百々新は、急速に変わる上海、カスピ海沿岸五か国、ウランバートル、京都など、人が暮らす場所を歩いて撮る写真家である。『上海の流儀』『対岸』『White Map on the Silk Road』を中心に、都市の変化、国境、宗教、資源産業、家族の日常を、人物と周囲を同時に入れる写真と写真集の連続で記録してきた。旅先を異文化の見本にせず、「いま何を見ておくべきか」という撮影者自身の判断まで含めて旅写真を組み立てる点に重要性がある。
百々新が旅写真で変えたのは、遠い土地を珍しさや情報として見せる組み立て方である。長く続くスナップショットの方法を使いながら、自分の知らない土地へ入り、人物と周囲を同じ画面に残し、国境をまたぐ写真を一冊の順序で比較できるようにした。『上海の流儀』では急速に変わる都市を現在形で記録し、『対岸』では五か国を章で分けながら、国名だけでは分類できない生活の反復も残した。旅先を「異文化」の標本にせず、移動する撮影者と土地との距離まで写真集の構造に含めた。
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目次 · Table of Contents
なぜ写真だったか
百々新は大阪芸術大学で写真を学んだが、制作の出発点として本人が語るのは「自分の知らない世界を見たい」という欲求である。2012年のトークでは、写真家である父・百々俊二との違いを考える中で「ここではない場所」へ向かい、南港から船で行けた上海へ通い始めたと説明している。*19 異なる環境へレンズを向ける行為を繰り返すうちに、「世界はどうなっているのか」という疑問と、自分自身の立場が制作の中で形になったという。*19
上海は古い街区が壊され、新しい都市へ急速に変わっていた。百々は、建物や人のあり方が「今しか見られない」と感じたことで写真の記録性を意識したと振り返っている。*3 同じインタビューでは、言葉で説明できることを写真で繰り返さず、写真には説明し切れない場面を担わせるという考えも語っている。*3 未知の場所へ行き、変化の途中にあるものを画面へ定着させることが、旅と写真を結びつける理由になった。
家族と写真教育
父の百々俊二も写真家であり、弟の百々武を含む三人展《Dream Boat》は、家族の写真が長い時間の中で並ぶ構成を取った。*8 百々俊二は大阪や紀伊半島など一つの土地へ長く通う仕事で知られる一方、新は上海、カスピ海沿岸、モンゴル、京都へ移動する。三人展をめぐる百々俊二の文章も、写真を人生の途中を残す行為として語っている。*18 新自身は制作の起点を、家業としての写真よりも、上海で受けた衝撃と「なぜ撮るのか」という問いに置いている。*14
人物と街を同時に写す
『上海の流儀』では、人物の顔へ極端に寄らず、身体と周囲の都市空間が一緒に入る画面が繰り返される。赤々舎が再刊時に掲載した東松照明の評は、クローズアップやミディアムショットをほとんど使わず、フルショットで上海を「わが街」のように撮った点を指摘している。*4 この距離では、人物の表情だけで異文化を代表させることが難しくなり、服装、壁、看板、工事現場、道路の幅といった生活環境が人物と同じ重さで画面へ入る。『上海の流儀』によって、百々は2000年に日本写真協会新人賞を受賞した。*7
上海は撮影期間の最中にも街区が解体され、別の都市へ変わっていた。百々は古いものと新しいものが同時に存在する時期を継続して撮った。*3 その条件では、象徴的な一人や建物だけを切り出すより、人物と周囲の店、看板、道路、工事の状態を同じ画面に残す方が、変化する生活環境を記録できる。東松照明がフルショットを指摘した評も、この人物と場所を切り離さない画面構成を百々の「流儀」として捉えている。*4
旅を撮影条件にする
