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PHOTOGRAPHERS/JOSIAH JOHNSON HAWES ·肖像写真 ·UPDATED 2026.09
JH
§ 314 — Photographer Index — 肖像写真

ジョサイア・ホーズ

Josiah Johnson Hawes 1808–1901
Countryアメリカ Period1839–1860s Channel写真史の論点 · 肖像写真
Abstract

ジョサイア・ホーズは、画家を志したのちダゲレオタイプへ転じ、1843年からアルバート・サンズ・サウスワースとボストンでサウスワース&ホーズを運営した写真家。大型ホールプレート銀板、天窓の自然光、姿勢と背景の細かな設計によって政治家、作家、市民、学校、手術室、街路を撮影し、立体視カメラや連続露光も試した。個人帰属を確定できない作品が多く、家族、技師、着彩、機材改良を含む共同スタジオの制作体制が、初期アメリカ肖像写真の造形と商業を支えていた。

この写真家が変えたこと

ホーズは画家を志した青年期から、平らな画面の中に奥行きと人物の存在感が立ち上がることに強く惹かれていた。フランソワ・グーローのダゲレオタイプ講演を聞いた後、その造形上の関心を銀板写真へ持ち込み、アルバート・サンズ・サウスワースとの写真館では大型ホールプレート、天窓の自然光、姿勢、家具を一体として設計した。高価で技術的に難しい大型銀板を選び、長い露光が要求する静止を、人物同士や家具で身体を支える姿勢へ組み込んだことで、写真館の広告に掲げた「性格・表情・光と影」を画面の構成として実現した。

Keywords サウスワース&ホーズ ダゲレオタイプ whole-plate ボストン 自然光肖像 ステレオ写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

ホーズが写真へ向かった契機については、本人の回想が残っている。Gettyの作家資料によれば、若い頃に見た油彩画を片目で眺めたとき、平面が奥行きをもつ自然のように見えた経験に強く動かされ、画家を志すようになった*1。大工や農業に従事した後、絵画や象牙細密画を学び、1840年にはボストンでフランソワ・グーローが行ったダゲレオタイプの講演を聴いた*1。新しい銀板写真は、彼が絵画に求めていた奥行き、光、人物の存在感を、手描きとは異なる精密さで固定できる方法として現れた。

1843年、ホーズはアルバート・サンズ・サウスワースと共同でボストンの肖像スタジオを運営し始めた。West End Museumは、トレモント・ロウのスタジオに大きな天窓を設け、光と影を細かく調整できる環境を整えたこと、サウスワースの妹ナンシーが手彩色を担い、家族やスタッフを含む事業体として運営されたことを記している*2。National Portrait Galleryに残る1848年頃の広告は、彼らが「人物の性格」「表情」「光と影」の質を競争力として掲げたことを示す*3。肖像館は顔を正確に複製する店であると同時に、光学、演出、接客、化学処理を組み合わせて人物像を作る場所だった。

§ 02 / 04 表現の核心

ホールプレートと自然光

サウスワース&ホーズの名を特徴づけるのは、8½×6½インチ(約21.6×16.5cm)の大型ホールプレート・ダゲレオタイプである。ICPは、この大きさが技術的に難しく高価である一方、細部と階調を豊かに見せるため、同社が商業肖像を美術的な領域へ高める手段として用いたと説明している*4。NGAの《The Letter》では、二人の女性が一通の手紙を囲む姿勢が三角形に構成され、正面を向く定型的な胸像から離れた場面が作られている*5。長い露光に耐えるための身体の固定は、腕、肩、視線が支え合う姿勢として画面構成に組み込まれた。ホールプレートは高価な肖像形式で、さらに規格を超える大型銀板は富裕で重要な顧客のために制作されるほど特別なものだった*26。サウスワース&ホーズはこの費用と難しさを引き受け、細部、光、身振りを一枚の大型銀板へまとめた。

