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PHOTOGRAPHERS/NATE LOWMAN ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
NL
§ 226 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

ネイト・ロウマン

Nate Lowman
Countryアメリカ Period1990–2000s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

ネイト・ロウマンは、新聞、タブロイド、広告、ネット画像、道路標識など、すでに流通した視覚物を絵画、シルクスクリーン、図像の輪郭に合わせて外形を変えたシェイプド・キャンバス、インスタレーションへ展開するアメリカの作家。《Untitled (History of the SUV—No Blond Jokes)》《Autocide》《Maps》を中心に、犯罪、セレブリティ、国家記号が複製と再編集のなかで別の意味を帯びる過程を扱う。

この写真家が変えたこと

写真作品はしばしば、撮影者が何を見たか、原画像が何を記録したかを中心に読まれてきた。1980年代以後のアプロプリエーションは既存写真の引用そのものを作品化したが、ロウマンはさらに、画像が報道、コピー、インターネット、商品印刷を通って反復され、画質や文脈を失いながら公共の記憶へ定着していく過程を制作の核心に置いた。網点、低解像度、切り抜き、再印刷の劣化まで絵画に残すことで、写真の意味が撮影時に固定されず、流通と再利用のたびに書き換えられることを具体的に見せた。

Keywords アプロプリエーション 報道写真 犯罪イメージ Autocide Maps 複製 メディア批評
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

2000年代ニューヨークと「すでに撮られた現実」

ネイト・ロウマンは1979年ラスベガス生まれで、ニューヨークを拠点に、新聞、タブロイド、広告、インターネット、犯罪報道、道路標識など、社会の中ですでに複製されている像を制作の入口としてきた。Aspen Art Museumの展覧会は、彼の絵画やインスタレーションを、アメリカの視覚文化が大量の複製像によって組み立てられる状況の中に置いている*1

MoMAの作家記録では、2005年の《Greater New York》、2006–07年の《Defamation of Character》への参加が確認でき、ロウマンの仕事が2000年代半ばのニューヨークで早くから美術館の議論へ入っていたことがわかる*21

MASSIMODECARLOの作家資料も、ロウマンが絵画、彫刻、インスタレーションを横断しながら、流通済みのイメージを取り込み、意味が別の文脈で変質する過程を継続的に扱うと整理している*2

2000年代初頭の彼にとって写真は、カメラで新しい現実を採取するための専有的な媒体というより、ニュース印刷、コピー、ウェブ画像、商品印刷を通って摩耗した視覚情報の基盤だった。NYUの80WSEで行われた《Stay in School》では、雑誌や新聞から得た若者、ポップスター、暴力をめぐる像を壁面へ転写し、展示の構築と破壊そのものを作品化している*3

アプロプリエーション以後に残った問題

ロウマンの方法は、他者が作った既存イメージを引用・再利用して作者性やオリジナルの価値を問い直す、1980年代のアプロプリエーションを継承する。ただし、作者の独創性を否定するという説明だけでは彼の仕事を捉えきれない。The Metは《Autocide》について、インターネット上の雪だるまの像を取り込み、反復複製による劣化を絵具で再現しながら、ウォーホル以後のポップとコンセプチュアルな引用を接続した作品として解説している*4

MoMA PS1の《Defamation of Character》は、既成メディアを異なる意味へ転用するデトゥルヌマンを展覧会の一つの軸とし、ロウマンの「乗っ取られた風景」を、汚染、人種差別的な言葉、傷ついた評判が流通する文化への応答として紹介した*22

Astrup Fearnley Museetは、彼の原材料をニュース、ポピュラーメディア、美術史のイメージとしつつ、作品の中心にはそれらから新しい物語を作る関心があると述べる。壁面に複数の像を階層なく集め、互いの近接によって意味を発生させる展示は、引用した像の出所を暴くことより、像が別の像と結びついた瞬間に公共的記憶がどう変わるかを検証する装置になる*5

