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PHOTOGRAPHERS/GRACIELA ITURBIDE ·ドキュメンタリー ·UPDATED 2026.10
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§ 429 — Photographer Index — ドキュメンタリー

グラシエラ・イトゥルビデ

Graciela Iturbide 1942–
Countryメキシコ Period1970–1980s Channel写真史の論点 · ドキュメンタリー
Abstract

グラシエラ・イトゥルビデ(1942–)は、メキシコシティ生まれの写真家である。1969年に映画を学び、マヌエル・アルバレス・ブラボの助手を経て撮影を本格化させた。1978年のセリ(コムカーク)取材、1979年から約十年続けたフチタンの撮影を《Juchitán de las Mujeres》に結実させた。儀礼や労働、鳥・人物を写真集の連続で結び、民族誌的な観察と象徴的な画面を交差させた。

この写真家が変えたこと

革命後の国家的な民族表象と国外の異国趣味的な視線は、先住民の姿を「神秘的なメキシコ」の典型像にしがちだった。イトゥルビデはINIの委嘱でセリを撮り、続くフチタンでは被写体との再会を重ねた。市場や家庭の営みから祝祭・政治活動までを撮影している。イグアナを頭に載せた女性の肖像《Nuestra Señora de las Iguanas》を、写真集《Juchitán de las Mujeres》の多様な生活場面へ接続した。セリの《Mujer Ángel》にはラジカセが残り、フチタンの写真集には労働や祝祭、muxeが共存する。一枚の女神像を「女性の楽園」の代表図像として流通させる読み方には、Binfordらの批判もある。

Keywords Juchitán Nuestra Señora de las Iguanas Seri 儀礼 鳥
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

UNAMとアルバレス・ブラボ——映画から写真へ

1969年、イトゥルビデは映画監督を志してUNAMの映画学校に入った。マヌエル・アルバレス・ブラボの写真に惹かれ、1970〜71年には助手として各地を同行した。映画を学ぶ中で出会った写真は、助手として各地を旅する経験を通じて、制作の中心となっていく。*2 アルバレス・ブラボの詩的な視線に学びながら、早い段階から旅先での観察を複数の写真へつなぐフォトエッセイへ進んだ。*4 1970年に6歳の娘クラウディアを亡くした経験は、その後の鳥や屠殺場・自画像など、死に関わる主題にも重なる。*7 ただし作品を私的悲嘆だけで説明することはできない。彼女は同時にメキシコ各地を移動し、儀礼や労働、都市・先住民共同体を社会的な現場として撮り続けた。旅と同じ土地への再訪は、後年まで制作の基本的な方法となった。*22 静止画へ移ってからも、旅と再訪で蓄積した時間が写真集のシークエンスを支えている。*2 アルバレス・ブラボから受け継いだのは「奇妙なメキシコ」を発見する視線より、日常の中で形と出来事が偶然結びつくまで待つ姿勢だった。娘クラウディアの死を経て繰り返し撮った鳥や墓地の像は、各地の屠殺場と儀礼の取材にも連なり、個人史と土地の習俗が作品の中で重なる。

革命後メキシコ写真——国家的な民族表象との距離

イトゥルビデが学んだアルバレス・ブラボは、革命後メキシコの芸術環境で先住民文化と都市の近代性を同時に撮った写真家だった。革命後の国民文化形成やモダニズムと結びつく20世紀メキシコ写真は、社会の自己像を作る役割も担う。*15 イトゥルビデはこの系譜を継ぎつつ、国家を代表する「典型的な先住民」像より、特定の人々と生活を共にする撮影へ比重を移していく。 国外で広まった「シュルレアリスム的メキシコ」という呼称とは距離を取りつつ、目の前の出来事に個人的な記憶や文化的な象徴が重なる瞬間を捉えている。*12 市場や街路の日常と儀礼的な場面が、同じ作家の制作の中で交錯している。*23 革命後の文化政策では、農村や先住民・民芸が国家の自己像を担う重要な図像となる。彼女はその視覚文化を継ぎながらも、被写体を「メキシコらしさ」の典型へ収めることを警戒する。*15 「シュルレアリスム」「魔術的リアリズム」という評価にも、本人は距離を置く。国外の鑑賞者がメキシコを非合理的な土地として固定する危険が、こうした呼称にはある。国内の国民表象と国外の異国趣味という、異なる期待の間で作品が受け取られてきたのである。 アルバレス・ブラボとの関係には、撮影姿勢だけでなく、国外での受容をめぐる共通点もある。彼も先住民や宗教・街路を撮り、海外ではしばしばシュルレアリスムと結びつけて語られる。イトゥルビデもその視覚的遺産を継ぎながら、「魔術的リアリズム」という呼称には強く反発する。*14 《Mujer Ángel》のラジカセやフチタンの市場を見れば、「魔術的リアリズム」という呼称だけでは撮影現場の同時代性を捉えきれない。

