ルイス・キャロルは、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが文学作品に用いた筆名である。1832年にイングランド・チェシャーのデアズベリーに生まれ、オックスフォード大学Christ Churchで数学を教える一方、1856年から1880年まで写真を制作した。Christ Church学寮長の娘で『不思議の国のアリス』成立の着想源となったアリス・リデル、同僚の娘アレクサンドラ・キッチン(愛称ジー)、芸術家や知人を繰り返し撮影し、衣装、物語的な演技、私的アルバムを用いて肖像を構成した。ヴィクトリア朝の芸術写真を代表する一人であり、現在は写真史上の達成と子どもを撮る成人撮影者の権力差の双方から検討されている。
キャロルは、同じ子どもや知人を何年にもわたって撮影し、衣装、文学的役柄、撮影セッション、プリントの贈答、アルバム編集を通して、一人の実在人物から複数の人物像を作った。姫、聖人、乞食、異国風の人物などを演じるモデルの姿は、家族肖像、演劇、文学的イメージを重ねる。約24年間の撮影と私的アルバムによって、人物の成長と役柄の変化は連続した系列として残された。ヴィクトリア朝の「子どもの無垢」を表した写真は、20世紀以降、撮影者と子どもの権力差、同意、私的写真の公開をめぐる議論の対象にもなった。人物を記録しながら別の役柄を与え、さらに後世の流通によって意味が変化する肖像の性質を、一つの長期的な制作の中に残した。
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オックスフォードで始めた写真活動
ルイス・キャロルは、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが1856年から作家活動に用いた筆名である。National Portrait Galleryは、「Charles」をラテン語のCarolusからCarrollへ、「Lutwidge」をLewisへ対応させて筆名が作られた経緯を紹介している*24。キャロルはChrist Churchで数学講師を務め、1856年に24歳で写真を始めた。初期のきっかけには、同僚レジナルド・サウジーの写真実践があった。NPGの資料では、キャロルが1855年にサウジーの写真を見て強い関心を示し、1856年3月にはロンドンの写真用品店で最初のカメラを注文したことが日記に残る*26。写真は『不思議の国のアリス』刊行より約9年前から始まり、文学と並行して24年間続いた独立した制作だった。
History of Science Museumは、キャロルが1880年に写真をやめるまでにおよそ3,000点を制作し、現在は1,000点未満が残ると説明している*8。UBC Pressのカタログ・レゾネは、散在するプリント、ネガ、アルバム、来歴を照合して写真家としての全体像を再構成し、文学作品とは別系統の長期的な制作活動として整理している*1。被写体は子どもに限られず、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、エレン・テリー、マイケル・ファラデー、アルフレッド・テニスンら文化人にも広がった。2018年のNational Portrait Gallery展「Victorian Giants」は、キャロルをジュリア・マーガレット・キャメロン、オスカー・レイランダー、クレメンティナ・ホーワーデンと並べ、ヴィクトリア朝芸術写真の主要な実践者として展示した*29。
写真は、キャロルがオックスフォードの学寮、科学、文学、美術の人脈を往来するための実践にもなった。History of Science Museumは、マイケル・ファラデー、アルフレッド・テニスン、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイらが被写体になったことを挙げ、写真が著名な人物へ接触する社交的な入口として働いたと説明している*7。Oxford University Museum of Natural Historyには、医学者ジョージ・ロールストンを博物館標本とともに撮った肖像が残り、同館はキャロルの被写体に写真家ジュリア・マーガレット・キャメロンやサラ・アンジェリーナ・アクランドも含まれたことを紹介している*11。家族や子どもの肖像、大学人の記録、芸術家や科学者の肖像が同じ写真活動に並ぶことで、私的な趣味として始まった撮影はヴィクトリア朝の知的・文化的ネットワークを可視化するものになった。