姿勢と人物像

National Portrait Galleryのダニエル・ウェブスター像は大型銀板で、机、書物、窓、身体の向きを含めて政治家・雄弁家としての姿を組み立てている*6。サウスワース&ホーズは、人物の外形に加えて照明、姿勢、手の位置、背景の家具を調整し、肖像に社会的な役割や性格を示す手がかりを配置した。The Metのエマーソン女学校の集団肖像では、25人の身体を対角線やピラミッド状に構成し、大人数を一つの画面へまとめている*7。個々の顔と集団全体の秩序は、座る高さ、視線、肩の向き、手の位置の設計によって同時に成立している。 The Metの造船家ドナルド・マッケイ像では、whole-plateの広い画面に衣服、椅子、手の置き方まで収められ、富裕な顧客の社会的地位を細部から構成するスタジオ肖像の方法が確認できる*23 《Miss Hodges of Salem》では、同じ人物について高価なホールプレート肖像を二枚制作し、The Metはそれらが写真館前室の公開ギャラリーに掲げる価値を持つ人物像だった可能性を指摘している*25。大型肖像は注文品であると同時に、写真館が自らの造形力を見せる展示作品でもあった。

立体視と連続露光

共同スタジオは肖像の様式だけでなく、機材そのものも改良した。SmithsonianのNational Museum of American Historyには、1854年にサウスワース&ホーズが特許を得たステレオ・ダゲレオタイプ用カメラの模型が残る*8。同館には「Improvement in Taking Daguerreotypes for Stereoscopes」の特許資料も保存され、二眼の像を正確に対応させる技術開発が事業の一部だったことを示す*9。《Unidentified Woman in Nine Oval Views》では、スライド式のプレートホルダーを用いて同じ銀板に連続した顔を露光し、月相のような配置を作った*10。ダゲレオタイプの一点性を守るだけでなく、一枚の銀板を時間と複数視点の実験へ使っていた。

サウスワース&ホーズの共同名義

主要作品の多くはサウスワース&ホーズ名義であり、誰がカメラを操作し、誰がポーズを決め、誰が現像したかを作品ごとに分離できない。The MetのBrattle Streetの都市景観も、スタジオ名、サウスワース、ホーズを併記して登録している*11。共同ブランド、家族による着彩と運営、技師の作業、顧客とのやり取りが一つのスタジオ様式を支え、主要作は現在もサウスワース&ホーズの共同名義で収蔵されている。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

ボストンの都市景観

サウスワース&ホーズは肖像館の外にもカメラを向けた。《View Down Brattle Street from the Southworth & Hawes Studio》は1855年、慈善家アボット・ローレンスの葬列が通る教会周辺をスタジオ窓から記録した三枚のうちの一枚である*11。人物肖像で用いた大型銀板の細部は、建物、看板、通りの配置を都市の記録として残す用途にも使われた。さらにハーバード大学所蔵の1857〜58年頃のBoston State Houseからの眺望は塩化銀紙プリントで、共同スタジオが複製可能な紙写真にも制作を広げたことを示す*12。《Sculpture Gallery, Boston Athenaeum》では、ダイアナ像、ワシントンやフランクリンの胸像を含む展示室をホールプレートで記録している。The Metはこの空間を、ボストンが自らを「アメリカのアテネ」と位置づける文化的自己像と結びつけている*27。著名人の肖像と美術展示室の記録を同じ大型銀板で制作し、写真館は人物だけでなくボストンの文化施設も記録した。

エーテル麻酔と手術室

1840年代後半、サウスワース&ホーズはマサチューセッツ総合病院の手術室でエーテル麻酔を用いる手術を撮影した。医学史研究では、現存する一連のダゲレオタイプが初期の麻酔使用を記録する極めて早い写真資料として検証されている*13。スタジオ肖像では照明や身体配置を管理できたが、手術室では医師、患者、器具、建築空間を一つの銀板へ収める必要があった。写真の精密さが「美しい肖像」だけでなく、医療行為を後世へ残す歴史資料として価値を持つようになる場面である。

エマーソン女学校

The Metの《Classroom in the Emerson School for Girls》は、共同スタジオが管理された撮影室を離れ、実際の教室内部へ大型カメラを持ち込んだ例である*14。窓光、机、壁面、学生たちを一画面へ収めることで、肖像の背景だった室内そのものが社会空間として記録される。こうした出張撮影は、サウスワース&ホーズの仕事が著名人の顔だけでなく、ボストンの教育、医療、都市施設を含む視覚的アーカイブへ広がったことを示す。

