シャルロット・デュマは、警察犬、警察馬、9・11の救助犬、軍葬の馬、狼、日本の在来馬など、人間の社会と具体的な役割を共有する動物を一体ずつ撮る写真家である。美大では動物撮影を勧められなかったが、2002年に警察馬Jonkerを撮った経験からこの主題を確信したと本人は振り返る。以後、対面できる距離、仕事を終えた時間、老い、休息を選び、人間が動物を働かせ、愛し、象徴化し、価値づける方法を肖像写真から考えてきた。
動物写真では、野生動物の生態、種の特徴、働く動物の役割が主題になりやすく、肖像写真の形式は長く人間を中心に発達してきた。デュマは警察馬や救助犬を、人物を撮るときと同じように、相手が撮影者を認識する距離と時間の中で一体ずつ撮った。カメラの高さを合わせ、仕事を終えた後や眠りへ入る瞬間まで待つことで、「軍馬」「救助犬」という役割の奥に、年齢、姿勢、呼吸、視線を持つ個体が現れる。彼女は肖像写真の対象を人間から動物へ広げ、その形式に含まれる尊厳、距離、相互認識の問題を種の境界まで持ち込んだ。
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デュマは1977年オランダ生まれ。Gerrit Rietveld Academieで学び、本人は当時、動物を主題にすることが美大では評価されにくかったと振り返っている。2002年、ロッテルダム騎馬警察の馬Jonkerを現場で撮影した経験が、自分の進む方向を確信するきっかけになったという*1。このとき彼女が見たかったのは勤務中の警察馬の勇壮さより、装具を外した状態の一頭の馬だった。以後、警察犬、軍馬、救助犬など、人間社会の仕事を担う動物が制作の中心になっていく。
動物を選ぶ理由には社会的な背景もある。公式ステートメントでデュマは、社会の中から動物の実際の存在が遠ざかることが、私たちの経験や共感のあり方に影響すると考え、人間が動物を食料として扱う一方で擬人化したイメージとして消費する矛盾にも関心を向けている*2。Brooklyn Railの対話では、John Bergerが論じた「人間と動物の直接的な関係が失われるほど、動物が観察・象徴の対象になる」という問題を向けられ、デュマ自身も自作にその要素があると認めている*3。彼女の動物肖像は、珍しい被写体を選ぶ趣味というより、現代社会で動物との距離がどう作られているかを測る方法として成立している。
2012年以降は映像も本格的に用い、眠り、歩行、呼吸の時間を作品へ取り込んだ。本人の公式略歴は、最初の映像《Anima》をArlington National Cemeteryの馬が夜の厩舎で眠りに落ちる姿として説明している*2。静止画と映像は、「相手の時間をどこまで待てるか」という同じ問いを異なる長さで扱っている。
肖像は、相手がこちらを認識する距離で成立する
Brooklyn Railのインタビューでデュマは、肖像を「被写体との適切な距離」によって定義し、動物はその境界を明確に知らせると語っている*3。彼女にとって親密さは、相手が撮影者の存在を感じている状態から生まれる。望遠による見かけの近さとは別の条件である。The Guardianでも、望遠レンズを選択肢から外し、数日間同じ馬のそばにいて静止する瞬間を待ったと説明している*1。構図や光の前に、相手とどこまで近づけるかという交渉が肖像の形式を決める。
仕事を終えた身体にカメラを向ける
《Anima》で選ばれたのは、アーリントン国立墓地で葬列の棺を運ぶ馬が夜の厩舎へ戻り、眠りに入る時間だった。公式ページでデュマは、覚醒と睡眠の間を、非常に親密で私的な瞬間として感じたと記している*4。De Pontの所蔵解説も、写真と映像の双方で、役務を終えた馬が次第にまどろむ姿を中心に紹介する*5。軍葬という重い社会的役割を直接見せる代わりに、役割から一時的に解放された身体を待つことで、その労働の重さが逆に伝わる。
見る側の感情が立ち上がる余白を保つ
動物の顔を見ると、人は「悲しい」「誇らしい」「穏やか」といった人間の感情語を当てはめやすい。デュマ自身は、作品が人間についての仕事でもあると認め、人間が動物へ自分を投影することを制作の一部として語っている*3。同時に、De Pontは彼女の写真に、皮肉や甘い感傷から距離を取る態度を見ている*6。その二つを合わせると、作品は見る側がどこから感情を読み込んだのかを自覚できる距離を保っている。
Anima — 軍葬を担う馬が眠りへ入る
《Anima》は、アメリカ陸軍のOld Guardに所属し、アーリントン国立墓地で軍葬の砲車を引く馬を撮ったシリーズである*7。The New Yorkerは、仕事を終えた馬が厩舎で休む時間へデュマが入り、近距離から撮影したことを紹介した*8。Washington Postの批評は、この題材が感傷性へ傾く危険と、肖像の慣習や擬人化を考えさせる力を同時に指摘している*9。作品の緊張は、軍事儀礼の象徴性と、眠気で力が抜ける個々の身体が同じシリーズに重なるところから生まれる。
Retrieved — 9・11救助犬を「事件の後」の時間で撮る
