Multiplicityは、建築家、都市研究者、写真家、地理学者らが参加するミラノ発の研究ネットワーク。写真、映像、地図、証言、移動時間などを組み合わせ、《USE》《Solid Sea》《The Road Map》で、ヨーロッパ都市、地中海、イスラエル/パレスチナの国境を、景観ではなく人や情報の移動を組織する制度として調査した。
都市や国境を扱う写真は、目の前に見える建物、海、道路、壁を記録できても、誰がそこを通れるのか、同じ距離がなぜ人によって異なる時間になるのかまでは一枚では示しにくい。Multiplicityは写真を結論として提示せず、地図、証言、映像、時刻、制度情報と照合する「調査の一要素」にした。《Solid Sea》や《The Road Map》では、風景の外観から、移動を許可・遅延・遮断する仕組みへ焦点を移し、ドキュメンタリー写真を複数の証拠から領域を読む方法へ展開した。
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1990年代の都市研究から生まれた「複数の視点」
Multiplicityは、建築、都市計画、地理、写真、社会調査などの専門を横断して都市の変化を読むために組まれたミラノの研究ネットワークである。Fondazione Antonio Rattiは、その方法を一つの対象へ複数の声と視点を向け、同じ場所を異なる角度から調べる実践として紹介している*1。
Stefano Boeriは、建築と都市研究の国際的な研究機関Canadian Centre for Architecture(CCA)のオーラルヒストリーで、Multiplicityへつながる1990年代の都市研究について、都市計画図や航空写真のように領域を上から一つの秩序として把握する「単一視点」を崩すために写真を使い、場所を横切る人々や住民の想像力を含む複数の視線を組み立てようとしたと振り返っている*21。
この方法が必要になった背景には、1990年代以後のヨーロッパで、都市の変化が建築物の完成形だけでは捉えにくくなった事情がある。documentaの公開テキストでStefano Boeri/Multiplicityは、欧州の都市を既成の建築雑誌や中心部だけから見るのをやめ、周縁で進む移住、非公式経済、国境を越える生活、産業跡地の転用などをケーススタディとして集めたと説明している*3。
そこで写真は「都市の代表写真」を作るための媒体というより、現場で起きる変化を他の証拠と接続する観察手段になった。Boeriは近年のインタビューで、この方法を、局所を詳しく調べて全体の状態を読む「local biopsy(局所的な生検)」にたとえ、リアルタイムで変化する現象から、空間を形づくる見えにくい過程を可視化しようとしたと振り返っている*4。
Multiplicityが「複数の視点」を必要とした理由は、都市研究の出発点にある。1995年のViafarini《Multiplicity—Mappe》は、都市の形と住まわれ方が変わる一方、従来の建築・都市計画の観察法がそれを捉え損ねると問題提起した*26。写真を建物の外観記録に限定せず、流れ、経路、場所の連続、記憶を読む「地図」として扱う発想が初期から示されていた。
《USE》――都市を一枚の俯瞰図に還元しない
《USE: Uncertain States of Europe》では、70人の研究者が15か国から参加し、ヨーロッパ各地の都市変容を異なる表現形式で記述した。documentaの歴史を再検討するオンライン企画「Platform 6」に再掲されたBoeri/Multiplicityのテキストは、写真、映像、図表などをケースごとに使い分け、最終的な展示にも複数の表現形式を併置したことを記している*3。
Kunstinstituut Mellyも《USE》を、大規模な研究ネットワークが調査結果そのものを展示空間へ展開する「survey-installation」と記し、ボルドー、ブリュッセル、東京、パース、ミラノへ巡回した経緯を示している*7。
媒体を増やすこと自体が目的ではない。都市の変化が建物だけでなく、労働、移動、法制度、非公式な利用、時間差として現れるため、対象に応じて写真、地図、証言、映像を使い分ける必要があった。
《Solid Sea》――海を「空白」ではなく経路と選別の空間として読む
《Solid Sea》は地中海を、人、商品、情報、資本が異なる規則で通過する政治的な空間として調査した。開かれた水面や文化交流の象徴という一般的なイメージから、通行を制御する制度へ焦点を当てている。Generali Foundationは、Multiplicityが地中海を「solid mass」として捉え、地図、写真、映像を使って複数方向から検討したと説明している*5。
