セルヒオ・ラライン(1931–2012)、チリ・サンティアゴ生まれ。1949年に米国へ渡って林学を学んだのち写真へ進み、1950年代からサンティアゴ、バルパライソ、ロンドンなどを撮影した。1959年にMagnumのアソシエイト、1961年に正会員となり、1960年代後半から職業写真の第一線を離れて、瞑想、文章、ドローイングへ時間を割いた。
ララインの写真史における重要性は、斜めのフレームや深い影を、都市の「周縁」を見る行為そのものの不確かさへ結びつけた点にある。 1950〜60年代のチリで貧困や路上の子どもが近代化の矛盾として社会問題化し、国際的にはMagnumの人間主義的フォトジャーナリズムが大きな影響力を持つなかで、彼は「周縁」を一つの社会類型へ回収せず、見る側と見られる側の距離、遮られた視界、偶然、画面外を写真の構造として残した。 チリ国立歴史博物館の研究は、1950〜60年代の児童浮浪が行政、世論、慈善活動の関心事となり、貧困対策の限界を可視化したとする。 一方、ラライン自身はサンティアゴの上流階級の家庭に生まれ、貧困地区や路上の子どもは彼の日常の外側にいた。 後年の研究は、彼の「周縁」の写真が、被写体への共感だけでなく、特権的な観察者が他者を「発見」し、写真として持ち帰る構造も抱えていると批判している。 前景の壁、切れた身体、見通せない階段は、撮影者の把握が常に部分的であることを画面に残す方法として働く。 《Valparaíso》では、坂道、酒場、影、子ども、背中の反復が、歩行と偶然の蓄積から都市像を形づくる。 ララインは街路写真を「何が起きたか」の説明から解き放ち、さらに、誰が誰を見ているのか、その視線にどんな社会的距離があるのかまで批評の対象にした。
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チリからロンドンへ――報道写真へ入るまで
1931年サンティアゴに生まれたララインは、青年期には音楽を学び、1949年にはアメリカへ渡って林学を学んだ後、写真へ進んだ。Servicio Nacional del Patrimonio Culturalの回顧資料は、帰国後にフォトジャーナリズムへ入り、1960年にはチリ大学が組織した大規模展《Rostro de Chile》のための撮影にも参加した経歴を記録している。*19 Magnum Consortiumの略歴は、1949年から53年にかけたアメリカ滞在、帰国後のフリーランス活動、1950年代半ばの南米での撮影を、職業写真家になるまでの流れとして記録している。*1 1956年にはニューヨーク近代美術館が彼の写真を購入し、チリ国内だけで活動する若い写真家から国際的な制度へ接続される契機が生まれた。*6
1958年、British Councilの奨学金でロンドンを撮影した経験は、港町や路地で培った視線を、戦後の大都市へ持ち込む機会になった。*4 アンリ・カルティエ=ブレッソンがチリの街路の子どもたちを撮った写真に注目した後、ララインは1959年にMagnumのアソシエイトとなり、1961年には正会員となった。*1 この時期には欧州と南米を往復し、雑誌のための仕事も行ったが、Fondation Henri Cartier-Bressonは、彼の写真を一貫して「放浪」と結びつけ、街路に身を置くこと自体が制作の核だったと整理している。*3
1960年代後半になると、職業写真の要求と自分が求める自由のあいだの距離が広がっていく。Magnumの略歴では1968年にオスカー・イチャソと出会い、その後は東洋思想、瞑想、ヨガ、文章やドローイングに時間を割き、写真の公的活動からほぼ退いたとされる。*1 チリ国立美術館の回顧展も、彼が期待する自由を写真の仕事の中で得にくくなったことを、制作を中断していく重要な背景として扱っている。*2
1950年代チリ――貧困、国家像、見る側の位置
ララインが1950年代にサンティアゴの路上の子どもを撮った背景には、当時のチリ社会が抱えていた具体的な問題がある。Museo Histórico Nacionalの研究によれば、1950〜60年代の児童浮浪は行政、世論、慈善活動にとって大きな関心事となり、貧困を軽減する政策の限界を露呈する現象として、文学、映画、報道写真にも繰り返し現れた。*24 その一方で、ララインはサンティアゴの上流階級の家庭に生まれている。SciELO掲載の研究は、彼が撮った「都市の周縁」が、写真家自身の社会的位置から見て日常の外側にあったことを指摘し、貧困や異文化を発見・記録する視線そのものを批判的に検討している。*27 路上の子どもの写真には、人間主義的な共感と、誰が都市のどこからどこへ移動し、誰を「周縁」と名づけるのかという階級的な距離が併存する。
この階級的な距離は、ララインの低い視点や近距離の構図を読むときにも残る。チリ国立歴史博物館の研究は、1945〜73年の「niños vagos」を、住宅、家族政策、福祉、警察的管理が交差する問題として検討している。*24 裕福な家庭に生まれたララインが子どもたちへ近づいたこと自体が、誰が誰を「周縁」として見るのかという距離を画面に持ち込む。チリの研究は、彼の写真を人道主義的な共感だけで読むことを避け、貧困の表象に写真家の主観と写真の真実性への期待が同時に入り込むと指摘している。*27 低い視点や近距離には、子どもの世界へ近づこうとする姿勢と、外部者がその生活を美的な像へ変える危うさが同時に刻まれている。
