ロイ・デカラヴァ(1919–2009)はアメリカ、ニューヨークのハーレム生まれ。Cooper Unionで絵画と版画を学び、Harlem Community Art Centerなどを経て、版画の資料として使っていた写真を1940年代末から主な表現にした。1952年にGuggenheim Fellowshipを受け、1955年にはラングストン・ヒューズとの写真集『The Sweet Flypaper of Life』を刊行した。ジャズ、家族、街路、労働、政治運動を長く撮影し、1975年以降はHunter Collegeで写真教育にも携わった。
20世紀半ばのアメリカでは、黒人コミュニティが貧困、犯罪、差別、抗議運動の証拠として、外部の報道機関から撮られる機会が多かった。デカラヴァはハーレムで育ち、版画家として美術教育を受けたうえで、家族、恋人、子ども、労働者、音楽家、政治運動を同じ生活の連続として撮った。黒人の暮らしを「社会問題を説明する写真」の材料にせず、家族、恋愛、音楽、仕事、政治を黒人自身の日常として、美術写真の構図・階調・プリントと同じ強さで表現した。 これが重要なのは、黒人を被害者や統計の例として見せる既存の報道表象に対して、生活の喜び、親密さ、疲労、音楽、沈黙までが同じ文化の内部にあると示したからである。深い暗部は「黒人性」を象徴させるために一律に暗くしたものではない。ハーレムの室内や夜の街を既存光で撮り、暗室で灰色から黒までの微細な階調を自分で調整した結果である。さらにKamoinge Workshopでは、黒人写真家が互いに批評し、自分たちの共同体を自分たちの視点で表すための制度づくりにも関わった。
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目次 · Table of Contents
ハーレムと美術教育
ロイ・デカラヴァは1919年にニューヨークのハーレムで生まれた。Cooper Unionで絵画と版画を学んだが、差別的な環境への不満からHarlem Community Art Centerへ移り、George Washington Carver Schoolでも学んだ。Whitney Museumは、そこでロメール・ベアデン、ジェイコブ・ローレンス、ラングストン・ヒューズらの仕事に接した経歴を整理している。*11 National Endowment for the Artsも、彼が絵画と商業イラストから出発しながら、次第に写真へ移ったことを記している。*25
Harlem Community Art Centerはニューディール期のWPAと結びついた文化施設で、黒人芸術家が教育と制作の場を持つための重要な拠点だった。Library of Congressは、デカラヴァがそこでロバート・ブラックバーンらと交流し、シルクスクリーンを学んだ経緯を記録している。*30 写真は社会運動の記録のために突然選んだ道具ではなく、絵画、版画、文学、音楽が近接するハーレムの文化環境から続く造形活動の一部だった。
黒人表象と写真制度
1952年、デカラヴァはGuggenheim Fellowshipを受けた最初のアフリカ系アメリカ人写真家となった。Guggenheim Foundationの記録でも同年のPhotography分野のフェローとして確認できる。*23 申請では、朝、仕事、家庭、遊びを含むハーレムの生活全体を撮りながら、それを「ドキュメンタリー」や「社会学的声明」だけにしたくないと書いた。*12 差別を消すのではなく、黒人の生活を差別の証拠だけへ縮めないことが制作目的だった。
この姿勢は、当時の写真界で黒人写真家が置かれた職業的条件ともつながる。MoMAのKamoinge研究は、デカラヴァがAmerican Society of Magazine Photographersで黒人写真家への差別をなくす委員会に関わった後、黒人写真家が自分たちで作品を批評し発表する場を作る動きへ参加した経緯を示している。*18 「内部から撮る」という作品上の問題と、誰が雑誌や美術館で写真家として承認されるのかという制度上の問題は、別々ではなかった。
National Gallery of Artは、1950年代から1980年代のBlack Arts Movementと写真を検討する中で、デカラヴァをKamoingeの写真家たちと同じ広い自己表象の歴史へ置いている。*29 ただしデカラヴァの重要性は、黒人写真に一つの様式を与えたことではない。黒人の日常を自分の経験から撮りながら、モダニズムの構図、暗室の階調、写真集、ジャズの時間感覚を自由に使えることを実践で示した点にある。
写真への転換
