1822年にスコットランドのカンバーノールド近郊に生まれ、1857年頃から1864年まで撮影したクレメンティナ・ホーワーデンは、ロンドンの自宅5 Princes Gardensで娘たちを集中的に撮影した。窓からの自然光、鏡、衣装、二人組のポーズ、家具を減らした室内を反復し、「Photographic Study」「Studies from Life」として発表した。家庭の内部を人物、光、鏡像の変化を試す撮影空間にし、ヴィクトリア朝の家族写真と芸術写真の境界を広げた写真家である。
ホーワーデンは、同じ娘たちと5 Princes Gardensの室内を反復しながら、窓光、鏡、衣装、二人の距離を変え、一人の若い女性を撮影ごとに異なる姿勢、役柄、視線へ置いた。ヴィクトリア朝の家族肖像が顔や身分を安定した像として残す役割を担うなか、彼女の「Photographic Study」は家庭を人物の見え方を試す撮影空間へ変えた。上流階級の既婚女性として利用できる制作場所が限られる一方、自宅では同じ娘たちを長期間撮影できた。そこで作られた写真は1863年と1864年にPhotographic Societyへ出品され、家庭内の撮影が公的な芸術写真の展示へ持ち込まれた。後世には鏡像、母娘関係、若い女性の演技をめぐってジェンダー研究から再評価され、家族写真が社会的役割を固定する機能と、複数の自己像を作る可能性の両方を示す先例となった。
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家庭がスタジオになる
ホーワーデンは1822年、スコットランドのカンバーノールド近郊にクレメンティナ・エルフィンストーン・フリーミングとして生まれた。V&Aによれば、1857年頃に写真を始め、アイルランドのダンドラムでは庭園や家族をステレオ写真で撮り、1859年にロンドンへ戻るとサウス・ケンジントンの5 Princes Gardensで娘たちを集中的に撮るようになった*1。初期の屋外写真から室内の大型肖像へ主題が集中する変化には、家族の生活拠点と撮影環境の変化が重なっている。Musée d’Orsayに残るダンドラム期の若い女性像は、ロンドン移住以前から人物撮影を行っていたことを確認させる*16。同館のアイルランドの廃墟写真は、初期の被写体が家族肖像だけに限られていなかったことも示す*17。
上流階級の既婚女性が商業写真家として街のスタジオを運営することには社会的な制約があった。V&Aの研究は、ホーワーデンやジュリア・マーガレット・キャメロンが家庭の内部をスタジオとして使い、自然光と身近な家族を作品制作へ結びつけたことを取り上げている*21。ホーワーデンは1863年と1864年にPhotographic Society of Londonの展覧会へ出品し、家庭で制作した写真を公的な写真界へ送り出した*18。自宅は私的な生活空間であると同時に、展覧会へ出す芸術写真を制作する場所になった。
1863年の『Photographic News』評は、ホーワーデンの照明と明暗の扱いをレンブラントになぞらえて評価した*6。室内光の操作は、公的展示の段階ですでに同時代批評が注目する特徴になっていた。
ヴァージニア・ドディエの『Clementina, Lady Hawarden: Studies from Life, 1857–1864』は、家族史、ダンドラムとサウス・ケンジントンの生活、写真界との接点、作品のモデル同定をまとめた主要モノグラフである*22。後の研究が鏡像やジェンダーを論じられる背景には、無題に近い現存プリントの撮影年代、人物、生活空間をこうした基礎研究が具体化したことがある。
窓光と室内
湿板コロジオンは撮影直前にガラス板を感光させ、乾かないうちに現像まで行うため、安定した作業場所と豊富な光を要した。ホーワーデンは5 Princes Gardensの大きな窓を反復して使い、その技術条件を画面構成へ取り込んだ。Science Museum Groupの《Two girls by a window》では、白く飛ぶ窓と暗い室内の境目に二人の身体が置かれ、顔の細部より姿勢と距離が前面に出る*12。窓から入る光が人物を明部と暗部へ分け、同じ部屋の壁、床、衣服、身体の位置を撮影ごとに異なる明暗構成へ変えた。
The Metの《Photographic Study》では、家具を詰め込んだヴィクトリア朝室内の情報量を抑え、壁紙、机、布、人物を大きな面として配置している*2。V&Aも、ホーワーデンが周囲の部屋、布、鏡、衣装、姿勢を構図の一部として積極的に使った点を、顔のクローズアップを中心にした同時代のジュリア・マーガレット・キャメロンとの違いとして説明している*1。同じ部屋を反復することによって、背景の違いに頼らず、光と身体の小さな変化そのものを比較できる写真群が生まれた。 The Met所蔵の小型《Photographic Study》にはステレオ写真由来の形式も残り、初期の立体視から大型の単独肖像へ移る途中の形式的な実験を残している*3。
鏡と複数の視線
Science Museum Groupの《Woman reflected in a mirror》では、立つ人物と鏡像が同じ画面に入り、顔、背中、視線の方向が一度に現れる*11。Oxford Academicの研究は、この鏡像を、空間の奥行きと表面の像を一枚の写真内で組み立てる19世紀の形式意識と結びつけて論じている*7。正面から一人を同定する肖像に、背面、反射像、視線のずれが重なり、同じ人物を一つの方向へ固定しない画面が作られた。
V&Aは、思春期や性的含意をめぐる多くの解釈がある一方、ホーワーデン自身が女性の自己解放を意図的に主題化したと裏付ける資料はないと明記している*1。Public Domain Reviewの近年の批評は、鏡像を写真の複製性、母と娘、自己像の重なりから読み、後世のジェンダー批評が作品へ新しい意味を与えてきた過程を示している*6。制作時の意図と、20世紀以降の批評的受容が異なる層として重なること自体が、ホーワーデン研究の特徴になっている。
