セルゲイ・ブラトコフは、ボリス・ミハイロフらに続くハルキウ写真の第二世代から現れ、ソ連末期からポストソ連期の人物、路上、商品、都市を観察と演出の双方で撮った写真家。《Birds》では孤児院の子どもと鳥の剥製を同じ連作に置き、《Kids》では子どもにファッション広告を思わせる身振りを演じさせた。報道的な記録、演出肖像、コラージュ、映像を使い分け、体制崩壊後に人の外見や振る舞いを作り替えた新しい視覚文化を扱った。
1970年代のハルキウでは、ボリス・ミハイロフらVremyaが裸体、荒廃、手彩色、重ね焼きによって社会主義リアリズムの公式像へ対抗した。ブラトコフはその反公式的な写真言語を、ソ連崩壊後に急増した広告、商品、成功した身体、階級的な身振りへ向けた。路上の観察写真と、《Kids》のように被写体へ広告的なポーズを演じさせる肖像を同じ実践に置き、国家の公式表象に加えて、市場が作る「成功した身体」も人の見え方を規定し始めた状況を、観察写真と演出肖像の衝突で示した。ハルキウ写真の批評性を、検閲への抵抗からポストソ連社会の自己演出を読む方法へ展開した。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
Vremyaとボリス・ミハイロフからGospromへ――ハルキウ写真の第二世代
ブラトコフ以前のハルキウでは、1970年代にボリス・ミハイロフらが参加したVremyaグループが、ソ連の公式写真から排除された裸体、荒廃した郊外、酒、欲望、プロパガンダの矛盾を撮り、重ね焼き、手彩色、コラージュなども用いて社会主義リアリズムへ対抗した。Ukrainian InstituteによるKharkiv School of Photographyの研究は、西側の写真動向へ自由にアクセスできない検閲環境が、既存の正統的な写真規範から外れたローカルな実験を促したと整理している*20。ブラトコフはその次の世代として1987年にGospromへ参加し、1980年代には写真、絵画、グラフィック、コラージュを横断した*6。したがって彼の粗さや不規則な構図は、1990年代に突然現れた「ポストソ連風」のスタイルではない。公式イメージの滑らかさを疑う1970年代ハルキウの写真文化を、崩壊後の広告、商品、階級記号があふれる新しい視覚環境へ持ち越したところから始まる。
Fast Reaction Group――ソ連崩壊後の出来事へ即応する共同制作
Fast Reaction Groupは1993年に活動が始まったとする資料があり、1994年にはブラトコフ、ボリス・ミハイロフ、セルゲイ・ソロンスキー、ヴィータ/ヴィクトリア・ミハイロヴァによる活動が明確になる。Art Focus Nowは1993年の成立と翌年のハルキウ美術館での活動を記録している*16。Galerie TransitとKyiv Biennialは、グループの主要な活動期間を1994〜97年としている*9。代表的な共同連作《If I Were a German》(1994)は、ハルキウ写真に蓄積されてきた演出、自己出演、政治的な挑発をソ連崩壊後の状況へ持ち込んだ仕事である。Kyiv Biennialはこの時期の構成メンバーと、写真連作、オブジェ、挑発的なキャンペーンを記録している*8。ブラトコフは後年、1990年代初頭には社会の変化が速く、スタジオで時間をかける絵画より写真の方が時代へ素早く反応できたと振り返っている*16。写真、演出、アクションを使い分けた背景には、体制崩壊後の街で広告、服装、商品、身振りが短期間に変化していく状況があった。
感情を消したカメラと「写真から彫刻を作る」という発想
ブラトコフ自身の方法を最も端的に示すのが、Museum AZに掲載された発言である。彼は写真から絵画、さらに「彫刻」を作りたいと述べ、形、体積、質量を写真で伝えられると考え、意図的に感情を抑え、明快すぎない構図で撮ると説明している*1。この発言は、写真を三次元作品へ変えたいという意味だけでなく、社会問題を説明文へ整理する代わりに、人物の身体、衣服、建築、汚れ、色彩を一枚の表面で衝突させたいという志向を示している。e-fluxの回顧展資料も、彼の人物写真を、被写体との合意にもとづく肖像としつつ、失われたソ連的秩序と新しい資本主義的な誇示が同じ社会に現れる場として説明する*7。ブラトコフにとって写真の強みは、社会を象徴する架空の人物を作ることより、実在する人がその時代の服、ポーズ、欲望をすでに身につけている状態を、身体の表面として記録できることにある。その記録へ演出を加えると、社会が人に与えたイメージを本人に再演させることができる。
