ヨアヒム・クスターは、北極探検、オカルト共同体、タランティズム、薬物と植民地主義など、断片的な史料しか残らない出来事を写真、16mm映画、テキスト、再演で調査する。《Message from Andrée》《Morning of the Magicians》《Tarantism》から、見えない歴史を説明し切らずに扱う方法を読む。
クスターは、絵画の画面より像の背後にある物語と空間へ関心を持ち、写真、テキスト、16mm映画、身体の再演を組み合わせる調査へ移った。忘れられた建物、探検隊の残存写真、薬物の流通、治療儀礼を訪ね、資料が確認できる範囲と、後世の想像が入り込む地点を作品の構造にする。《Message from Andrée》では北極探検の英雄譚を残存物と暗転する映像から読み直し、《Tarantism》では文献上の治療儀礼を無音の反復運動へ翻訳した。アーカイブを過去の答えを回収する場所から、証拠、噂、身体感覚が分岐する場所へ変え、写真と映画が歴史の不透明さや変性意識を、説明で閉じずに経験させる形式を作った。
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目次 · Table of Contents
絵画から写真へ—像の背後にある物語を追う
クスターは十代から美術に関心を持ち、ジミ・ヘンドリックスやアレイスター・クロウリーの版画を自室で作っていた。王立デンマーク美術アカデミーには画家として入学したが、写真を絵画と一緒に展示するうち、画面の背後にある物語や、複数の資料と空間を組み合わせる仕事へ強く引かれていると気づいたと語る。*1 1990年代半ばから写真、テキスト、映像、インスタレーションを主要な媒体とし、クリスチャニア、北極探検、オカルト共同体など、公式史と神話が絡み合う主題を追った。
写真で忘れられた場所と既知の物語の距離を測る
過去の探検、儀礼、変性意識は制作時点のカメラで直接撮影できない。クスターは史料を読み、現在残る建物、空地、植物を訪ね、既知の物語を知った目に場所がどのように見えるかを写真にした。《Morning of the Magicians》の着想は、パーティーでクロウリーが暮らしたシチリアの家の話を聞いたことから始まり、現地で建物を再発見する過程が作品の読まれ方にも重ねられた。*1 写真は過去を再現する舞台より、史料が現在の風景へ投影する意味と、画面に写る物質的な痕跡の間隔を測る道具になった。
初期の写真とテキストによる調査は、2000年代に16mm映画、音、ダンスへ広がった。フィルムの粒子、傷、ループの継ぎ目が画面と映写時間に残り、過去の像は現在の装置を通るたびに揺れ、摩耗する。《Tarantism》では文献に残る治療儀礼が現代の身体で再演され、史料の記述と筋肉の動きの間に翻訳の差が生まれる。Camera Austriaは、媒体の条件と歴史調査を結ぶ実践として評価した。*2
アーカイブ、旅、推測の境界
《Message from Andrée》では1897年の気球探検に関する残存物が、現在制作された16mm映像、展示台、テキストと併置される。資料が増えても、探検隊の最期には未確定の部分が残る。日記や写真が答える箇所と、後世の英雄譚が補った箇所が同じ展示に並ぶため、アーカイブは物語を完成させる権威より、事実と推測の境界を露出する。鑑賞者は史料、現在の映像、展示の順序を往復し、自分がどこから物語を補ったかを確かめる。 *3
《Tarantism》— 文献の身体技法を無音で再演する
南イタリアのタランティズムは、毒蜘蛛に噛まれた者が踊りによって治癒するとされた儀礼である。クスターは歴史資料を参照し、ブリュッセルのスタジオで七人の演者に痙攣、反復、跳躍を行わせ、白黒16mmで無音撮影した。*4 音楽を欠いた動きは民俗舞踊の再現から離れ、歴史が神経と筋肉へ残るという仮説を検証する映像になる。
個人的な好奇心を変性意識の映像形式へ育てる
クスターは、作品の出発点が趣味に近い個人的な好奇心であり、対象を好むアマチュアの熱意から調査が育つと語っている。*1 植物、昆虫、悪夢、カルロス・カスタネダの運動、薬物文化への関心は、意識を変える対象そのものと、それを規制し商品化する社会制度の双方へ向かう。カメラが幻覚を客観的に記録できるという前提とせず、粒子の粗い白黒フィルム、反復、暗い画面、無言の動作によって、見る側の知覚へ揺れを起こす。主題の説明と感覚の再現を分け、両者の距離を映像の形式にする。
クスターは歴史的な探検の経路を訪れ、現在の建物、空地、植物を撮影する。Greene NaftaliやSMKの資料は、旅を史料と現在の場所の食い違いを測る調査として説明する。*5 植民地期の探検写真が領土と他者を可視化し所有する働きを持ったのに対し、彼の画面には見えなさ、遅れ、誤認が残る。旅行は未知の発見を演じる行為から、既存の物語が場所へ何を投影したかを検査する行為へ変わる。
《Message from Andrée》— 発見された写真と英雄譚の距離
サロモン・アウグスト・アンドレーらの北極気球探検は失敗し、遺体とフィルムが数十年後に発見された。クスターは残存写真を、冒険を証明する英雄的イメージと、その発見後に国家や科学が作った物語の両方から読む。映像は暗さと反復を保ち、最後の瞬間を劇的な再現へ整えない。展示物の構成についても、資料は写真、ポスター、16mm上映の組み合わせを記録している。*5
《Morning of the Magicians》— 遺構とオカルト史の間
クスターはシチリアに残るアレイスター・クロウリーの「テレマ修道院」を訪れ、荒廃した室内と周辺を撮影した。作品は遺構を神秘的な証拠として演出せず、現在の物質的な痕跡と、後から増殖した伝説を分けて提示する。S.M.A.K.は、この調査が建物の残存物からオカルト、シャーマニズム、身体の無意識へ及ぶと説明している。*6
