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PHOTOGRAPHERS/ZWELETHU MTHETHWA ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
ZM
§ 164 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

ズウェレトゥ・ムテスワ

Zwelethu Mthethwa
Country南アフリカ Period1980–1990s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

ズウェレトゥ・ムテスワは、タウンシップや都市周縁の住居、サトウキビ畑、鉱山、煉瓦工場で働く人々を、大判カラーと正面性の強い環境肖像として撮影した南アフリカの写真家。被写体に服装、姿勢、撮られ方を選ぶ余地を与え、室内の壁紙、家具、日用品を自己表現の一部として写した。その方法はアパルトヘイト期の告発写真を継ぎつつ、貧困と黒人生活を被害の記号へ固定する表象を問い直した。

この写真家が変えたこと

ムテスワが南アフリカの社会写真へ加えたのは、撮られる人が自分の見え方を準備する時間である。カラーの大判カメラを据え、服装、姿勢、室内の整え方を本人に選んでもらい、壁紙、新聞、家具、衣服を背景ではなく肖像の一部として写した。困難な生活を外部へ伝える証拠写真から、人物と生活空間を本人とともに組み立てる肖像へ進んだ一方、撮影後の所有と流通を握る写真家との力の差も作品の批評点として残った。

Keywords Interior Series ポスト・アパルトヘイト 大判カラー肖像 環境肖像 Sugar Cane 表象倫理
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

ムテスワは1960年にダーバンで生まれ、アパルトヘイト下で白人中心だったケープタウン大学マイケリス美術学校に学んだ。Museum of Contemporary Photographyは、絵画の訓練と政治移行期の南アフリカが、後の色彩と構図の基盤になったと説明する*1。1991年にロチェスター工科大学のカラー暗室で過去の白黒作品を見直した経験が、大判カラー肖像へ向かう直接の転換点になった*29

アパルトヘイト写真の後で何を撮るか

アパルトヘイト期には、国家暴力と人種隔離を可視化する白黒の社会ドキュメンタリーが国際的な役割を担った。Regarding Africaは、1990年代以降の写真家が、その記録の遺産を受け継ぎながら、黒人の生活を苦難だけで代表させない形式を探した文脈にムテスワを置く*2。政治制度が変わっても住宅、労働、移動の格差は残るため、彼の肖像は「新しい南アフリカ」の祝祭と未解決の社会構造を同時に写す。

RITのカラー暗室が肖像の方向を変える

ムテスワは大学で写真だけでなく、版画、絵画、彫刻、デザインを学び、報道写真とは異なる美術教育から撮影を始めた*29。Michaelis Schoolにはカラー設備がなかったが、フルブライト奨学金で進んだRochester Institute of Technologyには多数のカラー暗室があり、そこで本格的に色を研究した。帰国前に自分の過去の白黒写真を見直すと、貧しい人々を惨めで希望のない存在として見せる神話を、自分も反復していたと感じたという*29。色を選んだのは画面を華やかにするためだけではなく、壁、服、所有物、生活空間にある設計と選択を残すためだった。

肖像を共同で準備する

New Yorkerの写真集紹介でムテスワは、被写体にどのように撮られたいかを決める機会を与え、それを尊厳と作者性を返す方法と考えたと語る*5。Herzliya Museumも、規模、色、構図に加え、被写体との協働を作品の特徴に挙げる*6。協働的な撮影では、社会写真で匿名の証拠として扱われがちだった人物が、服装、姿勢、室内の整え方を選ぶ時間を持つ。撮影者と被写体の権力差は残るが、無断のスナップや匿名の群衆像とは異なる交渉が肖像の成立条件になる。

Apertureでオクウィ・エンヴェゾーと行った対話では、撮影者と被写体の関係が「難しいダンス」と表現されている*27。この比喩は、被写体に選択を渡せば権力差が解消するという単純な説明を避ける。写真家は画面を準備し、相手は服装、姿勢、表情で応答し、双方が相手の意図を完全には支配できない。共同準備は尊厳を付与する技法というより、誰が誰をどう見せるかを撮影中に交渉する方法だった。