『対岸』は、ロシア、アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、イランというカスピ海沿岸五か国を旅して撮影したシリーズである。赤々舎は、風土と人の営みを「目撃」した仕事として紹介している。*1 百々自身は、シルクロードの先にある未知の国々を見たいという動機に加え、「世界はどうなっているのか」という疑問から遠い場所へ向かったと語っている。*19 旅は名所を収集する手段ではなく、自分の既知の環境から離れ、何を撮るかを現地で判断し続けるための制作条件になった。
『上海の流儀』から約十年後、広告写真の仕事を続ける中で、百々は「いま生きている時代に何を見ておくべきか」という問いへ行き着き、その候補としてカスピ海を選んだと話している。*3 『対岸』が旅情を中心にせず、油田や道路、住宅、宗教的な服装、遊ぶ子ども、室内、夜景を同じ連続へ置くのは、この問題設定と結びつく。ニコンサロンでの展覧会も写真集刊行と並行して行われ、『対岸』は写真集と展示の双方で発表された。*10
国境を一冊で扱う
『対岸』は五か国を国別の章に分けながら、人物の身振り、服装、道路、室内、遊びや休息を同じ写真集のリズムで反復する。赤々舎の紹介が「対岸」という語を地理的な向こう岸と撮影者自身の距離の双方へ結びつけるように、章立ては国境を示しつつ、ページの連続は国名だけでは分類しにくい生活の類似も残す。*1 国境による差異を残したまま、それを横切って反復する日常を同じ本の中に並べている。
写真集で土地をつなぐ
百々の仕事では、撮影地の移動と同じく、写真をどの順序で置くかが重要である。『対岸』は176頁の本として五か国を国別に構成し、アートディレクションを寄藤文平が担当した。*5 百々と寄藤のトークでは、本に込められた時間や発見そのものが議題になっている。*15 写真集では、地理的に離れた場所の身振り、色、生活の反復をページ越しに接続でき、国別の章立てと国境を越える類似を同時に成立させられる。
2019年の『White Map on the Silk Road』は、『対岸』『上海の流儀』、ウランバートル、奈良など、別々の時期と地域の仕事を一冊へ集め直した。*2 Case Publishingの英語解説は、百々が「つかみどころのない他者」を探すのではなく、人間が生活を組織する多様な形を見ていると述べる。*2 同書では、既刊写真集の地理的な区切りを越えて複数の旅が再配置され、シリーズごとの意味と、それらを横断する生活の反復が同時に現れる。玄光社の紹介も、上海、カスピ海、ウランバートルを横断する展覧会と写真集の関係を記録している。*9
『上海の流儀』
『上海の流儀』は1999年に刊行され、のちに赤々舎から再刊された初期の中心作である。*4 急速な再開発のただ中にある上海で、人、工事、道路、店舗、室内を一つの画面へ含める撮影が続く。百々がこの時期の経験から写真の記録性を意識したという証言を踏まえると、作品の価値は「昔の上海が写っている」ことだけにない。変化の途中にある都市を、後から整理された歴史像になる前に、その場の密度ごと保存した点にある。*3
『対岸』
『対岸』は2012年に赤々舎から刊行され、第38回木村伊兵衛写真賞を受賞した。*6 五か国の写真は国別に整理されるが、ページを追うほど、政治体制や宗教の違いを示す記号と、食事、休息、家族、遊びのような共通の生活が交錯する。大竹昭子が指摘した「差異を探す視線」と「差異が消える感覚」の同居は、この本の編集構造と結びついている。*17 東京文化財研究所の年史にも、2013年の第38回木村伊兵衛写真賞受賞が記録されている。*12
『White Map』
『White Map on the Silk Road』は、2019年の入江泰吉記念奈良市写真美術館での展覧会に合わせて刊行された。*2 45頁の冊子には、上海、カスピ海、ウランバートル、奈良など異なるシリーズが再配置されている。Case Publishingは、土地ごとの差異が連続的な違いとして並び、各地の日常が一つの多面的な世界を構成すると説明する。*2 一つの地域を長期シリーズとして完結させる『対岸』に対し、この写真集では過去の複数の旅を横断して再編集する行為自体が作品の方法となった。
京都と映画
