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PHOTOGRAPHERS/DIANA SCHEUNEMANN ·インティメイト・ライフ ·UPDATED 2026.08
DS
§ 178 — Photographer Index — インティメイト・ライフ

ディアナ・ショイネマン

Diana Scheunemann
Countryスイス / ドイツ Period1980–1990s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

ディアナ・ショイネマンは、ファッション、広告、セレブリティのポートレートと、自分自身や友人を撮る個人制作を並行してきたスイス/ドイツの写真家。『Ambisexual』、1999年開始の《Behind My Face》、『Freedom in Flashes』、写真集と映画による『Love American Skin』では、友人、自画像、プロのモデル、旅先で会った人々を異なる制作条件で撮っている。商業撮影と写真日記を同じ活動の中で続けてきた経歴をたどる。

この写真家が変えたこと

ショイネマンは、ファッション写真と私生活の記録を別々の撮り方へ分けなかった。『Ambisexual』では友人を生活の延長で撮り、《Behind My Face》では1999年から自分自身を日付付きで撮影し、『Freedom in Flashes』ではプロのモデルにも50mmレンズと少量のフラッシュで近い距離から接した。商業撮影の照明や演出を捨てるのではなく、友人を撮るときの会話や近さを、モデルや一般の依頼者を撮る工程へ持ち込んだ。現在の《YOU BY DIANA》では、衣装、ポーズ、照明を撮影前に被写体本人と相談する。完成像を撮影者やクライアントだけで決めず、被写体とのやり取りから組み立てることが、個人制作と商業撮影を通して続いている。

Keywords Behind My Face Ambisexual Love American Skin Freedom in Flashes 写真日記 自画像 エディトリアル ファッション写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

8歳の母親写真から商業撮影へ――カメラを会話の中に置く

ショイネマンは1975年にドイツで生まれ、15歳でスイスへ移り、チューリヒで写真を学んだ*14。公式略歴は、その後チューリヒ、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、テキサスなどを拠点に、広告、エディトリアル、著名人のポートレートと個人制作を並行してきた経歴を示す*1。Aestheticaで本人は、8歳のとき浴室にいる母親を撮った写真を最初の強い記憶として挙げ、自分の仕事は「とても自伝的」だと話している*3。同記事では、被写体との信頼関係を作り、カメラを会話や冗談の一部にすることが彼女の撮影方法として説明される*3。身近な人を撮ってきたやり方が、そのまま広告やエディトリアルの現場にも続いた。これが商業仕事と個人制作をつなぐ出発点になった。

『Ambisexual』――1990年代以後のファッション写真と私生活の接近

2001年の『Ambisexual』は、ショイネマンの友人たちを私的な空間や性的な場面で撮った小型写真集で、後の自伝的実践を考える起点の一つになる。Le Plac’Art Photoに掲載された本人の説明では、もともと友人を撮っており、場面は実際の生活から生まれ、よく知る人物を撮る写真は「家族アルバム」のように自分の人生を反映すると語られている*12。この方法が現れた時期には、ファッション写真そのものも変わっていた。V&Aはコリーヌ・デイについて、1990年代にそれまでの80年代的な完成度の高いファッション像から離れ、若い身体や日常へ近づくドキュメンタリー風の撮影を誌面へ持ち込んだと説明している*23。同じV&Aの解説では、ナン・ゴールディンが自分の友人、恋人、クラブの仲間を、観察者ではなくその生活圏の当事者として撮ってきたことも確認できる*23。2006年のボローニャでの個展紹介も、彼女がThe Faceや英ELLEなどのファッション誌で仕事をしながら、私生活の親密な場面を撮り、広告的なステレオタイプから外れる写真として紹介されていたことを記録している*16。ショイネマンを二人の直接的な影響下に置く根拠はない。ただ、『Ambisexual』が出た2001年前後には、ファッションの誌面と私生活の写真がすでに接近していた。その状況の中で彼女は、友人を撮る私的な方法を個人作品に閉じず、後のファッション撮影でも被写体との近い距離を維持した。

§ 02 / 04 表現の核心

《Behind My Face》――文字の日記を日付付き自画像へ置き換える

《Behind My Face》は1999年から続く自画像日記で、ほぼ同じ技法を用い、写真に日付を入れながら一年365日の記録を目指す。公式の「Books & Projects」でショイネマンは、出来事や感情をすぐ忘れてしまうため、かつて書いていた日記の代わりに自分を撮影し、どこにいてどう感じていたかを思い出す手がかりにすると説明している*2。Les Belles de Nuitの紹介も、この長期プロジェクトを商業撮影と並行する主要な自伝的実践として位置づける*15。顔、服装、部屋、移動先を日付ごとに残すため、自画像が文字の日記に代わる記録単位になっている。

「black days」――撮らないことまで系列の一部にする

《Behind My Face》には、記憶したくない日や状況を暗闇に残す「blackouts / black days」が挿入される。「black days」は、本人が残したくない日を黒い画面として系列内に保存する。Actuphotoの作家紹介は、1999年以後の自画像日記を四冊のモノグラフや映像制作と並ぶ継続的な活動として整理している*6。photography-nowの展覧会・出版記録からも、個人制作が独立した展覧会と出版として発表されてきたことが確認できる*14。欠落を黒い日として残すことで、写真日記は「全部を見せること」と自己開示を同一視しない。

