ゴンサロ・プフは、スタジオ、自宅、教室にフォームボードの建築、植物、地図、数式、日用品、人物を組み、撮影後には消える場面を大型写真へ残すスペインの作家。《Homenaje a Vermeer》《Incidentes》《Le Corbusier con piña》などで、写真が現実の証拠に見える力を利用しながら、目の前の「現実」が撮影のために作られたことを隠さない。
プフは、現実の部屋の中で壊れやすい舞台を物理的に作り、それを通常の写真として記録する。彫刻、演劇、実験室、日常生活の痕跡を含む構築場面に、写真がもつ「実際にそこにあった」という事実性を残したことが方法の核心である。その重なりによって、写真を現実か虚構かを判定する媒体から、両者が同時に成立する「ドキュメント=フィクション」へ展開した。
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絵画から彫刻、写真へ――一時的な場面を記録する
プフは1950年セビリア生まれで、初期には絵画から出発し、やがて彫刻と写真を組み合わせる制作へ進んだ。Banco de Españaの作家解説は、この移行を、フォームボードで作る壊れやすい建築や物を人物が一時的に「住み」、撮影の瞬間だけ成立する場面へ発展したものとして説明する*1。UCLMの略歴も、教室や自宅など中性的な場所に「incidentes」と呼ぶ状況を作り、大判の写真プリントとして提示することを制作の基本に挙げる*4。
2018年の長いインタビューでは、この移行が本人の経験としてさらに具体的に語られている。プフは1986年にクエンカ大学で教え始めた頃、絵画に物を貼り付けずにはいられなくなり、自分の直感と「絵画をしていること」が噛み合っていないと感じ、ほとんど思いつきのようにカメラを購入したという*26。その後の約4年間でキャンバスは消え、床や壁に鉄、木、塗装した構造物が現れ、写真はそれらへ重なるように入り込み、1991年のGalería Buades個展では光る構造物と写真が同じ不安定な空間を作った*26。カメラは絵画を別の平面表現に置き換えるための道具ではなかった。本人の言葉では「スタジオが持ち運べるようになった」のであり、彫刻、行為、火、水、人物の動きを一時的に組んでは別の場所へ運ぶ制作を、最終的に像として束ねる道具になった*26。
1990年代には、撮影前に場面を構築するステージド写真が現代美術の重要な方法になった。プフのセットには、発泡素材、紙、植物、生活用品など、制作途中を思わせる不安定な工作物がそのまま残る。CA2Mの所蔵カタログは、彼の場面を「実験室」のような環境と捉え、光、数学、科学、教育への関心が1990年代の作品に入り込むことを記す*11。
なぜ写真なのか――一時的な彫刻を「証拠」に変える
プフ自身は2002年のEl Paísで、デジタル処理による幻想より、撮影前に実際の場面を手作業で組み立てることを強調した*5。物理的に存在したセットを撮影するため、虚構の場面にも「その場が実在した」という写真の記録性が残る。Banco de Españaは、これによってスナップショットや写真の「真実」という概念が否定され、José Lebrero Stalsの言う「documento-ficción」が成立すると説明する*2。
「疑い」のための写真――完成したジャンルへ収まらない
プフは同じインタビューで、自分の制作を「確信」より「疑い」の領域に置き、知らない場所へ向かうことそのものに関心があると述べている*26。写真、映像、ドローイング、コラージュ、フォトモンタージュを分類せず一つの「ハイブリッドな文書」へ混ぜ、写真イメージの境界を越えて定義しにくいものへ変えたいという説明も、彼の形式を理解する鍵になる*26。演出写真は、実際に作られた物体と出来事を、証拠性の残る写真へ固定する実験場として働く。そこへドローイング、科学記号、行為、生活物を衝突させ、既存の写真ジャンルでは整理しにくい場面を作る。
《Homenaje a Vermeer》――光、科学、散らかった教室を一つの実験にする
《Homenaje a Vermeer》(1994)は、窓からの光、地図、本、紙、研究室のような室内を使い、フェルメールのアトリエ像と科学実験の視覚語彙を重ねる。Comunidad de Madridのカタログは、作品を1990年代のプフが集中していた光、絵画、科学の問題と結びつけ、現実の物と不可解な出来事が同じ場面に共存すると解説する*12。写真は、絵画への引用と、知識が整理されるはずの教室や実験室を同じ画面に収め、物が散乱して意味が確定しない状態を固定する。
UCLMも彼の主題に数学、科学、音楽、生物学、環境研究を挙げており、学問の図式や模型は、知識を「目に見える形」にする制度への関心として繰り返される*4。場面は謎解きの答えを用意せず、情報が多いほど関係が不安定になるように構成される。
