ジャナイナ・チェペは、自身や女性の身体に布、風船状の器官、植物を思わせる造形をまとわせ、海、森、庭園、都市で撮影してきた作家。《100 Little Deaths》《Melantropics》《Blood, Sea》を中心に、写真、映像、パフォーマンスを使って、人間の身体が動物、植物、水、地形へ近づく変身のイメージを作る。
ステージド写真では、衣装やセットによって人物を別の役や物語の登場人物として組み立てる方法が広く使われてきた。チェペはそこから、人物の「役」を強める方向ではなく、人間の輪郭そのものを一時的に変形させる方向へ進んだ。絵画への違和感と制作環境の制約からカメラとパフォーマンスへ移り、布、ラテックス、水、風船状の器官を身体へ付け、海や森の中で短時間だけ成立する状態を撮影した。以前のステージド写真が演じられた人物像を画面へ固定する傾向を持ったのに対し、チェペでは写真は、身体が動物、植物、地形へ近づく「変化の途中」を保存する媒体になる。
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ハンブルクからニューヨークへ――絵画への違和感とカメラの選択
チェペは1973年ミュンヘンに生まれ、ブラジルで育った。1992年から1997年までハンブルク美術大学で学び、1997年から1998年にはニューヨークのSchool of Visual ArtsでMFAを取得している*16。公式略歴は、写真、映像、パフォーマンス、彫刻、ドローイング、絵画を並行して用いてきた経歴を示す*2。Sarasota Art Museumの回顧展も、初期の写真・映像から後年の絵画までを、一貫した変身と風景の問題として構成している*1。2024年のインタビューで本人は、当時のドイツの美術教育を男性作家とコンセプチュアル・アートの影響が強い環境として振り返り、絵画への不満とニューヨーク留学が重なった時期に、スタジオを借りる余裕もなく、部屋とカメラを使ってパフォーマンスを始めたと説明している*26。2026年のインタビューでも、当初は写真や映画そのものへの関心より、親密で一時的なパフォーマンスを記録し、後から見せるための道具としてカメラを使っていたと語っている*27。初期には膨張するラテックス彫刻を制作し、人間の身体を彫刻として扱う関心がパフォーマンスと写真へつながったと、Sandra Firminは2005年の展覧会論で説明している*24。Firminによれば、映像が動きと持続を保つのに対し、写真はパフォーマンスを「停止した可能性」として残し、画面の外へ続く環境を想像させる*24。本人が別のインタビューで、人間と自然の「あいだ」にある状態を探してきたと説明していることからも、初期写真の身体変形が単なる衣装実験ではなかったことがわかる*3。制作上の制約から選ばれたカメラは、やがて「その場でしか成立しない身体」を一枚の像として残すための形式になった。
1990年代の身体・風景表現――ボディ・アート、ロマン主義、ステージド写真との距離
チェペの初期作品が生まれた1990年代には、セルフポートレート、パフォーマンス・フォー・カメラ、ステージド写真が、ジェンダーや身体の表象を考える主要な方法になっていた。National Museum of Women in the Artsの「Live Dangerously」は、1970年代のアナ・メンディエタからチェペまでを、女性の身体と自然の関係を再考する写真の系譜として同じ展示に置いている*6。これはメンディエタからの直接的な影響を示す資料ではないが、女性の身体を風景へ置く先行するボディ・アートと、チェペの架空生物的な演出を比較する制度的な文脈になる。Firminはさらに、チェペがブラジルで育つ一方、19世紀ドイツ・ロマン主義、とりわけカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの風景と死のイメージにも強く反応していたと論じている*24。Germano Celantは《100 Little Deaths》が1996年に始まり、旅先で自分の身体を風景として扱う反復から生まれたことを、本人の発言とともに記録している*22。Vitoria Daniela Boussoは、写真を「時間の一片」として物語の前後を想像させる媒体、映像を時間と音を扱う媒体として区別し、チェペが複数媒体を選ぶ必然を説明している*25。後年のBOMBでの対話でも、水と変化する自然は媒体をまたいで継続する中心的な要素として語られており、初期写真の身体と風景の問題が一時的な様式ではなかったことがわかる*23。
身体を「人物」から、環境の一部へ近づける
National Museum of Women in the Artsはチェペの作品を、水、夢、女性の身体、変身を横断する実践として紹介し、《He Drowned in Her Eyes as She Called Him to Follow》では人魚を思わせる存在が海辺に現れる作品を所蔵している*4。ここで人物は性格や経歴を伝える肖像の主役ではない。うつ伏せになり、布に覆われ、触手のような造形を伸ばすことで、身体は一つの生物種として確定できない形へ近づく。写真の明晰さは、その曖昧さを消すどころか「これは実際にカメラの前にあった」という感覚を強める。
《100 Little Deaths》――反復される倒れた身体
《100 Little Deaths》は1996年から2002年にかけて、チェペ自身が各地の地面にうつ伏せになった姿を反復したシリーズである。NMWAは、風景、変容、死をめぐる探求としてこの作品を位置づける*5。同館の「Live Dangerously」展では全100点がまとめて提示され、旅行先の風景を背景に同じ身体姿勢が繰り返される構造が強調された*6。場所が変わっても身体は地面へ伏すため、観光写真の「ここに私はいた」という記念性が弱まり、身体が土地へ吸収されるか、土地から異物として排出されたように見える。NMWAが紹介する本人の説明では、移動した場所ごとに自分の一部を置いていく感覚がシリーズの発想にあり、倒れた姿勢は旅の記念写真とは反対に、場所によって自己が変わることを示すために反復された*5。
