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PHOTOGRAPHERS/MASASHI ASADA ·家族写真 ·UPDATED 2026.08
MA
§ 293 — Photographer Index — 家族写真

浅田政志

Masashi Asada 1979–
Country日本 Period2010 — 2020s ChannelFamily / Participation
Abstract

浅田政志は、自身を含む家族が消防士、バンドマン、ラーメン店などの役を演じる写真集『浅田家』で知られる写真家。卒業制作を起点に、自分の家族から他者の家族へと撮影を広げ、相談、衣装、小道具、撮影時間まで参加者と共有する記念写真を続けてきた。東日本大震災後の『アルバムのチカラ』では、泥をかぶった写真の洗浄と返却を記録し、家族写真を撮影時の表現だけでなく、保存され、見返され、持ち主へ戻る物として扱っている。

この写真家が変えたこと

浅田が家族写真に加えたのは、家族に起きた出来事を残す写真から、写真を撮るために家族が集まり、一緒に出来事を作る写真へ変えたことである。『浅田家』では、家族全員が役を相談し、衣装や場所を準備し、撮影に時間をかける。その結果、写真には架空の職業や場面だけでなく、その日に家族四人が一緒に演じた事実も残る。さらに『アルバムのチカラ』では、自分が新しく撮ることから離れ、すでに誰かが撮った写真を洗浄して持ち主へ返す現場を追った。浅田は家族写真を、出来事の記録、撮影そのものの記念、撮影後に残される物という長い時間の中で扱ってきた。

Keywords 浅田家 家族写真 セットアップ写真 アルバムのチカラ 写真洗浄 記念写真 参加型写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

写真を選んだ理由

浅田は三重県に生まれ、中学生の頃に父からカメラを譲られたことをきっかけに写真へ親しみ、日本写真映像専門学校へ進んだ。卒業後はいったん三重へ戻り、進路を定めずに過ごす時期もあったが、自分が楽しいことを考えたときに「写真」しか思いつかなかったと振り返っている。*1 その後は東京の撮影スタジオで働きながら、休みをまとめて三重へ戻り、のちの『浅田家』となる写真を撮りためた。*2 森山大道については、写真だけでなく、街を歩いて撮影し、現像とプリントを繰り返す生活そのものに憧れていたと述べている。*3

家族写真との接点は家庭内にもあった。父は兄弟が幼い頃から行事や誕生日を撮り、成長後も毎年の年賀状用に家族写真を残していた。*4 浅田は後年、年に一度でも撮り続ければ十年、二十年の家族の変化が写真として残ると語っており、家族写真を一回限りの記録ではなく、時間を蓄える習慣として捉えている。*4

家族を選んだ理由

制作の直接の起点は、写真学校で出された「一枚の写真で自分を表現し、それを大きく引き伸ばす」という課題だった。何を撮るか考える途中で、浅田自身が「もし一生に一枚しか撮れないなら何を撮るか」と問い、家族を選んだ。さらに撮影者として画面外にいるより、自分も家族の一員として写りたいと考え、父、兄、自身が相次いで怪我をした記憶を、母が勤めていた病院で家族四人と再演した。*2 セルフタイマーによって浅田自身も画面に入り、過去の出来事を演じ直した一日が新しい家族写真になった。

実際の思い出を再演する方法はやがて題材が尽き、浅田は「過去」から「未来」へ発想を変え、消防士、バンドマン、ラーメン店など、家族がなっていたかもしれない役を考えるようになった。*1 役を考え、場所を探し、衣装を用意し、撮影するまでに費やした時間そのものを、浅田は後から写真によって思い出せる価値として語っている。*5 演出は架空の場面を作るためだけの仕掛けではなく、家族に新しい共有体験を作る方法になった。

先行する家族写真と演出

浅田自身は後年のインタビューで、シンディ・シャーマン、森村泰昌、澤田知子のような変装や自己演出、深瀬昌久、長島有里枝らの家族をめぐる写真を先行例として挙げている。*2 家族やコスチュームを被写体にしたこと自体が新しかったわけではない。作者一人が複数の役を演じるセルフポートレートや、家族の私生活を観察する写真に対し、浅田では家族全員が設定、準備、演技を共有し、撮影のための出来事を共同で作る。

2009年の飯沢耕太郎によるレビューは、初期の「みんな家族」をやなぎみわの演出作品と比較しつつ、浅田の作り込みを日常の延長にある「ゆるい」設定として捉え、その軽さの背後に同時代の家族像へのシニカルな感触も読み取った。*6 親しみやすい記念写真の形式と、家族が社会的な役を演じる不自然さが同居することは、その後の批評でも繰り返し論じられている。

