イヴ・サスマンは、歴史絵画、俳優の演技、監視カメラ、長回し、アルゴリズム編集を横断してきた映像・写真作家。《89 Seconds at Alcázar》《The Rape of the Sabine Women》《whiteonwhite:algorithmicnoir》を軸に、Rufus Corporationとの共同制作と、静止した構図が時間の中でどう成立するかを探る。
それ以前のステージド写真では、衣装、セット、照明、演技を使って「完成した一枚」を作る方法がすでに発達していた。サスマンは、その完成像を映像の時間へ開き、人物が集まる前、構図が一瞬だけ成立する時、散った後までを見せた。つまり、タブローを「出来上がった写真」から「身体と時間によって一時的に成立する像」として考え直した。写真と映画の境界で重要なのは動画を使ったこと自体ではなく、一枚の写真が切り捨ててきた前後の時間を、構図の一部として見えるようにした点にある。
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写真から映像へ――ベニントン、監視カメラ、1990年代ニューヨーク
サスマンはBennington Collegeで写真と版画を学んだが、映像への移行は写真を捨てる形では進まなかった。本人は高校時代からSuper 8や安価な監視カメラを使い、1997年のニューヨーク個展やイスタンブール・ビエンナーレでは複数のライブ監視カメラで鳥や鑑賞者を同時に観察するインスタレーションを制作したと振り返っている*18。 Smithsonian American Art Museumの作家ページも、写真、映画、映像、インスタレーションを一つの制作史として扱っている*1。Skowheganの2005年講義要約でも、彫刻から映像・映画への移行と、日常の凡庸な動きを観察するための監視カメラが連続した関心として記録されている*22。ARTDISTRICTSのインタビューでも、この移行を、手に入りやすいカメラを使い続けた結果としての有機的な変化と説明している*17。2002年にサスマンも参加したSmack Mellonの「Eyestalk」は、監視カメラや映像技術によって人間の視野が延長される一方、それが理解、所有、管理まで拡張するのかを問う展覧会として企画されていた*25。つまり彼女の監視カメラへの関心は、単にローテク機材が好きだったという話に収まらず、1990年代末から2000年代初頭に、カメラが「離れた場所を常時見る装置」へ変わっていく画像環境の中にあった。ARTPULSEのインタビューで本人が「《Las Meninas》は大きな監視の場面」と述べ、《89 Seconds》が監視への関心から生まれたと説明していることも、この連続性を裏づける*21。後の《89 Seconds at Alcázar》で一枚の絵の前後を監視するようにカメラを動かした時、その方法は突然生まれたのではなく、人や動物の小さな身振りを長時間見続ける初期制作から連続している。
ステージド写真の成熟と、動画タブローが現れた2000年代
サスマンが《89 Seconds at Alcázar》を発表した2000年代初頭には、ステージド写真はすでに長い歴史を持ち、1970年代以後にはシンディ・シャーマン、ジェフ・ウォール、グレゴリー・クリュードソンらが、映画や美術史の記憶、セット、演技を一枚の写真へ組み込んでいた。「Acting the Part: Photography as Theatre」は19世紀から現代までの演出写真をたどり、シャーマンやウォールらと同じ展示の終点近くにサスマンの《89 Seconds》を置いた*23。National Gallery of Canadaの年次報告も、同展をステージド写真の変遷を歴史的に検討した展覧会と説明し、サスマン、ビル・ヴィオラ、アダド・ハンナの映像インスタレーションに特別な展示設計が必要だったことを記している*24。2004年のWhitney Biennialで《89 Seconds at Alcázar》が発表されたことは、写真、映画、ビデオ、インスタレーションが同じ現代美術の場で扱われる状況を象徴する出来事の一つだった*3。Museo Reina Sofíaも同作を、ベラスケスの絵を一種の「撮られた瞬間」と見なし、その直前と直後を想像する試みとして説明している*4。サスマンの位置は、ステージド写真の演出性を受け継ぎながら、その完成した一枚を時間の流れへ戻したところに見える。
長回しのカメラが、ポーズと画面外を同時に見せる
《89 Seconds at Alcázar》では360度の連続したカメラ移動によって、鑑賞者は既知の構図だけでなく、その周囲で待機し、歩き、視線を交わす人物を追う。Rice Galleryの記録は、サスマンが小さな身振りと、場面が集まりまたほどける瞬間に強い関心を置いていたことを伝える*5。National Museum of Women in the Artsの解説も、カメラの視点そのものを活性化し、人物の行為と画面の成立を同時に経験させる作品として紹介している*6。写真であれば結果として残るポーズが、ここでは撮影前の準備、演技中の緊張、解散まで含む時間へ引き伸ばされる。
Rufus Corporation――共同制作を構図の内部へ入れる
サスマンの大規模作品は、俳優、建築、衣装、音楽、撮影、編集を分業するRufus Corporationとの共同制作で成立した。Smart Museumは《89 Seconds》から《The Rape of the Sabine Women》への展開を、歴史絵画を起点とする大規模な映像制作として整理している*7。同館の作家紹介では、Rufus Corporationが多分野の参加者によって形成され、制作そのものが一人の作家の手作業から映画制作に近い集団的工程へ広がったことが確認できる*8。インタビューでは、脚本を固定しきらず、調査した資料と演者の即興を組み合わせる方法が語られており、完成したタブローの背後にある交渉や偶然を作品へ残す姿勢が見える*9。
