じ長期取材の中で撮られている。*5 両者に共通するのは、社会から期待される像を被写体がどう着込み、演じ、ときに自分の側へ取り戻そうとするかを舞台裏まで追った点である。アーノルドの肖像では、外見の魅力だけでなく、そのイメージを作り維持する社会的な仕事までが被写体になる。
中国取材
1979年の中国取材では約5か月にわたって広い地域を移動し、都市、農村、内モンゴル、労働、教育、家族生活を撮影した。YaleのBeinecke Libraryは写真と取材ノートを保存し、改革開放初期の中国を長期観察した資料として公開している。*9 Magnumに残る内モンゴルの写真では、政治的な式典より人物、衣服、土地、労働の関係が画面の中心になる。*6 中国取材は、アーノルドの関心が女性表象に限られず、制度、労働、地域社会へ広がっていたことを示す。一方、出産、母子、ファッション、政治運動、各国の女性を長く撮ったことも確かで、近年の《To Know About Women》展は、それらを社会的不正、公民権、宗教、権力、名声、性、出産という複数の制度から再編集した。*14 Villa Bassi Rathgebの回顧展も、地域と時代の異なる女性像を一つの型へ還元せず、複数の社会状況を横断する仕事として再構成した。*16 モデル、母親、政治活動家、労働者、スターという異なる役割を並べることで、それぞれの像がどの社会条件の中で作られるかを比較できるアーカイブになっている。
『The Unretouched Woman』
1976年の『The Unretouched Woman』は、著名人と無名の女性、仕事、出産、家庭、政治、貧困を一冊に並べ、女性を一つの社会的役割へ固定しない編集を行った。2019年にクララ・ブヴレスが企画した研究・展覧会は、この本をアビゲイル・ヘイマン『Growing Up Female』、スーザン・メイゼラス『Carnival Strippers』と並べ、1970年代のフェミニズムと写真集の関係から再検討している。*24 三冊はいずれも女性の日常、労働、私的空間を連続写真と言葉で扱い、光沢のある雑誌が作る典型的な女性像とは別の表現を写真集の形式で試みた。アーノルドの長年の取材はここで個別の依頼仕事から切り離され、社会的位置の異なる女性を比較する編集へまとめられた。
ジェンダーと取材制度
アーノルドは写真史上、Magnum初の女性正会員として記録されるが、本人は「女性写真家」というラベルを好まなかったことが公式記録に残る。*2 ジェンダーは、誰がどの現場へ入れるかを左右する取材制度の条件として現れる。男性中心の現場では入れない場所があった一方、出産や女性の準備室など女性であることがアクセスを可能にする場もあったと本人は振り返っている。*12 アーノルドはそれを一つの「女性の視点」という美学へまとめず、取材ごとに調査、交渉、滞在時間を調整した。誰が誰を撮れるのかという制度上の差が、実際の撮影距離や取材時間に現れている。
写真雑誌と編集
アーノルドの仕事を理解するには、写真が雑誌へ載るまでの編集工程も重要になる。『Picture Post』は複数の写真、文章、ページ構成を連鎖させて物語を作る媒体だった。London Museumは、同誌が写真家と記者の協働を重視し、「picture first」の編集を発展させた歴史を紹介している。*21 Cardiff Universityの研究はさらに、ネガ、コンタクトシート、印刷、編集、商業流通まで含めて、同誌を「写真報道のビジネス」として捉えている。*20 アーノルドがハーレムの写真に差別的な文章を付された経験は、この媒体構造を個人的に経験した出来事だった。*18 その後にキャプションや記事へ関与したことは、写真家が撮影時に得た関係を、掲載後の意味づけから守ろうとする実務でもあった。報道肖像の作者性はシャッターを押した人だけに帰属せず、被写体、編集者、記者、誌面の順序まで分散していることが、アーノルドの経歴から具体的に見える。
キャプションと文脈
ハーレムの写真が『Picture Post』に掲載された際、アーノルドが伝えた意図と異なる文章が付され、黒人モデルの自己表現を白人への模倣として読む内容へ変えられたことが、近年の回顧展資料で検証されている。*18 この経験の後、アーノルドは長いキャプションを書き、可能な場合には記事本文も自ら担当するようになった。*18 この出来事によって、撮影後のキャプションと誌面編集も写真の意味を左右することが露わになった。Yaleのアーカイブにネガ、プリントだけでなく原稿、ノート、書簡、取材資料が残されているのも、その制作が言葉と編集を含んでいたためである。*8 アーノルドは撮影時の距離だけでなく、写真が雑誌に載った後に誰の言葉で読まれるかも表現と報道倫理の問題として扱った。National Galleries of Scotlandの作家資料が映画スター、公民権運動、社会問題を同じキャリアの中で扱っていることも、肖像と報道を分離しない仕事の幅を示す。*11 1996年のBarbican回顧展は、その広い仕事をモンロー中心の知名度から切り離して見直す早い機会になった。*15
- ロバート・キャパ ― Magnumの創設者
- アンリ・カルティエ=ブレッソン ― Magnumと戦後報道写真
- インゲ・モラス ― 同時期にMagnumへ参加した女性写真家
- マリリン・モンロー ― 長期的に撮影した被写体
- Eve Arnold Estate - Exhibitions ↗
- Magnum Photos - Eve Arnold collection ↗
- Magnum Photos - Marilyn Monroe rests between takes, 1960 ↗
- International Photography Hall of Fame - Eve Arnold ↗
- The Guardian - Eve Arnold obituary ↗
- Royal Scottish Academy - Eve Arnold ↗
- UAL Research Online - Eve Arnold retrospective ↗
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。