イェンス・ウルリッヒは、新聞や雑誌の報道写真、スポーツ写真、歴史的彫刻の写真を切り抜き、別の画像へ接合する作家。《Masken》《Flieger》《Plakate》から無料複製プロジェクト《Bilder ohne Geld》まで、写真の意味が撮影時だけで決まらず、切断、再配置、文脈、所有、複製によって変化する過程を扱う。
フォトモンタージュは20世紀前半から新聞写真を切り貼りして政治的な主張を作り、1970〜80年代のアプロプリエーションは既存画像の借用によって作者性やオリジナルを問い直してきた。ウルリッヒは、その二つの系譜で使われた「切る/借りる」を、画像が元の文脈を失った後に何が残るかを調べる方法へ使う。《Flieger》では報道写真と国家彫刻の歴史を衝突させ、《Bilder ohne Geld》では複製そのものを鑑賞者へ開放した。以前のアプロプリエーションが「誰の画像か」を問うことが多かったのに対し、彼の仕事では画像が誰に使われ、所有され、再配布されるかまでが作品になる。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
1968年タンザニア生まれ、デュッセルドルフで学ぶ――経歴と1990年代の制作環境
ウルリッヒは1968年、タンザニアのトゥクユに生まれ、Kunstakademie Düsseldorfで学び、2008年以降ベルリンを拠点としている。ZKMの現行プロフィールは出生年・出生地と、見つけた画像の断片を新しいモチーフへ結合する制作を明記する*1。Goethe-Institut Villa Kamogawaも同じ出生情報を示し、1999年から2006年にかけてデュッセルドルフで友人たちと展示空間Alexanderstraßeを運営した経歴を紹介している*2。Deutsche Digitale Bibliothekの典拠情報も1968年トゥクユ生まれを確認しており、旧来の「1972年ドイツ生まれ」という記載は採用できない*3。この時期のデュッセルドルフでは、写真、絵画、彫刻、インスタレーションを媒体の純粋性で分けず、既存の文化的イメージや展示制度を材料として扱うポスト・コンセプチュアルな制作が広く行われていた。ウルリッヒも新しい被写体を探すより、新聞や雑誌で既に意味を持って流通している画像を再利用する方向へ進んだ。
報道写真とアプロプリエーション――「元の文脈」が失われる時代
2000年代のウルリッヒの主要な材料は、ニュース、政治、スポーツを伝えるために大量流通する報道写真だった。2004年から続く《Masken》では、アフリカ各地で撮られた白黒の新聞写真にアフリカの仮面像をデジタルで接合しており、European Month of Photography Berlinは約40点に及ぶコラージュ・シリーズとして紹介している*23。2006年の《Willkommende Gemeinschaft/Plakate》では、政治デモのプラカードに書かれた具体的な要求を抽象的な装飾へ置き換える方法がすでに現れていた。Bergische Kunstpreisの資料は、ウルリッヒが数年来、政治デモの報道写真を収集し、抗議者が掲げる批判的メッセージを抽象的・装飾的な画像へ交換していたと記録する*22。後にSchirn Kunsthalleも、新聞で見つけた写真からスローガンを消し、Letrasetの抽象形態へ置換してポスターとして再制作する仕事を、政治表象を扱う展覧会で紹介した*21。ここでアプロプリエーションは既存作品を借用するだけの方法ではない。情報伝達のために作られた写真から文字、顔、身体の一部を切り離すと、政治的な意味がどれほど簡単に別のイメージへ変わるかを確かめる方法になっている。
フォトモンタージュとアプロプリエーションの後で――HeartfieldからPictures Generationまで
