ピーター・ピラーは、地方新聞、航空写真、保険記録など既存の写真を集め、独自の分類と編集で読み直すドイツの作家。〈Archiv Peter Piller〉、《Von Erde schöner》、アーティストブック、都市周縁を歩く《Peripheriewanderungen》を通じ、日常の画像がどのように撮られ、整理され、見過ごされるかを扱う。
ピラーが1990年代半ばに勤務したメディア会社では、地方紙をめくる目的は広告が正しく掲載されたかを確認することだった。彼はその作業中、《Auto berühren(車に触れる)》《Noch ist nichts zu sehen(まだ何も見えない)》のように、記事の主題とは無関係なのに別々の紙面で繰り返す身振りや空白を見つけた。〈Archiv Peter Piller〉では元の記事の分類を捨て、「車に触れる」「まだ何も見えない」といった反復だけで写真をまとめる。地方紙が別々のニュースとして処理した写真を、撮影者も編集者も分類しなかった共通点で読み直した。
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目次 · Table of Contents
新聞切り抜き業務から始まったアーカイブ
ピラーは1968年にドイツのフリッツラーに生まれ、ハンブルク美術大学で学んだ。1990年代半ば、在学中に新聞広告の掲載状況を確認するメディア会社で働き、地方紙を毎日めくる業務を担当した*1。ARTBOOK / D.A.P.の資料も、〈Archiv Peter Piller〉がこの広告確認の仕事から発展した経緯を記している*24。広告の証拠を探す作業の途中で、記事の目的から外れた写真の反復や奇妙な仕草に気づき、切り抜きを手元へ残し始めた。
この労働経験は、写真を「撮るもの」より「すでに大量に存在し、組織によって流通するもの」として考える出発点になった。Fotomuseum Winterthurは、彼が《Auto berühren》《Noch ist nichts zu sehen》《Schiessende Mädchen》などの分類を作り、7000点を超える新聞写真のアーカイブへ発展させたと説明している*2。
1990年代の地方紙から〈Archiv Peter Piller〉を作る
〈Archiv Peter Piller〉が始まった1990年代半ば、ピラーが蓄積したのは公文書の重大事件より、地方紙で一度使われれば役目を終える写真だった。MACBAは、彼が大量の既存画像を収集し、元の用途とは異なる分類へ置く実践を、写真、アーカイブ、日常的な視覚文化の問題として紹介している*3。
地方紙では、人物、式典、事故、建設予定地など記事の用件に沿って写真が撮られる。ピラーはそこから、車へ触れる手、何も起きていない空き地、洗車といった、元の記事では中心情報ではなかった反復だけを抜き出した。Capitain Petzelは、彼がファウンド・イメージ、写真、ドローイングをテーマ別の系列へ再文脈化してきたと紹介している*4。
2005年のWitte de Withでの展覧会は、こうした写真に「第二の生」を与えるものとしてピラーの分類を紹介した。類似した構図をまとめると、地方紙の決まりきった撮影慣習が見える一方、画面の端に偶然入った物や身振りも反復する要素として現れる。業務写真の規格性と、その規格からこぼれる差異が同じ系列に並ぶことが、〈Archiv Peter Piller〉の分類を支えている。 *23
分類すると、用途から外れた細部が主役になる
《Auto berühren》は人が自動車へ触れている写真だけを、《Noch ist nichts zu sehen》は建設予定地なのにまだ何も起きていない土地だけを集める。元の記事では別々の人物や出来事を伝えていた写真が、ピラーの分類では同じ身振り、同じ空白として横並びになる*2。
写真を系列で見ると、元の記事が伝えたかった事件や人物は後退し、編集者も撮影者も重視しなかった姿勢、空白、周辺物が前景化する。Salzburger Kunstvereinは、文脈から切り離された新聞写真が、新しい配列の中で日常的な視覚習慣を露出すると説明している*6。
「意図のなさ」の利点