事業記録と技術転換

ジョージ・イーストマン博物館の「Southworth & Hawes Records」には、書簡、帳簿、売上、機材製造、写真用品販売、技術実験、講習の資料が残り、写真館が像の制作に加えて技術実験と商取引を担う拠点だったことを示す*15。NGAのホーズ個人ページには、共同時代後のボストン・コモンの塩化銀紙、街路、肖像などが並び、ホーズがダゲレオタイプ衰退後も紙写真へ対応したことを確認できる*16。《Portrait of Three Girls》は1860年代のアルビューメン・シルバー・プリントのカルト・ド・ヴィジットで、裏面に「J. J. Hawes Photographer, 19 トレモント・ロウ, Boston」と印刷されている*17。一点物の大型銀板から小型の複製可能なカードへ肖像市場が変化した後も、同じトレモント・ロウの営業名が使われている。Library of Congressには、サウスワース&ホーズのダゲレオタイプをもとに1848年頃に制作されたリーヴァイ・ウッドベリーのリトグラフが残り、一点物の銀板肖像が別媒体へ翻案されて流通した事例も確認できる*24

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

1939年の再評価

1939年、The Metは写真発明100年に合わせてHawes-Stokes Collectionを展示・刊行し、サウスワース&ホーズを含む初期アメリカのダゲレオタイプを紹介した*18。同カタログは作品のプレート寸法、保存状態、被写体、帰属を記録し、現在の作品研究へつながる基礎資料になっている。

医療写真の帰属

Ether Domeの手術像では、後世の研究によって人物や撮影状況の同定が修正されてきた。Gettyの『The Silver Canvas』は外科記録と照合して長年の誤同定を検討し直している*19。ホーズ自身を写した家族肖像もNational Portrait Galleryではサウスワース&ホーズ共同名義として保存され、ホーズ、兄弟、スタジオの関係を物証からたどれる*20。こうした再検証によって、共同工房の帰属と医療写真の歴史的文脈が具体化している。

二重露光による室内像

The Metの《Seated Man with Brattle Street Church Seen Through Window》は、人物と窓外の教会を一度に鮮明に写すことが難しかったため、同じ銀板へ二回露光し、部分的に覆いを使って両方を合成したことが確認されている*21。滑らかに見える肖像空間の背後には、露光、遮光、背景選択という操作がある。サウスワース&ホーズの人物像に見られる空間の連続感は、露光、遮光、背景選択を組み合わせた画面設計から生まれている。

大型銀板と共同制作

National Portrait Galleryの近年のwhole-plate展は、初期写真の大型肖像を、高級ダゲレオタイプからアンブロタイプ、ティンタイプへ続く市場と技術の変化の中で再検討している*22。サウスワース&ホーズの大型銀板は、天窓から入る光、人物の姿勢、長時間露光、鏡面の銀板という条件を精密に調整することで成立した。立体視、連続露光、紙写真への移行は、肖像の見え方を改良する技術研究と、変化する市場へ対応する事業運営の両方から生じている。ホーズの長い活動歴には、芸術的な肖像制作と商業スタジオの持続が同じ技術基盤の上で結びついていた。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ルイ・ダゲール ― 1839年に公開された銀板写真法の発明者。ホーズが1840年に見た講演はダゲールの弟子フランソワ・グーローによるものだった。
  • マシュー・ブレイディ ― 同時代アメリカの肖像館を大規模化し、著名人肖像と南北戦争の視覚記録で制度的影響を広げた比較軸。
  • アルバート・サンズ・サウスワース ― 1843年から共同スタジオを運営したパートナー。主要なダゲレオタイプの個別分担は特定できず、現在も共同名義で扱われる。
  • ナンシー・サウスワース・ホーズ ― サウスワースの妹でホーズの妻。スタジオで手彩色などを担い、共同制作を支えた人物として近年の研究で重要になる。
§ REF さらに読む
Young America: The Daguerreotypes of サウスワース&ホーズ
Brian Wallis / Grant B. Romer 編 · Steidl / ICP · 2005年

作品、技法、人物、スタジオ資料を大規模に集成した展覧会カタログ。個人作家より「サウスワース&ホーズ」という共同事業体を理解するための基本資料。

§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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