アナ・トルフスは、裁判記録、戯曲、映画、日記、植民地資料など既存の言葉を、俳優の顔、スライド、映像、字幕、音声と組み合わせるベルギーの作家。《Du mentir-faux》《Anatomy》《Displacement》を中心に、証言と顔、原文と翻訳、写真と記憶が一致しないとき、歴史がどのように読まれるかを扱う。
従来のドキュメンタリーや裁判記録では、写真、証言、キャプションは同じ出来事を特定するために互いを補強する。トルフスはその結び付きを意図的に外し、証言を別の俳優に語らせ、顔、声、字幕、史料を別々の場所へ配した。すると写真は「証言を裏づける図版」ではなく、「証言が誰の声で、どの言語で、どんな制度を通って意味になるかを調べる場」になる。写真の証拠らしさを曖昧な画面で壊すのではなく、明晰な顔と正確な言葉が一致しない構造を作った点が、彼女の重要な変化である。
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コミュニケーション科学と映画・ビデオ――言葉と像を並行して学ぶ
トルフスは1963年ベルギーのモルツェルに生まれ、1981年から1986年までルーヴェン大学でコミュニケーション科学を学び、続いて1986年から1990年までブリュッセルで映画とビデオを学んだ*22。公式略歴は、写真、映像、スライド、テキスト、音声、タペストリーなど複数の形式を通じて、知覚、記憶、表象、イメージの構築を長く扱ってきたことを示している*1。DAAD Artists-in-Berlinも、人物像と写真/テキストの関係、現実と知覚のずれを彼女の制作の中心に置いている*3。この教育背景は、写真を単独の視覚媒体として扱うより、言葉が像の意味をどう方向づけ、映像が言葉の時間をどう変えるかを同時に考える方法につながった。
1990年代以後のアーカイブ、再演、映像インスタレーション
トルフスが活動を本格化した1990年代には、現代美術の中で既存の文書、映画、裁判記録、歴史資料を再編集し、展示空間で読む実践が広がっていた。WIELSは、彼女が見つけたテキストや画像を使い、言語、表象、翻訳、視覚化の相互作用を作品化してきたと説明する*2。MACBAも、記憶と歴史の伝達、言葉とイメージの隔たりを、写真と映像を通して検討する作家として位置づけている*4。MUACはさらに、彼女の仕事を「見ること」と「知っていると思うこと」の差から捉え、言語が知識を作り、植民地主義的な分類や命名にも関わってきた歴史を重要な背景としている*25。この文脈では、アーカイブは過去の事実をそのまま保存する箱ではなく、誰が分類し、翻訳し、再演するかによって意味が変わる場所になる。後の《Displacement》でロベルト・ロッセリーニの《イタリア旅行》をスライド写真と音声へ分解したことも、映画史を引用する以上に、既存の物語を別の媒体へ移すと何が残り、何が失われるかを問う実践として理解できる*24。Generali Foundationはこの作品をロッセリーニ作品の「photographic remake」と位置づけており、映画、写真、音声を分離して再構成する方法を、彼女の長いテキスト/イメージ研究の一部として示している*23。
《Du mentir-faux》――ジャンヌ・ダルク裁判の証言と顔を切り離す
《Du mentir-faux》はジャンヌ・ダルク裁判の記録をもとに、証言の質問と回答を演出された白黒肖像やスライドへ配置した初期の重要作である。公式作品ページは、俳優が証言者になり代わることで、文書から「真実」へ直接到達できるという期待を揺さぶる構造を説明している*5。関連刊行物では、トルフス自身がジャンヌを国家的象徴としてより、権力装置の中で身体を持つ個人として捉えていた背景が示される*6。写真が曖昧なのではない。顔は鮮明に写り、言葉も史料に基づく。それでも両者の対応が人工的だからこそ、証言の信憑性が「誰が話したか」「誰の顔を見るか」に依存することが露出する。
《Anatomy》――ローザ・ルクセンブルク事件を「解剖」する
《Anatomy》では、1919年のローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒト殺害をめぐる裁判資料をフライブルクの軍事アーカイブで調査し、25人の俳優が証言を語る映像と17枚のスライド肖像を組み合わせた*7。公式刊行物は、同じ出来事が異なる証言者の角度から断片化され、言語が一つの客観的な物語へ収束しない構造を示す*8。Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenは、解剖学講堂を舞台にしながら実際に「解剖」される対象が画面に存在せず、鑑賞者の頭の中で証言をつなぐことで歴史的責任の像が作られると説明している*9。
声と顔を同期させない――写真を読む速度を遅くする
Diaの《Approximations/Contradictions》では、ハンス・アイスラーの『Hollywood Songbook』を21人の演者が歌い、三つの異なるヴァージョンが肖像的なフレーミングで提示される*10。Diaの資料は、この作品が調査を出発点にし、音楽、人物の微細な表情、歴史的な歌詞の間に複数の読みを生むことを示す*11。トルフスにとって映像や写真は、情報を素早く伝える図版ではない。声と顔、字幕と画像、史料と演技の同期をわざと弱めることで、鑑賞者が「見たから分かった」と通過できない時間を作る。
