ピーター・ヒュージャー(Peter Hujar、1934–1987)は、米国ニュージャージー州トレントン生まれの写真家である。商業写真の現場で技術を学んだ後、ニューヨークのイースト・ヴィレッジで芸術家やダンサー、ドラァグ・パフォーマーらを白黒で撮影した。動物や無人の街路にもレンズを向けた。1976年の写真集『Portraits in Life and Death』では、生者の肖像とパレルモの地下墓所で撮影した遺骸を二部構成で対置した。序文はスーザン・ソンタグが寄せている。
ダイアン・アーバスの正面肖像やロバート・メイプルソープの緻密に構成された裸体写真と比べると、ヒュージャーの肖像には長年交流した俳優や芸術家との時間が重なる。1973年の《Candy Darling on Her Deathbed》では、花と白い寝具に囲まれた病床でポーズを取る俳優の姿を残した。写真集『Portraits in Life and Death』(1976)では、生者の肖像29点に続けて1963年のパレルモで撮影した遺骸11点を配した。後半の死者の像によって、友人たちの生きた顔が読み直される順序である。誰の肖像を残し、どの順序で見せるかをプリント制作と写真集の編集で決めた。自主出版物『Newspaper』にも参加し、写真を画廊以外の読者へ届けている。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
商業写真の経験——暗室で仕上げる肖像
ピーター・ヒュージャーは1934年、ニュージャージー州トレントンに生まれた。ウクライナ系の祖父母のもとで幼年期を過ごし、やがてニューヨークで写真を学ぶ。1950年代には商業写真の助手として、照明と引き伸ばしの技術を身につけた。2024年の『Rialto』展は、商業撮影で磨いた照明と暗室技術が後年の肖像制作を支えた経緯を初期作からたどっている。*2
商業撮影から離れた後も、最終的な像を暗室で選ぶ姿勢は変わらなかった。その選択の跡を伝えるのが、モーガン・ライブラリー所蔵の5,700点を超えるコンタクトシートである。撮影記録は1955年まで遡り、鉛筆による印も読み取れる。2026年展『Hujar:Contact』では、姿勢を変えながら撮影したコマと最終的に選ばれた一枚を対照できる。*3 鉛筆の印が付いた採用コマと前後の写真を比べると、撮影中の試行と暗室での選択が別の工程として見えてくる。*14
イースト・ヴィレッジ——共同体の中から撮る
1956年にフロリダで出会った美術家ポール・テックとは、恋愛と制作の両面で関係を深めた。アンドリュー・ダービンの2026年刊の共同評伝は、二人の歩みをニューヨークの芸術家や作家、パフォーマーとの交流に重ねている。*20 テックとの恋愛が芸術上の交流へ展開した経緯を知ると、親しい人物を撮るまでに重ねられた時間も肖像の背景として見えてくる。
1969年のストーンウォール蜂起以降、ダウンタウンの性的少数者や実験芸術家は画廊や商業媒体の外にも発表の場を築いた。ヒュージャーはダンサーやドラァグ・パフォーマー、作家たちの私的な室内の姿も撮影した。知人のどの表情を紙焼きに残すかは、暗室での判断に委ねられた。*4 作品の発表先や販売をめぐる摩擦は、生前の写真の流通範囲を左右する要因でもあった。*1
《David Wojnarowicz》——ポーズと選択の緊張
《David Wojnarowicz》(1981)では、顔に落ちる陰影とわずかに傾いた肩が、レンズを見返す視線を際立たせる。ヴォイナロヴィッチがエイズ危機のなかで政治的な作品を発表するのは後年のこと。1981年の肖像には、後の活動によって意味を固定される以前の顔と姿勢がある。*8
ホイットニー美術館の解説も、撮影する側とされる側の気質が交わる瞬間に注目する。*10 相手がポーズを保ってレンズを見返す時間には、撮影者の指示と被写体の意志が交わる。その往復が肖像の緊張を生む。コンタクトシートの別の姿勢と完成プリントを比べると、被写体に委ねた動きと撮影者が最終像を選ぶ判断を区別できる。*23 正面から返された視線には被写体自身の選択がある。一方、顔の陰影と肩の輪郭には露光や暗室での焼き込みという撮影者の判断が残る。批評家ヴィンス・アレッティはヒュージャーとの交流を振り返り、写真を大きさや紙質、階調を持つ物として意識するようになったと語る。*22 アレッティが語る紙の質感への注意は、画像を印刷物に仕上げる際の判断まで含めて肖像を考える理由となる。
動物と無人の街路——肖像の範囲
人物のポーズを細かく選ぶ一方、ヒュージャーは犬の皺や無人の街路の輪郭にもレンズを向けた。犬を写した《Will: Shar-Pei (I)》(1985)では、皮膚の皺と身体の重心が人物の表情に相当する手がかりとなる。《New York Series #22》(1976)では、無人の街路を人物の肖像に近い注意で見つめている。*9 《Will: Shar-Pei (I)》の皮膚の折り目と《New York Series #22》の建物の線は、人物の表情を伴わずとも、被写体の形を画面の中心に据える。*5
