アダム・ブルームバーグ/オリヴァー・チャナリンは、雑誌編集と取材の経験から、写真の意味が撮影後にどう作られるかを作品にしたデュオ。《The Day Nobody Died》では従軍制度を利用して感光紙を戦地へ運び、《War Primer 2》ではGoogle画像を既刊本へ貼り、《People in Trouble…》ではアーカイブ編集者の選別シールを拡大し、《Spirit is a Bone》では顔認識装置に肖像を生成させた。撮影許可、選別、出版、検索、識別を写真の材料として扱った。
マーサ・ロスラーやアラン・セクーラは1970年代から、写真の意味が画面の中だけで完結せず、キャプション、報道、制度、経済的な使用条件によって作られることを批判していた。雑誌編集と取材現場を経験したブルームバーグ/チャナリンは、その問題を実際の制作工程へ組み込んだ。軍の従軍許可を感光紙の輸送条件にし、アーカイブ編集者の丸シールをトリミングの枠にし、Google画像をブレヒトの本へ重ね、顔認識装置に肖像を生成させた。二人が変えたのは、写真の「真偽」を論じる場所そのものだった。画面だけを疑う代わりに、軍の許可、編集者の選別、既刊本、検索エンジン、顔認識までを作品の材料にし、写真が証拠として通用する条件を制作工程の中で見せた。
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南アフリカで出会い、COLORSの編集現場から共同作家へ
アダム・ブルームバーグとオリヴァー・チャナリンは、作家として組む前から友人だった。Art on the Undergroundのインタビューによれば、二人は南アフリカのWupperthalで出会い、のちにロンドンで親しくなって同居し、やがて雑誌『COLORS』の編集に関わった*20。BOMBの対話でも、友情と編集仕事が先にあり、『COLORS』を離れて自分たちの編集・商業写真を作るようになったことが共同制作の起点として語られている*23。つまり「二人の視点を意図的に混ぜる」というコンセプトから結成されたのではなく、取材、編集、写真選択を長く共有するうちに共同作家となった。後年、二人は作品について議論と反論を繰り返す過程を重視し、誰がシャッターを押したかを忘れるほど個別の写真所有を弱めていった*20。この成立事情は、彼らが写真家個人の「決定的な一枚」より、画像を選び、並べ、意味づける工程へ関心を向けたことと直接つながる。
ロスラー/セクーラ以後――キャプション、制度、流通まで写真の条件として扱う
写真の証拠性を疑う議論には、二人以前から長い批評史がある。MACBAの「Universal Archive」は、1970年代にマーサ・ロスラーやアラン・セクーラらが、写真の証言価値は自動的に成立せず、文章、制度、経済的な使用条件まで含めて考える必要があると批判した流れを整理している*21。ブルームバーグ/チャナリンにとって、この問題が抽象的な理論ではなかったのは、二人が『COLORS』で編集者と写真家の両方を経験したからである。BOMBのインタビューでは、人物との具体的な出会いから生まれた写真が通信社や別媒体へ渡ると、撮影時の関係から切り離され、新しい説明や用途を与えられることへの違和感が語られている*23。そこで彼らは「写真は嘘をつく」と一般化するのではなく、写真が証拠らしく機能するまでに通過する具体的な工程を作品ごとに一つずつ取り出した。軍がどこまで撮影を許すか、編集者がどのコマを選ぶか、博物館がどう分類するか、検索エンジンが何を上位に出すか。写真そのものを減らしたり流用したりする形式は、これらの手続きを画面の外に隠さないために必要だった。
《The Day Nobody Died》――戦争を写さず、戦地にいた物質だけを残す
2008年、二人は英国軍に従軍してアフガニスタンのヘルマンド州へ入り、通常の戦争写真の代わりに50メートルの感光紙ロールを持ち込んだ。公式テキストは、重大な出来事が起きた日に約7メートルずつ紙を箱から出し、日光へ20秒ほど露光した方法を詳しく説明する*5。Cleveland Museum of Art所蔵の《The Day Nobody Died II》では、人も爆発も写っておらず、抽象的な色面だけが残る*6。しかし感光紙そのものは軍の輸送網を通って戦地へ運ばれ、その日の光に物理的に触れている。写真の「そこにあった」という指標性を残しながら、戦争を理解した気にさせる劇的な場面を与えない構造である。
従軍制度そのものを撮影装置として扱う
《The Day Nobody Died》の色面は、感光紙を戦地へ運ぶ軍の物流と切り離せない。巨大な箱を軍に持ち込むには検査、輸送、護衛、規則が必要となり、作品制作の物流そのものが従軍取材の制度を露出させる。Conscientious Photography Magazineの対話で二人は、埋め込み取材の仕組みを調べるうち、軍が写真家の移動と撮影内容を管理できる制度であることに着目し、従軍規約では紛争の証拠となる場面の撮影が大幅に制限されていたと説明している*15。The Guardianも、この仕事を写真報道が政治・軍事・経済のシステムへ組み込まれる状況への批判として紹介した*7。戦争の劇的な場面を撮らないことは抽象化の趣味ではなく、「現場へ行けば自由に真実を撮れる」という写真家像と、実際の取材制度の差を作品にする方法だった。
《War Primer 2》――既成の戦争写真を「読む」写真集
《War Primer 2》の公式アーカイブでは、ページと展示形態の画像が公開されている*11。作品では、ベルトルト・ブレヒトの『War Primer』英語版のページへ、Google検索などから集めた「対テロ戦争」の低解像度画像を重ねた。MoMAは、第二次世界大戦の新聞写真と短詩を組み合わせたブレヒトの方法へ、現代のスクリーンショットを重ねることで、紛争画像の政治経済を批評する本だと説明する*2。Deutsche Börse Photography Foundationは同作を2013年のPhotography Prize受賞作として位置づけた*4。Formaも、写真集という既存のページ構造を利用し、歴史上の戦争イメージと現在のネット画像を衝突させる出版形式を解説している*16。ここでは撮影より検索、選択、印刷、重ね合わせが写真家の仕事になる。
