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PHOTOGRAPHERS/EMMET GOWIN ·家族写真 ·UPDATED 2026.09
EG
§ 422 — Photographer Index — 家族写真

エメット・ゴーウィン

Emmet Gowin 1941–
Countryアメリカ Period1950–1960s Channel写真史の論点 · 環境写真
Abstract

エメット・ゴーウィン(1941–)は、ヴァージニア州ダンヴィル生まれのアメリカ人写真家である。1960〜70年代には妻イーディスとその家族を大判カメラで撮り、親密な肖像を長期の共同作業として育てた。1980年代以降は火山・核施設・採掘地・灌漑農地を上空から撮影し、『Changing the Earth』へ展開する。家族の身体と地表を同じ注意深さで見続け、肖像と航空写真を一つの制作史へ結んだ。

この写真家が変えたこと

1960年代から、ゴーウィンは大判カメラを前に妻イーディスと家族が撮影へ参加する「agreement」を築いた。1980年のセント・ヘレンズ山噴火以後は、Hanford・Nevada Test Site・露天掘り鉱山・灌漑農地を上空から撮影する。家族写真で培った、関係を時間の中で見る方法を、国家や産業が地表へ残した痕跡を読む仕事へ拡張した。 その転換によって、風景写真は手つかずの自然を称える形式から、核実験・採掘・農業が土地をどう変えたかを検証する媒体にもなった。

Keywords Edith Baldwin Street 航空写真 Changing the Earth Nevada Test Site Hanford Harry Callahan Frederick Sommer
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

ダンヴィルとイーディス——家族が主題になるまで

エメット・ゴーウィンは1941年ヴァージニア州ダンヴィル生まれ。十代でアンセル・アダムスの写真に触れ、写真が事実の記録を越えて精神的な経験になり得ることを知った。 *1 1964年にイーディス・モリスと結婚すると、彼女の家族や子ども、そして庭や室内という身近な世界が制作の中心になる。 *3 よく知る相手だからこそ、年齢・光・身振り・距離によって未知の側面が現れる。ゴーウィンにとって家族写真は、親密さを証明する記念写真ではなく、身近な人を繰り返し見直すための場だった。 イーディスも単なるモデルではなく、身振り・衣服・場所を選びながら長い結婚生活の中で作品形成に関わった。 *29 二人が「agreement(合意)」と呼んだのは撮影許可以上の関係であり、同じ瞬間を作品にすることへの共同の判断である。南部ヴァージニアの家族文化や宗教的環境を背景に、ゴーウィンは外部の事件ではなく、もっとも近い人々から写真を始めた。 *7 *10 *20

その私的な主題を美術写真へ練り上げるうえで大きかったのが、RISDで学んだハリー・キャラハンと、交流を持ったフレデリック・ゾマーである。 *17 キャラハンは妻エレノアや家族を長く撮り、日常的な対象へ何度も戻りながら技法を変える先例を示した。ゾマーからは、対象を説明し切るより、画面の中で偶然の対応関係が生まれることを信頼する態度を学ぶ。 *18 ゴーウィンはその厳密さをイーディスと家族へ向け、視点・光・円形の像・プリントの質を調整しながら、アルバムに属していた親密さを他者が見る美術写真へ組み替えた。1973年に始まるプリンストン大学での教育も、私的な被写体をどう作品へ変えるかを若い写真家と批評する場となる。 *25 家族写真が1970年代以降のアメリカ美術写真で主要な領域へ入る時期と、ゴーウィンの制作と教育は重なっていた。 *14

家庭の親密さにも、1960〜70年代の社会状況が入り込んでいた。ゴーウィンは後年、大学院へ入った1965年に徴兵通知を受け、家族写真の時期全体がベトナム戦争を背景にしていたと振り返っている。彼自身は初期の家族写真をある意味で「war pictures」と呼び、家庭の日常も国家的な暴力の時代条件の中にあったと振り返った。*29 イーディスや子どもの像には、家庭の日常と、その外側で続く徴兵や戦争が同じ時代の経験として重なる。外部では戦争と徴兵が続き、家の内部では日常・裸体・冗談・成長が進む。近しい人々の一回限りの身振りへの執着には、日常の持続が脆いという同時代の感覚も重なっていた。