§ 02 / 04 表現の核心

《Los que viven en la arena》——委嘱で捉えたコムカークの現在

1978年、イトゥルビデはInstituto Nacional Indigenista(INI)の民族誌アーカイブから委嘱を受けた。先住民社会の取材先として、ソノラ砂漠のセリ(コムカーク)を選んだ。1979年の写真群は民族誌記録であると同時に作者の作品でもあり、2023年には共同体自身が歴史を振り返る視覚資料として再展示された。*5 人類学者ルイス・バルハウと約二か月共同体に滞在し、家で生活を共にするうちに、「カメラを持つ人」として認識される関係を築いた。*4 《Mujer Ángel, Desierto de Sonora》では、丘を歩く女性がラジカセを手にしている。砂漠の景観と米国との交易で入った工業製品が一枚に収まる。*8 交易によって流入した商品が、伝統的と呼ばれる景観の中にもすでに根づいている。 《Los que viven en la arena》には、異なる生活の規則や宇宙観を持つ共同体に、時間をかけて近づいた経験が刻まれている。*6 後年、INPIは写真をコムカークの歴史的な記憶として共同体と再共有した。その経緯は、民族誌写真を誰の歴史として保存するかという問いにもつながる。 女性が砂漠を歩きながらラジカセを持つ姿には、外部との交易と移動が共同体の日常に組み込まれていた事実が刻まれている。*8 民族誌写真が文化の「純粋さ」を優先する場合、こうした同時代の道具は画面からこぼれやすい。イトゥルビデは委嘱の枠内にいながら、古い慣習と新しい物が同じ時間に存在する場面を残し、先住民社会を過去形で見る視線に亀裂を入れた。 委嘱元がINIだったことにも批評的な重みがある。国家機関が先住民社会を記録する時、写真は文化保存と同時に「誰が先住民を定義するか」という行政的な視線を帯びる。*5 イトゥルビデはその制度の内部で撮影しながら、ラジカセや交易品、日常の冗談といった分類しにくい要素を画面へ残した。INIの民族誌委嘱でありながら、《Mujer Ángel》にはソノラ砂漠とラジカセが共存し、共同体が交易と移動の中で暮らす姿が残った。

フチタン《Juchitán de las Mujeres》——長期交流と共同演出

1979年、画家フランシスコ・トレドの招きでオアハカ州フチタンを訪れ、約十年にわたる撮影を始める。市場経済や地域社会で女性が大きな役割を担うサポテカ社会との長期的な交流が、《Juchitán de las Mujeres》の制作を支える。*1 1979年から1988年にわたる撮影は、1989年の同名写真集へ結実した。*24 代表作《Nuestra Señora de las Iguanas》は、ゾベイダ・ディアスが市場へ運ぶイグアナを頭に載せた場面から生まれた。*9 残されたコンタクトシートには、被写体が笑って位置を変えながら、撮影者と応答する時間が刻まれている。*2 最終像だけを見ると宗教画のような威厳が強いが、その背後には偶然と共同演出を含む撮影過程がある。 市場に通い、食事を共にする時間の蓄積が、被写体との応答を含む撮影へつながった。コンタクトシートに残る笑いやポーズの変化は、最終像の荘厳さが一方的な演出から生まれたのではないことを示す。*2 一方、コンタクトシートに残る被写体の応答と、1989年の写真集で何を掲載するかという編集上の決定は別の工程である。撮影にはディアスも関わるが、出版と国際展へ送り出す像はイトゥルビデが選んだ。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