百々は遠方の旅だけを制作対象にしていない。『鬼にも福にも もうひとつの京都』では京都の人々、祭礼、日常を撮り、外から見た観光都市とは異なる生活の層を扱った。*13 AdverTimes.は、2015年から足掛け3年にわたり京都府内26市町村を撮影したと記録している。*11 河瀨直美監督『あん』ではスチールを担当し、その後『光』(2017)で初めて撮影監督を務め、『Vision』(2018)でも撮影を担当した。*3 静止画と映画の両方で、場所に滞在し、人の動きと周囲の時間を画面へ残す仕事が続いている。
『対岸』をめぐる批評
『対岸』への批評は、撮影地の珍しさより、旅をどのような距離で写真集へしたかに集中している。ダン・アビーは、旅先を自己幻想の舞台にする写真と区別し、百々自身が旅の不確実さの中に残っている点を評価した。*16 大竹昭子は、五か国の文化的記号を判別しようとする視線が、写真の連続の中で何度も判別不能になることを論じた。*17 姫野希美も、同作を単純な紀行写真とは捉えず、自分と他者の距離を扱う本として編集したと説明している。*19 これらの批評は、百々の旅写真を、遠い土地の知識を提供する形式より、撮影者と土地の距離を保持した記録として位置づけている。
家族の系譜と独立
百々新は百々俊二の息子としてしばしば紹介され、三世代ならぬ父・兄弟の写真を並べる《Dream Boat》も開催された。*8 しかし俊二の代表的な仕事が大阪や紀伊半島の土地へ長く通う蓄積を軸にするのに対し、新は上海からカスピ海、ウランバートルへ移動し、場所が変わるたびに自分の距離を測り直す。家族の写真文化は背景として重要だが、上海で「なぜ撮るのか」と問われた経験と、その後の旅の連作が、新自身の方法を作った。*14
日本の写真集文化の中で
百々の主要作は、撮影後の写真集編集までを作品の単位として展開している。『上海の流儀』は日本写真協会新人賞、『対岸』は木村伊兵衛写真賞を受賞した。*6 『White Map on the Silk Road』ではCase Publishingが複数シリーズを一冊へ再配置し、既刊作品を地域別のまとまりから解いて再編集した。*2 旅先ごとの写真を一冊の時間へ編む方法が、撮影地を横断する百々の制作を支えている。
有元伸也が主宰するTOTEM POLE PHOTO WORKSHOPは、百々の方法を「半世紀以上前から続く」旅のスナップショットの伝統の中に置き、その古い方法でどのように独自の作品を成立させたかを公開講座の主題として掲げた。*20 百々の特徴は、スナップショットそのものの新奇さではなく、東松照明が『上海の流儀』で指摘した人物と街を同時に含む距離、国境を越える反復的な移動、写真集で異なる土地を並置する編集を一つの制作へ結びつけた点にある。*4
- 百々俊二 ― 奈良、大阪、紀伊半島など土地を長期的に撮ってきた父。定住的な地域写真と、百々新の移動を軸にした仕事を比較できる。
- 森山大道 ― 移動と路上という接点があるが、森山の都市的な断片性に対し、百々は写真集で土地ごとの生活を長く編む。
- アレック・ソス ― ロードトリップと写真集編集という接点があるが、百々ではアジアと旧ソ連圏の国境・生活の差異が強い主題になる。
- 畠山直哉 ― 土地、移動、都市・風景の変化を写真集と展示の構造で考える参照点
- 旅写真 ― 移動を被写体発見の手段としつつ、写真家自身の距離や先入観を問う文脈。
- 写真集文化 ― 撮影された写真の意味を、順序、見開き、装丁、反復によって作る出版文化。
- 現代ドキュメンタリー ― 出来事の説明だけでなく、日常、地理、撮影者の立場を長期的に記録する写真。
- ドキュメンタリー ― 場所を証拠として写すだけでなく、写真集の編集によって距離と関係を読む方法
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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