§ 02 / 04 表現の核心

「agreement(合意)」と大判カメラ

ゴーウィンは大判カメラを使い、しばしばレンズのイメージサークルをそのまま残した円形の画面を作った。*25 大判カメラでは三脚を据えてピントを合わせるため、被写体と撮影時間を共有する必要がある。*22 家族写真では大判カメラの遅さが撮影関係を形づくる。相手が撮られていることを知り、待つ時間まで共有することで盗み撮りとは異なる親密さが生まれた。 大判カメラは被写体との関係を遅くするだけでなく、細部を非常に高い解像度で残す。肌・布・庭・壁の質感まで同じ密度で写り、人物と生活空間がともに画面の意味を担った。*23 家族肖像でありながら生活空間全体も画面に残り、後の地表写真へつながる視覚的な連続が生まれる。 遅い撮影と高い解像度は、肖像を人物と生活空間の共同記録へ変えた。顔だけを人物の本質とする肖像から離れ、家・庭・布・壁までを関係の履歴として読めるようにした。

親しい相手を撮る行為には、「知っている」という先入観が常につきまとう。イーディスの裸体や家族の奇妙なポーズでは説明を抑え、伝記を超える余白を残した。*8 その余白が、家族を幸福だけで代表させたり、私生活の見世物として消費したりする読みを揺らした。親密さは、何十年見続けても相手に未知の部分が残る経験として立ち現れる。 円形の像は、レンズが作るイメージサークルを残し、写真が世界の一部を機械的に切り取る仕組みまで画面に刻んだ。*25 画面の縁を自然な窓として忘れさせず、見る行為の境界まで画面に刻む。

地上から空へ——同じ注意で身体と地表を見る

1980年のセント・ヘレンズ山噴火を契機に、ゴーウィンは上空から地表を撮る方法へ進んだ。やがてHanford Nuclear Reservation・Nevada Test Site・露天掘り鉱山・灌漑農地など、人間活動が土地へ刻んだ形を撮影する。*12 家族写真から環境写真への移行は、主題だけを見ると急激に見える。プリンストン大学のアーカイブ解説は、イーディスへ向けた「愛情と驚き」が地表を見る視線にも続いたと捉える。*25 身近な身体で培った注意を、変化する地表へとスケールを変えて展開したのである。 航空写真へ移ると、家族写真で扱った数秒の身振りと数十年の成長は火山活動・核実験・鉱業・農業が地表へ残す長い時間へ置き換わる。*13 身体の老いと地表の変形を同じ「時間の痕跡」として読むことで、肖像と風景を別々のジャンルとして分けずに扱った。風景もまた、制度と時間が土地へ残した変化を読む長期的な肖像として成立した。

航空写真には、軍事・農業・資源開発といった制度が地表へ残した痕跡が現れる。Hanfordは1942年にマンハッタン計画のプルトニウム生産拠点となり、40年以上核兵器計画を支えた後、大規模な環境修復の対象となった。*39 Nevada Test Siteのクレーターや円形農地に現れる幾何学は、軍事・資源開発・農業技術が土地を組織した痕跡である。*27 上空からは人間の身体が小さく退き、その行為だけが道路・穴・境界・幾何学として地表へ残る。軍事や農業といった制度は、身体を超える規模の痕跡を地表へ刻む。 航空機からの撮影では、家族写真にあった被写体との対話が消える。家族写真では合意を交わせる一方、地表には同じ合意を求められないため、航空写真では「見る権利」という別の倫理問題が立ち上がる。 *4