ロウマンの方法を写真史の流れに置くには、1970年代末から80年代のニューヨークで、マスメディアの既存画像を再撮影・再編集した「ピクチャーズ・ジェネレーション」との距離を見る必要がある。The Metは、シェリー・レヴィーン、リチャード・プリンス、サラ・チャールズワースらが、雑誌写真、広告、ロゴを切り取り、再撮影し、文脈を外すことで、作者性とオリジナリティを問い直したと整理している*25。ロウマンはその後の世代に属し、引用する行為自体よりも、引用対象がすでに何度もコピーされ、ニュース、商品、ウェブを横断している状態から出発する。

この差は2010年のNew Museum「The Last Newspaper」でよく見える。ロウマンは会期中、毎週のニュース記事に反応する絵画を追加し、新聞が更新される速度そのものを制作の時間へ取り込んだ*26。ここでは「原画像は誰のものか」だけでなく、出来事がニュースになり、別の画像に押し流され、それでも一部の像だけが残る選別の仕組みが問題になる。

すでに2003年の初期紹介文は、ロウマンをウォーホルやプリンスに続く「第2、第3、あるいは第4世代」のアプロプリエーション作家と呼び、狂気、反抗、政治、暴力のメディア像を収集し、コラージュ、絵画、写真、壁面配置へ組み込む実践を記していた*27。そのため、彼にとって新たに事件を撮影する必然は薄い。批評したい対象そのものが、事件より先に社会の中を循環する既成イメージとして現れていたからである。

§ 02 / 04 表現の核心

コピーの劣化を「絵画の手触り」にする

ロウマンは低解像度の写真、新聞網点、コピーのかすれを、スクリーンプリントや樹脂系のアルキド絵具、点描的な筆触へ変換する。Gagosianの《Never Remember》は、印刷技術とマスメディアの像が、絵画の表面で皮膚や傷のような近さを帯びる点を強調している*6

初期から反復される銃弾痕、スマイリーフェイス、芳香剤、手描きのハートは、図像の外形そのものを支持体の輪郭にしたシェイプド・キャンバスにもなる。Gagosianの作家解説によれば、銃弾痕はだまし絵的なデカールとして扱われ、写真の『痕跡らしさ』と商品の記号性が同じ平面に置かれる*7

Whitney所蔵の《Reverse Escalade》は、スクリーンプリントとアクリルで不規則な輪郭のキャンバスを構成し、印刷物の断片が絵画の形そのものを決める例である*8。ここでは写真を描写の下絵として隠すのでなく、写真が複製される際に生じる網点、輪郭、欠落を、完成作の形式に残すことが重要になる。

事件写真を扱うとき、何を見ているのか

ロウマンが犯罪や事故の写真を使う理由は、ショッキングな題材を追加するためだけではない。Whitney所蔵の《The Last Marilyn》のように、既知の人物像や報道イメージを塗膜とスプレーの痕跡へ接続すると、鑑賞者は出来事そのものと、その出来事についてすでに知っている図像を同時に見ることになる*9

MoMA所蔵の《Untitled (History of the SUV—No Blond Jokes)》(2003)は、タブロイドで反復された著名女性の像をコピーと歪んだシルクスクリーン転写で重ね、事件の記憶そのものがメディア利用によって変形する構造を作品化している*23。ここで問題になるのは撮影後の流通過程である。写真は新聞、コピー、テレビやネット、商品印刷などを移動し、反復されるたびに画質、説明、価値判断をまとい直す。

2013年のWhitneyでロウマンは、ジェイ・デフェオの作品を公開の場で模写するパフォーマンスを行った。美術館でのコピーという古い行為をあえて再演したことは、引用を匿名のデータ採取に限定せず、見る、写す、反復するという制作行為そのものへ戻す姿勢を示している*10

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Autocide》と、インターネット画像の物質化

《Autocide》(2012)は、ネット上で流通した雪だるまの画像を、油彩とアルキドによって巨大なキャンバスへ引き延ばす。ロウマンの公式略歴が示すように、彼の活動は絵画に限定されず、出版、展示、共同企画まで含むが、共通するのは既存像を選択し直す編集的な態度である*11

その編集性は、他作家を配置するキュラトリアル・プロジェクトにも現れる。公式サイトにまとめられた企画群は、個々の像を孤立させず、並置によって読む場を作ることが制作と展示の両方にまたがっていることを示す*12

