写真の座標 Photo Coordinates
PHOTOGRAPHERS/BERENICE ABBOTT ·ストレート写真 ·UPDATED 2026.09
BA
§ 374 — Photographer Index — ストレート写真

ベレニス・アボット

Berenice Abbott 1898–1991
Countryアメリカ Period1930–1940s Channel写真史の論点 · 都市記録
Abstract

1898年、米国オハイオ州スプリングフィールドに生まれたベレニス・アボットは、1920年代のパリでマン・レイの助手と肖像写真家を経験し、ウジェーヌ・アジェの作品保存に取り組んだ。1929年にニューヨークへ戻ると《Changing New York》を進め、戦後は科学写真へ向かった。都市、アーカイブ、科学を通じて、写真を後から比較し検証できる公共的な知識として設計したことが一貫した主題である。

この写真家が変えたこと

アボットは、アジェのネガとプリントを保存し、《Changing New York》では撮影地点、日付、建築の新旧を調査と結び、科学写真では現象を写すための照明と装置まで考案した。都市改造のように一度失われれば同じ状態を撮り直せない対象と、運動や波形のように肉眼では比較しにくい現象を、撮影、分類、文章、出版、保存まで含めて反復して検討できる像にし、写真の精度を都市史や科学教育が時間を越えて使える観察資料の条件として成立させた。アジェのアーカイブ、Federal Art Project、MITの科学教育が一つの写真観でつながるのは、正確に写すことと、その像を誰が後から使えるかを同じ仕事として設計したからである。

Keywords ベレニス・アボット Changing New York ウジェーヌ・アジェ Federal Art Project エリザベス・マッコーズランド 大判カメラ 科学写真 MIT
§ WORKS 作品を見る

本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。

目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

パリの肖像

アボットはオハイオ州スプリングフィールドに生まれ、1918年にニューヨークへ移った後、彫刻を学ぶため1921年にパリへ渡った。ニューヨーク州立博物館の経歴によれば、1923年頃にマン・レイの暗室助手となり、撮影とプリントを実務として身につけ、1926年には自分の肖像スタジオを開いている。*2 MoMAの作家記録でも、パリの前衛芸術家、作家を撮った肖像が最初の独立した仕事として位置づけられている。*1 この経歴は、アボットが最初から「都市記録の写真家」だったわけではないことを示す。カメラは、彫刻のように素材を長時間加工する方法とは異なり、人物や都市の状態を細部まで短時間で固定できる。その即時性と精度が、後の大規模な記録計画へつながった。

1931年の《Statue of Liberty》では、自由の女神を低い位置から見上げ、記念碑の正面性を崩している。The Metはこの角度を、欧州モダニズムで学んだカメラ視点の実験と、後の風刺的な掲載文脈の両面から説明している。*26 アボットの「正確さ」は、正面から中立に写すことと同義ではない。対象の構造や都市内での位置を明確にするため、撮影地点そのものを選び直す操作を含んでいた。

パリ時代の肖像にも、後の都市記録へ続く精密な描写の考え方が現れている。コーネル大学Johnson Museumは、アボットがマン・レイの女性肖像に見た装飾的な扱いから距離を取り、独立した女性たちが自らの像を委ねる写真家になった過程を示している。マーガレット・アンダーソン、ベティ・パーソンズ、ソリタ・ソラーノら、その生活や仕事を公に選び取った女性たちがスタジオを訪れた。*32 精密な描写は人物を類型へ押し込むためではなく、服装、姿勢、表情をその人の社会的な存在として残すために使われた。後の都市写真でも、建築の細部と周囲の場所を読み取れるように写す姿勢が続いている。

アジェのアーカイブ

マン・レイのスタジオでアジェの写真に出会ったことは決定的だった。MoMAのObject:Photoは、1925年にアジェのプリントを初めて見た後、1927年の死後にジュリアン・レヴィと協力してネガとプリントの大部分を購入し、ニューヨークへ運んだ経緯を記録している。*3 The Met所蔵の《Eugène Atget》は、死の直前にアボットが撮影した肖像で、二人の直接的な接点を示す。*17 NGAも、アボットがアジェの作品を展覧会、出版、販売を通して長年紹介し、1968年にアーカイブをMoMAへ譲渡したことを主要な業績として挙げる。*10 アボットがアジェから受け継いだのは、街を継続して撮り、蓄積された写真群から都市の変化を読めるようにする考え方だった。保存、分類、再流通まで写真家の仕事に含めたことで、撮影時点を過ぎた写真が別の世代の都市研究にも使える状態で残った。