《Birds》――孤児院と剥製を同じ系列に置く
1997年の《Birds》は、孤児院の子どもたちと自然史博物館の鳥の剥製を交互に配置するシリーズである。KOHTAはこの作品を、ソ連崩壊後の社会制度の劣化と、保護されるべき存在が置かれた状況を重ねる仕事として再展示した*3。作品の強さは、子どもを悲劇の象徴として感情的にクローズアップすることより、人物写真と標本写真を同じ冷静な視覚形式に置く点にある。観察された現実と作家による編集が分離しないため、写真は「かわいそうな子ども」を説明する証拠から、社会が人間をどのような位置へ分類するかを問う連作へ変わる。
《Kids》――ファッションのポーズと倫理的な不快さ
2000年の《Kids》では、子どもたちが大人のファッション広告や性的な自己演出を思わせる服装とポーズで撮影された。Pinault Collectionの《Zhenya》解説は、この成人化された身振りが鑑賞者へ強い不快感を生むことを記している*11。e-fluxは同時期の《Kids》《Soldiers》《Secretaries》《Army Girls》などを、ソ連崩壊後に現れた個人化の約束と、新しい資本主義的な誇示が交錯する肖像群として位置づける*7。ここで写真という形式は重要である。広告の性的・階級的コードについて文章で批判するのではなく、実在する子どもがカメラの前でその身振りを演じ、その像がファッション写真に近い鮮明さで残るため、批判対象と作品自身を切り離せない。作家が消費文化を外側から告発しているだけなら、この不快さは生じない。市場が作る「どう見えるべきか」という像を、人物が実際に身体化する瞬間を写真にすることで、ポストソ連の新しい視覚規範がどこまで人の振る舞いへ入ったのかを問う一方、撮る行為そのものの倫理も同時に問題になる。
観察写真と演出肖像を併用する――社会の自己演出を写す
ブラトコフの連作には路上で見つけた人物も、明確に演出された肖像もある。ハルキウ写真の第一世代が公式写真の規範へ重ね焼きや手彩色、禁じられた主題で対抗したのに対し、Gosprom以後の世代はその方法を継承しながら、ドキュメンタリー、演出、コラージュ、パフォーマンスを混在させた*20。DutchCultureに掲載されたハルキウ写真史の研究も、モンタージュや画像の重ね合わせが、公式写真の模倣的なリアリズムを崩し、1990年代のFast Reaction Group《If I Were a German》へ続く実験の重要な方法だったと論じている*21。ブラトコフにとって演出はドキュメンタリーの反対語ではない。ソ連期の公式像では国家が労働者や英雄の見え方を決めたが、ポストソ連社会では広告、テレビ、階級的な身振りが別の模範像を供給する。観察写真は、そのコードをすでに身につけた人々を記録できる。《Kids》のような演出肖像では、そのコードを意図的に誇張して被写体に再演させる。見つけた現実と作られた現実を同じ写真実践に置くことで、社会そのものがどこまで「演出済み」なのかを判別しにくくすることが、彼のポストソ連写真の批評性につながっている。
《My Moscow》と都市のパノラマ
e-fluxは、ブラトコフが2000年からモスクワを拠点に活動したと記している*7。モスクワ移住後は、都市の富裕化、消費、階級差が新たな対象になった。PinchukArtCentreは、ハルキウ出身という背景が後年の仕事にも影響したとし、国際展への参加とともにその活動を整理する*14。Kunstmuseum Magdeburgの回顧的な展示は、旧作と2022年以降の作品をつなぎ、都市や家族、戦争によって変化した生活環境を写真・映像で再検討している*5。都市写真でも建築の秩序だけを取り出さず、人、看板、商品、車、色彩を同じ画面へ重ね、移行期の社会を一つの整った説明図にしない。
写真、映像、インスタレーション――像に「質量」を与える