『Freedom in Flashes』――ファッションの演出を残したまま、モデルとの距離を変える

2007年の『Freedom in Flashes』は、若者、裸体、車、夏の旅を、即興的なスナップとファッション撮影が混ざる画像へまとめた写真集である。ArtDailyの刊行記事は、若さ、自由、遊び、演出が一つのプロジェクトへ入ったことを伝える*8。Guardianで本人は、被写体がただ美しくカメラを見るファッション写真には関心を持てないと語り、50mmレンズとフラッシュを使った撮影を、モデルと幼なじみのように過ごす距離感として説明している*22。Aestheticaはこのシリーズを現実の無加工な記録ではなく、問題の目立たない理想化された若さの世界を作る仕事として捉え、作者自身もその作為を認めている*3。ショイネマンは、ファッション写真の演出を排除して「本当の生活」だけを撮る方向には進まなかった。演出、フラッシュ、プロのモデルを残したまま、撮影者とモデルの距離を友人を撮るときの近さへ寄せる。そのため、完成された商品像と私的スナップのどちらか一方へ作品を整理できない。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

『Love American Skin』――写真集と84分映画を同じ旅から作る

『Love American Skin』は2010年の約二か月にわたるアメリカ横断旅行から生まれ、写真集と長編ドキュメンタリー映画へ展開した。公式の映像ページは、ニューヨークを出発して各地の人々を撮影・インタビューし、「アメリカ」という一枚岩のイメージを個々の生活から見る企画だったことを説明している*4。映画のサウンドトラック資料にも、21州を移動し、60日間にわたり人々を撮影・収録した制作過程が記録されている*5。写真集では一人の人物や一つの場面を静止画として残し、映画では同じ旅の会話、声、移動、夫婦関係を時間の中で残す。一つの旅行を二媒体に分け、静止画で残る情報と動画で残る情報を別々に使っている。

PhotobasteiとHauser Online――「大きなアメリカ史」より個人の話を並べる

2014年のPhotobasteiでの展示は、『Love American Skin』を約60人の個別の出会いから構成されたプロジェクトとして紹介し、国家を一つの人物像で代表させるより、旅の途中で会った人々を並べる構成を強調した*7。Le Plac’Art Photoの写真集記録は、同名プロジェクトが映画と並行して物理的な書物へ編集されたことを確認できる*13。Hauser Onlineでの紹介も、土地と身体を「American skin」という題のもとで結び、異なる人物の経験を一つの旅程へまとめる作品として提示している*11。約60人を国民性の「代表例」として整理せず、誰にどの移動地点で会ったかという旅程の中へ並べる。写真集と映画は、撮影者が旅程の中で順番に出会った個々の人物を単位に構成される。 2014年のphoto14では、ショイネマン自身が《Love American Skin》についてErich Gyslingと対談し、同作が当時の最新プロジェクトとして写真分野の公開プログラムで紹介された*21

四冊の写真集――私生活、演出、旅を出版物で連続させる

ショイネマンの個人制作は『Ambisexual』『Diana Scheunemann』『Freedom in Flashes』『Love American Skin』と複数の写真集にまとめられてきた。KALTBLUTは『Love American Skin』を、それ以前の三冊に続く第四のモノグラフとして紹介している*9。Rakuten Booksの書誌も2013年版の刊行情報を確認でき、映画だけでなく物理的な写真集としてプロジェクトが編集されたことを裏づける*10。少なくとも出版歴から確認できるのは、友人を撮った初期作、自画像、演出を含む若者写真、アメリカ横断の記録が、商業ポートフォリオとは別に継続して写真集化されてきたことだ。出版歴を見ると、商業撮影とは別に、友人、自画像、若者文化、アメリカ横断という個人制作を一冊ごとのまとまりとして継続的に発表してきたことが確認できる。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

《YOU BY DIANA》――撮影前の相談をポートレート工程に入れる

近年の《YOU BY DIANA》では、ショイネマンは長年のファッション・ポートレート経験を一般の依頼者向けの撮影へ使っている。公式ポートフォリオでは、スタジオ照明と演出を使いながら、職業モデルではない依頼者を撮る現在の活動が紹介されている*17。本人紹介とブログでは、撮影前に「どう見られたいか」を話し、衣装、ポーズ、照明を決めていく工程を明示している*18。《YOU BY DIANA》では、撮影前の相談自体が制作工程に組み込まれている。ファッション撮影で通常は編集部やクライアントが決めるイメージ設計の一部を、被写体本人との事前相談へ移している点が、彼女の現在のポートレート方法として具体的に確認できる。 《YOU BY DIANA》の本人説明では、20年以上のファッション・広告撮影から離れ、職業モデルではない一般の女性を本人のために撮ることがサービス開始の理由として明記されている*19。商業撮影で培った照明やポージングはそのまま使い、依頼主と被写体が同一人物になる点が以前の広告仕事と異なる。

友人、自画像、モデル、依頼者――被写体との関係が先にある

『Ambisexual』では友人、《Behind My Face》では自分自身、《Freedom in Flashes》ではプロのモデル、《YOU BY DIANA》では職業モデルではない依頼者が被写体になる。《Freedom in Flashes》で本人は、50mmレンズと少量のフラッシュを使い、モデルとの撮影を「幼なじみといるようだった」と振り返っている*22。《YOU BY DIANA》では撮影前に本人の希望を聞き、衣装、ポーズ、照明を相談してから撮る工程が明文化されている*20。被写体の種類は変わっても、ショイネマンは撮影者だけで完成像を決めず、相手との会話を撮影前または撮影中の判断に組み込んできた。現在の仕事では、その方法が一般の依頼者向けポートレートの手順としてはっきり見える。

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