§ 02 / 04 表現の核心

《Changing New York》が記録したのは、古い低層建築と新しい摩天楼、高架鉄道と街路が同じ街区に共存する過渡期のニューヨークだった。ニューヨーク州立博物館は、摩天楼の建設と19世紀建築の取り壊しが同時進行する状況を、アボットが都市撮影へ集中した背景として説明している。*4 大判カメラは撮影に時間がかかる一方、建物、看板、街路、交通の配置を細部まで一枚に残せる。都市がどこで、どのように変わったのかを後の読者が比較するためには、瞬間を素早く捕えることより、場所の情報量を確保することが重要だった。

都市の変化

1929年、アボットは短期滞在のつもりでニューヨークへ戻り、8年間で街が大きく変わったことに衝撃を受けた。ニューヨーク州立博物館は、19世紀の建物が取り壊され、摩天楼が急増していた状況を、彼女がパリの肖像スタジオを手放して都市撮影へ移る直接の契機として説明している。*4 《Changing New York》では、摩天楼と古い低層建築、高架鉄道と街路、広告看板と公共建築を対比し、変化を「新しい建物の写真」だけで説明しなかった。The Metの《Fifth Avenue Nos. 4, 6, 8》では、低い19世紀建築の背後に巨大な新建築が迫り、一枚の中で都市の時間差が読める。*5 Smithsonian所蔵の夜景《Night Aerial View, Midtown Manhattan》では、高所から交差する光と交通網を捉え、都市を建物の集合だけでなく、夜間も作動するインフラとして見せている。*20

Federal Art Project

個人資金で続けた撮影は世界恐慌下で困難になったが、1935年にWorks Progress AdministrationのFederal Art Projectがアボットを雇用した。ニューヨーク州立博物館によれば、月給、助手、調査員、秘書、車が提供され、個人で続けていた撮影は都市全体を調査する公共事業になった。*4 NYPLのデジタル・コレクションには2,200点を超えるプリントが残り、撮影地点、日付、建物情報を含む体系的な記録として公開されている。*6 Smithsonian Archives of American Artにも《Changing New York》関連の写真群があり、プロジェクトが展覧会と1939年の書籍へ編集された過程を追える。*15 大判カメラは速い街頭スナップには向かないが、建物の細部と周囲の関係を後から検証できる。撮影速度より情報量を選んだことが、都市を歴史資料として残す目的に合っていた。

《Changing New York》では、撮影後の選択、保存、配布までが作品の構造に入っていた。New York Public Libraryのアボット文書には、《Changing New York》、アジェのアーカイブ、科学写真、機材開発に関する資料が同じ作家アーカイブとして収められている。*21 MoMAが公開する1939年の写真集では、アボットの写真とマッコーズランドのテキストが見開き単位で組まれ、都市の場所を比較しながら読む構造を確認できる。*23 大判ネガの細部は展示で鑑賞されるだけで終わらず、書籍、教育、公共コレクションで同じ地点を再検討するための共通資料として使えた。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

写真と文章

1939年の書籍《Changing New York》では、97点前後の写真に美術批評家エリザベス・マッコーズランドの文章が組み合わされた。NYPLは、二人が写真の選択、調査、キャプションを通じて都市の社会史を読ませる本を作ったことを記録している。*7 Smithsonianのマッコーズランド文書は、彼女が1930年代後半にアボットとFederal Art Projectの書籍を共同制作し、ニューヨークの近隣、建築、街路について本文を書いたことを明記する。*14 さらに同アーカイブの経歴資料からは、マッコーズランドが写真批評やルイス・ハイン研究に継続して関わっていたことも分かる。*16 アボットの写真を「孤立した作者の視線」だけで語ると、撮影地点の調査、文章、出版、公共機関への配布を含む共同作業が見えなくなる。写真は単独の芸術作品であると同時に、別の情報と結びついて都市を学ぶ教材でもあった。