1960年の《Rostro de Chile》への参加は、ララインの個人的な放浪とは異なる写真の使われ方も示している。この企画は大学主導で国内各地の人間と土地を撮り、チリという国家の「顔」を可視化する大規模な公共展示だった。*19 そこで求められたのは、国土と人々を集合的なイメージへ編み、国家の「顔」を提示することだった。ララインが同時期に路上の子どもや港の周縁を撮っていたことを重ねると、彼の写真は国家像の構築と、その像からこぼれる生活の双方に接していたことになる。この二重性は、後年の「孤独な詩人」という作家像に、国家像の形成へ関わった職業写真家という側面を重ねる。
低い視点、遮蔽、斜めのフレーム
ララインの画面では、人物より先に手前の壁や手すりが目に入り、奥の身体が半分だけ見えることが多い。MoMA所蔵の《Valparaíso, c. 1953》では、階段と影が画面を大きく分割し、人物は都市の幾何学の中へ小さく入り込む。*7 同館の《Chile, 1952》でも、見通しのよい中央構図より、近景と影の重なりによって視線が画面内を迂回する構成が選ばれている。*8 こうした構図は、歩きながら一瞬だけ開く視界を、その不完全さごと残すために働いている。Museum Walesが所蔵する1955年の《Vagabond children. Santiago》は、路上の子どもを撮った初期作が後年まで独立したプリントとして保存・収蔵されていることを確認できる。*21
偶然を受け取るための撮影と自由
Fondation Henri Cartier-Bressonの回顧展は、ララインが都市を歩き回りながら子ども、路地、階段、港、通行人に反応したことを、彼の「vagabondage」という姿勢と結びつけている。*4 カルティエ=ブレッソンとの接点からMagnumへ入った後も、ララインは決定的な身振りを一点へ整理する構図より、前景の黒、切れた身体、斜線、空白が同時に残る画面を選んだ。その結果、出来事の説明よりも「そこを通り過ぎた身体の位置」が強く意識される。IVAMの回顧展も、彼の写真における路上の即興性と、空間を詩的に変える構図の重要性を中心に据えている。*10
晩年の瞑想生活は、1950〜60年代の職業写真家としての実践と地続きに捉えると輪郭が明確になる。Museo Nacional de Bellas Artesの資料には、写真以外のドローイングや「satori」と呼ばれる紙片まで含めてアーカイブが構成されており、瞑想や簡素な生活が後年の活動の一部だったことが確認できる。*14 「隠者」という後年のイメージに、雑誌、展覧会、写真集、共同編集の中で試行した具体的な仕事を重ねると、活動全体の連続性が見えてくる。
人間主義写真の再検討
「人間主義的な街路写真」という評価には、近年、別の読みが加わっている。Universidad de Santiago de Chileの研究は、子どもや動物、画面外、複数の奥行き、ぼけを分析し、彼を一方向的な「人間主義的写真家」として理解する従来の読みを問い直している。*26 さらにチリ国立美術館とUniversidad Alberto Hurtadoが組んだ研究会では、1950年代チリの貧困、排除と他者性、公共空間を占める子ども、記録と記憶、近代性とフィクションが別々の論点として検討された。*25 近年の議論は、ララインの形式を社会的背景と結びつけて読む方向へ進んでいる。遮蔽や画面外は被写体を説明し切らない余白を生み、同時に、観察者と被写体の社会的な距離も画面に残す。形式の自由さと表象の権力を同時に見る必要がある。
ララインの街路写真は、カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」と異なる方向へ展開した。Magnumの報道写真では、出来事の意味が一枚の画面で把握できる明晰さが大きな価値だったが、ララインは前景の遮蔽、画面外へ続く身体、ピントの外れ、複数の空間層を積極的に残した。Universidad de Santiago de Chileの研究は、こうしたフレーム外、ぼけ、複数平面を、人間と動物、都市の共同性を固定した主体へ回収しない方法として分析している。*26 彼が街路写真へ加えたのは、写真が世界を一瞬で理解可能にするという期待に抗う、不完全な視界そのものだった。
《Valparaíso》――港町を写真集の時間へ
バルパライソはララインの代表的な撮影地で、坂道、階段、港、酒場、子ども、船員が何年にもわたり繰り返し撮られた。Apertureの《Valparaíso》紹介は、パブロ・ネルーダとの関係と、港町を歩いて集めた写真が後年ひとつの写真集として編集された経緯を示している。*9 個々の写真に完結した事件があるというより、似た階段、影、背中、通路が反復することで、街を移動した時間そのものが本の中に作られる。Museo de Historia Natural de Valparaísoの展覧会も、1950〜60年代の港町を継続して撮った記録を、都市の記憶と結びつけて紹介している。*12 Centre Pompidou所蔵の《Valparaiso, Chili》(1952)は、同地での撮影が活動初期から始まり、のちにMagnumのポートフォリオや美術館コレクションを通じて国際的に流通したことを示す。*22 チリの公的文化遺産ポータルで画像公開される1963年の《Valparaíso Bar “Los siete espejos”》では、複数の鏡に人物が分割されて映り込み、街路だけでなく室内でも視線を一方向へ固定しない構成が使われている。*23