アーネスト・コール、アフラピックス、ゴールドブラットとモフォケン

アーネスト・コールの『House of Bondage』は1960年代のアパルトヘイト下の日常を告発する写真集として国外で刊行され、南アフリカ国内では発禁となった*22。1980年代にはアフラピックスが抵抗運動と社会条件を集団的に記録し、サントゥ・モフォケンも参加した。モフォケンはやがて露骨な政治報道に限界を感じ、家庭、路上、酒場、私的な家族写真へ向かい、黒人の生活を暴力や貧困の典型から取り戻そうとした*23。デイヴィッド・ゴールドブラットとモフォケンは、アパルトヘイト期とその後の日常、住居、土地を、社会ドキュメンタリーと詩的な写真という単純な二分では捉えられない方法で撮った*24。ムテスワはこの蓄積の後に、大判カラー、正面からのポーズ、室内装飾を使い、撮られる人が自分の見え方へ参加する肖像を前面に出した。彼の革新はゼロから尊厳を発見したことではなく、先行する黒人写真家と社会ドキュメンタリーが開いた主体性の問題を、色、規模、共同準備によって別の展示形式へ運んだ点にある。

Apertureの写真集解説は、ムテスワの方法が西洋の社会ドキュメンタリーとアフリカの商業スタジオ肖像の双方へ挑み、エンヴェゾーが「アフロ・ペシミズム」と呼んだ、アフリカを病理、異様さ、欠如として見せる枠組みから離れようとしたと説明する*26。彼の室内写真は、報道写真の現場性だけでも、スタジオ写真の背景幕と理想化だけでもない。実際の住居を残しながら、被写体が正面から自己像を作るため、社会的条件と正式な肖像の規則が同じ画面に置かれた。

§ 02 / 04 表現の核心

ムテスワの人物は正面からカメラを見返し、全身または身体の大部分が住居や労働環境の中に置かれる。National Museum of African Artの作品解説は、その像が困難の中の尊厳、自己認識、抵抗を伝えるとする*7

室内を背景ではなく、自己表現として写す

《Interior Series》では、段ボール、新聞紙、広告、布、塗料で作られた壁が画面を満たす。New Yorkerの批評は、化粧品、マッチ、本、家具などの細部が、乾いた民族誌的資料ではなく、生活を整える静かな意志として働くと述べる*8。人物の顔だけを切り取らず、本人が手を加えた空間を含めることで、肖像は身体と所有物の関係から作られる。

大判カラーで人物と空間を同じ密度にする

大判カラー・プリントでは、顔や身体だけでなく、壁の印刷物、床、衣服、日用品までが細部を失わずに残る。MoMAの所蔵群は、《Sugar Cane》《Gold Miner》などが美術館規模のカラー作品として構成されていることを示す*9。大きさは人物を英雄化する危険もあるが、報道紙面で小さく消費される像とは異なり、鑑賞者が人物とその生活空間の両方を時間をかけて見る条件を作った。

「貧困=劣化」という図式への抵抗

BOMBの展評は、ムテスワが「貧困は人間の劣化と同じではない」と考え、色が尊厳を回復すると語った発言を紹介する*11。この姿勢は、社会条件を見えなくするための美化とは異なり、困難な環境と自己呈示を同じ画面に残そうとするものだった。SABC Art Collectionは、男性性、労働、住居を扱う作品が、ポスト・アパルトヘイトの可視性をめぐる議論へ参加したと説明する*12

南アフリカのMail & Guardianによるインタビューでムテスワ自身は、貧困を美しく見せる危険との境界はきわめて薄いと認め、アパルトヘイト下の身分証写真が強いフラッシュと露出不足によって顔の細部を消していた歴史を挙げている*28。カラーでシャツ、壁、室内の質感を残す選択は、単に明るいイメージを作るためではなく、国家の識別写真や報道写真が人物を少数の記号へ縮減してきたことへの応答だった。

協働にも残る非対称性

被写体が服装や姿勢を選んでも、撮影地を選び、シャッターを切り、作品を販売し、美術館へ運ぶ権限は写真家側にある。Friezeは、誇りと忍耐を示す像を評価しつつ、それ以前の南アフリカ写真家や被写体の主体性を十分に位置づけない展示の枠組みを批判した*3。作品を「尊厳を与えた写真」とだけ説明すると、すでに存在した尊厳を写真家の功績へ回収する危険がある。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

ムテスワは住居だけでなく、サトウキビ農園、金鉱、煉瓦工場、宗教共同体などへ対象を広げ、人物と社会空間を結ぶシリーズを制作した。MoMAの《Untitled, from the series Sugar Cane》は、労働者の身体と作物の密度を大判カラーで対面させる*13

