ロザンジェラ・レノーは、家族アルバム、公文書、監獄資料、新聞写真など、すでに存在する画像とアーカイブを主な材料とするブラジルの作家。《Imemorial》《Bibliotheca》《Vulgo》《Río-Montevideo》などを通じ、写真の保存、廃棄、匿名化、所有、再閲覧と、ラテンアメリカの歴史記憶を考察してきた。
レノーは、既存写真を再利用するとき、元画像をそのまま見せることを前提にしない。《Universal Archive》では写真を出さず新聞の説明文だけを集め、《Bibliotheca》では家族アルバムを透明ケースに封じ、《Imemorial》では国家資料の身元写真を暗く沈める。画像を消す、封じる、見えにくくするという別々の操作によって、誰が保管し、誰が見られず、どの情報が失われたのかを作品の形にした。
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「撮る」より、捨てられた写真を扱う方へ
レノーは1962年にベロオリゾンテに生まれ、建築と美術を学んだ*1。1980年代末には、編集室周辺で捨てられた写真、ネガ、スライドを集め、他者が不要と判断した像を制作へ取り込み始めた。MoMAは、彼女が1980年代後半までに大量の廃棄写真を集め、再利用する方法を築いたと説明している*2。
レノー自身の回想では、1980年代半ばに自分で撮影することをやめ、既存画像を使う方向へ意識的に転じた。1988年には映像編集室の近くに捨てられていたフィルムのスチル写真を拾い、その後は廃棄された身元写真のネガにも向かった。写真を新しく生産し続けるより、社会がすでに作り、不要と判断した像を扱う方が、写真の価値と象徴的な力を考えるために有効だと気づいたことが、方法の根にある。 *21
ブラジルでは軍事独裁政権後の記憶、失踪者、公的記録へのアクセスが重要な政治課題となった。レノーの作品は事件を直接報道するより、既存資料が分類、破棄、盗難、匿名化を通してどのように歴史を弱めるかを見る。MFA Bostonは、彼女の作品がラテンアメリカの政治的動乱と独裁の遺産を扱い、写真が経験を記録すると同時に覆い隠すことを問うと紹介している*3。
アーカイブを「仕事場」にする
レノーは自身の実践を、写真が「仕事場」となるアーカイブ的行為として説明する。ここでの仕事は、古い写真へ元の物語を付け直すよりも、別の文脈へ置き、像が記憶を作る規則を試すことに向かう*4。
《Bibliotheca》は、世界各地で集めた100冊のアルバムやスライド類を37の展示ケースへ収め、10群に分けたインスタレーションである。*5 アルバムそのものは封印され、ページを自由にめくれない。隣接する資料から内容や移動経路を追えるため、写真を見ることと、その写真について情報を知ることが別々の行為として分離される。*8
《Universal Archive》――画像のない写真アーカイブ
《Universal Archive》は、新聞記事から写真に関する文章を収集し続けるプロジェクトである。実際の写真を示さず、「写真には〜が写っていた」「写真によって判明した」といった記述だけを蓄積し、文章が不在の像を想像させる*6。
この方法は、写真が見える証拠であるという前提を反転する。画像がなくても、新聞の言語は何を重要とし、誰を匿名の犠牲者や容疑者として記述するかを決める。《Vulgo》では監獄資料の頭部写真と《Universal Archive》の文章が組み合わされ、制度が身体と物語を別々に管理する仕組みが露出する*7。
《Bibliotheca》――他人のアルバムを封印する
《Bibliotheca》(1992–2002)では、蚤の市などで集めた古い家族アルバムから写真を選び、再撮影した後、元のアルバムを透明なケースへ封印した。個々のページを自由にめくることはできず、写真の出自や移動経路は別の情報として提示される。*8
MACBAの所蔵情報は、作品を図書館のような家具、写真、アルバム、地図からなる複合的なインスタレーションとして記録している*9。私的な記憶の器だったアルバムは、美術館に入ると資料と作品の中間へ変わり、閲覧権そのものが主題になる。