航空写真という視点自体にも長い制度史がある。20世紀のアメリカでは、上空から土地を均質な面として読む技術が軍事偵察・地図作成・農業・資源調査・土地利用管理と結びついて発達した。USGSの歴史研究によれば、第一次世界大戦以降に航空写真が軍事と民間の測量を結び、戦後には地図更新や土地利用分析へ広がった。 *38 HanfordやNevada Test Siteを撮る時、ゴーウィンはその「上から把握する」視覚を無垢な芸術的視点として使ったわけではない。Nevada Test Site側から既存ネガの利用を提案されても、自ら飛行機に乗り、高度と角度を現地で確かめることを選んだ。 *1 核施設・採掘・灌漑を可能にした管理技術と近い視点を借りながら、同じ俯瞰を土地に残された結果の検証へ使い返す。 *30 軍事や測量のために発達した航空写真を、管理が地表へ刻んだ傷跡を読む写真へ反転させたのである。 *9

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

Baldwin Street——家族を時間の中で撮り続ける

ダンヴィルのBaldwin Streetで撮られた写真群は、イーディスの家族を1960年代から長期間追った。*11 同じ顔や庭・室内・裸体、子どもの成長と老いが年月を隔てて現れ、反復する像の差から家族関係を読ませてきた。NGAが「serial portrait」と呼ぶ反復では、一人を一枚で代表させず、肖像の差が時間を測る手がかりとなる。*22 長期制作では被写体と写真家の距離も変化し、初期の若い夫婦から後年の家族まで構図・プリント・演出の程度が少しずつ異なる。その更新され続ける関係自体が、シリーズの時間となった。 *19 *24

Baldwin Streetで反復されるのは同じ人々だが、身体・家・撮影技術・互いの同意は時間とともに変化していく。反復によって、人物像だけでなく、変わり続ける関係の履歴も蓄積される。近年のアーカイブ整理では、長く「代表作」とされた少数の像の周囲から別の表情や失敗、日常的な場面が大量に現れた。*3 アーカイブの厚みは、ゴーウィンの親密さを一枚の奇跡的な瞬間から共同で過ごした時間へ広げる。親密さは偶然に得た表情より、同じ人々を撮って見せ、再び撮るという共同の時間によって成立していた。イーディスと家族が何十年も撮影を受け入れ、時に演じ、時に拒みながら生活を共有したこと自体が作品の条件である。 *2 *21

『Changing the Earth』と蛾——傷跡と生命の差異

2002年の『Changing the Earth』では、鉱山・核施設・農業・自然災害の痕跡が上空から集められた。 *12 採掘の穴・核実験のクレーター・灌漑農地の円は、地上ではまったく別の制度に属するが、上空から見ると「土地を管理可能な面へ変える」幾何学として並び始める。 *26 *33 同じ距離から軍事・採掘・農業を撮ることで、ゴーウィンは別々の社会制度が地表へどんな形を残すかを比較できる状態にした。ただし、その抽象的な美しさは人間の被害や労働を遠ざけ、破壊をパターンとして鑑賞させる危うさも抱える。美しさと暴力が同じ画面に重なることこそ、このシリーズの緊張である。 *16

ゴーウィンは「terrible beauty」を、写真そのものが抱える矛盾として引き受けた。美しい形への魅力と、その形を生んだ暴力の認識を同じ画面で衝突させた。*35 Hanfordを飛行中に核の物語へ気づいたという経緯も、風景の形から制度の存在へ遡ったことを示す。*30 航空写真は、破壊を直接告発するポスターとは異なる速度で働く形式である。見る者はまず形へ引きつけられ、その後に場所の名称と歴史を知り、自分が見ていた美しさの条件を修正する。 2001年以降、ゴーウィンは中南米で千種を超える蛾をカラーで撮影した。*3 蛾の仕事では、微小な差異・模様・色・種の多さを、生きた環境の複雑性として画面に定着させた。*3 近年にはイーディスのシルエットと蛾を重ねた作品も作り、家族写真と生態系の仕事が長い制作の中で再接続されている。*3 蛾の撮影では、一匹を「代表種」とする選別より、数百から千という差異を蓄積した。*3 航空写真が核実験場や鉱山の巨大な痕跡を扱うのに対し、蛾のシリーズでは翅の色・斑紋・輪郭の小さな差へカメラを近づけた。核実験場のクレーターから蛾の翅の斑紋まで、尺度を変えても、形に残った変化を読み取る姿勢は一貫している。 巨大な地表と微小な蛾を往復することで、環境を損傷と生命の差異の両方から見る視野を作った。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

