シラナ・シャーバジは、テヘランの日常を撮った『Goftare Nik / Good Words』から、肖像、静物、風景、幾何学的な抽象へ制作を広げてきたイラン生まれ、チューリヒ拠点の写真家。アナログ写真を看板絵、絨毯、リトグラフ、壁紙、近年は16mmへ展開し、写真集と展示空間も含めて像の組み合わせを作り直している。
シャーバジは、政治化された環境で育ち、当初はフォトジャーナリストを志したが、移住と写真教育を通じて「一枚の写真が外部の現実をそのまま代表できる」という前提に疑問を持った。そこでドキュメンタリー写真を捨てるのではなく、その前提を写真の内部から試した。テヘランで撮った像を看板絵や絨毯へ作り直し、後には色を塗った立体物をアナログ撮影して抽象写真を作り、それらを同じ展示に置く。現実を撮った写真と構成して撮った写真を別ジャンルに分けず、同じ像を看板絵や絨毯へ変換し、抽象写真と同じ展示に並べることで、撮影後の複製と配置までを作品の一部にした。写真が「何を写したか」だけで決まらないことを、制作工程そのもので示している。
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フォトジャーナリズム志向から――一枚の写真が現実を代表できるのか
シャーバジは1974年にテヘランで生まれ、1980年代に家族とドイツへ移り、ドルトムントとチューリヒで写真を学んだ。Fondation Vincent van Gogh Arlesは、静物、肖像、風景など美術史上のジャンルを参照しながら、分類を横断する制作を紹介している*24。Mirabaudの作家資料も、複数の地域で撮られた像を国や時代の単純な代表へ固定しない実践として整理している*25。本人は2023年のインタビューで、政治化された家庭・社会環境で育ったため当初はフォトジャーナリストを志したが、ドイツへの移住と写真教育を経て、写真と外部の現実との関係そのものが矛盾を含むと考えるようになったと説明している*26。同じインタビューでは、移住によって一つの場所への帰属が自明でなくなり、視点、言語、翻訳が意味を作ることに意識的になったと語っている*26。だから彼女は報道写真をやめて抽象へ逃げたのではない。写真が現実を伝えるという力を残したまま、その一枚が誰の視点で、どの言語や文化の中で読まれるのかを作品の問題にした。
『Goftare Nik / Good Words』――「異国のイラン」を避ける日常写真
初期の代表作『Goftare Nik / Good Words』は、テヘランの街路、人物、風景、日常的な場面をカラー写真でまとめたシリーズである。2002年のGuardianは、ニュースや観光イメージが作る単純なイラン像に対し、日常の断片を積み重ねた点を評価した*10。同年のCitibank Photography Prizeをめぐる記事でも、ドキュメンタリーの明瞭さを持ちながら、国家や文化を一つの物語へ収束させない仕事として注目された*11。Museum of Contemporary Photographyは、現代イランの文化、宗教、アイデンティティが表象によってどう作られるかを扱い、偶然の場面と演出された写真が混在することで単純な東西二分法を崩すシリーズと説明している*27。したがって目的は「本当のイラン」を一枚の写真で訂正することではない。外部の観客が持つ既成のイメージと、個々の写真が一致したり外れたりする過程そのものを見せることにある。
アナログの抽象写真――立体物を撮影し、非具象の像を作る
シャーバジの幾何学的なカラー作品はデジタル生成に見えるが、色を塗った立体物をスタジオで配置し、アナログカメラや多重露光を使って作られる。《Composition-30-2011》では、平面的な色面に見える形が、実際には撮影された物体からできていることをMoMAの作品ページで確認できる*4。《Composition-40-2011》も同じ方法で、カメラの前に置いた物体と光から抽象的な色面を作る*5。MoMA所蔵の《Untitled》も、この時期の抽象作品を確認できる例である*8。抽象形態だけなら絵画やCGでも作れるが、シャーバジは実在する物体、光、レンズ、フィルムを通す。報道写真で疑問を持った「写真と現実の結びつき」を捨てず、何をカメラの前に置くか、何回露光するかを変えることで、その結びつきを非具象まで変形させている。MoMAの「New Photography 2012」も、これらをassemblyとin-camera manipulationによる写真として説明している*2。MoMAの作家ページでは《Composition-40-2011》《Klausen Pass-03-2011》《Untitled》などが同じ作家項目に並び、抽象、風景、静物を同じ写真実践として確認できる*9。
静物・風景・抽象を隣に置き、色と形で読み替える