e-fluxの同展案内も、《Solid Sea》が地中海を横切る人、商品、情報、資本の「フロー(移動の流れ)」と、そこに住む人びとの異なる移動条件を扱う継続的な調査だったことを記している*6。
海上の一地点を撮影しても、誰がそこを通れるのか、どの経路が合法/非合法とされるのか、同じ距離が誰にとって何時間になるのかは画面に直接写らない。地図、聞き取り、映像、文書を写真へ接続することで、風景の背後にある制度を読める形へ変えた。
《The Ghost Ship》――「起きた出来事」を証拠の連鎖から再構成する
《Solid Sea 01: The Ghost Ship》は、1996年のクリスマスにシチリア沖で起き、多数の移民が死亡した海難事故を調査したプロジェクトである。IFFRは、作品をこの事故の再構成として紹介し、Multiplicityが都市や領域の「最近の、隠れた変容」を調査する集団であることを説明している*8。
Boeriが2002年にNettimeへ投稿した《Solid Sea》紹介文は、1996年の沈没事故と、その後長く事故そのものが否認された経緯を当時のプロジェクト説明として残している*24。写真や証言を集める行為は、見えなかった悲劇を劇的に再演するためではなく、「事故は起きた」という事実へ複数の経路から到達するために使われた。
Xingの作品資料では、《The Ghost Ship》が地中海の変容を扱う一連のケースの第一例として提示され、事故後も遺体の回収や身元確認が進まなかった状況が記されている*17。
Domusは《The Ghost Ship》について、1996年の地中海での沈没事故が長く否認された経緯と、Giovanni Maria Belluによる海中撮影、関係者の証言を用いた二室の映像インスタレーションだったことを伝えている*18。ここで写真・映像は、単独で出来事を証明するのではなく、証言や位置情報と照合されることで政治的な証拠の一部になる。
《The Road Map》――同じ出発点と目的地でも「同じ距離」ではない
《The Road Map》は、エルサレム周辺でイスラエルの身分証を持つ人とパレスチナ人が、近い出発点と目的地のあいだを別々のタクシーで移動し、その所要時間と経路の差を記録した。Pratt Instituteの資料では、一方が約1時間、もう一方が5時間以上を要し、検問所や領域区分が移動をどのように変えるかを示したと説明されている*10。
2003年のKW Institute《Territories》は、検問所、道路、身分証、法的区分など、人の通行を選別する「border devices(国境装置)」を比較する調査としてMultiplicityを紹介した*22。《The Road Map》は、移動時間の差を一度の実験で示すだけでなく、建築と法制度が日常の経路をどう分岐させるかを測る方法だった。
Boeri自身も、この実験を国境装置が身体の移動時間を変える例として振り返り、二つの経路を通してWest Bankの領域構造を測ったと述べている*4。
この作品では、風景写真のように「そこがどう見えるか」を競うより、地図、時間、移動記録、写真を重ねることで、同じ地理的空間が制度によって別の現実になることを示す。写真が地図の具体性を補い、地図が写真に写らない経路の差を示すため、両者は相互に不足を埋める。
写真、映像、地図、展示――媒体を固定しないドキュメンタリー
TBA21は《Solid Sea》をdocumenta 11の委嘱作として挙げ、Stefano Boeri、Maddalena Bregani、Francisca Insulza、Francesco Jodice、Giovanni La Varra、John Palmesinoらによる共同制作として記録している*9。
写真家Francesco JodiceがMultiplicityの創設メンバーの一人だったことは、CAMERA Torinoの回顧展資料でも確認でき、彼の個人制作でも写真、映像、インスタレーションを横断する方法が紹介されている*14。
Stefano Boeri Architettiの略歴は、Multiplicityの主要プロジェクトとして《Solid Sea》《The Road Map》《USE》を挙げ、それぞれを移民、West Bankの境界、欧州都市の自己組織化という異なる調査対象に対応させている*11。