写真集《Juchitán de las Mujeres》——女神像と共同体の日常

《Juchitán de las Mujeres》には、代表作《Nuestra Señora de las Iguanas》のほか、多様な生活場面が収められた。《Madonna》のような親子像に市場や祝祭・政治活動の場面、家庭での暮らしとmuxeの肖像が写真集で交錯する。Brooklyn Museum所蔵の《Madonna》は、母子の日常を捉えた場面として写真集の女性像に別の調子を与える。*10 Smithsonian系の刊行物や後年の展覧会を通じてこの連作が国際的に流通したことが、フチタン像の広範な受容にもつながった。 その一方、象徴的な写真が地域の複雑さを「母系社会」「女性の楽園」というイメージへ整理してしまうという批判もある。Leigh Binfordは1996年、「Normalizing Juchitán」で写真群の国際的流通と共同体表象の単純化を批判的に検討した。*18 近年の研究も、フチタンを厳密な「母権制」よりmatrifocalな社会として捉え、作品が作る神話と実際のジェンダー構造を分けて読む必要を指摘する。*19 市場や家庭の営みから祭り・政治活動、muxeや動物・宗教的な像までを収めたページ順は、フチタンの複数の生活領域を伝える。*18 それでも国際的な受容では《Nuestra Señora de las Iguanas》が突出し、フチタン全体が女性中心の理想郷として記憶されやすかった。一枚の肖像が突出して流通するほど、写真集のシークエンスから、働く人々や家庭・祝祭など複数の生活場面を読み直す意味が増す。 同じ人物が別の場面にも登場し、労働や家庭の営みと政治・祝祭が互いを補い合う。*18 写真集の編集には、共同体像をどの場面の組み合わせで構成するかという選択が刻まれている。 この批判には別の立場もある。人類学者Stanley Brandesは、セリとサポテカ、ミシュテカを撮った作品の芸術性を認めている。同時に、メキシコの民族誌を考える教育的・人類学的価値も評価した。*25 Binfordは、国際的な受容の中でフチタン像が理想化される危険を指摘した。一方、Brandesは芸術性と民族誌的な価値の両立を認める。Binfordが問題にするのは国際流通で定着した「女性の楽園」像であり、Brandesが着目するのはセリやフチタンの暮らしを伝える人類学資料としての働きである。

《Magnolia》——muxeの肖像と表象する側の責任

1986年の《Magnolia I》《Magnolia II》ではmuxeのマグノリアを撮影した。ARSの研究は、二枚の肖像がドキュメンタリーであると同時に、ポーズや衣装・写真家の選択を通じて「muxe像」を構築する過程を分析している。*20 UCの研究も、ジェンダー非規範的な身体を撮影・流通させる時、誰の視点が代表性を持つのかを問い直す。*19 長期滞在と親交を経ても、誰の肖像を選び、共同体の代表として写真集で流通させるかという編集上の問題は残る。University of Glasgowの批評的再読は写真を一方向の証言と捉えず、撮影者・被写体・鑑賞者の間で意味が生まれる視覚的証言として読む。*17 muxeを「第三の性」という短い説明だけで紹介すると、地域内部の階級や家族・労働、宗教と本人の自己認識が抜け落ちる。後年の研究が《Magnolia》を写真家と被写体の共同演出として分析するのは、その単純化を避けるためである。*20 イトゥルビデの写真は当時として重要な可視化を行った一方、国際的な鑑賞者が一枚の肖像を共同体全体の代表として読む危険も持つ。《Magnolia I》《Magnolia II》の衣装とポーズはマグノリア本人が関わった撮影の成果であり、出版後に「muxe全体の姿」として流通する場合とは区別できる。