16mm映画、静止写真、身体の異なる時間
クスターは媒体を統一せず、静止した場所には写真、反復する身体には映画、空間的な気配には音を使う。Kunsthalle Mainzの《The Way Out Is In》は、歴史的、神秘的、アーカイブ的な作品を一つの環境として構成した。*7 16mmフィルムの物質的なちらつきやループは、過去が滑らかなデジタル情報として回収されることを拒み、見る時間に摩耗と反復を加える。
16mmフィルムは粒子、傷、ちらつき、映写機の音、ループの継ぎ目を伴い、像が物質を通って現れることを強調する。Camera Austriaは、写真と映画の媒体的条件を歴史調査と結ぶ実践として評価した。*2 反復点が見えるため、鑑賞者は歴史的場面と同時に、それを現在再生している装置を意識する。懐古的な外観と、上映の現在が同じ画面に重なる。
《Tarantism》やカスタネダに由来する作品では、痙攣、反復、疲労、意識と無意識の境界にある運動を撮る。Louisiana Channelで作家は、身体が合理的な知識を越える「暗い意識の海」へ接触する可能性を語る。*8 作品は資料の出典と現代の再演の距離を明示し、儀礼や先住民的知識を神秘的なイメージだけへまとめる読みを抑える。身体は過去を回復する器より、翻訳の不完全さが現れる場所として働く。
「批判的ノスタルジア」が過去への欲望を点検する
クスターの作品には失われた共同体、探検、古いフィルム、廃墟への魅力がある。研究者パオロ・マガニョーリは、その欲望を保ちながら、現在の政治と表象が過去像をどう作るかを問う方法を「批判的ノスタルジア」と論じた。*9 懐古的な雰囲気と、その雰囲気を信じたくなる観客の位置が同時に検討される。
史料、現在の場所、再演を組むドキュメンタリー
スペキュラティブ・ドキュメンタリーは、確認できる史料、現在の場所、再演の条件を示したうえで、資料が答えない部分を結論に変えず保持する方法である。《Tarantism》をめぐる芸術と人類学の対話は、再演、身体技法、危機のスペクタクルを同時に検討した。*10 クスターは推測と証拠の境界を作品の時間として長く経験させる。
展示では短い文章、題名、史料の引用が、写真や映画に物語の入口を与える。テキストは画面の意味を一つに固定せず、見えているものと読んだ歴史の差を広げる。Kunsthalle Mainzの展示は、多数のプロジェクトを暗い空間で接続し、観客が断片から関係を作る構成だった。*7 画像からは場所の歴史が不足し、文章からは現在の空気や身体の反復が不足する。両者のずれが作品の形式になる。
周縁的な物語を取り上げること自体が批判的とは限らない。オカルト、薬物、探検は魅力的な逸話として消費されやすく、植民地主義や階級の具体性が背景へ退く場合がある。クスターの作品を読む際は、何が忘れられたかだけでなく、誰がその物語を記録し、現代美術が再発見することでどの価値を与えるかを見る必要がある。画面に残る不透明さを政治的な深さと同一視せず、どの史料を選び、どの植民地的・階級的条件を背景へ退けたかまで確かめる必要がある。 *11
過去の出来事が見えない場所を撮った写真は、題名、短い史料、展示順序と結びつくことで歴史的な意味を得る。SMKとGreene Naftaliの資料では、現在の空地や廃墟と失われた物語が主要な方法として結ばれている。*12 観客は出来事を知った後で同じ風景を見直すが、知識が増えても決定的な証拠は画面に現れない。Friezeの展評が捉えた不穏さも、読める情報の多さと、写真に写る痕跡の少なさの差に由来する。*13 写真、文章、展示空間は互いの不足を埋め切らず、そのずれを歴史経験の形式にする。
《Tarantism》はMIT List Visual Arts Centerでも、身体の反復運動、歴史的な舞踏病、16mmフィルムのループを結ぶ作品として展示され、映像が過去の儀礼を説明する資料より、現在の身体へ再び作用する装置として読まれた。*14 マルメ美術アカデミー、Greene Naftali、Galleri Nicolai Wallner、Jan Motの資料を横断すると、写真、16mm映画、音声、テキストを使い分けながら、探検、薬物、オカルト、植民地主義的な知識の周縁を追う制作の継続性が確認できる。*15*16*17*19
《In the Face of Overwhelming Forces》を含む展覧会とMoMAの所蔵記録は、クスターの作品が写真史料の引用だけで完結せず、鑑賞者の移動や映像の反復を含む空間的な経験として流通していることを示している。*18*20 研究上使われる「批判的ノスタルジア」という語は、失われた過去を復元する欲望へ同調するのではなく、その欲望を生んだ資料の欠落、政治的支配、想像力の働きを作品内部で露出させる態度を指している。*21
- マリーヌ・ユゴニエ ― 旅と調査を通じて、ドキュメンタリーの視点と地政学を扱う。
- ヨーシフ・キライ ― 記憶と時間を複数写真の再構成として扱う。
- ジェームズ・ウェリング ― 写真材料と知覚の不安定さを実験的な形式へ変える。
- タシタ・ディーン ― 失われた人物、場所、アナログ映画を歴史的な空白から扱う同時代作家。
- アーカイブ・アート ― 文書の保存だけでなく、欠落と分類の制度を作品化する。
- スペキュラティブ・ドキュメンタリー ― 史料を基礎にしながら、回収不能な部分を仮説として残す。
- 再演 ― 過去の動作や状況を現在の身体と場所で反復する方法。