《Vorzüge der Absichtslosigkeit(意図のなさの利点)》が集めるのは、芸術作品として撮られた写真ではなく、新聞や業務記録の用件を満たすための写真である。ピラーは、そこで偶然そろってしまった手の位置、背景の空き地、撮影上の癖を切り出し、元の記事には存在しなかった分類名を与える*7。
本人はMethods of Artのインタビューで、芸術家であることを、常に注意を向け、重要/非重要をあらかじめ分けない状態として語っている*8。この態度は、画像を大量に所有することより、何年も見直し、別の組み合わせを試し、判断を保留する時間に結びつく。
《Von Erde schöner》――郊外住宅を上空から読む
《Von Erde schöner》は、1970〜80年代にドイツの戸建住宅を販売目的で撮影した約2万点の航空写真アーカイブから編まれた。家々は斜め上空から同じように撮られ、住民が庭で手を振り、車、プール、物置、造成地が反復する*9。
この眺めは、個人の家を祝う記念写真であると同時に、不動産、測量、販売の視線でもある。ProjecteSDの出版紹介は、300点を超える写真が、眠る家、洗車、庭の造形、警察車両、手を振る人々を含む居住のパノラマを作ると説明している*10。住まいの個性は、同一規格の撮影によって類型へ変わる。
Museum für Gegenwartskunst Siegenの作品解説は、この航空写真群が約2万点に及び、もともとヘリコプターから撮影して住宅所有者へ販売する商業サービスだったことを確認している。ピラーの作品では、住宅そのものより、手を振る住人、洗車、庭の形、撮影上の失敗といった反復を拾う分類が主要な制作行為になる。均質な業務写真だからこそ、差異が画面の周縁に現れる。 *22
アーティストブックという閲覧装置
ピラーは展覧会の壁面配列と同じほど、アーティストブックを重視する。ページをめくる速度、見開き、余白、図版の大きさが、分類を読む時間を作るからである。Weserburgは、彼の出版物全体を「アーキビストの仕事をさらに保存するメタ・アーカイブ」として展示した*11。
公式サイトの書籍一覧には、新聞写真の各巻から《Peripheriewanderungen》《Kraft》《Schlaf》《Behind Time》まで、作品群が冊子として連続的に編集されてきた履歴が示されている*12。印刷物そのものが、分類を成立させる主要な形式である。
写真史研究者Ulrike Matzerは、2002〜06年のアーティストブックを、地方紙の一過性の写真を印刷物として再編集し、写真の複製性とアーカイブ性を同時に扱う実践として論じている。ウェブ上の画像収集だけで完結せず、本のページへ戻すことで、新聞では数秒で通過した像を比較し直す時間が作られる。 *21
《Peripheriewanderungen》――自分で撮るときも周縁を見る
ピラーは自分で撮影するシリーズも継続している。1994年から各都市の市街地と未開発地の境界を歩く《Peripheriewanderungen》を続け、写真、地図、ドローイング、文章で記録してきた。Kunstmuseum Bonnの《Peripheriewanderung, Teil 1》(2006)は、ボンの周縁を8区間に分けて歩き、写真とドローイングで住宅地の背面、柵、車庫、郵便受けなどを記録した51点組の作品である*13。
長く歩くことで、中心部の名所や計画された景観から外れ、看板、空き地、造成、植生、住宅地の背面へ注意が向く。本人は歩行中に、座っているときには得られない集中が作られると語っている*14。地方紙では記事の中心から外れた手や空き地を拾い、歩行では都市中心部の外側にある柵、車庫、郵便受けを記録する。対象は異なるが、どちらも通常の中心から外れた要素を系列として残す。
自分で撮影するシリーズでも、分類への感覚は消えない。《Kraft》では2007〜11年、仕事の移動中に車窓から「Kraft」という社名や看板が現れるたび撮影した。Kunstverein Braunschweigは、この系列を新聞、ポストカード、インターネット、航空写真など既存画像を扱ってきたピラーが、自ら撮影した反復へ方法を広げた仕事として紹介している*5。JRP|Editionsは《Kraft》を独立した出版物として刊行し、その蓄積を写真集の連続へ置いている*25。