《Valparaíso》は、異なる年に撮られた像を後年の編集で結び、都市の記憶として構成した写真集である。そこでは港湾労働、歓楽街、子ども、階段、船、鏡が同じ時間層に置かれ、都市の社会的な階層と写真家自身の反復訪問が重なる。チリ国立美術館の批評プログラムがララインを「他者を見せる/他者が見ないものを見る」という問題から再検討しているのは、作品が美しい街路写真である以上に、誰の都市像が後世へ残るのかを問うからである。*25 写真集という形式は、偶然の一枚を名作化するより、長い期間の断片を後から関係づけることで、記憶と編集の問題を作品へ持ち込んだ。
《London 1959》と子どもたち
ロンドンでは霧や広告、労働者街、子どもたち、地下鉄や街角を撮り、南米とは異なる都市の密度を同じ低い視点と遮蔽で捉えた。Fondation Henri Cartier-Bressonの「London 1959」は、この撮影をBritish Councilの委嘱に始まるまとまったシリーズとして提示している。*18 同財団の刊行物では、長く散在していたロンドン写真を一冊へ編むことで、雑誌掲載時には分散していた連作としてのまとまりが再構成された。*15
ララインは1963年に小冊子『El rectángulo en la mano』を刊行し、写真を一枚の名作としてだけでなく、選択と連なりの中で提示する仕事も続けた。Art Institute of ChicagoのHugh Edwards資料は、1965年に同館でララインの個展が開かれたことを記録し、アメリカの美術館で早い時期から作家として紹介されていたことを示している。*5 同館のアーカイブは、Edwardsがララインを若いMagnum写真家の一人として支持した事実も残している。*17
隠退者神話を越えて読む
2010年代以降の大規模回顧展は、「突然消えた天才」というイメージから視野を広げ、作品、手紙、ドローイング、編集の痕跡をまとめ直している。2023年に子どもたちからチリ・カトリック大学へ寄贈されたSergio Larraín Archiveには、写真のほか絵画、ドローイング、書簡、手製本、私物、Agnès Sireから寄贈された未発表文書が含まれ、写真活動から距離を置いた後の文章と絵画まで研究対象になっている。*20 2014年のチリ国立美術館回顧展はAgnès Sireの調査を基礎に、家族と本人が残したアーカイブから150点を超える写真を構成した。*2 Museo de Magallanesへの巡回は、その再評価が首都だけに留まらずチリ国内で共有されたことを示す。*13
ICPの展覧会記録からは、ララインが戦後の国際的な写真史の中で継続して紹介されてきた経緯を確認できる。*11 MoMAでも作品が所蔵され、1950年代から美術館制度と接点を持っていた。*6 Fondation Henri Cartier-Bressonが近年《Vagabondages》としてロンドン、パリ、イタリア、バルパライソ、南米の写真を横断して見せたことで、歩行する撮影者と都市空間の関係を一貫して変形してきた仕事の輪郭が明確になった。*16
ララインの写真史における重要性は、「ラテンアメリカの先駆者」「詩的な街路写真家」という評価に加え、見る側と見られる側の非対称性を画面に残した点からも捉えられる。Magnumに属し、社会的な現実を撮る職業写真家として活動しながら、都市の貧困や路上の子どもを明快な社会類型へ整理せず、遮蔽、画面外、偶然、反復を残した。遮蔽、画面外、偶然、反復は、被写体を説明し尽くすフォトジャーナリズムから距離を取りつつ、上流階級出身の撮影者が「周縁」を見つけて写真化する非対称性も画面に残した。*27 現在の批評は、共感と搾取という二つの読みが同じ作品の中で緊張している点に注目する。チリの研究が貧困表象、公共空間、記憶、近代性を作品から読み直しているのもそのためだ。*25 《Valparaíso》の迷路のような構図は、撮影者が他者の世界を部分的にしか把握できないという限界まで含めて読むと、その批評性がいっそう明確になる。
- アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 街路の子どもたちの写真を評価し、Magnum参加へつながった。構図の比較から両者の違いも見える
- パブロ・ネルーダ ― バルパライソをめぐる共同作業と写真集の重要な接点
- ヨゼフ・クーデルカ ― 放浪と都市・風景を結びつける戦後ヨーロッパ写真の比較対象
- ストリート写真 ― 歩行と偶然、近景の遮蔽を画面構造へ変えた文脈
- フォトジャーナリズム ― Magnumでの仕事と、そこから距離を取る過程を理解するための背景
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。