『Portraits in Life and Death』——生者と死者の二部構成
1976年の『Portraits in Life and Death』では、生者の肖像29点に続いてパレルモのカプチン会地下墓所で撮影した遺骸11点が現れる。スーザン・ソンタグの序文に続く前半29点には、固有の名前とポーズを持つ芸術家や友人たちが登場する。ページを進めた先に現れる11体の遺骸は、その顔や衣服もかつて誰かの生に属していたことを前半の肖像に照らし返す。*15 撮影時期も場所も十年以上隔たる二つの写真群を生と死の対として向き合わせたのは、刊行時の編集判断である。
1963年にテックとシチリアを旅して訪れた墓所は、二人の制作に長く影響した。テックは翌年から《Technological Reliquaries》に取り組み、肉片を思わせる蝋の造形を展示ケースに収めた。*21 テックが立体造形に展開した墓所での経験を、ヒュージャーは十年以上後に写真集の後半へ配置することで生かした。*24 蝋の立体では物体そのものを造形するが、銀塩写真では撮影済みの像を選び直し、ページ順によって見え方を変える。この制作上の違いが二人の仕事を分ける。*24 1963年の墓所での体験は、テックの展示ケースの中の造形とヒュージャーの写真集後半11点に、それぞれ異なる形で結実した。
ヒュージャーは写真集を小説のように構成すると語っている。アンディ・ウォーホルを収録対象から外し、広く知られていないダンサーを選んだとされる。*16 当時の知名度によって写真集の序列を決めず、無名のダンサーをウォーホルより優先する選択。生者29点から遺骸11点へ進むページ順も、一人ひとりの生の有限さを浮かび上がらせる編集判断である。1976年の刊行時は売れ行きが振るわなかったものの、2024年の復刊や近年の展覧会によって再び注目を集めた。初版と復刊版の受容の隔たりに、同じ写真集が時代ごとに異なる文脈で読まれる過程が表れている。*22
『Newspaper』——自主出版と画像の配列
大判の自主出版物『Newspaper』(1968〜71)はスティーヴ・ローレンスが主導し、ヒュージャーらの写真を中心に紙面を構成した。アーバスやウォーホルも参加し、説明文を介さず写真や図像が次々に現れる紙面が生まれた。14号の刊行とヒュージャーによる写真44点の提供は、マルセロ・ガブリエル・ヤニェスの調査によって詳しくたどれる。*17
『Portraits in Life and Death』が一人の作者による二部構成なのに対し、『Newspaper』では複数の作者の画像が思いがけない順序で出会う。1969年号のトゥリ・クプファーバーグの連続肖像は、他の作者の図像に挟まれている。一人の人物を繰り返し写すリズムが、紙面全体にも及ぶ配置だ。*19 『Newspaper』の全14号は、ギャラリーで展示する以前の写真にも流通の場を開いた。1986年のグレイシー・マンション展では70点を二段に並べ、画像の選択と対置を展示空間にも展開している。*18 自ら掲載の場をつくった背景には、作品の発表を画廊の判断に委ねざるを得なかった当時の状況がある。展示室の壁に固定されたプリントと異なり、新聞の紙面では複数の作者の写真を手元で連続して読むことができた。*13
《Candy Darling on Her Deathbed》——病床で保つスターの姿
《Candy Darling on Her Deathbed》(1973)はウォーホル周辺で活躍したトランスジェンダーの俳優が、病床でポーズを取る肖像である。キャンディ・ダーリングは片腕を頭の後ろに回し、レンズへ顔を向けている。白い寝具と枕元の花が、その身振りを映画のワンシーンのように際立たせる。病床という場所でも、俳優としてポーズを取る本人の姿が写真の中心にある。*7 この肖像が撮られた1973年は、ゲイ解放運動が広がっていた時期である。後のエイズ危機はまだ訪れていない。ただし、ダーリングの病と死を1980年代のエイズ危機へ直接結びつけることはできない。1973年の肖像を1980年代のエイズ危機の記録として扱えば、ダーリング自身の病と彼女が選んだスターとしての姿を取り違えてしまう。*6
アーバス、メイプルソープ——被写体との関係とポーズの違い
ダイアン・アーバスが同時代のニューヨークで社会の規範から外れたとされる人物を正面から捉えたように、ヒュージャーも従来の肖像では顧みられにくかった人々へレンズを向けた。アーバスが被写体との対面の緊張を画面に残したのに対し、ヒュージャーにはポール・テックら同じ相手を長く撮り続ける関係があった。1956年に出会い1963年のシチリア旅行も共にしたテックの肖像には、恋愛と制作を共有する相手をどう見るかという問題が伴う。*5