§ 04 / 04 批評と写真史的意義

屠殺儀礼と《Cholos/as》——象徴を社会史へ戻す

ラ・ミステカの山羊の屠殺儀礼には、イトゥルビデが反復して撮った死の主題とともに、労働者の搾取を含む地域の経済条件が入り込む。*3 屠殺場では「死」という反復主題に、日々の労働や儀礼・地域経済が具体的な背景を与える。*13 鳥や死のイメージが強くても、その像は撮影場所の歴史から切り離されていない。 《La Frontera》のような後年作では国境地域へ視線を広げ、メキシコ内部の共同体だけを生涯の主題に固定しなかった。SFMOMA所蔵作は、国境を物理的な線だけでなく移動と文化交換の場所として読む後期の展開を示す。*16 2025年の回顧展「Serious Play」は、初期の民族誌的委嘱から建築や植物・海外制作まで、約200点を通じて五十年の仕事を横断した。*11 山羊の屠殺では死の象徴と労働条件が、鳥の群れでは個人的な喪失と土地の出来事が交わり、画面の詩的な強度を支えている。*13 イトゥルビデは説明的なキャプションで意味を一つに固定しないが、撮影場所の社会的条件まで消してはいない。像の由来となった生活条件をたどることで、「詩的ドキュメンタリー」という評価にも具体的な厚みが生まれる。 1986年のロサンゼルスと1989年のティフアナで撮った《Cholos/as》は、その視線が先住民共同体だけに向いていなかったことを示す。Nadiah Rivera Fellahは、cholo/aの服装や家族、身振り・肖像の演出に注目する。国境を横切るメキシコ系の歴史とアイデンティティが、そこに重なると分析した。*26 同研究は女性の役割や母系的な家族のつながりにも注目した。フチタンで扱ったジェンダーと共同体の主題が、米墨国境のサブカルチャーでも別の形で現れる。《Cholos/as》で写した1980年代の服装や家族・身振りは、のちの《La Frontera》で扱う移動と米墨国境の文化へつながっている。

ハッセルブラッド賞以後——「メキシコらしさ」をめぐる批評

イトゥルビデは2008年にハッセルブラッド賞を受賞し、ラテンアメリカ写真を代表する作家として国際的評価を確立した。*12 「詩的」「神秘的」という評価は写真の造形を伝える一方、メキシコを儀礼的で異質な土地として捉える国外の視線とも結びつきうる。『Graciela Iturbide 55』の書評も、国際出版が特定の写真をメキシコ写真の代表像として流通させる過程に触れている。*21 セリのラジカセやフチタンのコンタクトシート、muxeの肖像と屠殺の現場には、象徴的な一枚の背後にある社会の細部が残る。Secretaría de Culturaの回顧資料は、本人の偶然への信頼と代表作への複雑な感情を紹介している。彼女自身も象徴的な一枚に固定的な意味を与えることには距離を置いた。*7 国内外で続く複数のシリーズを辿れば、特定の民族像だけに収まらない制作の広がりが分かる。*14 イトゥルビデの作品史では民族誌的な委嘱と共同体との交流に個人的な象徴が重なり、写真の国際的な流通も批評の対象となった。死や鳥などの反復主題にも、長期的な交流を通じて見つめた土地の歴史が重なる。*23 本人が「魔術的リアリズム」や「シュルレアリスム」という外部からのラベルへ繰り返し抵抗してきたことは、作品評価の枠組み自体が批評対象であることを示す。文化省資料に見える偶然への信頼も、メキシコを神秘化する宣言ではなく、現実の中で予測できない配置へ反応する撮影態度として読むべきである。*7 イトゥルビデの重要性は「メキシコの象徴を作った」ことと同時に、その象徴が国家や海外市場、写真家自身によってどう作られるかを作品史の中に露出させた点にある。 この批評性は、イトゥルビデ自身が常に制度へ反対したという意味ではない。INIの委嘱を受け、美術館や国際出版を通じて評価され、その流通の中で作品は「メキシコ写真」の代表像にもなった。*21 国際的な成功と表象をめぐる問いは、同じ作品の受容の中で生まれた。《Nuestra Señora de las Iguanas》一枚の国際的な流通だけでは見えにくい市場や家庭・政治活動が、写真集のページ順には残っている。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • マヌエル・アルバレス・ブラボとの比較:街路で偶然に生じる造形を待つ姿勢を継ぎつつ、イトゥルビデはソノラのコムカークやフチタンの女性たちへの反復訪問を写真集に編んだ。
  • 民族誌写真との比較:INIの委嘱から出発したが、近代的な道具、演出、被写体との相互作用を排除せず、「典型的文化」の標本化から距離を取った。
  • クラウディア・アンドゥハルとの比較:先住民共同体への長期的接近は共通するが、アンドゥハルが土地権運動へ直接参加したのに対し、イトゥルビデは写真集と反復訪問を中心に関係を築いた。
§ REF さらに読む
Juchitán de las Mujeres
1989 / later editions
市場や祝祭、家庭・政治・muxeの長期撮影を編んだ写真集。《Nuestra Señora de las Iguanas》一枚に集まりがちなフチタン像を、多様な生活場面の連続へ戻す。
Los que viven en la arena
Seri / Comcáac project
INIの民族誌委嘱を起点とするセリの連作。後年のINPIによる共同体との再共有は、記録写真を誰の歴史として保存し直すかという問いを具体化した。
§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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