§ 02 / 04 表現の核心

『浅田家』の演出と記念写真

『浅田家』は設定された写真だが、浅田は一つの場面を一回で決めず、家族が役に慣れるまで時間をかけて複数枚を撮り、その中から写真を選ぶと説明している。*7 撮影中には表情、失敗、間の取り方が変化し、あらかじめ決めた役と、その場で実際に起きた家族の反応が同じ写真に残る。

浅田自身は、撮影に時間がかかること、その時間を後で写真から思い出せることを作品の価値として語っている。*5 完成した写真には架空の場面が写る一方、その写真を作るために家族が集まり、準備し、演じた時間は現実の出来事である。演出と記念写真は対立せず、演出する行為そのものが新しい記念を生む構造になっている。

家族との共同制作

自分の家族以外を撮る「みんな家族」や「私の家族」では、浅田は家族のアルバムや過去の写真を手がかりに、本人たちがどの記憶を共有しているかを聞きながら撮影内容を組み立てている。*7 水戸芸術館の「私の家族」参加企画も、写真と参加者自身の文章を組み合わせ、撮影を浅田と参加者の「共同作業」として募集した。*8 被写体側の記憶や言葉が設定へ入り、撮影者だけで写真の意味を決めない仕組みが作品の一部になっている。

浅田は、自分だけのアイデアで進めると写真が硬くなることがあり、その場にいる人の提案を受け入れた方が写真が良くなると話している。*4 演出を隠して「自然な家族」に見せるのではなく、何を演じるかを参加者と決める。家族写真の成立に、撮られる側の記憶、希望、遊びが直接入ることが、浅田の共同制作の具体的な特徴である。

写真洗浄と「残す」写真

東日本大震災の直後、浅田は写真家仲間と「写真で何ができるか」を話し合ったが、住居や食料が不足する被災地へ撮影に行くことが直接の助けになるとは考えず、まずボランティアとして現地へ入った。そこで津波で泥をかぶった写真を洗浄し、持ち主へ返す活動に出会ったことが『アルバムのチカラ』へつながった。*9 被災地を新しく撮るより、すでに存在する写真を救う側へ入った経験は、浅田の家族写真の対象を撮影後の時間へ広げた。

赤々舎の『アルバムのチカラ 増補版』は、編集者の藤本智士とともに各地の写真救済の現場を記録した仕事として刊行されている。*10 水戸芸術館で浅田は、瓦礫の中でもアルバムが別に取り分けられていたことから、プリントされた写真が所有者以外にも「捨ててはいけないもの」と判断させる力を持つことに注目している。*11 写真の価値は像の完成度だけに置かれず、誰かの時間を記録した物が残り、探され、持ち主へ返される過程にも置かれている。

§ 03 / 04 代表作・写真集・展示

『浅田家』

写真集『浅田家』は2008年に赤々舎から刊行され、翌年、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞した。*12 消防士、バンド、レーサー、ラーメン店など、家族四人が毎回別の役を演じるシリーズは、同じ人物が繰り返し登場することで、衣装や設定が変わっても一つの家族写真として連続する。公式作品一覧では、その後の『NEW LIFE』なども含め、家族の変化を長期にわたって撮り続ける仕事として整理されている。*13

2021年の「私の家族」展は、父の年賀状、写真学校時代の卒業制作、『浅田家』『みんな家族』『アルバムのチカラ』、開催地で撮り下ろした新作まで約150点を並べた。*14 この構成は、『浅田家』が孤立したヒット作ではなく、家庭内の記念写真から他者の家族、被災写真の保存へ続く制作の起点として位置づけられていることを示す。

『みんな家族』『私の家族』

「みんな家族」は、自分の家族で確立した方法を他者の家族へ適用したシリーズである。2009年の初期レビューでは、まだ15点ほどだったこの仕事が『浅田家』の次の展開として注目されていた。*6 その後の「私の家族」では家族を一枚の集合写真だけで定義せず、参加者が選ぶ関係や語りとともに撮影する方法へ展開した。*15

水戸芸術館の「だれかのベストアルバム」では、浅田の代表作だけでなく、一般参加者の写真や文章、写真をめぐるワークショップが展覧会へ組み込まれた。*16 作品を見る場と、自分の家族写真について語る場を同じ展覧会に置くことで、家族写真を作家の作品だけに限定しない構成が取られている。

『アルバムのチカラ』

『アルバムのチカラ』は、東日本大震災の津波で被災した写真を洗浄し、持ち主へ返す人々を追った仕事である。*10 筑波大学でのトーク記録は、浅田が岩手県野田村で写真洗浄と返却の現場を継続的に見たことを伝えている。*17 ここでは浅田が撮影した写真以上に、名もない撮影者が以前に残した家族写真が中心にあり、作者性より写真の保存と所有の問題が前面に出る。

