クルーニー・リードは、広告、雑誌、ポルノ、テレビ、ネット上の写真を取り込み、手書き、テープ、文字を加えて再撮影するイギリスの作家。《Take No Photographs, Leave Only Ripples》では加工後の像を一枚のプリントへ固定し、《Your Higher Plane Awaits》では銀色の反射面を使い、後には映像やアーティストブックへ展開した。既成写真をどの工程で加工し直し、どの支持体で再提示するかが制作の中心にある。
1980年代のピクチャーズ世代は、広告や映画、雑誌の既存画像を引用し、イメージが欲望や役割を作る仕組みを批判した。2000年代にリードが向き合った時には、その「引用して壊す」方法自体が、すでに批評的アートの見慣れた様式になっていた。リードは広告やポルノへ書き込み、再撮影していたが、2012年にはパンク/DIY風の外観やデトゥルヌマンが様式として読まれる限界を自ら指摘し、映像と文章へ比重を移した。既存画像だけでなく、それを批判するために自分が使っている手つきまで、再び疑う対象にした。アプロプリエーションを一つの完成した作風として固定しなかった点に、リードの仕事の違いがある。
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なぜ既存写真を使うのか――批判したい対象そのものが写真だから
リードはロンドンを拠点に、写真、コラージュ、映像、デジタルメディア、文字を横断してきた。公式略歴はプリントとデジタル画像の双方を扱う実践として紹介し、広告や出版物から得た画像を複数の形で使う活動歴を示している*1。BOMBのインタビューでは、広告、出版、テレビ、インターネットから像を借り、切断、書き込み、貼り込みによって美、性、アイデンティティに埋め込まれたメッセージを扱う作家として紹介されている*23。彼女が自分で新しい裸体や広告風写真を撮るのではなく、すでに流通している写真を使うのは、批判したい対象が「身体そのもの」ではなく、身体をこう見るべきだと教えてきた広告・ポルノ・雑誌写真だからである。ICAの2008年展は、タブロイド紙、雑誌、インターネットから集めた画像を、コピー、改変、拡大、反復して大型の壁面コラージュにする工程を具体的に記録している*5。元画像を作品の素材として残すことで、批判の対象と自分の介入を同じ画面で直接比較できる。
広告の暗示から、ネット上の露骨な自己表象へ
ICAの「Nought to Sixty」は、リードをプリントとデジタル環境を往復しながら既成イメージを扱う作家として位置づけた*4。その後参加したNew Museumの「Free」は、インターネットが情報の拡散と対人関係を変えた状況を扱う展覧会だった*24。BOMBでリードが具体的に指摘したのは、広告では暗示として包まれていた俗悪さが、ネット上の自己表象やグリーティングカードでは露骨な言葉や画像として現れるようになったことだった*23。したがって彼女の関心は「画像が増えすぎた」という一般論ではない。商業広告の言語が、企業から受け手へ一方的に届くものから、個人が自分自身や他人を表す言葉として反復されるようになった変化を追っている。
広告・ポルノ・セレブ画像――暗示をさらに露骨にする
リードは広告や雑誌、テレビ、ポルノ、セレブリティ写真など、身体の価値がすでに編集されたイメージを素材にする。Saatchi Galleryに残る本人の説明では、身体や物の広告イメージが私たちの世界観の形成にどう関わるかが主要な関心として語られている*9。BOMBでは、自分の操作を既存画像を「vulgarize(さらに俗悪にする)」行為として語り、《Window “Smoke” Square》では画面の各要素へわざと冗長なラベルを付け、見る行為そのものを露出させている*23。《Take No Photographs, Leave Only Ripples》でも、印刷画像、手書き線、文字、再撮影が一つの写真面へ固定される*10。既存画像に含まれる命令や性的な含意をさらに露骨な形で書き足し、その画像が何を当然視していたかを表面化させる。
パンク/DIYの見た目を、自分で捨てる
リードの線、テープ、ステッカーは、コラージュの継ぎ目を消さず、作業の速さと粗さを残す。Guardianは、作品が素早く作られ、失敗も消さずに残されるため、その表面が描くメディア世界と同じく不安定に見えると評した*15。Studio Voltaireも、パンク、DIY、ブリコラージュを背景に、セレブリティ、ポルノ、ファッション、漫画、美術理論が同じ画面へ持ち込まれる仕事として紹介している*11。しかし本人は2012年、パンク/DIYとの類似が「スタイル参照」として読まれやすくなり、デトゥルヌマンも曖昧さや矛盾を作れない場合には限界があると明言した*23。2012年に方法を変えた事実からも、リードが粗い見た目そのものを批評性とは見なしていなかったことが分かる。既存画像への落書きが「リードらしい様式」として容易に認識されるようになると、その方法は広告イメージを不安定にするより先に、作品の意味を予測させてしまう。だから彼女は、自分の代表的な見た目を守るより、映像や文章へ制作方法を変える方を選んだ。
再撮影――批判の書き込みまで一枚の複製画像にする
《Take No Photographs, Leave Only Ripples》では、見つけた写真へ直接介入し、それを再撮影・再印刷する。UAL Research Onlineはこの仕事を主要な研究成果として記録し、写真と手作業が複数段階で組み合わさる制作として位置づける*6。同大学の研究成果一覧では、この時期の写真、映像、出版がいずれも画像の再生産を扱う成果として並んでいる*8。Fotomuseum Winterthurが同作をコレクション解説の対象にしたことも、紙のコラージュだけでなく写真の複製過程を問う仕事として受容されたことを示す*18。再撮影が必要なのは、雑誌写真の上にある手書き線、テープ、ステッカーを「後から付けた注釈」のまま残さないためである。もう一度写真にすると、元画像と介入は同じ平面へ固定され、どちらも複製可能な一枚のイメージになる。批判する側の書き込みも、批判される広告写真と同じように再生産されうる画像へ変わるため、作品は「外から広告を裁く」構図に落ち着かない。