演出された肖像
初期の湿板肖像では長い露光が必要で、NPGは1856年前後のキャロルの屋外肖像で10〜40秒ほど静止する場合があったと説明している*25。この静止時間の中で、キャロルは衣装、小道具、文学や伝説の役柄を使い、モデルの姿勢と視線を細かく組み立てた。The Metの《St. George and the Dragon》では、アレクサンドラ・キッチンと兄弟が聖ゲオルギウス伝説の人物を演じ、1872年にChrist Churchの居室上に作られた専用スタジオと舞台衣装が撮影環境を構成していた*17。同じ実在人物を別の役へ繰り返し置くことで、肖像は身元を記録する像と物語を演じる像を同時に持つようになった。
SFMOMAの「Dreaming in Pictures」は、19世紀に流行したtableau vivant(生きた絵)の文化を背景に、キャロルの写真を子どもたちが演じる「私的な劇場」として分析した*2。Christ Church Libraryの資料は、1863年にSt Aldatesの家具店の庭を撮影場所として借り、その後はChrist Churchの自室上に専用スタジオを設けるまで撮影環境を拡張した経緯を伝えている*30。撮影空間、衣装、小道具、長期のモデル関係を自ら維持したことで、商業写真館の一回的な肖像注文とは異なる連続した演出撮影が可能になった。
撮影と物語
キャロルの撮影では、写真を撮る時間と物語を作る時間が同じ空間に置かれた。1872年にChrist Churchの居室上へ設けたガラス張りのスタジオには玩具や舞台衣装が用意され、子どもたちは役柄を選びながら撮影に参加した。Museum of Fine Arts, Houstonは、キャロルが物語、遊び、手品によって若いモデルの緊張をほぐし、撮影そのものを共有する娯楽の一部にしたと説明している*20。この環境から生まれた写真では、実在する人物の顔と、撮影のために選ばれた架空の役柄が一枚の中で重なる。
《Mary J. MacDonald dreaming of her father and brother Ronald》では、横たわるメアリー・マクドナルドの「夢」という題名が、人物の姿を家族の心理的な物語へ結びつけている*22。アレクサンドラ・キッチンを中国風の人物、ギリシャ風衣装の人物、聖人伝説の姫へ繰り返し変身させた作品群も、同じ身体を別の物語へ入れ直す制作として続いている。撮影現場で物語を語り、衣装を選び、実在人物へ別の役柄を与える行為は、キャロルの文学的想像力と写真制作を同じ日常の実践の中で結んでいた。
私的アルバム
キャロルは撮影したプリントを私的アルバムへ継続的に整理した。Harry Ransom Centerの「Carroll’s first album」には1856年の70点が貼られ、本人の手書きインデックスと「Begun June 1856」の記載が残る*10。同館の『Photographs Vol. III』には100点を超える肖像と索引がまとまり、人物名と順序によってプリントを整理した索引が残る*5。別の未刊アルバムには家族、友人、風景、複製写真など76点が収められ、人物肖像と日常の視覚記録が同じ冊子に並ぶ*28。アルバムは、誰を撮り、どの像を残し、どの人物関係を後から参照できる形にするかを決める編集の場だった。
アルバムは保存容器に加えて、写真家としてのキャロルが自分の仕事を見せる媒体でもあった。Harry Ransom CenterのWeld Albumには1857年頃のアルブメンプリント16点が残り、アグネス・グレース・ウェルド、テニスンの息子ハラム、ジュリア・マーガレット・キャメロンの息子たちなど、家族関係と文化人の人脈が同じ冊子に収められている*3。ロジャー・テイラー、エドワード・ウェイクリングによるPrinceton University Library Albumsの研究は、キャロル自身が作った四冊のアルバムを、友人、家族、これから撮影する可能性のある人物へ作品を示すためのものとして位置づけている*13。撮影した人物を整理する行為と、新しい撮影関係を作る行為がアルバムを介してつながっていた。
アリス・リデル
アリス・プレザンス・リデルは、Christ Church学寮長ヘンリー・リデルの娘で、キャロルが家族ぐるみで交流し、繰り返し撮影した主要なモデルの一人である。1862年7月4日のテムズ川での舟遊びで、アリスら三姉妹に即興で語った物語が後の『不思議の国のアリス』へ発展し、V&Aはアリスが物語を書き留めるよう求めた経緯を紹介している*4。実在のアリスは物語成立のきっかけとなった人物であり、同時にキャロルの写真に繰り返し登場した。NGAの《Lorina and Alice Liddell in Chinese Dress》では、アリスと姉ロリーナが衣装を着て役を演じ、家族の記念肖像と演出された人物像が一枚に重なる*18。