2013年の研究「Domestic Photography and the Minor」は、ホーワーデンの制作を家庭写真そのものの美学と19世紀の美術・博物館文化の関係から検討している*24。家具を取り払い、娘たちの身体、窓、鏡を反復して配置できる家庭空間そのものが、写真の形式を決める制作条件として働いた。
「Photographic Study」
ホーワーデンは多くの作品を「Photographic Study」「Studies from Life」と呼び、文学的な固有題で状況を説明しなかった。The Metは、この簡素な命名が、若い女性像に感傷的な題名を与える同時代の慣習と異なることを指摘している*2。Musée d’Orsayの《Study from Nature: Clementina Maude, 5 Princes Gardens》でも、娘の姿は特定の物語の登場人物として説明されず、室内、衣服、身体の向きが画面の意味を作る*14。
娘たちの反復肖像
現存作の多くには娘たちが繰り返し登場する。V&Aはホーワーデンが約800点の写真を残し、その多くが娘たちの肖像だったと説明している*1。衣装、鏡、窓、二人組のポーズを変えながら同じ人物を撮るため、家族の成長記録と演出された「Study」が重なっている。娘たちが撮影構想をどの程度共同決定したかを明らかにする一次資料は乏しいが、同じ家族が長期間撮影へ参加したことで、母と娘のあいだに反復可能な制作環境が成立した。フランス文化省も、衣装、光、ポーズを変えた娘たちの反復像をホーワーデンの主要な制作として整理している*9。衣装と演技をヴィクトリア朝の女性像の形成と結びつける研究は、後世の批評としてこの反復へ社会的な意味を与えている*10。
NGAに残る1864年の「VISCOUNTESS HAWARDEN / PHOTOGRAPHY」と記されたハンドビルは、彼女の写真が家庭内で制作されながら公的な展示・告知へ移ったことを示す*13。Musée d’Orsayの回顧展は、ルイス・キャロルが彼女の写真を評価し、作品を購入した同時代の受容も紹介している*8。当時の「アマチュア」という立場は公開市場で写真館を経営しない制作条件を指し、作品の技術水準や展覧会での評価とは一致しない。ホーワーデンの活動は、家庭内制作と公的な芸術写真の制度が同時に成立し得た例になった。
1939年のV&A寄贈とジェンダー研究による再評価
ホーワーデンの写真は長く家族内に残り、1939年に多数の作品がV&Aへ寄贈された。V&Aは、孫クレメンティナ・トッテナムが1939年に775点を寄贈し、それがホーワーデンの生涯作品のおよそ90%に当たると記録している*1。Victorian Webの作品一覧は、鏡、窓、娘二人、屋外、家族像など現存作の幅と、1970年代以降の主要研究・展覧会を辿る入口になる*19。
1999年前後の再評価では、ドディエの伝記的・資料的研究とキャロル・メイヴァーの批評的研究がほぼ同時に刊行された。CAA Reviewsはこの二冊を比較し、ホーワーデンがジュリア・マーガレット・キャメロンと並ぶ19世紀英国の重要な女性写真家として本格的に研究されるようになった転機として位置づけている*23。伝記と作品同定を重視する研究、ジェンダーと欲望の読解を進める研究が並立したことが、現在の受容の幅を作った。
キャロル・メイヴァーの『Becoming』は、鏡、母娘関係、女性同士の親密さ、エロティシズムを軸にホーワーデンを読み直した代表的研究である*4。Duke University Pressは、家具を減らした居間と娘たちの反復像をヴィクトリア朝の女性表象へ接続する同書の方法を紹介している*5。2024年には県立広島大学の紀要でも鏡像を主題にした研究が公刊され、日本語圏でも独立した研究対象になった*20。家族のための肖像として生まれた写真は、後世の美術史の中で、家庭空間、母娘関係、ジェンダー、自己像を検討する資料として新たな位置を得た。
ケント大学の博士論文は、ホーワーデンとサミュエル・バトラーを中心に、ヴィクトリア朝写真における「現実」と主体の形成を比較研究し、家族写真や演出を個人の心理と同時代のリアリズムの双方から検討している*25。National Portrait Galleryの『Victorian Giants』はさらに、ホーワーデンをジュリア・マーガレット・キャメロン、オスカー・レイランダー、ルイス・キャロルと並べ、1850〜60年代の英国で芸術写真の地位をめぐる実験が共有されていたことを示した*26。
Musée d’Orsayの《Clementina Maude at 5 Princes Gardens》では、窓、衣装、壁、身体が大きな面として配置されている*15。利用できる場所が限られていた社会的条件の中で、ホーワーデンは同じ部屋を何度も作り替え、窓光、鏡、人物同士の距離を精密に変化させた。家族を記念するための室内が、若い女性の姿勢と役柄を反復して試す撮影装置へ変わり、その形式が後世のジェンダー研究と自己表象研究の重要な対象になった。
- ジュリア・マーガレット・キャメロン ― 近親者や知人を家庭的環境で撮りながら、顔のクローズアップと宗教・文学的役柄へ向かった同時代の比較対象。
- ルイス・キャロル ― 子どもや若いモデルへ衣装と物語的役柄を与えた同時代の演出肖像。
- オスカー・レイランダー ― 演出と複数像を通じて、写真の事実性と作為の境界を早くから問題化した。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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