『浅田撮影局』と展覧会

『浅田撮影局 まんねん』では、浅田自身が地元の写真館の二代目という架空の役を引き受け、写真館の記念撮影を家族とともに演じ直した。*18 写真館という家族写真の古い制度を題材にすることで、『浅田家』のセットアップは家庭内の遊びから、誰が誰の記念を撮るのかという職業写真の問題へ接続する。

「Family Photo Tree」、キヤノンの「私の家族」、KAATの「YOKOHAMA PHOTOGRAPH」などでは、地域や組織の参加者を募って撮影するプロジェクトが続いた。*19 KAATでは「わたし/わたしたちのいま」を主題に参加型で肖像を制作しており、血縁家族だけを対象としない記念写真の実践が確認できる。*20

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

『浅田家』と家族という役割

高嶋慈は「家族と写真」展のレビューで、家族が消防隊や政治家、ヒーローといった固定化された役を演じることを、家族そのものも社会的な役割として演じられるフィクションだと読む。*21 『浅田家』のコスプレには仲の良さを示す遊びと同時に、「父」「母」「兄」「弟」といった家族内の役割も社会的な型を帯びているという問題が現れる。

飯沢耕太郎は2016年の「ほぼ家族。」展について、浅田が記念写真にこだわり、撮り手とモデルの共同作業によって本来は当事者にしか意味を持たない写真を第三者にも開いたと評価した。*22 家族像を演じることへの批評と、実際に一緒に撮った時間を残す記念性が、同じセットアップの中に併存している。

私写真・セルフポートレートとの違い

家族を内側から撮る写真は、日本写真史でも深瀬昌久や長島有里枝など多くの先行例がある。浅田自身もそうした先行作家を意識していた。*2 浅田の場合、家族の私生活を暴露的に記録することより、撮影のために新しい場面を作ることへ重点が置かれる。またシャーマン、森村、澤田の変装写真と比べると、作者一人のアイデンティティを複数の役へ変えるより、複数人が同じ設定を共有し、一枚の中で「家族」という集団を作る点が異なる。

初期評価とその後

『浅田家』の受賞直後には、強いアイデアが一作で尽きるのではないかという批評もあった。飯沢は2016年のレビューで、当初「一発屋」を危惧したことを明記したうえで、その後『NEW LIFE』『卒業写真の宿題』『アルバムのチカラ』などへ制作が展開したことを評価している。*22 2009年の同じ批評家のレビューでも、『浅田家』の反復より、他者の家族を撮る「みんな家族」に次の可能性を見ていた。*6

後年の仕事では、コスプレという視覚的なアイデアより、記念写真を他者の家族、地域、写真館、災害後のアルバムへ適用できる方法として継続したことが評価の中心になっている。『浅田家』の形式を繰り返すより、「誰と写真を作るか」「撮った写真がその後どう残るか」へ制作範囲が広がった。

写真史上の位置

浅田が家族写真へ加えたのは、新しい被写体や特殊な撮影技術ではない。『浅田家』では、家族が撮影のために集まり、役を考え、演じた一日そのものを記念にした。「みんな家族」「私の家族」では、その方法を他者の記憶と共同制作へ広げた。『アルバムのチカラ』では、撮影から何年も経った写真が洗浄され、持ち主へ返される過程を扱った。家族写真を、撮る瞬間だけでなく、作る時間、所有する時間、見返す時間まで含むものとして一貫して扱っている。

水戸芸術館の「だれかのベストアルバム」は、浅田の全シリーズに加え、「私の家族」の参加者による文章や、震災後の写真返却活動を同じ展覧会へ組み込んだ。*16 美術館で展示される作家作品と、家庭で保管される記念写真、撮影後に残るプリントの時間を連続して扱う構成は、浅田の制作が「誰をどう撮るか」だけでなく、「写真が誰のものとして、どのように残るか」まで対象にしてきたことを示している。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • シンディ・シャーマン ― 変装によるセルフポートレートの先行例。浅田自身が、個人が役を演じる写真の先行作家として意識していた。
  • 森村泰昌 ― 美術史上の人物へ自己を重ねる変装写真の先行例。浅田では一人の自己変身より家族全員の共同演技が中心になる。
  • 澤田知子 ― 証明写真や見合い写真など社会的な肖像形式と変装を扱う同時代の比較対象。
  • 長島有里枝 ― 家族と私生活を内側から撮る日本の現代写真の先行例。浅田は私生活の観察より、新しい記念写真を作る方向へ進んだ。
  • グレゴリー・クルードソン ― 演出写真で接続するが、浅田は共同制作と記念へ向かう
  • リネケ・ダイクストラ ― 肖像と身体の社会的意味を考える近接点
Movements / Contexts
  • ステージド写真 ― 撮影前に場面を構成する方法。浅田では演出の決定に被写体側が参加し、記念写真の共同制作へつながる。
§ REF さらに読む
§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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