《Alice Liddell as “The Beggar Maid”》は1858年、アリスが6歳頃に撮影された演出肖像で、アルフレッド・テニスンの詩「The Beggar Maid」に着想を得た*15。National Portrait Galleryにもアリス・リデルの肖像が残り、彼女が『不思議の国のアリス』成立に関わった実在人物であることと、キャロルの写真モデルとして長く研究されてきたことが所蔵情報に集約されている*16。2024年にはBodleian Librariesが《Beggar Maid》のオリジナル・アルブメンプリントと1860年の《Alice Liddell Wearing a Garland》のガラス湿板ネガを収蔵し、裕福なヴィクトリア朝の子どもを主題衣装で撮る当時の文化にも言及した*23。制作時の「子どもの無垢」という理想と、現在の鑑賞で問われる成人撮影者と子どもの権力差、モデルの意思、私的写真の公開が、一つの像の受容史に重なっている。
リデル家との撮影は家族単位の交流から生まれた。National Portrait Galleryが所蔵する1860年春の集合肖像では、アリスが姉イナ、弟ハリー、妹イーディスとともにChrist Churchの学寮長邸の庭に並び、同館はキャロルが父ヘンリー・リデルの同僚として一家と親しくなった経緯を記している*21。家族の庭、舟遊び、物語、撮影が同じ交流圏にあり、その継続性が一人の子どもを異なる年齢と役柄で残す条件になった。
アレクサンドラ・キッチン
アレクサンドラ・キッチンは、キャロルのChrist Churchでの同僚ジョージ・ウィリアム・キッチンの娘で、「ジー(Xie)」の愛称で呼ばれた。SFMOMAは、キャロルが彼女を11年間に少なくとも50回撮影し、異国風の衣装、ヴァイオリン、寓意的な人物、兄弟との場面など多様な役を与えたことを紹介している*19。The Metの《St. George and the Dragon》では、アレクサンドラが物語の姫を演じている*17。幼少期から思春期まで同じモデルが役柄を変えて登場する系列には、身体の成長と舞台的な変身が同時に記録された。アリス・リデル、アレクサンドラ・キッチンをはじめとする知人の子どもとの長期的な交流が、反復撮影を可能にする社会的な基盤だった。
HoustonのMFAが2024年に収蔵した1874年の《Xie Kitchin》は、アルブメン・シルバー・プリントとして三つの画像状態をオンライン公開し、キャロルがアレクサンドラを最も頻繁に撮ったモデルだったことを記している*20。Harry Ransom Centerのキャロル写真コレクションにも、毛皮、寝間着と冠、中国風衣装、ギリシャ風衣装、《St. George and the Dragon》など、1870年代のアレクサンドラの異なる姿が連続して残る*27。一人のモデルを長期に撮ることで、個人の成長記録、衣装による変身、物語的な役柄が同じ人物の系列として比較できる。
モートン・N・コーエン編『Lewis Carroll and the Kitchins』は、キッチン家に宛てた未刊行書簡25通と写真19点をまとめ、父ジョージ・キッチンがキャロルのChrist Churchでの同僚だったこと、アレクサンドラ・「ジー」・キッチンとの撮影関係が家族ぐるみの継続的な交流の中にあったことを具体的な資料から示している*33。書簡には、撮影の依頼、プリントの贈答、再訪を支えた家族間の交流が具体的に残る。
子どもの表象と倫理
ヴィクトリア朝の上・中流階級では、子どもは無垢、純潔、道徳的な美徳を担う存在として文学や美術に繰り返し表された。SFMOMAはアレクサンドラ・キッチンの作品解説で、キャロルの子ども写真が当時広く共有されたロマンティックな幼年期像と結びつき、保護者が娘を同様の肖像のために連れてきたことを紹介している*19。子どもを理想化して眺める文化、家族間の写真贈答、アマチュア写真家を受け入れる上流・知識階級の交友関係が、こうした子ども肖像の制作と受容を支えた。