メイプルソープの男性裸体には、厳密な照明とポーズの構築がある。それに対してヒュージャーは相手の不機嫌さや疲れ、ぎこちなさまで肖像として成立させた。*16 ポール・テックとの交友や競争を扱った2026年の共同評伝は、友情と恋愛を経て別離に至る二人の距離を考える資料となる。*20 そうした肖像が1976年の写真集や1986年のグレイシー・マンション展に入ると、友人同士の記憶は見知らぬ鑑賞者にも開かれる。読者はページをめくり、来場者は展示順に作品を見る。
『Hujar:Contact』——完成プリントから制作過程へ
ヒュージャーが1987年にエイズ関連の病で亡くなると、ヴォイナロヴィッチはその頭部と手足を写真に残した。生前のヒュージャーの肖像では静かに保たれていた身体が、友人の死後には抗議と追悼を担う像になった。*11 生前の発表は限られ、市場との距離や自主媒体を中心とする活動環境が、作品の届く範囲を左右した。*1
近年の研究は、ダウンタウン文化の担い手を写した写真に、制作と編集の工程からも近づいている。2023年の『Newspaper』復刊や2025年の展示再構成に続き、2026年にはコンタクトシート展が開催された。画像の選択と配列を異なる資料から検証する動きである。*18 モーガン・ライブラリーは110点以上のコンタクトシートと20点の引き伸ばしを対比。撮影中に試された姿勢と採用された像の関係をたどった。*3 完成プリントだけを見ていた時代には隠れていた、連写の順序と採用コマの関係が調べられるようになった。
再評価は評伝や映画にも広がった。リンダ・ローゼンクランツが1974年12月18日の一日を聞き取った記録には、制作や収入への不安と友人との会話が入り混じる。*12 聞き取りには肖像写真の注文や暗室作業とともに、家賃や収入をめぐる不安も記録されている。1976年の写真集に登場する芸術家たちとの交流も、日々の仕事と生活の中にあった。*23 アレン・ギンズバーグの撮影やソンタグとのやり取りも、同じ一日の出来事として登場する。*23 1974年12月18日の仕事と会話を追うと、没後の回顧展で語られる作家像の背後に、暗室労働と生活費の問題が見えてくる。
- ダイアン・アーバス ― ニューヨークで周縁化された人々を撮った同時代人。初対面の緊張と、長く知る相手を見つめ直すヒュージャーの姿勢を比較できる。
- デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ ― ヒュージャーとの交流と死後の追悼を通じ、肖像を政治的な証言へつなげた美術家。
- ナン・ゴールディン ― 友人たちの生活をカラーの連作にした後続世代。選び抜いた白黒の単写真に重きを置くヒュージャーとの差異が際立つ。
- ロバート・メイプルソープ ― 同じ時代の男性裸体を構築的なスタジオ演出で示した作家。ヒュージャーが肖像に残した相手のためらいや疲労と、異なる緊張を生む。
《Candy Darling》や《David Wojnarowicz》の肖像を動物や夜景の写真とともに紹介し、プリント制作の経緯にも迫る回顧展図録。
図録を見る ↗- MoMA - Peter Hujar: biography and art
- Whitney Museum of American Art - Peter Hujar
- The Met - Nude Self-Portrait, #3 (1966)
- National Gallery of Art - Peter Hujar: works
- 東京都写真美術館 - ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現
- MoMA - David Wojnarowicz: biography
- The Morgan - Hujar:Contact press release (2026)
- Fundación MAPFRE - Peter Hujar: Speed of Life
- The Morgan - Peter Hujar: Life and Times (2018)
- MoMA - Pascal (Paris), 1980
- Liveright / twelvebooks - Portraits in Life and Death (2024 reprint)
- MoMA - John McClellan (1981)
- PORT - Newspaper and the picture-only publication
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。