《Melantropics》――架空の植物学を撮影する
Contemporary Art Museum St. Louisの《Melantropics》展は、自然環境と人工的な衣装・小道具、神話や民間伝承、架空の植物学的命名を組み合わせる作品群として紹介された*7。「melancholy」と「tropics」を結んだ題名が示すように、熱帯の豊かさをそのまま賛美するのではなく、植物のような人物、作られた器官、湿った風景を通して、自然と人工の区分自体を曖昧にする。衣装は特殊効果として身体を隠すのではなく、身体が環境と同じ形態言語を持つための接続部になる。
《Blood, Sea》――水が身体の境界を消す
《Blood, Sea》はフロリダのWeeki Wachee Springsなどで撮影され、女性たちが造形的な衣装をまとい水中で浮遊する映像と写真へ展開した。USF Contemporary Art Museumは、彫刻的なコスチューム、自然、夢と現実の間を行き来する高精細映像として紹介している*8。同館のメディア資料でも、複数画面の映像インスタレーションと関連作品が、写真と動画を分けずに一つの環境として構成されたことが確認できる*9。水中では重力が弱まり、布と髪と身体の境界が動き続けるため、静止画でも人体の輪郭が決まりにくい。
《Chimera》――複数の存在が一つの身体に重なる
Irish Museum of Modern Artの個展《Chimera》は、複数のアイデンティティや生物的特徴が一つの存在へ融合する「キメラ」を、写真、映像、絵画を横断する考えとして提示した*10。IMMA所蔵の《Sultry Moon》も、人物、月、風景が現実的なスケールから外れた、魔術的で沈んだ場面として記録されている*11。このような作品では、写真は変身の物語を順序立てて説明せず、途中の一状態を確かな表面として固定する。そのため「何に変身したのか」より「何者とも確定できない状態」が長く残る。
シリーズとしての写真――一回の変身を反復可能な語彙にする
公式サイトの《100 Little Deaths》では、各地で撮られた同型の身体が連続して見られ、シリーズの反復が作品の構造であることが明確になる*12。《Blood, Sea》の公式記録でも、映像と静止画が同じ身体語彙から派生している*13。TBA21 Academyの《Aquatica》では、地質学的・生物学的な自然と想像力を交差させ、作られた衣装や架空の種を写真、映像、ドローイングへ展開する方法が作家自身の言葉で説明されている*14。撮影は完成した彫刻を記録する作業ではなく、身体、衣装、場所を一度だけ結びつける制作行為そのものだった。
写真は絵画への前段階ではない
Centre Pompidouの作家ページは《Blood, Sea》や《Dreamstructure》を含む作品を所蔵・記録し、チェペの写真・映像が独立した制作として美術館コレクションに位置づけられている*15。Sean Kellyの作家紹介も、絵画だけに焦点を当てず、写真、映像、彫刻を通じて有機的な形態と風景を探ってきた経緯を整理している*16。後年の絵画が広く紹介される現在でも、初期の写真とパフォーマンスは「絵画に戻るまでの実験」ではなく、身体を固定的な主体から外す方法が最初に具体化した場として読む必要がある。
女性身体と自然をどう読むか――制度的な文脈と本人の自己規定
チェペは女性の身体を自然へ置く作家として、アナ・メンディエタ以後の系譜やフェミニズムの文脈で展示されてきた。National Museum of Women in the Artsの「Live Dangerously」は、メンディエタからチェペまでを、女性が風景の中で自らの身体をどう位置づけ直したかという歴史の中で並置している*6。ただし本人は、自分の身体を使った初期作品について、女性の主体性を表現するためというより「作家としての自分の主体」を表すためだったと明言している*28。この二つは矛盾として処理するより、受容史と作家自身の自己規定を分けて読む方がよい。女性身体と自然を結ぶ写真史的・制度的な文脈は確かに存在する一方、チェペの作品内部では、性別の表象だけに収束させず、身体が水、植物、動物、記憶へ変わっていく状態そのものが中心に置かれている。
日本での受容と、2000年代ステージド写真の位置
Nichido Contemporary Artの記録には2005年の東京での《Lacrimacorpus》以降、日本での展示歴が複数残り、写真・映像期から継続して紹介されてきたことがわかる*17。Galerie Max Hetzlerも国際的な展覧会・所蔵歴を整理し、媒体横断的な制作を現代美術の文脈に置く*18。2002年のTagesspiegel評は《100 Little Deaths》の反復と、演者を使う作品における身体・変容・アイデンティティの問題を同時代的に捉えていた*19。Xippasの《Melantropics》紹介も、人体が退き、植物・動物・人工物の混成した存在へ近づく点を強調する*20。『Photo Art』への収録は、こうした実践が2000年代の写真拡張を代表する一例として認識されたことを示す*21。
写真史上の意味――「誰を撮ったか」から「身体はどこまで変われるか」へ
チェペの写真は、セルフポートレートや女性表象の系譜と接続しつつ、顔や人格を中心に置く肖像の枠組みを弱める。身体を布、水、植物、地面と同じ画面上の物質として扱い、撮影のためのパフォーマンスを通して一時的な生物へ変えるからである。演出写真が映画的な物語や心理劇へ向かう潮流の中で、チェペは演出を「役を演じる」ためより、人体の分類そのものを不安定にするために使った。写真が変身を止めるからこそ、存在しない生物が存在したように見える。この仕組みが彼女の写真表現の中心にあり、写真の静止性そのものが変容を考える装置になる。