デカラヴァは当初、絵画や版画のための資料として写真を使い始めたが、やがて写真そのものへ集中した。National Gallery of Artは、1952年の助成を通じて自然光だけを使い、ハーレムの生活の複雑さを撮影したことを紹介している。*1 版画で版、インク、紙を調整した経験と同様に、写真でもネガを完成作とせず、露光、現像、焼き込み、印画紙を通して最終像を作った。
RISD Museumはデカラヴァを深い黒と繊細な灰色の階調で知られる作家として紹介している。*33 David Zwirnerの「Light Break」は、フラッシュより既存光を好み、暗部の情報をプリントで細かく調整したことを強調する。*12 その結果、写真は一目で情報を伝える報道画像とは異なり、暗い部分の中から顔、手、衣服、壁を探す時間を鑑賞者に要求する。この「見る速度」の違いまで含めて、デカラヴァの形式は社会的な表象と結びついている。
暗部と階調
デカラヴァのプリントは深い黒と狭い階調で知られるが、暗いこと自体が目的ではない。彼はフラッシュを避け、室内や夕暮れの弱い自然光を使う方法を選び、光量の少ない状況で目が徐々に形を見つける感覚をプリントへ残した*1。David Zwirnerの「Light Break」は、豊かな灰色から黒までの階調が、人物と都市を強い輪郭で切り分けず、光が現れる場所へ見る時間を集中させることを示している*12。《Shirley Embracing Sam》では抱き合う二人が暗部からゆっくり浮かび、身体の近さが説明的な表情より先に伝わる*3。
デカラヴァ自身も暗いプリントを固定した様式として説明していない。2001年のインタビューでは、写真の重要な特性を白と黒の対立より連続する灰色の階調に置き、メーカーが定めた「適正」なネガやプリントの基準に制作を従わせる必要はないと述べている。*34 暗室では数秒の露光差で像が「死んで」見えたり再び「生きて」見えたりすると語り、情報を多く見せることより、自分がその場で感じた光と空間に近いプリントを選んだ。*34 そのため暗部は、黒人の身体へ象徴的な意味を貼り付ける記号というより、現場の弱い光と暗室での判断を一枚に残すための具体的な制作工程として理解した方がよい。
ハーレムの日常
1950年代の米国写真では、黒人の生活が貧困、差別、抗議といった社会問題の証拠として流通する場面が多かった。デカラヴァはそれらの現実を無視せず、同時に家庭、恋人、通勤、子ども、音楽、街角の静けさを同じ重要度で撮った。1955年にLangston Hughesと刊行した『The Sweet Flypaper of Life』は、ハーレムの一家庭を語り手の声と写真でたどり、共同体を単一の問題へ縮めない構成をとる*17。MoMAの回顧資料も、この本を日常の親密さと文化的自己表現の重要な例として位置づけている*18。
ジャズと時間
ジャズ写真では有名な音楽家の顔だけでなく、休憩、練習、舞台袖、複数の奏者の身体を撮った。《Ellington Session Break》は演奏の外側にある時間を写し*5、《Oliver Beener Group #4》では暗い空間の中で楽器、腕、顔が分断される*4。後年の写真集『the sound i saw』は1960年代から撮った音楽家と街路の写真を本人自身が配列し、音、都市、黒人生活を視覚的なリズムとして結ぶ試みだった*14。
Richard Ingsは『the sound i saw』を、ジャズ奏者の肖像を集めた本ではなく、1950〜60年代の街路写真、演奏家、休止、身体、デカラヴァ自身の短いテキストを196点の流れとして編んだ「imagistic narrative」と分析している。*35 ここではジャズとの関係は、サックスやドラムが写っていることだけにない。演奏の合間、視線の外れ、黒い余白、場面の切断をページ順で反復することで、音楽の即興やブレイクに近い時間を写真集の編集で作っている。
プリントと自然光
デカラヴァの暗いプリントは露出不足を美学化したものではない。NEAは、室内や夜の場面で明暗を事実の記録より表現的な値として使い、画面の圧縮やフレームの構造まで一貫して設計した点を評価している。*25 自然光に限定する撮影と暗室での精密なプリントが一体になることで、黒い肌、暗い室内、街路の影を、フラッシュで均質化せずに残した。見る側は暗部へ目を慣らしながら像を読むことになり、その時間が写真の経験に組み込まれる。
『The Sweet Flypaper of Life』
『The Sweet Flypaper of Life』はHughesのテキストとデカラヴァの写真が交互に進み、写真の人物を匿名の「社会問題」にしない。NGAはGuggenheim Fellowshipで撮影したハーレムの多様な生活の一部がこの本へ結実したと説明している*1。写真集という形式によって、個々の写真が報道誌で切り離されて使われることを避け、家庭、通り、労働、遊びを一続きの生活として読ませた。