親密さと風景に残る、見ることの倫理

ゴーウィンの家族写真は、1970年代以降に家庭・結婚・子ども・裸体が美術写真の主要な主題へ入っていく流れの中にある。MoMAは「Pleasures and Terrors of Domestic Comfort」で、家庭を欲望や権力、不安も交差する場所として扱った。*28 ゴーウィンの家族写真では、特定の家族・家・身体を繰り返し撮り、その固有性を保ったまま他者へ開く形式が中心となる。 サリー・マンら後続世代との比較からは、被写体との近さと、公開を決める権限が別の問題として浮かび上がる。*32 ゴーウィンでは、長期の共同関係と大判カメラの遅さも制作条件として画面に刻まれ、親密な写真は双方の参加による演出と観察の間に成立する。 1970年代以前、家族写真は主にアルバムや記念写真として私的に流通している。ゴーウィンは親密な像を美術館と写真集へ送り出し、「誰の家庭を、誰が見るのか」という問いを公共の場へ開く。*5 私写真の公開によって、主題の格と、誰の生活を誰が見るのかという条件の双方が変わった。家族アルバムに属していた親密な像が美術館へ入ることで、親密さそのものが鑑賞者の権利と倫理を問う主題になった。 *15 *34 *36

航空写真では、見ることの快楽と倫理的な不安が別の形で重なる。High Country Newsも、地表の傷が魅力的な抽象として現れる危うさを論じた。 *31 ゴーウィンの画面にまず引きつけられるのは、クレーターや鉱山の形の美しさである。しかし場所の名称を知れば、それは核実験・採掘・汚染の痕跡へ読み替わる。 *6 家族写真でも、イーディスや親族の親密な身振りに惹かれた後、鑑賞者は他人の私生活を覗く側にいることへ気づかされる。 *35 被写体は身体と地表で大きく異なる。それでも像の魅力が見る者を引き寄せた後、「自分は何を、どんな権利で見ているのか」と問い返す構造は共通する。アンセル・アダムス的な「手つかずの自然」の美しさから、人間の軍事・採掘・農業によって変形した土地へ視点を移したことで、風景写真の倫理的な対象も更新された。 *33 家族から環境へという主題の変化の底には、見ることの快楽と責任を切り離さない姿勢が流れている。 *37

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • アンセル・アダムス ― アンセル・アダムスの焼けた木の写真を見た経験は、一本の木の事実と精神的な含意を同じ画面に置けると知る契機になった。
  • ハリー・キャラハン ― RISDの師ハリー・キャラハンから形式を学びながら、ゴーウィンは最終的に自分の生活圏から主題を見つける必要を引き受けた。
  • フレデリック・ゾマー ― フレデリック・ゾマーからは、写真と言葉や具体的な事物を一対一で対応させず、その間に複数の意味を残す姿勢を学んだ。
§ REF さらに読む
Emmet Gowin: Changing the Earth

家族肖像から航空写真へ至る変化を一つの環境観としてたどり、身体と地表を同じ注意深さで見る制作の連続をまとめた中心的な一冊。

The Nevada Test Site

核実験が地形へ残したクレーター・道路・人工構造を上空から捉え、Nevada Test Siteの軍事史と結びつけた。

§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。