写真と文章の関係には、編集上の衝突もあった。Museum of the City of New Yorkが紹介する資料では、マッコーズランドの当初のキャプションに社会批評や政治的含意が強く、出版社の編集でより事実記述的な文章へ変えられた例が残る。*22 《Changing New York》の「客観性」は、写真、批評、出版社、公共事業のあいだで、何を都市の事実として見せるかが調整された結果でもある。

サラ・M・ミラーは、アボットとマッコーズランドが準備した《Changing New York》の原稿を、100点の写真と本来のキャプションの組み合わせから復元した。出版社が文章と構成を大幅に変更した経緯を追い、1939年ニューヨーク万国博覧会を目前にした都市を写真がどう理解させるか、そして「ドキュメンタリー」を何と定義するかが争点だったと論じている。*30 撮影地点、キャプション、写真の配列、出版社の編集方針がそれぞれ都市の意味を変えるため、《Changing New York》は一群の都市写真であると同時に、何を都市の事実として提示するかをめぐる出版物でもあった。

科学写真

1939年以降、アボットは次の「大きな主題」として科学へ向かった。ニューヨーク州立博物館は、科学の専門教育を受けていなかった彼女が、重力や運動エネルギーを写す方法を約20年かけて考案し、1958年にMITで新しい物理教材のための写真を制作したと記録する。*2 Smithsonianの写真史コレクションは、アボットが科学現象を見せるためにカメラ、照明、投影装置を改良・設計した点を作品群とともに保存している。*8 《Pendulum》では連続する光の軌跡によって振り子運動を一枚へ記録し、人間の目では時間順にしか見られない運動を同時に比較できる像へ変えた。*9 MIT Media Labが紹介するPhotorythmsも、彼女が光と動きを写真の時間構造として実験した仕事を現代の研究へ接続している。*12 ここでは「正確に写す」だけでは足りず、現象が写真に現れるよう装置を設計する必要があった。

MIT Museumは《Photography and Science: An Essential Unity》展で、1958〜60年にPSSCのため制作された科学写真をまとめ、写真史と科学教育の両方からアボットの仕事を再検討した。*25 Amon Carter Museumの500点を超える所蔵は、パリの肖像、ニューヨーク、科学写真を50年にわたる仕事として連続的に見せている。*24 都市では取り壊し前後の建築を比較し、科学では一瞬に通過する運動を一枚の軌跡として比較する。対象は異なっても、時間の中で変化するものを後から見直せる形にするという操作が共通している。

§ 04 / 04 批評と受容

都市と科学

都市と科学は被写体として遠く見えるが、アボット自身の実践では共通点が多い。Science Museum Groupは、肖像、《Changing New York》、科学写真を、写真が世界を説明し教育する力への長期的な信頼としてまとめている。*18 MIT Museumの写真コレクションも、科学・技術の視覚化が研究機関の記録と教育の双方に関わることを示す。*13 National Museum of Women in the Artsは、アボットがストレートな描写を擁護しながら、都市と科学という複雑な対象の構造を理解可能にした点を評価している。*11 つまり、古いパリを残したアジェのアーカイブ、変貌するニューヨーク、見えない物理現象は、すべて「消える/見えにくいものを、後から比較できる像へする」という同じ写真観の中に置ける。

テリー・ワイスマンは、1920年代の肖像、1930年代の都市プロジェクト、1950年代の科学写真を、歴史的状況に応じて意味を変えるリアリズムの実践として分析している。写真が現実を直接伝える力を信頼しながら、文章、展示、教育、公共事業まで含めて伝達の条件を設計した点に、政治的公共圏と結びつくドキュメンタリー論を見ている。*29 アボットの一貫性は、対象ごとに撮影方法や制度を選び、現実の複雑さを他者が再検討できる状態へ整えたことにある。肖像スタジオ、都市調査、科学装置という異なる仕事のすべてで、「何をどう見れば検証できるか」を写真によって設計している。