《Incidentes》――演劇、彫刻、生活空間を撮影の一瞬へ集める
2003–04年のCAAC個展《Incidentes》は、プフの方法をまとまった形で提示した。CAACの出版アーカイブには同展カタログが独立した刊行物として記録される*13。ABC Sevillaはこの時期の作品を、写真の真実性を問い、「documentos-ficciones」として場面を作る実践と報じ、実験室、芸術と科学、演出の関係について本人の発言を伝えている*6。
セットの構築そのものが作品の思考を担っている。Banco de Españaは、白い建築物、日用品、人物が撮影中だけ同居し、劇場、パフォーマンス、写真、映像を分類しにくい状態へ持ち込むと説明する*1。写真は複数の時間と媒体を最終的に一枚の平面へ圧縮し、その平面だけが場面の生存を延長する。
《Le Corbusier con piña》――近代建築のユートピアを冷蔵庫と果物で汚す
《Le Corbusier con piña》(2005)では、白い高層建築と道路の模型が、開いた冷蔵庫、鉢植え、棚に置かれた巨大なパイナップルと共存する。Banco de Españaの展覧会解説は、ル・コルビュジエの都市計画のユートピアと、バロック静物の「朽ちるもの」の記憶が同じ画面で衝突すると読む*3。モダニズムの純粋な模型が生活の雑多さへ侵食されることで、設計図の秩序と実際に生きられる空間の差が可視化される。
大型プリント――工作物を「場面」として身体の前に戻す
プフは構築した「事件」を大型のカラー写真として提示してきた。UCLMの略歴は大判プリントを制作の基本形式として挙げる*4。Museo Reina Sofíaが2004年の《Sin título》を160×225cmのデジタル・クロモジェニック・プリントとして紹介していることからも、最終像が鑑賞者の身体に迫るスケールで展示されたことが分かる*10。
2007年頃からは展示自体がインスタレーション的な性格を強めた。CA2Mのカタログは、写真を主要な支持体としながら映像を取り込み、2007年以後の展示がインスタレーションへ展開したと記録する*11。El Paísの2007年評も、写真、ライトボックス、展示空間がフレームの外へ広がる実践として作品を論じた*7。
科学と自然――「研究」の姿を借りた不確かな風景
PHotoEspaña 2006ではReal Jardín Botánicoで個展が開催され、Photography Nowの記録にもその展覧会歴が残る*19。2008年のCAAC「Untamed Paradises」は、科学と自然の関係を扱う作家群の一人としてプフを紹介し、作家のスタジオが植物の「病院」のように変わるプロジェクトを紹介した*17。同展のプレス資料は、科学的調査の方法や道具を美術が借りることで、自然と知識の関係を再考するセクションに彼を位置づける*18。
プフが用いる「実験」は、科学的な正しさの再現を目的としていない。測定、模型、分類、研究室という形式が、現実を理解するために一度簡略化する装置であることを示し、その装置に偶然、冗談、生活の雑物を入り込ませる。撮影によってその不安定な配置が確定するため、写真は実験結果の記録に似ながら、結果の意味を一つに定めない。
《Una jornada sin nubes》――スタジオの実験を環境へ展開する
2011年のCAB de Burgos展《Una jornada sin nubes(雲のない一日)》を論じたセマ・ダコスタは、プフがそれまでの人物を配置した演劇的なタブロー・ヴィヴァンから距離を取り、廃材による不安定な構造、切り分けた野菜の静物、ドローイング、インスタレーションへ制作を広げたと記している。そこで継続する主題は人間と自然の関係であり、科学的な解釈によって自然が文脈から切り離されることへの違和感が、環境の劣化や人工化された風景へ向けられた*27。
プフの「実験室」は特定の室内セットに固定されていない。1990年代には科学図、模型、日用品を室内で衝突させ、2010年代には廃棄物や植物、展示空間へ範囲を広げた。写真、ドローイング、立体、インスタレーションの往復によって、知識と物質の結びつきが崩れる場面をその都度つくる。撮影のために構成するという初期の方法は残りながら、環境そのものを扱うにつれて、写真の外側の空間も作品の一部になっていった。
物理的に作られた虚構――シュルレアルな外観の内側
プフの画面は一見するとシュルレアルだが、その外観は実際に組み立てられたセットと行為から生まれている。Los Clavelesは《Buscando en la zona》を、インスタレーション、映像、実験室の論理が交差する「incidentes」の継続として紹介する*20。e-fluxも、心理的、社会的な現実を構築された場面によって扱う作家たちとの展覧会で彼を紹介した*21。