既存の印刷画像を切り、別の意味へ接続する方法には長い前史がある。MoMAはジョン・ハートフィールドのフォトモンタージュを、新聞や雑誌から得た断片を組み合わせ、ナチズムのプロパガンダを政治的に攻撃するための媒体として位置づけている*24。1970〜80年代のPictures Generationでは、雑誌、広告、美術作品を再撮影・転用し、作者性やオリジナリティを揺さぶるアプロプリエーションが写真の中心的な方法になったとThe Metは整理している*25。ウルリッヒがこれらの作家から直接影響を受けたと示す資料は確認できないが、彼の制作は、この二つの方法がすでに歴史化された後に現れている。違いは、切り貼りによって新しい政治メッセージを作ることや、借用そのものを作者性への批判にすることより、断片化によって元画像の政治性や歴史性がどこまで失われ、それでも何が残るのかを作品の中心にした点にある。
《Flieger》――写真の一瞬と彫刻の永続性を接合する
《Flieger》では、ジャンプ中のサッカー選手、体操選手、ランナーなど現代のスポーツ報道写真へ、ナチ期の古典主義的彫刻から切り出した頭部や身体片を接合する。Sport in Artのインタビューでウルリッヒは、飛翔中の選手は肉眼ではほとんど知覚できない一瞬をカメラが固定したものだから惹かれると説明し、同時に彫刻の断片は切り抜かれることで元のイデオロギーが判別しにくくなると語っている*5。VAN HORNの《Flieger》展解説も、新聞・雑誌のスポーツ写真と1933〜45年の国家的彫刻像を切断・接合する方法を具体的に記録している*4。ここで写真であることは重要である。スポーツ報道は身体を「勝利の決定的瞬間」として凍結し、彫刻は理想身体を石やブロンズで永続化するため、時間の性質が正反対の二つの身体が一つの画面に接続される。しかも新しく演出して撮った選手像ではなく、すでに新聞や雑誌で流通した写真を使うことで、現代の英雄身体を作るメディア制度そのものが材料として残る。国家が固定した理想身体と、報道が瞬間的に生産する理想身体のあいだに、似た姿勢と異なる歴史が同時に見えてくる。
抗議写真から言葉を奪う――Tate Modern「Media Burn」
2006–07年のTate Modern「Media Burn」では、ウルリッヒはデモの報道写真を加工し、プラカードの文字を意味のない記号へ変えた作品を展示した。e-fluxに残るTateの告知は、この展示を芸術、政治、抗議、メディアの境界を扱う企画として位置づけ、ウルリッヒがドキュメンタリー写真のスローガンを空洞化したことを説明する*6。同時代のGuardian評もこの操作に言及し、その政治的効果には批判的な評価を与えている*7。写真に写る群衆の表情や身体は残るが、主張を特定する言葉だけが失われるため、「抗議らしいイメージ」と具体的な政治内容の差が露出する。
コラージュは、歴史を混ぜるだけでなく画像の権威を壊す
2008年のMuseum MorsbroichでのJan Albersとの《Kollekte》は、同館コレクションと自作を組み合わせ、既存作品の意味を展示によって変える試みとしてカタログ化された*8。同館の歴史も、ウルリッヒをコレクション自体に介入する作家として記録している*9。KUNSTFORUMの同時代評は、バロック彫刻や近代絵画が別の物体・配置と結びつき、新しい連想を作る展示を具体的に紹介する*10。この態度は《Flieger》にも共通し、既存写真を尊重して保存するより、切断して別の画像と接触させることで、それまで自然に見えていた分類や価値を不安定にする。
《Refugees In A State Apartment》――報道の「待つ身体」を歴史住宅へ置く
2015年の《Refugees In A State Apartment》では、ベルリン・モアビットの難民受付施設周辺で撮影した人々を、売却中だったブレーメンの歴史的な実業家邸宅の白黒室内写真へ合成した。ZKMは、到着直後の「どこにも属さない」待機状態と、豪華な室内に一時的に置かれた身体の間に、親密さと根無しの感覚が同時に生まれると説明する*11。CONTACT Photography Festivalは2016年のトロント展示で、欧州の難民危機と受け入れ・可視化の問題に接続してこのシリーズを紹介した*12。ArtRabbitに掲載された作家の説明では、家が避難所、生活空間、文化財という複数の意味を持つことが作品の比喩に重ねられている*13。