《Vulgo》――監獄の身体と匿名化
《Vulgo》は、サンパウロの監獄博物館に残された1920〜40年代の受刑者写真を再利用する。頭皮、傷、入れ墨など、識別と犯罪学のために撮られた身体の部分が拡大され、名前の代わりに通称や断片的な語と結びつく*7。
ArtNexusは、不要になった受刑者識別写真を使用するまでに緊張を伴う交渉があったと記す*11。この経緯自体が、像の所有者、写された人、保管機関、作家の権利が一致しないことを示す。レノーは匿名の身体へ想像上の伝記を与えず、制度が人を識別しながら人格を失わせる矛盾を残す。
《Imemorial》と、建設の公式史から消えた労働者
《Imemorial》では、ブラジリア建設に関わった労働者の身元写真を公的アーカイブから選び、床面と壁面へ配置した。都市の記念碑的な建築史に対し、死亡、失踪、無名化された労働者の小さな顔写真が別の記憶の場を作る*12。
National Museum of Women in the Artsは、レノーが家族アルバム、新聞、公文書の写真を通して、移民や政治的混乱の中で見落とされた人々の物語を可視化すると説明している*13。作品は失われた歴史を完全に復元せず、公式史の空白がどのように作られたかを示す。
ブラジルの写真史研究者Charles Monteiroは、《Imemorial》を、公的機関が写真をどのように使用し、分類し、保存するかを問い、ブラジリア建設の公式な国家物語に別の記憶を差し込む作品として論じている。ここで顔写真は失われた人物を完全には回復できない。むしろ、国家的事業の記録に労働者がどのような身分情報として残されたかを示す。 *23
別の社会学的研究も、《Imemorial》に含まれる労働者の肖像群を集合的記憶の問題として分析している。小さな身元写真では個々の顔を確認できる一方、名前や生涯について読める情報は限られる。顔が残っていても人物の履歴までは回復しないという差が、そのまま展示に残る*26。
写真集で、盗難と欠損を記録する
レノーのアーティストブックは、作品を持ち運べる展示へする。《2005–510117385–5》はブラジル国立図書館から盗まれ、回収された写真の裏面を実寸で複製し、表の画像より蔵書印、番号、傷、所有の痕跡を見せる*14。
MIT Pressの論文は、レノーの写真集を「カウンター・アーカイブ」として分析し、盗難、空箱、裏面を通じて公的コレクションの脆弱性を示すと論じる*15。本は失われた原版を埋め合わせるより、欠損が制度によって放置された事実そのものを流通させる。
《Río-Montevideo》――隠された新聞アーカイブを再上映する
《Río-Montevideo》は、ウルグアイの日刊紙『El Popular』の写真アーカイブを扱う。1973年7月の軍事クーデター時、写真部門責任者Aurelio Gonzálezらは48,626点のネガを破壊から守るため建物内へ隠した。レノーは2011年からこの資料に取り組み、新聞が出来事を伝えるために撮った画像を、独裁下で「隠して生き延びた物」としても見せる。 *22
展示では古いプロジェクターやマジックランタンを用い、観客が投影装置を操作して像を見る構成も採られた。1000 Wordsは、この仕事を、使い捨てられる写真と保存へ向かう欲望の両方を考える作品として論じている。写真は一度報道された後も、保管、隠匿、再発見、再上映という別の時間を持つ。 *24
Centro de Fotografía de Montevideoは、レノーがリオデジャネイロとモンテビデオを往復しながら約1年間このアーカイブを調査し、同館の目録システムも写真集の構造へ取り込んだと説明する。作品集にも保管機関が写真へ付けた番号や分類の規則が移され、展覧会で見せた写真だけをまとめる図録とは異なる順序で資料を読み直せる構成になっている*25。
忘却は、保存の内部でも起こる