彼が繰り返し守ったのは、虚構をコンピュータの不可視な処理へ隠さず、カメラの前に実際に作ることである。El Paísのインタビューにある「手仕事としての写真」への強調は、写真の真実性を批判しながらも、現実との物理的接触を捨てないという逆説を示す*5。この物理的な制作によって、虚構でありながら実在した出来事の記録でもある写真が成立する。
スペイン写真の1990年代以後――写真とインスタレーションの境界で
作家公式の展覧会歴には、CAAC、PHotoEspaña、CAB de Burgos、ニューヨークのJulie Saul Galleryなどでの個展が並び、写真専門の場と現代美術の双方で受容されてきた*8。公共コレクション一覧にはReina Sofía、MUSAC、CAAC、Blanton Museum、Banco de Españaなどが記録される*9。Junta de Andalucíaも2004年に作品のCAAC収蔵を公的文書として記録した*16。
ピナ・バウシュ、ロバート・ウィルソンから学んだ「静止しない場面」
プフの人物や物が行為の途中に見える構成には、写真史上の比較に加えて舞台芸術の影響がある。本人は、ピナ・バウシュやロバート・ウィルソンの舞台を見た経験から、光、色、インスタレーション、演技、エネルギー、運動が分離せず、イメージが絶えず「起きている」状態を学んだと語っている*26。そこで写真の人物も静止してポーズを取る必要はなく、何かをしている最中でよいと考えるようになった*26。ピナ・バウシュやロバート・ウィルソンから得た舞台感覚によって、プフの写真は彫刻と行為の持続を一瞬の画面へ圧縮する。写真が必要なのは、その行為を止めるためであり、止められた一瞬の中に、前後の出来事を推測させながら結末だけを与えないためである。
写真史の中でのプフの意味は、「現実を撮る/虚構を作る」という二択を解きほぐした点にある。撮影前に物を作り、人物を置き、光を決める行為は明確な演出だが、完成した写真はその演出が実際に存在したという記録でもある。写真が持つ事実性を消さずに、その事実自体を制作した出来事へ変えることが、彼の構築写真の批評性を支えている。
CAACのコレクション資料はプフをアンダルシア現代美術の収蔵作家として継続的に紹介している*14。2006年のコレクション展資料でも、写真・インスタレーションを横断する文脈で作品が提示されている*15。
ケースベア、デマンドと同じ転換期に――「構築された像」をスペインの生活空間へ戻す
2005年にMARCOで開かれたテレフォニカ現代写真コレクション展は、20世紀末から21世紀初頭に写真が「文書」から「物語/表象」へ向かい、メディウム自身のコードを意識的に扱うようになったという転換を軸に、プフとジェームズ・ケースベアを同展に含めた*22。同展はその歴史的背景をデュッセルドルフ学派、ジョン・バルデッサリ周辺、ジェフ・ウォールらの映画的・絵画的写真へさかのぼっており、プフが「写真家」と「写真を使う美術家」の区別が薄れていく時期に受容されたことを示している。
ケースベアやトーマス・デマンドとの共通点は、直接的な影響関係より、撮影前に場面を構築する方法にある。グッゲンハイム・ビルバオは両者を、撮影するための模型や実物大の環境を制作する「構築されたイメージ」の系譜として整理している*25。プフの室内では、工作物、科学図、家具、植物、身体の痕跡が完成した舞台装置として隠されず、作業途中の混乱まで残る。CAACはこの方法を「documento-ficción」と呼び、虚構の物語へ現実の外観を与えながら、分類より蓄積を選ぶ実践として説明している*24。プフでは、幻影の完成度より、現実の物、工作、知識、遊びが一つの画面で衝突した痕跡が残される。
1990年代末の「新しい写真使用」――室内をフィクションの生成装置にする
Fundación Telefónicaは、1990年代末から2000年代初頭に制作された作品を集めた「Interiores」でプフを取り上げ、室内、街路、教会、顔などの断片が、操作、フィクション、欲望によって別の意味を得る時期として整理している*23。《Incidentes》の散乱したスタジオは、奇妙な出来事を演出する背景以上の役割を持つ。室内そのものが、彫刻、ドローイング、科学的記号、日用品を一時的に接続し、写真だけがその接続を一枚の事実らしい表面へ固定する装置になっている。
- ジェームズ・ケースベア ― 模型を撮影する点は近いが、プフは自宅や教室の日常物、人物、植物まで巻き込み、撮影のための一時的な出来事として場面を作る。
- トーマス・デマンド ― デマンドが既存画像を原寸大の紙模型へ戻すのに対し、プフは科学、教育、生活の断片を一つの不安定な舞台へ組む。
- ステージド写真 ― 撮影前に場面を構築し、写真を最終的な像として成立させる方法。