ガブリエル・オロスコは、街を歩いて見つけた物、偶然の配置、短時間だけ行った介入を、写真、彫刻、ドローイング、ゲームへ横断してきたメキシコの作家。《Island Within an Island》《Until You Find Another Yellow Schwalbe》《Parachute in Iceland》や『Photogravity』では、街路や移動先で短時間だけ成立する行為や配置が、写真によって別の場所と時間へ運ばれる。メキシコ壁画の公共性、1980〜90年代メキシコシティの制作環境、スタジオを固定しない実践、写真への不信と必要性が、その写真を理解する中心的な論点である。
オロスコが1990年代の写真で示したのは、街路で短時間だけ成立する介入を、あとから説明する記録ではなく、カメラの位置と切り取りによって作品として提示する方法である。歩行中に物を少し動かし、偶然の配置やゲームを作る彼の実践では、出来事そのものは現場から消える。《Island Within an Island》では廃材と都市の遠景の対応が写真の平面上で成立し、《Until You Find Another Yellow Schwalbe》では都市を移動したゲームの履歴が連作になる。写真を、彫刻の証拠だけでなく、発見した関係を作品として持ち出す最終形にもしたことが、彼の具体的な更新である。
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目次 · Table of Contents
壁画の伝統と公共空間
オロスコは1962年にメキシコのハラパに生まれ、画家マリオ・オロスコ・リベラを父に持つ。UNAMの国立造形芸術学校とマドリードのCírculo de Bellas Artesで学び、メキシコへ戻った後、1987年から1992年に自宅で「Taller de los viernes(金曜ワークショップ)」を開いた。そこにはガブリエル・クリ、Dr. Lakra、ダミアン・オルテガ、アブラハム・クルスヴィジェガスらが集まり、理論と制作過程を継続的に検討したことがMuseo Amparoによって記録されている。*1
父マリオ・オロスコ・リベラはメキシコ壁画の第三世代に属し、ダビッド・アルファロ・シケイロスとも仕事をした。オロスコは少年期からその制作環境に接し、父を手伝って壁画技法も学んだが、壁画家になること自体には強い関心を持たなかったと振り返っている。*2 後年には、自分が壁画と公共美術の伝統から来たことを認めつつ、作品の「記念碑性」を単純な物理的大きさでは測れないと述べている。*3 1990年代初頭の街路での小さな介入は、公共空間から退くことではなく、巨大な壁面や恒久的なモニュメントとは別の方法で、都市の中に作品が現れる条件を探る実践だった。
1990年代メキシコ
「金曜ワークショップ」の周囲では、絵画を完成品として作ることより、日用品、見つけた物、行為、場所そのものを使う実験が進んだ。後にダミアン・オルテガは、そこで表象としての絵画から、物をそのまま提示する制作へ徐々に関心が変わったと振り返っている。*4 オロスコの実践は、ニューヨークやヨーロッパのコンセプチュアル・アートの継承だけでなく、メキシコシティで制作途中の議論を共有した環境からも形成された。
MoMAの2009年回顧展は、オロスコが1990年代初頭に国際的に注目され、写真、彫刻、ドローイング、インスタレーションを一つの媒体へ固定せず、日常の環境と美術作品の境界を扱ってきたと整理している。*5 写真は「写真家」という専門領域へ入るための選択ではなく、場所ごとに変わる行為や物の状態を制作へ取り込むための一手段として使われた。
歩行から写真へ
オロスコが写真へ接近した経緯は、写真という媒体への信頼から一直線に始まったわけではない。Claire Graceは、オロスコがメキシコの芸術的フォトジャーナリズムに階級的・人種的・性的な偏りや搾取性を感じていたという本人の回想を紹介し、最初のカメラを購入したのが1991年だったことを記している。*6 1992年のノートでも、写真を目的そのものではなく記録と位置づけ、歩行、観察、発見を制作の中心に置いている。*7