歴史画から1960年代の身体へ――《The Rape of the Sabine Women》
《The Rape of the Sabine Women》はジャック=ルイ・ダヴィッドの絵画とサビニの女たちの物語を出発点にしながら、舞台を1960年代のドイツとギリシャへ移し、古代の物語を現代的な集団行動、欲望、暴力、倦怠へ接続した。Hamburger Bahnhofは、ダンス、写真、音楽、建築を組み合わせた五幕の作品として紹介し、権力、孤独、攻撃性、欲望がモダニズム建築の空間で展開すると説明している*10。SFMOMAでの上映記録も、この作品を長編の映像作品として同時代の美術館文脈へ位置づけている*11。Nasher Museumが所蔵する関連写真は、映像の一場面が独立した写真としても成立し、サスマンの仕事で静止画と動画が往復していることを示す*12。
《89 Seconds at Alcázar》2004年――構図が成立する89秒
代表作《89 Seconds at Alcázar》では、絵画の精密な再現だけが目的ではない。MoMAが記録するように、サスマンは《ラス・メニーナス》を「スナップショット」や映画の一コマのように感じ、その前後のフレームを想像した*2。この着想によって、写真史でしばしば完成像として扱われるタブローが、ポーズを取る身体、カメラの移動、画面外の空間、音によって一時的に組み立てられる出来事へ変わる。作品を見ると、静止画の強さは時間を排除した結果ではなく、時間の流れから特定の関係だけが切り出されることで生まれることがわかる。
《whiteonwhite:algorithmicnoir》――編集を機械へ預ける
2009年頃から展開した《whiteonwhite:algorithmicnoir》では、静止した名画の再演とは逆に、完成形を固定しない編集へ進んだ。Smithsonian American Art Museumは、約3000の映像クリップ、音声、音楽をカスタム・アルゴリズムがリアルタイムで組み合わせ、同じシークエンスを反復しない二画面作品として所蔵している*13。Museum of the Moving Imageは、旧ソ連圏の風景とSF/フィルム・ノワールの語彙が、コンピュータによってその場で編集される点を紹介する*14。Walker Art Centerの資料も30時間以上の素材とタグ付けされた断片を「Serendipity Machine」が選択する構造を説明している*15。MAC Montréalの刊行物は、マレーヴィチや宇宙開発、ユートピアとディストピアを、断片化された時間と物語の中で読む作品として整理している*16。
偶然性を選ぶこと――完成映画から生成するイメージへ
BOMBのインタビューでサスマンは、アルゴリズムを当初は編集のアイデアを出す道具と考えていたが、予想外の組み合わせ自体が作品の中心になった経緯を説明している*17。焦点は、作者が判断を放棄するのではなく、素材、タグ、音、ルールを設定したうえで、作者にも予測できない接続を許したことである。《89 Seconds》が一枚の絵の前後を開いた作品だとすれば、《whiteonwhite》は編集点そのものを固定しないことで、映像の意味が毎回別の関係から立ち上がる状態を作った。
「名画の再現」から、イメージをどう時間化するかへ
The Believerのインタビューでは、《The Rape of the Sabine Women》の音楽、声、オペラ的な規模を含む制作過程が語られ、サスマンの関心が忠実な絵画再現に限定されていないことがわかる*18。Guernicaの《whiteonwhite》論も、ロードムービーや有機的な物語生成として作品を捉え、絵画引用からさらに遠い場所へ制作が展開したことを示している*19。この流れを通して見ると、サスマンが継続して扱ったのは、歴史的なイメージを現代の画面へ移すことより、イメージがどの時点で「一つの意味」に見えるのか、その安定を時間、演技、編集によって崩すことだった。
写真史に残るのは、動画の中の「写真的な判断」
サスマンは自分の制作における写真の影響を、カルティエ=ブレッソン的な「決定的瞬間」より、スナップショットの「孕んだ間」や監視モニターから盗み取られた身振りとして捉えている*26。さらに《89 Seconds at Alcázar》では、動画をどこで一時停止しても一枚の強いイメージとして成立することを目標にしていたと語っている*26。この発言によって、彼女を「写真から映像へ移った作家」とだけ整理することの問題がはっきりする。長回し、俳優の動線、画面外、編集の偶然性を使っていても、各瞬間のフレーミングには写真教育で得た判断が残り続ける。Smithsonian American Art Museumの「Watch This!」はサスマンを、閉回路映像からコンピュータ駆動のシネマまでを扱うメディア・アート史の中へ位置づけている*20。同館が《whiteonwhite:algorithmicnoir》を、3,000の映像クリップ、80のヴォイスオーバー、150の音楽断片をコンピュータがリアルタイムで再編集し、同じ順序を二度繰り返さない作品として説明するのも重要である*13。固定された一枚から始まった問題は、最終的に無数の一枚がその都度別の前後関係を与えられる仕組みへ進んだ。写真史的に見れば、サスマンの位置は静止画を動画へ置き換えたことより、一瞬を構図として選ぶ写真的判断を残したまま、その一瞬の前後関係だけを変動させた点にある。
- シンディ・シャーマン ― 映画の既成イメージを一枚のステージド写真へ凝縮した先行世代。サスマンがその「完成した一枚」を時間へ開いた差異を考える比較対象
- アナ・トルフス ― 写真、映像、テキストを横断し、単一のイメージが真実を確定できない状況を作る点で比較できる
- アンリ・サラ ― 写真以後の映像表現で、時間、音、空間を作品の意味に組み込む同時代の位置
- フィリップ・テリエ=エルマン ― 映画のコードや演技を写真へ持ち込み、現実とフィクションの境界を扱う比較対象