《Bilder ohne Geld》――複製可能性を作品の経済へ戻す
2021年の書籍《Bilder ohne Geld》では、過去のフォトモンタージュ約300点をスキャン用テンプレートとして公開し、公共図書館などで本を借りた人が自分で拡大印刷し、壁に貼れる仕組みを作った。Museum Abteibergは、購入、価格、所有という通常の美術流通から作品を外し、アナログな画像ソースとして使えるプロジェクトだと説明する*14。同館が紹介する本人の説明では、写真や画像は技術的には複製できるのに、額装、保存、輸送、保険、限定部数といった仕組みが希少価値を作り、その自由を狭めてきたという問題意識が明言されている*14。WDRも、作品と印刷方法を収録した写真集として紹介し、ウルリッヒの巨大なフォトモンタージュが誰でも複製可能になった点を報じた*15。Kunststiftung NRWは、版数、画像権、販売価格をめぐる美術市場の仕組みから距離を取る出版として支援理由を記す*16。《Flieger》で他者の写真を切っていた作家が、ここでは自作を他者に切り出し、拡大し、貼り直す権利まで渡す。アプロプリエーションの論理が、作者が他人の画像を利用する自由から、鑑賞者が作者の画像を利用する自由へ反転している。
「作品を見る」から「作品を持ち帰って複製する」へ
K21での《Bilder ohne Geld》討議は、20年分のフォトモンタージュをCommonsとして公開する試みを、コラージュが持つ政治的な力と美術市場への抵抗の両面から紹介した*17。tazのインタビューでは、ウルリッヒ自身がギャラリーで画像を見る際に価格や資本の存在まで同時に見えてしまうという問題意識を語っている*18。ここでは写真の技術的複製可能性が、単に複製芸術の一般論ではなく、誰が作品へアクセスできるかという経済の設計へつながる。
アプロプリエーション以後、写真の「出所」を作品にする
Contemporary Art Libraryの展覧会記録を見ると、ウルリッヒの作品は個展だけでなく、他作家との組み合わせやインスタレーションの中で反復して提示されている*19。彼のコラージュで重要なのは、元画像を消して新しい幻想を作ることより、スポーツ紙、国家彫刻、デモ写真、不動産写真といった出所の異なる画像制度を同一画面で衝突させることにある。写真が何を写しているかだけでなく、「何のために作られ、どこで流通していた写真か」が意味の一部になる。元画像の出所を完全に消してしまえば、コラージュは奇妙な身体の造形で終わる。ウルリッヒはスポーツ紙や国家彫刻といった制度の差を残すことで、鑑賞者が一枚の画像の内部に複数の歴史を読み分ける状態を作る。
写真史上の意味――撮影者から、編集者・流通者・利用者へ
21世紀写真の動向を集めた『Photo Art: Photography in the 21st Century』にもウルリッヒは収録され、撮影中心の写真観から外へ広がった同時代実践の一例として位置づけられている*20。《Flieger》では写真を切り、《Refugees》では別の空間へ移し、《Bilder ohne Geld》では鑑賞者自身に複製させる。三つの仕事を並べると、写真の意味を決める主体が撮影者だけではないことが明確になる。編集する人、展示する制度、所有する人、コピーする人まで含めて写真の生涯を作品化した点に、ウルリッヒを写真史へ置く理由がある。これはアプロプリエーションを「他人の画像を使う」技法として理解するより、写真が一度公に出た後も、政治、記憶、市場によって意味を更新され続けることを扱う実践として捉える方が正確である。
- オハイオ ― 既存写真の収集・分類・再編集を通して、作者より画像の流通を問題にする関連プロジェクト
- ユースフル・フォトグラフィー ― 撮影済みの実用写真を再編集し、用途と再配置から写真価値を考える比較対象