その後も歩行を中心に据えながら、Art21ではカメラを何かを見るための口実、意識を高める道具と説明し*8、別のインタビューでは写真をスケッチブックの代わりに「現実の中で描く」方法にたとえている。*9 2006年には、場合によって写真そのものが作品であり、アイデアや経験を提示できる唯一の方法になると述べた。*3 世界を完全に代理する写真には警戒しながら、現場で生じた一時的な関係を展示や出版へ運ぶ必要に応じて写真を使う。その二重性が、オロスコにとって写真が必要になった理由を示している。
一時的な介入と写真
1960〜70年代のコンセプチュアル・アートやパフォーマンスでは、写真が消える行為や一時的な作品の記録として広く使われた。Guggenheimはオロスコの写真を、介入を記録するものと独立した美術作品の二重の地位を持つ例として位置づけている。*10 Art Journalの研究は、オロスコの写真が彫刻、パフォーマンス、写真を混成させ、先行するコンセプチュアル・アートの単純な「出来事/記録」という序列から外れると論じている。*6
1992年のノートでは、オロスコは写真を作品の「目的」とせず、歩行や発見を優先していた。*7 一方、2006年の対話では、ある作品では写真自体が作品であり、経験を提示する唯一の方法になると説明している。*3 写真の地位は最初から固定されていたのではなく、現場の出来事が消えた後に何を作品として残す必要があるかによって変化した。一時的な介入と独立した写真作品は、その変化の中で接続している。
日常物への小さな介入
オロスコの写真では、大がかりなセットを作るより、日常にすでにある配置へ最小限の手を加えることが多い。The Metは《Knife on Table》などを、1980年代末以降の彼が一時的な彫刻や見つけた状況をカメラで記録し、身近な環境への注意を促す実践の一部として説明している。*11 果物、空き缶、テーブル、水たまり、タイヤ、犬などは、向き、重なり、反射、円や線の一致によって、通常の用途とは異なる構造を短時間だけ作る。
Apertureでミア・ファインマンは、オロスコの写真を「何かを指し示す」行為として論じ、1990年代半ば以降、介入の記録から、撮影行為そのものが現実との遭遇を成立させる写真へ比重が変わったと指摘している。*12 正面性や単純な構図は技巧を強調せず、日常の物が一時的に別の秩序を持った状態を、最小限の変化として残している。
尺度と写真
オロスコはしばしば「反記念碑的」「小さく詩的」な作家と説明されるが、本人は単純な反記念碑という理解を否定している。Letras Libresの対話で彼は、壁画と公共美術の伝統から来たことを強調し、《Island Within an Island》のような小さな写真も、その身振りにおいて高層建築と同じほど記念碑的になりうると述べた。*3 問題になるのは物体の大きさそのものではなく、小さな介入と周囲の都市や自然がどの尺度で結びつくかである。
《Island Within an Island》では、ニューヨークのスカイラインを背景に、手前の廃材が都市の輪郭に対応するよう置かれている。MOCAは同作を1993年のCibachrome写真として所蔵・公開している。*13 廃材そのものには高層建築との対応関係は固定されておらず、カメラの位置と遠近が二つの尺度を一枚の平面上で重ねる。写真の平面化が、現物だけでは成立しない尺度の関係を作品にしている。
移動とゲーム
オロスコにとって都市は固定した撮影場所ではなく、歩行によって毎回異なる経路が生まれる制作環境である。《Until You Find Another Yellow Schwalbe》ではベルリンで黄色い旧東独製スクーターに乗り、目的地を決めず、同じ車種を見つけるたび隣へ停めて撮影した。本人は40回の遭遇を写真にし、都市をグリッドとして、自分の行為がそこへ偶然を発生させる方法だったと説明している。*14
撮影対象は「決定的瞬間」を待つことで選ばれるのではなく、移動の規則によって発生する。Apertureのインタビューも、オロスコの写真が瞬間的な彫刻を持ち運べる像にする点を指摘している。*15 散歩、規則、偶然、介入、撮影が連続した一つの制作工程になり、写真はその工程の最後に付け加えられる記録ではない。