アーカイブの選別痕を作品にする
《People in Trouble Laughing Pushed to the Ground》は、Belfast Exposedに保管された北アイルランド紛争期のコンタクトシート約14,000点を調査して作られた。Belfast Exposedは、過去の編集者が選択候補へ貼った色付きの丸シールがアーカイブに残っていたことをプロジェクトの出発点として説明する*12。二人はそのシールを剥がし、下に隠れていた小さな円形部分を拡大して作品化した。公式アーカイブでは実際の「dots」作品を確認できる*13。Friezeは、この操作がアーカイブを中立的な保存庫として扱わず、過去の選別・報道・政治的利用の痕跡まで写真の意味に含める方法だと論じる*14。
《Fig.》――博物館の分類言語と写真の経験主義
2007年の『Fig.』では、博物館、植民地的収集、民族誌的分類、説明文の形式が批評対象になった。Seesawのインタビューで二人は、図版番号や博物館の言語に埋め込まれた経験主義を問題として明言している*3。写真は19世紀以来、人物や物を「タイプ」として分類する科学・行政の道具でもあったため、作品は展示ケース、図版、キャプションがどのように知識の権威を作るかを扱う。Photoparleyのインタビューも、写真が対象を説明する透明な窓という前提より、分類や制度の歴史を意識する二人の姿勢を伝える*19。
『Holy Bible』――災害写真と国家の暴力を、既存の聖書へ重ねる
2013年の『Holy Bible』では、King James BibleのページへArchive of Modern Conflictから選んだ写真を配置し、文章の一部へ赤線を引いた。TIMEの紹介は、ブレヒト研究から生まれたこの本が、災害、暴力、国家権力、写真の関係を扱うことを説明する*17。『War Primer 2』再版を伝えるLisson Galleryも、二冊を写真集の歴史と戦争イメージ批評の重要な仕事として位置づけている*18。既存の権威的テキストへ写真を貼り付ける方法は、写真が文章を証明する挿絵になる関係を反転し、テキストと像が互いを不安定にするページを作る。
《Spirit is a Bone》――人が撮らない写真、機械視覚へ
《Spirit is a Bone》では、モスクワの公共監視システムで開発された顔認識技術を利用し、被写体がカメラへポーズする肖像ではなく、機械が顔をデータとして抽出する「非協力的肖像」が扱われた。Apertureは、この作品を写真の歴史が証拠・記録から監視と予測へ変化する問題として論じている*8。GRAINの展示資料も、顔を三次元データへ変換し、国家や警察の識別技術と肖像写真を接続する作品として紹介する*9。公式テキスト《The Bone Cannot Lie》では、生体認証が身体を測定可能な証拠へする思想史が掘り下げられている*10。写真家がシャッターを押さなくても、写真の権力は消えず、むしろ自動化されるという問題がここで前面化する。
撮影許可、選別、出版、検索、識別――画像が権威を得る手続きを作品にする
二人の仕事を「画像のインフラを調べる」とだけ言うと抽象的に聞こえるが、作品ごとに対象は明確である。《The Day Nobody Died》では英国軍の従軍制度と輸送網を使って感光紙を戦地へ運び、《People in Trouble Laughing Pushed to the Ground》ではアーカイブ編集者が選択候補へ貼った丸シールの下だけを拡大した。《War Primer 2》ではGoogle検索から得た画像を既刊本のページへ重ね、《Spirit is a Bone》では公共監視システムの顔認識装置に肖像を生成させた。Photoworksも、二人が『COLORS』の編集経験から写真集、アーカイブ、政治的画像へ共同制作を発展させた経緯を振り返っている*22。彼らの転換は、ドキュメンタリー写真の被写体の選び方だけには収まらない。撮る前の許可、撮った後の選別、ページへの配置、検索順位、機械による識別までを、写真の意味を作る可視的な材料にした点にある。
共同作者だから可能になった、写真家個人の権威への距離
二人の制度批評は、共同制作の形式とも切り離せない。BOMBの対話によれば、二人は南アフリカで出会って友人となった後、Fabricaと『COLORS』の編集仕事を経て共同制作へ進んだ*23。Art on the Undergroundのインタビューでは、二人で制作することでシャッターを切る判断が遅くなり、その写真を作る理由について会話する時間が生まれると説明している*20。共同作者性は「二つの視点だから客観的」という保証ではなく、写真家一人の直感を最終根拠にしないための制作条件として働いた。感光紙、既刊本、アーカイブのシール、検索結果、顔認識装置など、作者の眼以外が像を決める要素を中心へ置く作品形式とも対応している。公式アーカイブは、23年間続いた共同制作が2021年2月20日に正式終了したと記している*1。
- アラン・セクーラ ― 写真、労働、制度、資本の関係を、単写真よりも連作・テキスト・アーカイブとして扱った重要な先行者。
- マーサ・ロスラー ― 戦争報道やメディア画像を流用し、ドキュメンタリーの政治性を批評した先行者。
- The Atlas Group / Walid Raad ― 戦争、アーカイブ、証拠、フィクションの境界を扱う同時代の比較対象。
- 1970年代の批評的ドキュメンタリー ― ロスラー、セクーラらが写真の透明な証言性を疑い、文章・制度・流通まで作品の問題へした先行する潮流。