MoMAの「New Photography 2012」では、シャーバジの静物、風景、抽象、壁紙状の大判イメージが同じ展示空間に組み合わされた*1。MoMA Inside/Outは、異なるジャンルの写真を隣接させることで、被写体の種類より色、形、スケールの反復が目に入る構成を紹介している*6。MoMAの音声解説でも、スタジオで撮った抽象的な立体物の写真と、屋外で撮った白黒写真、壁紙を一つのインスタレーションに組み合わせたことが説明されている*7。この展示方法は2008年のHammer Museumで突然始まったものでもないが、同館のプロジェクトでは、ロサンゼルスで撮った新作写真の一つをイランの看板絵職人が壁面サイズの絵画へ変換し、写真と別媒体の像を同じ建築空間へ置く方法が明確に示された*3。Hammerのレジデンス記録は、その新作制作と職人との協働が現地滞在の一部だったことを示している*14。公開レクチャーも本人がその制作を説明する場として開催された*13。たとえば花の写真の色が隣の幾何学的な画面へつながれば、花は「静物」という分類だけでは見えなくなり、抽象写真も実在する物体を撮った像として見直される。シャーバジは撮影後の並べ方と別媒体への変換まで使い、写真一枚の主題だけでは作品の意味が固定されない状態を作っている。
『Then Again』――真正性・構成・選択を同時に保つ
写真集・展覧会『Then Again』では、異なる年代とジャンルの写真がシリーズ境界を越えて編集し直される。Galerie Peter Kilchmannの出版情報は、その再編集を同書の特徴として紹介している*19。Galerie Rudolfinumの展覧会も、写真の真正性、構成、選択が互いに排除されず同時に働く点を作品の中心に置いた*20。街路で撮った写真もスタジオで構成した写真も、撮影後に別年代の作品と組み直されるため、撮影した事実だけではシリーズの意味が確定しない。何を撮ったかに加え、後から何と並べ直したかまで制作工程に含めている。
《Group Show》――展示そのものを一回ごとに作り直す
《Group Show》では、自分一人の作品展でありながら、異なる写真群が複数作家のグループ展のように配置される。Camera Austriaの展示ページには、大判カラー、白黒、抽象、具象が壁面で強いリズムを作り、個々のシリーズの連続性より会場全体の配置が前景化した様子が記録されている*15。同館のプレス資料も、写真を単一の意味へ固定せず、壁色、スケール、順序によって関係を作ることを展覧会の核心として説明した*17。同じ写真でも、別の展示では隣に置かれる作品やサイズが変わる。そのため《Group Show》では、シリーズ名だけでなく、その会場で実際に隣接する画像とサイズが作品の見え方を決める。
『First Things First』――年代順ではなく、画像同士の類似で組む
『First Things First』は、長期間の作品を年代順やシリーズ別に保存する写真集ではない。Sternberg Pressは、静物、肖像、風景、抽象をシリーズ別に分けず配置する出版物として紹介している*12。MIT Pressの書誌も、異なる時期の作品がサイズや順序を変えて再編集されていることを示す*21。そのためページ順を追うと、同じシリーズの連続より、別の時期に撮られた写真の色、輪郭、反復するモチーフが先に結びつく。展覧会で行ってきた「別ジャンルの写真を隣に置く」操作を、本ではページの前後関係へ置き換えている。
アナログを使う理由――結果をすぐ確認せず、選択肢を減らす
Mutinaのインタビューでシャーバジは、アナログカメラを使う理由を、結果をすぐ確認できないため撮影中によく見ること、プリントで操作できるパラメータがデジタルより少ないこと、コンタクトシートで選ぶことにあると具体的に説明している*16。2023年のインタビューでも、アナログを絶対視せず、考える時間と実験の余地を作る方法として使い、リトグラフではデジタル画像も使うと話している*26。シャーバジにとってアナログの利点は、撮影中に結果を確認せず、補正の選択肢を限定し、コンタクトシートで写真を選ぶという作業条件にある。無限に補正できる環境を避けることで、撮影時の観察と限られた操作に集中できる。
『The Curve』――イラン/西洋、記録/構成のどちらにも固定しない
《Reality Show》でも、現実の対象を撮った写真と構成された静物・抽象が同じ展示に置かれ、作品は「現実を写したかどうか」だけでは整理されない*22。Adair Rounthwaiteは《The Curve》について、ドキュメンタリー写真、北ヨーロッパの静物画、テヘランの宗教的壁画という具体的に異なる視覚文化が同じ作品群に入るため、「西洋美術史」か「現代イラン美術」かのどちらかへ回収できないと論じている*28。これは「多文化的」という便利な形容より重要である。シャーバジはイランで撮った像をイランの看板技術へ戻し、ヨーロッパで学んだ写真の形式と組み合わせ、さらに抽象的なスタジオ写真と同じ展示へ置く。イランの看板技術、ヨーロッパで学んだ写真形式、スタジオの抽象写真を同じ展示へ置くため、どれか一つの文化圏だけで作品群を整理できない。 2017年のKINDLでの回顧展は約60点を集め、白黒風景、静物、幾何学的抽象、ドキュメンタリー写真を年代順や同一様式へ整理せず同時に見せた*18。Galerie Peter Kilchmannの作家ページでも、MoMA、Tate Modern、Centre Pompidouなど複数の美術館所蔵と、近年まで続く写真・展示活動が確認できる*23。
- ヴォルフガング・ティルマンス ― ジャンルの異なる写真を同じ展示空間で関係づける方法を比較できる。
- ルイーザ・ランブリ ― 建築や光を写しながら表象と抽象の境界を往復する同時代の比較対象。
- コンセプチュアルアート ― 写真を被写体の記録だけでなく、翻訳・複製・配置を含むイメージの仕組みとして扱う背景。