事故写真、鳥、洞窟壁画へ広がるアーカイブ
《Nimmt Schaden》はスイスの保険会社の事故写真アーカイブから選ばれ、損害の証拠として撮られた像を、匿名撮影者の細部への注意として見直す。《Behind Time》では珍しい鳥が画面から飛び去る瞬間だけを撮り、通常の野鳥写真が求める同定可能な姿を外す*15。
2023年の回顧展は、新聞写真、航空写真、インターネット画像、自作写真、歩行、鳥、先史時代の洞窟壁画までを同じ作家の仕事として並べた。Friezeの展評は、その広がりを、変化する世界に対する収集と観察の持続として論じている*16。〈Archiv Peter Piller〉の分類だけを反復するのではなく、何を見つけ、どの画像を隣り合わせるかという観察の方法が別の題材へ移っている。
有名なイメージより、用途の済んだ写真を見る
ピラーが選ぶのは、広告のアイコンや美術史上の名作としてすでに価値づけられた写真ではなく、地方紙や業務記録の中で一度使われれば見過ごされる画像である。Andrew Kreps Galleryは、彼の仕事を、異なる出所の画像を集め直し、その組み合わせから像について考える実践として紹介している*17。
ピラーは無名写真を「隠れた名作」として救い上げるわけではない。地方紙の写真を「車に触れる」「まだ何も見えない」などの系列へ入れると、元の記事では脇役だった手の動き、空き地、庭先の反復が主題になる。Museum für Gegenwartskunst Siegenも、印刷物とデジタル媒体の画像アーカイブを通じ、日常の視覚秩序を扱う作家として位置づけている*18。彼の分類が示すのは「この写真は優れていた」という再評価より、地方紙が何をニュースの中心に置き、何を背景として量産していたかである。
地方紙の分類を、別の分類で読み替える
〈Archiv Peter Piller〉の出発点では、ピラーは新聞を撮る側ではなく、広告掲載を確認するため地方紙を大量に点検する側にいた。その位置から、記事の主題とは無関係に「人が車に触れる」「空き地にまだ何もない」といった画面の反復を切り抜いた。Gallery Weekend Berlinのインタビューでも、自作写真について一枚の成功作より写真同士の組み合わせを重視すると語っている*19。新聞切り抜きと自作写真で手順は異なるが、単独像より複数像の並びから意味を探す姿勢は共通している。
MoMAの作家ページと各地の展覧会記録は、〈Archiv Peter Piller〉が写真専門館と現代美術館の両方で受容されてきた経路を示す*20。展示で単位になるのは一枚の代表作より、「車に触れる」「まだ何も見えない」「洗車」といった分類ごとのまとまりである。作者不詳の写真を有名作品へ昇格させるより、新聞では別々の記事だった像を、同じ反復として見せることが作品の中心に置かれている。
地方紙に反復する構図を、独自の分類で見えるようにする
「車に触れる」「まだ何も見えない」と名づけられると、新聞では背景だった手の動きや空き地が、別々の記事を横断して反復する型として現れる。題名は一枚ごとの内容を説明するキャプションではなく、「車に触れているか」「まだ建物がないか」という同じ条件で複数の写真を見比べるための分類名になる。
〈Archiv Peter Piller〉の分類は、博物館の分類のように一枚へ唯一の所属先を与えるものでもない。「車に触れる」「まだ何も見えない」「洗車」のような題名は、記事の主題より小さな動作や空白だけを一時的に切り出す。別の見出しを立てれば同じ写真から別の系列も作れるため、作品は「正しい分類」を示さず、どの細部を同じものとして数えるかという作家自身の判断も表面に出す。
- ハンス=ペーター・フェルドマン ― 無名写真と印刷物を作者中心の美術史から切り離した先行例。
- リチャード・プリンス ― 印刷媒体で働いた経験から既存画像へ向かった比較対象。ただしピラーはアイコンより地方紙の弱い像を選ぶ。
- アーカイブ・アート ― 保存庫を中立な倉庫と見なさず、分類・欠落・アクセスを作品の形式へする潮流。