《The Parrot & the Nightingale》――コロンブスの日記、植物、翻訳
《The Parrot & the Nightingale, a Phantasmagoria》はコロンブスの日記を手がかりに、言葉の反復、翻訳、植物、植民地的な分類を組み合わせる。公式ページは、キューバの植物園とサトウキビ農園・奴隷制の歴史を背景に、画像と文章が互いを説明しきらない構成を示す*12。続く《TXT (Engineered by)》では、植民地主義、交易、奴隷制、搾取をめぐる語が空間を移動し、言葉そのものが歴史を運ぶ物質として扱われる*13。ここでは写真の役割も、植民地の「証拠写真」を提示することより、現在撮られた植物や場所を過去の語彙と並べた時に、何が見えるようになるかを試すことにある。
《Echolalia》――反復と翻訳を展示空間へ拡張する
WIELSでの個展《Echolalia》は、スライド、音声、写真、映像、シルクスクリーン、タペストリーなど異なる支持体を横断し、言葉とイメージが反復のたびに別の意味を持つ構成をまとめた*2。同展の刊行物も、作品を一つの媒体へ還元せず、翻訳、歴史的な声、引用の反響として読むための資料を提供している*14。そのためトルフスの写真を理解するには、一枚の完成度だけを見るより、隣の文章、投影の順番、音声の遅れ、鑑賞者が移動する時間まで含めて「写真がいつ証拠に見えるのか」を考える必要がある。《Echolalia》という題名自体も、聞いた言葉を反復する現象を指す。彼女の作品では引用は原典を忠実に保存するだけの行為ではなく、別の声、別の媒体、別の時代に移された時に意味が変化する出来事として扱われる。
なぜ写真なのか――演劇の身体と史料の文字の間に置けるから
BOZARのインタビューでトルフスは、1986年にブリュッセルで映画を学び始めたこと、既存テキストの断片を集め、声によって再び生かす方法、制作に時間をかけて連想を結晶化させる姿勢を具体的に語っている*15。Dutch Art Instituteの紹介は、再生産可能なメディアを使いながら、言語と視覚化、解釈と翻訳を作品の構造へ組み込む点を強調する*16。写真は、舞台の演技のように人物を配置できる一方、裁判記録のように「事実の痕跡」にも見える。その二つの性格を同じ画面で衝突させられるため、トルフスの主題に適した媒体になっている。さらに静止画は、声が流れ去った後にも顔を留める。鑑賞者は語られた内容と残り続ける顔のどちらを証拠として信じるかを繰り返し判断させられる。
映像作家としてだけでなく、「写真の証拠性」を更新した作家として読む
ARGOSはトルフスを1990年代初頭から、文学・歴史資料を出発点に、写真、スライド、音、映像、印刷物を精密に構成してきた作家として記録している*17。同館の《ANATOMY》展資料は、25人の俳優による証言映像、17人の白黒スライド肖像、英語通訳を別の層として組み合わせ、言語が客観的ではありえないことを展示の配置で示したと説明する*18。こうした背景を踏まえると、彼女を「アーカイブを使う映像作家」とだけ呼ぶより、写真が歴史を示す時に発生する権威を、声、字幕、演技、翻訳によって細かく分解した作家として写真史へ置く方が重要である。写真の沈黙と証言の時間を分けることが、映像へ統合するよりも強い緊張を生んでいる。鑑賞者は資料の受け手であると同時に、断片を照合して暫定的な歴史像を作る編集者の位置にも置かれる。結論が展示の外から与えられないため、読む速度と判断そのものが作品経験の一部になる。
評価と広がり――読むことを鑑賞の中心に置く
Pori Art Museumでの展覧会紹介は、トルフスの作品における分析的な構造と、写真・文章・投影が重なる語りの複雑さを評価している*19。University at Buffalo Art Galleriesの展覧会ガイドでは、《When You Whistle, It Makes Air Come Out》の呼吸音とピアジェ由来の文章が、身体感覚と言語理解のずれを作る例として扱われる*20。21世紀写真の国際的な動向を集めた『Photo Art』にも収録されており、写真が単独のプリントからインスタレーションへ広がった時代の位置が確認できる*21。トルフスの作品は答えを隠すために難解なのではなく、歴史的事実へ到達するまでに必ず存在する翻訳者、証言者、編集者、鑑賞者の仕事を消さない。その点で、写真を「見る」行為を「読む」行為へ接続した。
- ソフィ・カル ― 写真と文章の間に情報の欠落や視点の差をつくり、読む行為を作品へ組み込む比較対象
- タシタ・ディーン ― アーカイブ、失われた出来事、フィルムの時間を扱う同時代の作家
- アトラス・グループ/ワリド・ラード ― 歴史資料と虚構の制度を通して、アーカイブの権威を検討する関連作家
- アンリ・サラ ― 言語、映像、歴史的状況のずれを音と時間の構成から扱う同時代作家