《Island Within an Island》
《Island Within an Island》は1993年、マンハッタンの遠景と、手前に並べた廃材の小さな輪郭を一枚へ収めた作品である。*13 廃材の配置は撮影後に残る恒久的な彫刻ではなく、写真の画面内で初めて都市のスカイラインと対応する。物を作る行為と、カメラの位置を選ぶ行為が同じ程度に重要であることを示す初期の代表例である。
《Until You Find Another Yellow Schwalbe》
《Until You Find Another Yellow Schwalbe》は1995年、ベルリンで同じ黄色いスクーターを探し、見つけるたび自分の車両を隣へ置いて撮った40枚からなる。*14 写真はスクーターの類型学ではなく、都市を知るために作ったゲームの履歴である。撮影地点の連続が、観光名所を巡る都市写真とは異なるベルリンの地図を作る。
《Parachute in Iceland》
《Parachute in Iceland (South)》は1995年の作品で、風景の中に置かれたパラシュートが風と地形によって変形する状態を写真にした。*16 固定した彫刻を四方から説明する記録ではなく、布、風、地面が一時的に作る形を写真として残す。オロスコの彫刻が「物体」より状況へ近づく時、写真がその状況の持続時間を担う。
『Photogravity』
1999年のフィラデルフィア美術館「Photogravity」は、オロスコの写真と先コロンブス期彫刻の写真を同じ空間へ置き、写真と彫刻の性質を相互に交換する展示として構成された。*17 美術館は、写真に支持体を与えて空間へ立たせる一方、彫刻を写真として平面化し、両媒体の対話を主題にしたと説明している。*18
《La DS》《Empty Shoe Box》のような彫刻と写真群を同じ回顧的な文脈で扱うと、オロスコの写真は彫刻の外部記録だけに限定されない。『Photogravity』では、写真に支持体を与えて空間へ立ち上げる一方、彫刻を写真として平面化し、物体、空間、像の位置を相互に交換する展示が組まれた。*18 写真と彫刻を別々のジャンルとして分離するより、同じ制作の中で異なる状態を担う媒体として扱う姿勢が明確に現れている。
スペクタクルと完成品への距離
1992年のノートでオロスコは、スペクタクルへの反感と、完成した美術品を作ることへの疑いを記している。*7 街路の廃材、日用品、一時的な配置を使う軽さは、雰囲気としての「詩情」だけではなく、大きさ、技巧、希少な材料、恒久性によって美術作品の価値を示す制度から距離を取る方法でもあった。Anna Dezeuzeは、オロスコやフランシス・アリスら1990年代の脆弱で控えめな介入を、資本の流動化と「滑らかな」グローバル空間の中で生じた実践として読み、反英雄的な小ささにも歴史的条件があると論じている。*19
Dezeuzeの議論はオロスコ本人の意図を直接証明するものではないが、街路の小さな出来事を作品にする実践が、1990年代の制度と流通から独立した純粋な偶然だったわけではないことを示す。何を持ち運べる作品とみなすのか、何を美術館へ入れるのかという問題は、オロスコの小規模な介入と写真の両方に関わっている。
写真と彫刻の境界
オロスコの写真をめぐる批評では、記録性と自律性の境界が繰り返し論じられてきた。Art Journalの論考は、1960〜70年代のコンセプチュアル・アートで写真が出来事の後に置かれたのに対し、オロスコでは写真、彫刻、パフォーマンスのどれを主従とするか決めにくい混成が生じると論じる。*6 Hirshhornも写真展「Extension of Reflection」を、写真が一時的な彫刻や見つけた状況を保存しつつ、それ自体で作品になる実践として構成した。*20
Friezeの2002年レビューは、派手なコンセプチュアル作品より写真に想像力の強さを認め、光、影、移動、反復とデュシャン以後の概念的な系譜を結びつけた。*21 2010年のMoMA回顧展レビューでも、巨大な鯨骨格より《My Hands Are My Heart》や眠る犬などの小さな写真に強さを見いだしている。*22 写真が彫刻の補助資料に収まらず、物体を作る行為、発見、カメラ位置を一枚へ圧縮する作品として評価されてきたことが、両者に共通している。