David Zwirnerの作家資料では、ロウマンの近年の仕事も、アメリカの日常にある記号や複製像を絵画へ取り込み、視覚的な既視感と絵具の物質を往復するものとして紹介されている*13

《Maps》から《Parking》へ――国土と日常の記号

《Never Remember》の《Maps》では、アメリカ各州の輪郭をスタジオのドロップクロスから切り出し、しみや飛沫、縫い合わせの連想を政治的な地図の形へ重ねた。Gagosianは、国家が固定した一枚の図であるという感覚を揺さぶり、境界が歴史と偶然の集積であることを扱うシリーズとして説明している*6

2024年の《Parking》では、ロサンゼルスで目にした駐車場、路面、看板、都市の周縁的な形が、新しい絵画の語彙になった。David Zwirnerはこの展覧会を、日常の環境を遠景の社会学的対象として眺めるのではなく、形と記号の密度として採取する継続的な実践の一部として提示している*14

同展のチェックリストには《Tunnel Kiss》《Howl》《Shade in the Made》など、油彩、エナメル、ラテックス、モノタイプ、ブロンズまで異なる媒体が並ぶ。写真由来の像を一種類の技法に固定しないことが、ロウマンにとって『画像』を素材として扱う条件になっている*15

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

撮影しない実践――既存写真の流通を作品化する

2025年の東京でのGallery COMMON展は、ロウマンの方法をアプロプリエーション、反復、リフレーミングの連続として紹介した。別の文化圏に像を移すとき、元画像の意味がそのまま保存されないことが、彼の作品の作動条件になる*16

本人へのInterview Magazineの取材では、制作途中の像がニュース、個人的な記憶、スタジオ内の偶然と結びついていく過程が語られ、完成作が一つの情報源の説明図として作られていないことが確認できる*17

より早い時期のInterview Magazineの取材も、ロウマンが街やメディアで遭遇した既成の視覚物を拾い、絵画へ移す姿勢を伝えている*18。この態度によって、写真史上の論点は『誰がシャッターを切ったか』から、『一度撮られた像が社会を回る間に何を背負うか』へ広がる。

メディア批評としての限界と強さ

New Museumのアーカイブはロウマンを、先行するアプロプリエーションをニュース、グラフィティ、バンパーステッカーなど2000年代の画像環境で再稼働させる「ネオ・アプロプリエーション」の文脈で紹介している*19。その強さは、メディアの外部から真実を告発する立場を取らず、自分も同じイメージ循環の内部で選び、複製し、商品化するという矛盾を作品に残す点にある。

e-fluxの《The Natriot Act》案内は、ロウマンの引用をデュシャン、ウォーホル、リチャード・プリンス、ケネス・ノーランド以後の系譜と比較しつつ、既成像を選択、編集、操作して非線形の物語へ変える点を強調している*24

Brant Foundationの展覧会資料は、タブロイドの切り抜き、バンパーステッカー、弾痕デカールなどの既成イメージが、ロウマンの作品で公共の歴史と個人的記憶を結び直す素材になると説明している*20。ロウマンの作品では、報道写真、ネット画像、印刷物が出来事から離れた後にどのように残り続けるかが、絵画と展示の中心になる。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ピクチャーズ世代 ― シェリー・レヴィーン、リチャード・プリンス、サラ・チャールズワースらが既成写真と広告の再使用から作者性を問い直した先行世代。ロウマンは、その方法がネット画像と常時更新されるニュース環境へ入った後の条件を扱う。
  • リチャード・プリンス ― 広告・既成写真の再撮影を通じて作者性と流通を問う先行世代。
  • アンディ・ウォーホル ― 報道写真と反復をポップの構造へ持ち込んだ重要な参照点。
  • ロー・エスリッジ ― 商業写真と作家写真の境界を往復し、同時代の画像循環を別の角度から扱う。
Movements / Contexts
  • アプロプリエーション・アート ― 既存画像の引用によって作者性、所有、文脈を問う実践。
  • ポスト・ポップ ― 消費文化の記号を、1990年代以後のメディア環境から再検討する動向。
  • 写真と絵画の交差 ― 写真の複製特性を絵画の表面へ移す現代美術の問題系。
§ REF さらに読む
§ SRC 出典