『The Sweet Flypaper of Life』は、デカラヴァが最初から物語に合わせて撮影した本ではない。1956年の『Aperture』評は、Guggenheim Fellowshipで作られた大量の写真を後からヒューズが選び、架空の語り手Sister Maryの物語へ編んだ経緯を記している。*31 近年の研究は、この構成を黒人共同体が自らを家族アルバムのように表す力として評価している。*32 同時に、写真単独なら説明が決まらない場面にもヒューズの言葉が具体的な家族関係や感情を与えるため、写真家と作家の二つの視点が常に一致するわけではない。この緊張を含めて読むと、同書の重要性は「良い写真に良い文章を添えた」ことより、黒人の日常を誰の声で、どの順序で読者へ届けるかを写真集の編集そのものが決めることを示した点にある。
《Coltrane and Elvin》
Smithsonian所蔵の《Coltrane and Elvin, New York》は、サックスとドラムの奏者を近距離から捉え、顔より楽器と身体の動きが画面を支配する*8。NGAの音楽家Christian McBrideによる解説も、デカラヴァのジャズ写真が音楽の感覚と視覚の構成を密接に結ぶ点を強調している*19。被写体の著名性を示す説明写真より、演奏が生む集中や間を一枚の光の配置に変えることが重要だった。
公民権運動
《Mississippi Freedom Marcher, Washington, D.C.》では公民権運動の歴史的な文脈を持ちながら、一人の人物の顔と姿勢が中心にある*9。政治的事件を避けたわけではなく、事件の意味を個々の人間の存在から切り離さない。Studio Museumの作家紹介は、ハーレムの生活、ジャズ、家族、政治的瞬間を横断する作品群を、黒人文化の内側から形成されたモダニズムとして扱っている*10。
ギャラリーと教育
1955年に刊行された『The Sweet Flypaper of Life』は、Simon & Schusterの復刊資料でも、デカラヴァの写真とラングストン・ヒューズの文章からなる1955年の共同制作として位置づけられている。*15 同年デカラヴァはA Photographer’s Galleryを開き、写真を壁に掛ける美術として展示する場を自ら運営した。*17 1963年に結成されたKamoinge Workshopでは初期の重要な指導者となり、Cincinnati Art Museumは彼をグループ形成期の主要なメンターとして位置づけている。*26 1975年からはHunter Collegeで教え、同校の大学院写真教育の基盤づくりに関わった。*24
黒人表象とモダニズム
デカラヴァは黒人写真家としての政治的立場と、階調、構図、プリントという形式上の問題を別々に考えなかった。1952年のGuggenheim申請でデカラヴァは、黒人生活を社会学的な資料として説明するのではなく、自分自身の経験から創造的に表現したいと記している*12。David Zwirnerの回顧資料は、彼が「ドキュメンタリー」や「社会学的声明」だけへ分類されることを警戒し、写真を独立した表現として追求した点を強調する*12。ここでは美的形式が政治から逃れるためではなく、黒人被写体を既成の図式へ閉じ込めないために必要だった。
Kamoinge Workshop
1960年代、黒人写真家たちはKamoinge Workshopを形成し、商業写真界や美術制度での排除に対抗しながら互いの作品を批評した。MoMAの回顧カタログは、デカラヴァがこの共同体と関わり、1969年のMet「Harlem on My Mind」をめぐる論争でも黒人写真家の主体性が争点になったことを記録する*18。後年のKamoinge再評価は、黒人写真史を個別の「発見された天才」ではなく、教育、批評、相互支援のネットワークとして見る必要を示している*21。
Kamoingeとの関係は、デカラヴァの方法が後続世代にどう読まれたかを具体的に示す。Cincinnati Art Museumの「Working Together」は、Kamoingeの写真家たちが、自分たちのコミュニティを主流メディアの固定観念に対抗して自分たちの言葉で表すことを重視し、影響源としてデカラヴァ、ゴードン・パークス、W・ユージン・スミス、カルティエ=ブレッソンらを挙げている*28。National Gallery of Artの「Photography and the Black Arts Movement, 1955–1985」も、デカラヴァをルイス・ドレイパー、ゴードン・パークス、ミン・スミスらとともに、黒人写真家が写真、出版、組織を通じて自己表象を作った広い歴史の中へ置いている*29。ここで重要なのは、後続の写真家が暗いプリントを真似したことではない。黒人の日常を誰が、どの立場から、どの形式で表すかを、黒人写真家自身が決めるという制作上の自律性が受け継がれた点にある。