同時代のメキシコ
オロスコは国際的な「ポストスタジオ」の作家として語られる一方、その実践は1980年代末から90年代初頭のメキシコシティの交流からも生まれた。Museo Amparoが歴史的に重要と位置づける「金曜ワークショップ」には、後にメキシコ現代美術を代表するクリ、Dr. Lakra、オルテガ、クルスヴィジェガスが参加した。*1 この集まりでは、完成品の様式を共有することより、制作途中の議論、日用品、街路、身体、物の提示方法が共通の問題になった。
Anna Dezeuzeはオロスコをフランシス・アリス、トーマス・ヒルシュホルン、マーティン・クリードと並べ、1990年代の控えめで一時的な介入を、1980年代以降に加速した資本主義と、1960年代以降の脱物質化を受け継ぐ「precarious practices」として論じている。*19 オロスコの場合、その国際的な文脈に、壁画と公共美術の環境で育った経験*2と、金曜ワークショップでの日用品・街路・制作過程をめぐる議論*1が重なる。大規模な公共美術と、街路で短時間だけ成立する介入の両方を背景に持つことが、写真、彫刻、歩行を同じ制作の中で扱う方法へつながった。
写真史上の位置
オロスコは写真専門の作家として写真史へ入ったのではない。写真を、彫刻の証拠、散歩の履歴、都市ゲームの結果、カメラ位置によって完成する一枚の作品、展示空間に置かれるプリントとして使い分けた。Guggenheimが「expanded view」として扱う現代写真の文脈では、こうした複数の役割を同時に持つ写真が、1990年代以降に写真と他媒体の境界が変化した例として位置づけられている。*10
1992年のノートでは、写真が出来事を切り取りすぎることへの不信を示し、歩行と発見を優先している。*7 それでも写真を捨てず、2006年には、ある経験を提示するために写真しか方法がない場合があると明言した。*3 オロスコの写真は、写真を万能な記録とみなす態度からも、写真を単なる補助資料とみなす態度からも距離を取る。現場で生じて消える関係を、別の場所で作品として成立させる必要があるときに写真を使う。その限定された必要性が、彫刻、散歩、ゲームと写真を一つの実践へ結びつけている。
- ソフィ・カル ― 都市での行為や移動を写真と文章へ残す比較対象。ただしオロスコは追跡や物語より、物の配置と写真・彫刻の境界を主題にする。
- タシタ・ディーン ― 偶然、痕跡、失われる物を複数媒体で扱う比較対象。オロスコでは街路の即興的な介入と尺度の操作がより中心になる。
- コンセプチュアルアート ― 行為や規則を写真で記録した1960〜70年代の先行文脈。オロスコは記録写真そのものも独立作品として扱う。
- Whitney Museum - Gabriel Orozco
- MoMA Audio - Empty Shoe Box
- The Met - Ex-Papaya
- The Met - Sand on Table
- The Met - Semillas y Carton
- The Met - Cemetery
- Marian Goodman Gallery - Gabriel Orozco, 1994
- Marian Goodman Gallery - Gabriel Orozco: New Photographs, 2002
- Marian Goodman Gallery - Gabriel Orozco, 2015
- Marian Goodman Gallery - Gabriel Orozco artist page
- Museo Jumex - Práctica fotográfica
- Museo Jumex - Gabriel Orozco: Politécnico Nacional
- Serpentine Galleries - Gabriel Orozco (2004)
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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