《Retrieved》では、2001年9月11日の救助・捜索活動に参加し、その後も生きていた犬たちを2010年代初頭に訪ねた*10。SFO Museumは、老いた犬の肖像を、忠誠、奉仕、時間の経過をめぐる静かな考察として紹介する*11。事件当日の劇的な画像を再掲する方法とは違い、写真には家庭で暮らす「その後」の身体が写る。歴史的出来事が記憶になるまでの十年を、毛並み、姿勢、老いとして見るシリーズである。
Companionから与那国島へ — ポラロイド、在来馬、映像
《Companion》は2002〜12年に撮られたポラロイドをまとめ、完成シリーズへ入る前の光、距離、場所の試行を一冊の流れとして見せる*12。その後、デュマは日本各地の在来馬、とりわけ与那国馬へ関心を広げた。Huis Marseilleの展覧会では《Shio》《Yorishiro》《Ao》の映像と写真、島で染められた布を同じ空間へ配置し、馬、少女、衣服、土地の色をつないでいる*13。公式の《Yorishiro》は、馬の衣装を着た少女を人間と動物の中間的な姿として設定する*14。 2020年の東京展《Bezoar》では《Shio》《Yorishiro》に馬に関わる民俗資料や布を加え、日本文化の中の人間と馬の結びつきを展示空間へ展開した *15。 Tomio Koyama Galleryは《Ao 青》を2015年から続く与那国島・沖縄の在来馬と少女のプロジェクトとして紹介し、2023年展では写真シリーズと映像を二つの会場に分けて提示した*16。
動物の「役割」を撮るシリーズが、家族と記憶へ広がる
2026年の《Entendue / The Brush in Your Hand》では、象の撮影と父から受け継いだカメラ、家族の記憶が同じ展覧会へ組み込まれた*17。Tomio Koyama Galleryは、動物との関係と世代間の継承を同時に扱う近年の展開として紹介している*18。長く続いた動物の肖像が、やがて「誰から見ることを受け取ったか」という撮影者自身の記憶へ戻ってくる。
人物肖像の作法で、一頭ずつの動物を見る
デュマは17世紀オランダ絵画との関係について、模倣よりも「見る方法」、構図、光、古典的な肖像のアプローチを共有していると説明する*3。警察馬や狼にも、人物肖像と同じく視線、距離、背景、光を一体ずつ調整する。そのため画面の中心には、その個体がその瞬間にどう立ち、どこを見ているかという差が現れ、「馬という種類」や「犬という役割」の平均像は後景へ退く。肖像写真の歴史で人間に与えられてきた個別化の作法を動物へ適用することが、彼女の写真を動物図鑑や野生動物写真から大きく隔てている。 Huis Marseilleも、彼女が一頭の動物と長い時間を過ごして個体差を捉え、古典絵画の肖像を参照しながら親密な画面を作る方法を記録している*19。
動物の労働、休息、老いまでを一つの関係として撮る
デュマが選ぶ動物には、警察犬、救助犬、軍葬の馬、森林作業の馬など、人間社会の役割を担う個体が多い。The Guardianで本人は、働く動物と社会の中での役割に一貫して関心があると説明している*1。公式ステートメントも、人間が動物を利用し、共生し、価値づける方法を制作主題として明言する*2。《Retrieved》では救助活動から十年後の老い、《Anima》では軍葬の仕事を終えた夜の眠りを撮る。労働の最中だけを象徴的に写す方法より長い時間を選ぶことで、役割を与える人間の制度と、その制度より長く生きる動物の身体が同じシリーズに現れる。
撮影者の身体も、肖像の距離を決める
デュマは「目線の高さ」を出発点にする。カメラの高さを馬や犬の顔へ近づけ、同じ目線から撮る*3。この行為は構図上の工夫であると同時に、撮影者がどこに立つかという身体的な選択である。ドキュメンタリー映画《Like an Animal》も、デュマが動物を観察し、考えを肖像へ翻訳する制作過程そのものを追っている*20。
写真集は、複数の個体差を保ったまま並べる
《Retrieved》には同じ災害へ関わった犬が並ぶが、各写真の家、光、老い方は異なる。《Companion》も十年分のポラロイドを、完成シリーズへ至る十年を、一つの独立した時間として編集する*12。GalleryViewerの近年のインタビューも、動物との複雑な関係を作品全体の長期的な主題として扱っている*21。シリーズは、似た役割を持つ動物の違いをゆっくり比較する形式として働く。
「かわいい」「高貴」といった言葉の前で、画面に留まる時間を長くする
動物写真は、見る側の感情が早く動くジャンルでもある。Washington Diplomatは、デュマの正式な肖像形式が、動物を単純な性格語へ押し込める見方を複雑にすると評した*22。TIMEが《Anima》を動物の悲嘆や感情の議論と結びつけたことも、作品が感情移入を強く誘う一例である*23。デュマの写真はその反応を受け止めつつ、背景の仕事、年齢、場所、撮影時間を併記することで、最初の感情語からもう一段長く見るための材料を残している。
- ジャン=リュック・ミレーヌ ― 動物との長期的な待機と個体への注意を比較できる。
- サンナ・カンニスト ― 自然史と写真装置の関係を別方向から扱う。
- 現代肖像写真 ― 人間の社会的アイデンティティを中心としてきた肖像の枠を再考する文脈。