《Your Higher Plane Awaits》――銀面に鑑賞者を映し込む
《Your Higher Plane Awaits》では、銀色の反射性を持つ支持体や光沢面を使う。UALの記録は同作をリードの研究成果として位置づけ、写真・文字・反射面が組み合わさる構成を確認できる*7。Galerie Reinhard Hauffの作品画像でも、銀や黒の表面、手書き、写真断片が同じ画面に置かれ、見る位置によって周囲の光が変わることが分かる*19。そのため展示室の光や鑑賞者自身の姿が、広告・身体画像と同じ支持体上に反射して重なる。作品を見る人を画面の外に置いたままメディア画像だけを批判する構図を、素材の反射によって崩している。 photography-nowの記録では《Your Higher Plane Awaits》の支持体が「Digitaler Druck auf Silver MET」と明記されている。銀色の反射面は作品の実際の材料である*21。
『Faker Drinker Soldier Heiress』――写真と言葉をページ順で衝突させる
Book Works刊『Faker Drinker Soldier Heiress』は、広告、インターネット、雑誌、リード自身の写真とドローイングを素材にした64ページのアーティストブックである。出版社は、黒く塗られた面や鏡面のページに、画像、冗談、文字、ドローイングを重ねる構成を明記している*12。印刷仕様もオフセット印刷、特色2色、全面UVニスと記録され、壁面作品で使っていた光沢や反射を本のページへ移している。Book Worksの作家ページからも、リードが展覧会だけでなく出版を継続して制作媒体にしてきたことが確認できる*13。この本では、反射面の大型プリントで行っていた操作を、ページをめくる64ページの印刷物へ作り替えたことが具体的な変化である。
映像と言語へ――静止画をデジタル化し、別の時間で再編集する
リードの仕事は静止画からオンライン映像、編集されたテキストへ広がった。Rhizomeに保存された《Free》は、ネットワーク上の画像や言語を素材にした仕事として残されている*17。New Museumの「Free」という展覧会自体も、ウェブが情報へのアクセス、制作、対人関係を変える状況を展覧会の前提にしていた*24。BOMBで本人は、静止画のデジタル版を映像へ持ち込み、極端な画像や文章と組み合わせるようになったと説明し、映像を「静止していない画像」を扱う別の提示方法として位置づけている*23。紙の写真へ線を加えて再撮影していた工程は、映像作品ではデジタル化した静止画を時間軸上で並べ替える工程へ変わった。 Friezeが2013年の《In Pursuit of the Liquid》を評した際には、4面のスクリーンで子猫や女性像が反復され、その上にピンク色のテキストが流れ、ポルノのポップアップやチャットルーム由来の語句が再編集される構成が具体的に記述されている*16。
ピクチャーズ世代から受け継いだのは「引用」より自己関与
リードはシンディ・シャーマン、バーバラ・クルーガー、リチャード・プリンス以後のアプロプリエーションと関係づけられるが、本人がBOMBで強調したのは引用技法そのものではない。彼女がピクチャーズ世代に惹かれる理由として挙げたのは、単純な否定から、批判する主体自身がすでにそのシステムに組み込まれていることを認める批評への変化だった*23。The Photographers’ Galleryのコラージュ展やFOTOHOFの「Karaoke」は、既存画像の切断、再配置、再演という広い系譜の中へ彼女を置いている*14。リードの場合、広告写真を外から指差して「偽物」と暴くことが目的ではない。自分も同じ広告、ポルノ、ネット画像を見て意味を学んだ側であることを前提に、その画像へ書き込み、再び流通させるところから批評が始まる。 FOTOHOFの「Karaoke: Bildformen des Zitats」への参加は、リードの仕事が既存画像の引用と再演を扱う国際的な展覧会文脈でも提示されたことを示す*20。
粗いコラージュから映像・文章へ――方法を固定しない
リードの展覧会歴にはICA、Tate Britain、New Museum、Fotomuseum Winterthurなどが並び、写真、映像、インスタレーションを横断する実践として発表されてきた*2。Tate Britainの「Art Now」でも、ジェームズ・リチャーズとともに写真コラージュとメディア画像を扱う作家として紹介された*22。制度的な評価を得た後も、本人は初期の見た目を固定しなかった。2012年のBOMBでは、パンク/DIYやデトゥルヌマンが十分に固有ではなくなったと認め、より極端な画像、映像、文章へ仕事を変えていると具体的に説明している*23。「荒らした写真」という初期の外観が固有性を失うと、リードはその外観自体を手放した。この判断が、映像と文章へ進んだ理由を具体的に説明する。 公式サイトでも写真、映像、出版を含む作品と展覧会歴が同じ活動としてまとめられており、媒体を一つに固定しない現在までの実践を確認できる*3。
- シェリー・レヴィーン ― 再撮影とアプロプリエーションの先行例。リードでは手書きや汚れ、性的な俗語がより露骨に表面へ残る。
- ピクチャーズ世代 ― 既存のメディア画像を引用し、表象の制度を批判する重要な先行文脈。
- コンセプチュアルアート ― 写真を透明な記録ではなく、複製・言語・展示の仕組みとして扱う背景。