Erina DuganneはKamoingeを「Black Aesthetic」の統一様式を作る集団としてではなく、黒人写真家が人種的な固定観念から自由に、自分たちの美的判断を議論する場として分析している。*36 この研究を踏まえると、デカラヴァの影響を暗い階調やハーレムという主題の模倣に求めるのは狭すぎる。重要なのは、黒人写真家が「黒人社会をどう撮るべきか」という外部の期待からも距離を取り、形式の選択を自分たちで批評できる条件を作ったことである。
暗いプリントの再評価
1995年のMoMA回顧展は、デカラヴァの約50年の仕事をまとめ、写真史の中心に位置づけた*17。その後の美術館・ギャラリーでの再検討では、暗部の美しさだけでなく、誰が誰を撮り、共同体をどのような言語で表すかという問題がより強く読まれている。The Metの《Edna Smith》や《Man with Portfolio》は、職業や属性だけで人物を説明せず、姿勢、服、室内の光へ時間を与える方法を確認できる*6。The Art NewspaperによるKamoinge展評も、黒人写真家の多様な形式を社会記録だけへ還元しない必要を指摘している*22。Estateの資料が継続的に作品と記録を整理することで、デカラヴァは「ハーレムの写真家」から、写真の階調、写真集、音楽、黒人表象を同時に再考した作家として読み直されている*16。
Andrew Wittは近年の『The Sound I Saw』と『Light Break』再刊を手がかりに、デカラヴァが長く写真史の中心から見えにくかったこと自体を受容史の問題として扱っている。*37 彼の接近したフレーミングと暗い階調は、私的な日常の触覚的な感覚を作る一方、集合的な不安や社会的不満も同じ画面に残す。親密さと政治性を二択にせず、同じ写真の中で両方が働くと読むことで、デカラヴァを「社会派」か「美的モダニスト」かのどちらかへ分ける必要がなくなる。
プリントと形式
MoMAの作家アーカイブは、デカラヴァが絵画・版画の訓練から写真へ移った経歴と、美術館での長い展示歴を確認できる*2。Charles Whiteとの関係は、黒人の人物像を芸術の中心に置く同時代の制作環境を考えるうえで重要で、MoMAの資料にも両者の接点が記録されている*20。The Metの《Man with Portfolio》では、職業や物語を説明しすぎず、人物の立ち姿、コート、紙の束、街路の光が同じ密度で置かれる*7。この抑制は、黒人の人物にあらかじめ社会学的な役割を割り当てないための形式でもあった。
後続世代への影響
David Zwirnerの作家ページと展覧会史は、Estateとの協働により未発表・再編集資料を含む再評価が継続していることを示す*13。『the sound i saw』の再刊情報では、デカラヴァ自身が1960年代に写真とテキストを組み合わせて構想した本が、長く完全な形では流通しなかった経緯を確認できる*15。この作品を加えると、ジャズ写真は有名演奏家の肖像シリーズではなく、街路、身体、休止、演奏、黒い余白を編集して「音を見る」試みとして位置づけられる。黒人の生活を自分たちの側から表すことと、写真集の順序、暗部、余白をどう使うかという形式上の判断は、別々の課題ではなかった。
デカラヴァの影響は、黒人家族の日常を政治と親密さの双方から捉える後続世代にも続いている。Milwaukee Art Museumの「Family Pictures」は『The Sweet Flypaper of Life』を出発点に、LaToya Ruby Frazier、Deana Lawson、Carrie Mae Weemsらへつながる系譜を示した。*27 Kamoinge Workshopを扱う近年の批評も、デカラヴァを黒人写真家の集合的な制度形成へつながる重要な先行者として位置づけている。*21 そのためデカラヴァは、ハーレムを撮った記録者としてだけでなく、黒人の日常を誰がどう表すかという問題を、プリント、写真集、教育、写真家の組織づくりまで含めて実践した作家として位置づけられる。
- アーネスト・コール ― 黒人生活 / 社会ドキュメンタリー
- W・ユージン・スミス ― ヒューマニスト写真 / Kamoingeへの影響源
- アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 街路写真 / Kamoingeへの影響源
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。