キャロルの子ども写真、とりわけヌードを含む少数の作品は、後世の伝記や大衆文化でセンセーショナルに扱われてきた。SFMOMAはアレクサンドラ・キッチンの作品解説で、ヴィクトリア朝に共有された「子どもの純真」という理想と、20世紀以降に生まれた性的解釈のあいだに大きな受容の変化があることを説明している*19。当時の家族の関与、写真の私的な贈答、20世紀以降の出版、美術館展示はそれぞれ異なる条件で成立した。現在の倫理的検討では、作者の心理を推測するより、成人撮影者と子どもの権力差、保護者の関与、写真を所有・公開する権限がどこにあったかという具体的な問題が中心になる。
モートン・N・コーエンは1978年に『Lewis Carroll’s Photographs of Nude Children』を独立した小冊子として刊行し、現存するヌード写真を資料群として切り分けて検討した*34。キャロル・メイヴァーの『Pleasures Taken』はその後、キャロルの少女写真をヴィクトリア朝のセクシュアリティ、喪失、モデル側の主体性という複数の問題から読み直した*35。両書は、20世紀後半以降に子どもの表象がどのような言葉で再検討されてきたかを記録する受容史資料である。
SFMOMAの『Dreaming in Pictures』は、キャロルの写真をヴィクトリア朝の芸術写真として体系的に再評価した*6。Musée d’Orsayの展覧会も写真家キャロルを独立した研究対象として紹介し、文学史中心の名声とは別に、肖像、演出、アルバムを写真史へ戻す再評価を進めた*14。National Portrait Galleryの「Victorian Giants」は、ジュリア・マーガレット・キャメロン、オスカー・レイランダー、クレメンティナ・ホーワーデンとの同時代比較を通して、衣装、演技、肖像の共有された実験を示した*29。写真史研究では、キャロルの子ども像を一つの心理的説明へ還元せず、ヴィクトリア朝の子ども観、撮影者とモデルの社会関係、写真の贈答と公開を分けて検討する方向が強まっている*12。
撮影後も続いた写真との関係
1880年に自ら撮影することをやめた後も、キャロルと写真の関係は終わらなかった。リンゼイ・スミスの『Lewis Carroll: Photography on the Move』は、撮影をやめた後のキャロルが写真の収集者・消費者として活動し、劇場、海辺、旅行先で写真を集め、好む写真家に肖像撮影を依頼したことを論じている*9。カメラを手放した後にも写真を選び、購入し、他者に撮影を依頼した。写真は撮影技法であると同時に、人、記憶、役柄を交換する視覚文化として彼の生活に残った。
Harry Ransom Centerのデジタル・アーカイブと写真コレクションには、アルブメンプリントとコロジオン・ネガ、子どもの肖像、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、自画像などが残り、現在は子どもの肖像、文化人の肖像、自画像、ネガを横断して撮影活動全体を比較できる*27。同館の複数のアルバム、Princetonのアルバム研究、ウェイクリングのカタログ・レゾネによって、キャロルの写真は「アリス」の周辺資料から、長期間にわたる独立した写真実践として再構成されてきた。この再構成によって、演出肖像、私的アルバム、モデルとの関係、写真の収集と流通を一つの活動史として検討できるようになった。
ヘルムート・ゲルンスハイムの1969年改訂版『Lewis Carroll, Photographer』は、英国写真史の進展を背景にキャロルの肖像、演出写真、著名人のポートレートを一冊の写真家研究としてまとめた*31。1998年のモートン・N・コーエン『Reflections in a Looking Glass』は、没後100年の巡回展に合わせ、子ども、家族、友人、同僚、著名人の写真と日記・文章を組み合わせて写真活動を再提示した*32。この二つの研究の間には、名作写真の選集から、アルバム、書簡、モデル関係、制作後の流通までを扱う現在のキャロル研究へ広がっていく受容史がある。
- ジュリア・マーガレット・キャメロン ― 同時代に親族・知人を演出的に撮影し、肖像を文学・宗教・感情表現へ接続した比較対象。
- オスカー・レイランダー ― 衣装と演技、組合せ印画を使い、写真の事実性と作られた物語の関係を早くから可視化した。
- クレメンティナ・ホーワーデン ― 家族、とりわけ娘たちを室内で撮り、ヴィクトリア朝の若い女性像と演技を別の家庭環境から構成した。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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