Landscape Biennialの作家紹介も、Boeriが1990年代に都市と領域の変化を研究し、Multiplicityを介して建築の外部にある社会現象を分析してきた経緯を示している*15。作品の媒体が一定しないのは、調査対象ごとに必要な提示方法を選ぶためである。
documenta 11以後――「写真作品」から調査の構造へ
5年ごとにドイツ・カッセルで開かれる国際現代美術展documentaの第11回、documenta 11の公式アーカイブにMultiplicityが参加作家として残されていることは、《Solid Sea》が2002年の国際展で、移住やグローバル化をめぐる議論の一部として提示されたことを示す*2。
documentaの現在の回顧資料はdocumenta 11を、展覧会だけでなく四大陸での討議を含む五つの「Platform」から構成し、文化と複雑な世界的知識システムの接点を扱った企画として整理している*25。この枠組みは、完成した作品より調査・討議・知識生産の過程を重視するMultiplicityの提示方法と強く噛み合った。
Studio Internationalのdocumenta 11評は、同展全体が単一の美術様式より政治、歴史、グローバルな不均衡を扱う作品群を前景化したと論じており、《Solid Sea》もその文脈で読まれた*12。
Generali Foundationの刊行物は、同時代の複数の国際的な集団が移住、労働、情報システムを扱い、従来の地理学的区分では記述しにくい新しい地理を探っていたと整理している*16。
後年のManifesta 12批評でも《Solid Sea》は、パレルモと地中海をめぐる現代美術の系譜を考える先行例として参照されている*13。写真史の側から見ると、Multiplicityは「誰が最も決定的な一枚を撮ったか」より、誰がどの資料を集め、照合し、どの順序で公開するかへドキュメンタリーの重心を置いた例として重要である。
同時代に近い問題を別の方法で扱ったのがアラン・セクーラである。Getty Research Instituteは、セクーラがコンセプチュアル・アート以後、ドキュメンタリーを単発の決定的瞬間から長期連作と文章へ展開し、グローバリゼーションを批評したと位置づける*27。《Fish Story》も写真、テキスト、スライドから港湾労働と世界経済を追い、海を物流と労働の空間として読んだ*28。直接の影響関係は確認できないが、両者がdocumenta 11に参加した事実は、2000年前後に「一枚の写真」だけでは見えないシステムを複数資料から記述する実践が並行していたことを示す。
証拠は中立ではない――編集と図式化までを批評の対象にする
il manifestoによる2003年の記事は、《The Ghost Ship》が、複数画面と資料を通じて地中海の事故と制度的な沈黙を追う構成だったことを伝えている*19。
Friezeの同時代評は《Solid Sea》の「Ghost Ship」を、スリランカからの移民の死と行政による長い黙殺が交差する物語として取り上げ、海中映像と証言の複数画面が声の集合として働いたと記している*23。
Francesco Jodiceの経歴を紹介するAlbumArteも、彼がMultiplicityを共同設立し、写真だけでなく映像や社会研究をまたぐ制作を続けてきたことを確認している*20。
資料を増やしても自動的に客観性が高まるわけではない。地図の尺度、証言の選択、映像の編集、展示順序には解釈が入る。Multiplicityはその選択を隠さず、写真を他の資料と照合できる構造に置いた。
写真を芸術作品、報道記録、都市調査のいずれかに固定せず、資料収集、聞き取り、フィールドワークと同じ調査工程へ置く。その点でMultiplicityは、1990年代以後の調査型ドキュメンタリーやリサーチ・ベースド・アートを考える接点になる。
- Allan Sekula ― 海運・労働・物流を、写真と文章の連鎖から読むドキュメンタリーの比較対象。
- Forensic Architecture ― 画像、地図、空間データ、証言を組み合わせて政治的出来事を検証する後続の調査実践。
- Francesco Jodice ― Multiplicityの創設メンバーの一人で、写真・映像を都市研究へ接続した。
- リサーチ・ベースド・アート ― 調査、資料、現場観察を作品構造そのものに組み込む実践。
- 拡張されたドキュメンタリー ― 写真一枚ではなく、映像、地図、証言、アーカイブを組み合わせて現実を記述する方法。