Museum AZが示すように、ブラトコフは写真を単体のプリントとして完結させず、パフォーマンスやインスタレーションへ統合してきた*1。Fotomuseum Winterthurの《Glory Days》展も、写真、映像、インスタレーションを横断する作家像を整理している*4。Galerie Volker Diehlの経歴資料には、写真シリーズと映像、展示プロジェクトが並行して続くことが記録されている*17。Ovcharenkoの2004年展《Seven》は、《Kids》以後の仕事を写真とインスタレーションの組み合わせとして紹介した*18。印刷サイズ、連作、展示壁、映像の時間を使い、一枚の写真が持つ情報だけでなく、複数の像が反復・蓄積して生む圧力を作品の形式にしている。
国際展での受容と、ウクライナ/ロシアの複雑な経歴
ブラトコフは2002年のサンパウロ・ビエンナーレ、2007年のヴェネツィア・ビエンナーレのウクライナ館などに参加し、ポストソ連写真の重要な作家として国際的に紹介された*14。photography-nowのアーカイブは2008年のFotomuseum Winterthur回顧展《Glory Days》と《Kids》の作品画像を含む展覧会歴を記録している*19。Kunstkritikkは2022年の《Harkova/Moskova》を、ハルキウとモスクワ、初期の《Kids》と後年の作品を同じ展示で読み直す機会として論じている*13。Kyiv Biennial 2025でもハルキウ出身の作家として位置づけられ、後年のウクライナ美術史の中で再読されている*8。ロシアで長く活動した経歴とウクライナ出身という事実を単純な国籍物語へまとめず、都市と制度の変化が作品の対象を変えてきた経緯を見る必要がある。
社会的弱者を撮る写真の倫理――距離は免罪符にならない
ブラトコフの写真は、孤児、路上生活者、性的な身体、労働者などを扱うため、社会の周縁を美術へ取り込む視線そのものが批評対象になる。Pinault Collectionは《Kids》の不快さを作品解説の中心に置く*10。Friezeも、2001年のRegina Galleryで《Kids》がスキャンダラスな連作として受け止められたことを記している*12。作家が感情を抑えた撮影態度を取っても、被写体との権力差が消えるわけではない。社会の暴力を感傷的な救済物語にしない効果と、被写体を造形的な材料として扱う危険の両方を残すことが、この連作を現在まで議論の対象にしている。
2022年以後――「ポストソ連」の過去を戦争下から読み直す
2022年にロシアによるウクライナ全面侵攻が始まった後、ブラトコフはドイツへ移り、故郷ハルキウと家族、戦争をめぐる作品を発表した。Art Focus Nowはベルリン移住後の制作と、過去のハルキウ作品が新しい歴史状況の中で別の意味を帯びたことを報じている*16。Schloss Wiepersdorfのプロフィールも、写真、映像、インスタレーションを通した社会現実への継続的な関心を紹介する*15。2024年のKunstmuseum Magdeburg展を扱ったArt Focus Nowは、近作と過去作が戦争によって再接続される展示だったと伝える*2。そのため彼の写真史的位置は「ポストソ連の奇妙な現実を撮った作家」で止まらない。ドキュメンタリーと演出を混ぜ、写真を彫刻のような質量へ変える方法によって、社会の移行期を一枚の説明図にせず、矛盾が残る視覚的な場として提示した点にある。
- ボリス・ミハイロフ ― Kharkiv Schoolの中心人物で、Fast Reaction Groupでもブラトコフと協働した重要な先行者。
- セルゲイ・ソロンスキー ― ハルキウの実験写真とFast Reaction Group周辺を理解する比較対象。
- ヴィータ・ミハイロヴァ ― Fast Reaction Groupでの共同制作を通して、1990年代ハルキウの写真と社会運動を考える上で重要。
- Vremyaグループ ― 1970年代のハルキウで、ボリス・ミハイロフらが検閲下の公式写真へ裸体、荒廃、手彩色、重ね焼きなどで対抗した重要な先行世代。
- Gospromグループ ― 1980年代後半の第二世代。ブラトコフが参加し、ハルキウ写真の実験をソ連末期から1990年代へつないだ。