再評価

アボットは1970年にMoMAで大規模な回顧展を開き、晩年まで都市写真と科学写真の双方で評価を確立した。NYPLの《Changing New York》解説は、この回顧展とアジェ資料の保存を含めて、彼女のキャリアを制作、教育、アーカイブの連続として位置づけている。*6 近年はFederal Art Projectの制度やマッコーズランドとの共同性も研究対象になり、写真家一人の「天才的記録」として語る枠が修正されている。2025年の研究は、公共空間に拡大掲示されたアボットのフォトミュラルを検討し、写真が近代都市の展示・教育空間でどう働いたかを論じている。*19 Smithsonian Librariesが所蔵する研究書も、パリ期、《Changing New York》、科学写真を一冊の中で扱っている。*27 都市写真、アーカイブ保存、科学装置を同じキャリアに持つこと自体が珍しいだけで終わらない。撮影した像を保存し、調査情報と結び、出版し、公共機関へ配布する手続きによって、写真を別の人が後から同じ対象を調べ直すための道具として運用したことに意味がある。

ニューヨーク州立博物館が《Changing New York》を20世紀写真の主要な成果として展示し続ける背景には、Federal Art Projectが撮影、調査、展示用プリント、公共コレクションへの配布を一体化した事実がある。*28 そのため1930年代の景観は、美的な都市像として鑑賞できるだけでなく、建物が失われた後にも所在地、外観、周囲の街区を照合できる資料群として残った。アボットのドキュメンタリーは「客観的に見える画面」を作ることより、誰が、いつ、どこを、どの情報とともに残せば、未来の他者が都市を検証できるかを設計する仕事だった。

Amon Carter Museumの《American Modern》は、アボット、ウォーカー・エヴァンス、マーガレット・バーク=ホワイトを並べ、三者が同じ1930年代の米国を撮りながら異なる方法を取ったことを示している。アボットでは写真を批判的な対話とコミュニケーションの手段として捉える姿勢、エヴァンスでは写真と時間、バーク=ホワイトでは近代産業のスケールと個人の物語の結合がそれぞれ論じられる。*31 この比較によって、《Changing New York》の固有性は画面の見た目以上に、調査、キャプション、出版、公共配布まで撮影の後工程を組み込んだ点に現れる。1930年代ドキュメンタリーの中でも、都市の変化を後世が再検討できる制度まで作品の一部にしたことがアボットの特徴だった。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ウジェーヌ・アジェ ― パリの体系的な都市記録をアボットが保存・普及し、《Changing New York》の方法論的な先行例となった写真家。
  • マン・レイ ― パリでアボットを暗室助手として雇い、写真技術を学ぶ入口となった写真家。
  • ルイス・ハイン ― マッコーズランドが研究・展覧会に関わった社会ドキュメンタリーの先行例。
  • ウォーカー・エヴァンス ― 1930年代の米国ドキュメンタリーを共有しながら、時間、看板、建築、出版を異なる方法で扱った比較対象。
  • マーガレット・バーク=ホワイト ― 工業、雑誌、人物の物語を大規模なマスメディアへ結びつけた同時代作家。公共的な写真という点でアボットとの差を比較できる。
Movements / Contexts
  • Federal Art Project ― 世界恐慌期の公共雇用制度が、都市全体を扱う長期撮影、調査、出版を可能にした。
  • ストレート写真 ― 操作を抑えた精密描写を、都市史と科学教育のための情報量へ結びつけた文脈。
  • 科学写真 ― カメラを受動的な記録装置とせず、現象を可視化するための実験装置として設計した仕事。
§ REF さらに読む
Changing New York
Berenice Abbott / Elizabeth McCausland / 1939

Federal Art Projectで制作された都市写真と文章を一冊にまとめた代表作。NYPLで多数の関連プリントを閲覧できる。

公式・所蔵情報を見る ↗
Berenice Abbott Papers
The New York Public Library

写真、原稿、書簡、科学写真資料などから、都市撮影と科学教育を横断して制作史を確認できる公的アーカイブ。

公式・所蔵情報を見る ↗
The Realisms of Berenice Abbott
Terri Weissman / University of California Press / 2011

パリの肖像、都市ドキュメンタリー、科学写真を、歴史的条件に応じて変化するリアリズムの理論として横断する重要研究。

公式・所蔵情報を見る ↗
Documentary in Dispute
Sarah M. Miller / MIT Press / 2020

アボットとエリザベス・マッコーズランドが本来構想した《Changing New York》を復元し、出版社による改変とドキュメンタリーの定義をめぐる争いを検討する。

公式・所蔵情報を見る ↗
§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。