《Interior Series》— 人物と住居の共同肖像

The Metの所蔵記録は、《Untitled (Interior Series)》を2001年撮影、2012年プリント、約179×241センチのクロモジェニック・プリントとして記載している*4。Studio Museum in Harlemの展示では、人物の姿勢、壁を覆う印刷物、床、衣服を同じ密度で見せる《Interiors》が、《Empty Beds》《Common Ground》と並べて紹介された*10。人物は生活環境の説明用に置かれた例ではなく、画面の中心から鑑賞者を見返す。North Carolina Museum of Artの所蔵作も、仮設理髪店の広告、手描きの髪型見本、波板や布といった内部空間の細部を記録している*14

《Sugar Cane》《Gold Miner》— 労働を環境肖像へする

《Sugar Cane》では、収穫する労働者を作業の瞬間だけでなく、身体、衣服、植物、土地の関係として見せる*13。仕事の英雄的な身振りや疲労の劇的な表情へ集中せず、立つ位置と周囲の物質を肖像の一部にする。MoMAの所蔵群は、異なる産業と場所を連作として比較できる形で提示している*9

《Hope Chest Series》《The Brave Ones》— 所有と装い

The Metの《Hope Chest Series》は、写真と絵画の規則を交差させ、写真が緻密に構成された正式な肖像として作られていることを指摘する*15。《The Brave Ones》では、Shembe教会の若者たちの服装が宗教、地域史、近代的な装いの混成として現れる。Guardianの「Figures & Fictions」評は、ピンクのスカート、タータン、蝶ネクタイ、帽子が、南アフリカの複雑な歴史を身体上で可視化すると述べる*16

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

ムテスワの写真史上の評価は、ポスト・アパルトヘイトの肖像形式を更新した点と、作品を鑑賞する現在の倫理を分けずに考える必要がある。MoCPの個展は、急速な都市化と社会変化の中で室内肖像を位置づけた*1

告発の証拠から、被写体が準備する肖像へ

ムテスワはアパルトヘイトの暴力を伝えた先行写真を否定したのではない。その記録が開いた歴史の後で、撮られる人が服を替え、部屋を整え、姿勢を決める時間を肖像へ加えた。New Yorkerは、この交換と合意のある制作が、ドキュメンタリー写真と美術肖像のあいだに緊張を作ると評している*5。ただし、Friezeが指摘するように、カラー、規模、協働だけで先行する社会写真との差が自動的に保証されるわけではない*3。 Studio Museumの「Inner Views」は、人物と室内の関係をまとまった展示として提示し、この方法が国際的に受容される重要な契機になった*10

美しさが批評を弱める可能性

Artforumの展評は、大判カラーの形式が人物へ強さを与える一方、社会的不平等を美術市場で魅力的な表面へ変える危険を含むと検討した*17。色と構図は尊厳の表現になり得るが、「美しい貧困」の消費にも転じ得る。作品の評価には、画面内の協働だけでなく、撮影後に誰が所有し、誰が利益を得て、どの観客が見るのかを含める必要がある。

ケープタウン大学の研究は、ムテスワの作品が「ドキュメンタリー・リアリズムの終焉後の写真」として評価されることで、社会的内容より形式美が前面に出る仕組みを検討し、写真を現実の写しとしてだけでは読めない「両義的な場所」と位置づけた*25。この批評は、美しさを作品の長所か欠点かのどちらかに決めない。壁紙の抽象性や大判カラーの快楽が、住居と労働の具体的条件を見えやすくすると同時に、鑑賞者を内容から遠ざける可能性まで含めて読む必要を示している。

2017年の有罪判決と作品受容

2017年、ムテスワは2013年にノクピラ・クマロを殺害した罪で有罪となり、18年の実刑判決を受けた*18。Daily Maverickは、裁判所が国際的に知られた芸術家であることを特別な量刑理由にしなかったと報じた*19。2019年には作品展示をめぐり、クマロの尊厳と遺族、セックスワーカーへの暴力を無視しているとの抗議が起きた*20。この事実は作品の形式分析を自動的に無効にしないが、「尊厳」を掲げた肖像と、作家自身が行った暴力を切り離して称賛することもできない。

作品と作家を分けるだけでは足りない

有罪判決を略歴の末尾へ付け足すだけでは、作品が掲げてきた尊厳、作者性、表象倫理との衝突を捉えられない。University of the Western Capeの法学的研究は、クマロとムテスワの社会的不平等、セックスワーカーに対する暴力、判決の意味をフェミニズム法学から分析した*21。作品を保存し研究する際には、被写体との協働という方法、写真制度による評価、被害者の名と歴史を同じ公共的記憶の中に置く必要がある。

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  • ストラグル・フォトグラフィー ― アパルトヘイトへの抵抗と国際的な告発を担った南アフリカのドキュメンタリー写真
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