レノーの作品で記憶は、過去をそのまま保存する働きとして扱われない。Mor Charpentierは、彼女が過去との結びつきを体系的に消そうとする社会の動きに関心を持ち、匿名の写真を再配置すると説明している*16。《Bibliotheca》の封印や《Río-Montevideo》の隠匿資料は、保存されていることと、誰もが見られることが同じではないと具体的に示す。
CAAMの展覧会は、画像に現れないもの、言語、博物館の分類を含む新作を通して、表象そのものを問い直した*17。レノーは資料の欠落、読めない情報、アクセス制限を補って消すのではなく、作品の見え方や閲覧方法に残している。
ラテンアメリカ写真史と国際的再評価
Apertureは2013年、国際的な活動に比して英語圏の写真史で十分に論じられてこなかった作家としてレノーを紹介した*18。MoMAも作品を収蔵し、既存写真とアーカイブを扱う実践をコレクションの中で位置づけている*10。その後のアルルでの大規模展と受賞も、撮影より既存資料の再配置を中心にした仕事への国際的な評価を示している。
2023年のLes Rencontres d’ArlesではWomen In Motion Awardを受賞し、フランスで初めてとなる大規模な個展「On the Ruins of Photography」が組まれた。同フェスティバルは、レノーがアーカイブ資料を変形し、時間、忘却、記憶を扱ってきた点を受賞理由の中心に置いている。2013年には、ブラジル国立図書館から盗まれた写真を扱う作品集でHistorical Book Awardも受賞していた。 *19
Reina Sofíaをはじめとする国際的コレクションへの収蔵は、レノーの実践がブラジル固有の記憶政治に加え、写真とアーカイブの関係をめぐる国際的な議論の中でも継続して受容されてきたことを示す*20。その作品では「記憶」という大きな主題より、《Bibliotheca》の封印、《Imemorial》の身元写真、《Río-Montevideo》の盗難・隠匿資料のように、写真が置かれた制度ごとの扱われ方の違いが具体的に問われる。
《Bibliotheca》では透明ケースがページをめくる手を止め、《Universal Archive》ではそもそも画像がなく、《Río-Montevideo》では写真の表面だけでなく裏面や隠匿の痕跡まで作品に含まれる。レノーは「アーカイブは写真を見せる場所」という期待を、作品ごとに別の方法で遮る。誰が写真へ触れられるか、どの情報まで読めるかという制度上の差が、そのまま展示の距離や見えにくさになっている。
再文脈化しても、失われた人物を代弁しない
レノーが匿名写真を扱う作品では、失われた人物の人生を新しい物語で補うより、名前や撮影状況が欠けた状態そのものが残される。《Bibliotheca》の封印されたアルバム、《Vulgo》の身体断片、《Imemorial》の身元写真は、情報不足を解消せず、誰が記録を作り、どの時点で人名や文脈が切り離されたかを問い返す。作品が回復するのは完全な人物像ではなく、写真と個人情報が分離していった記録の条件である。
近年の研究も、レノーのアーカイブ実践を、周縁化された記憶、消去、暴力をどのように語り直せるかという問題から検討している。Farolの論考は、アーカイブを固定した歴史の倉庫から、何が可視化され何が排除されたかを読み直す物語装置へ変える実践として論じている。 *27
《Bibliotheca》では私的な家族アルバムが美術館のケースへ、《Vulgo》では犯罪学的な識別写真が拡大された身体断片へ、《Río-Montevideo》では隠されていた新聞写真が裏面を含む作品へ変わる。レノーは元画像を自由に引用するだけでなく、どの制度からどの制度へ移ったのかをシリーズごとに残す。廃棄、収蔵、盗難、封印という経路そのものが、各作品の見せ方を決めている。
- シェリー・レヴィーン ― 既存写真の再利用を通じて作者性を問う比較対象。レノーでは保存制度と匿名化がより中心になる。
- アルフレド・ジャー ― 報道画像の欠如や過剰を、展示構造と倫理の問題として扱う。
- カウンター・アーカイブ ― 公的記録を補完するだけでなく、分類・所有・欠落の権力を露出する実践。