写真の座標 Photo Coordinates
PHOTOGRAPHERS/TAIJI MATSUE ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
TM
§ 260 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

松江泰治

Taiji Matsue 1963–
Country日本 Period2000–2010s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

松江泰治は、世界各地の山地、都市、墓地、都市模型を、地平線と空を画面に入れず、真昼の順光と高解像度で撮ってきた写真家。「gazetteer」「CC」「JP」では地名や都市コードを用いて各地の地表を蓄積し、「cell」では一枚の写真に写り込んだ細部、「makieta」では実景と模型の縮尺を判別しにくくする写真の性質を作品にした。森山大道『光と影』をきっかけに写真へ向かい、地理学と衛星画像処理を学んだ経験を経て、特定の被写体を主役にする構図よりも、カメラが画面全体へ記録する細部の量を重視してきた。

この写真家が変えたこと

松江は、風景写真で何を重要な対象として見せるかを、一つの主役や劇的な構図だけで決める方法から離れた。地平線と空を外し、順光で影を抑え、画面の隅々まで細部を残すことで、山地、住宅群、墓地、都市模型を同じ撮影規則で扱った。さらに「gazetteer」「CC」「JP」の地名やコード、高精細スキャン、「cell」、動画へ展開し、撮影者がその場では気づかなかった情報も後から拡大し、比較し、見つけ直せる写真を作った。風景を一つの見どころへ導く画面として完結させず、記録された細部を撮影後も読み続けられる形式へしたことが、松江の具体的な更新だった。

Keywords 地表 gazetteer CC JP LIM makieta 絶対ピント タイポロジー写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

旅、森山大道、地理学

松江泰治にとって、各地へ出向いて土地を見ることは、写真家になる以前から続いていた。本人は『Hashima』刊行時のインタビューで、10歳頃から日本各地を旅し、14歳の夏までにほぼ全国を回り、古い街、工業地帯、運河、炭鉱や廃鉱に惹かれていたと振り返っている。1983年の端島では、九州を旅する途中で渡島できたことから撮影が始まった。後年まとめた『Hashima』を本人も「旅のドキュメント」と説明しており、未知の土地へ移動し、歩き、そこで出会ったものを写真として持ち帰る行為は、初期から制作の基礎にあった。*31

写真を職業として意識した直接の契機は、19歳で森山大道の写真集『光と影』に強く惹かれたことだった。松江はその後、森山に自作を見せて全面的に否定され、「独自のもの」を探さなければならないと考えたと振り返っている。*1 森山の方法を模倣する段階を離れ、自分の写真が何に依拠するのかを探す必要に迫られた経験だった。清水穣は、森山の粗い印刷像がもつ視覚的な触感への関心が、松江では高解像度の細部を凝視させる写真へ展開したと論じている。*19

同じ時期、松江は東京大学理学部地理学科で学び、大学ではコンピューターを使った画像処理にも取り組んだ。子どもの頃から電子工作に親しみ、1980年代の大型計算機でランドサットの地球観測データを画像化し、輪郭強調などの処理も自分でプログラムしていたという。*1 座標を持つデータを画像へ変換し、その内部から地形や状態を読み取るという、通常の眺望とは異なる地表の扱い方を経験していた。旅先で土地に出会うことと、機械が記録した地表の情報を読むことが、写真家になる初期の段階で並行していた。

1985年前後には端島、路面、壁、マンホールなどを撮影し、「TRANSIT」は1987年に発表された。artscape Japanは、このシリーズの撮影が発表より数年前から始まっていたことを含め、初期から回顧展までの展開を整理している。*5 1988年のアンダルシアでは、陰影の少ない街を歩いて撮影した経験が「TRANSIT」から「gazetteer」へ向かう転換点になったと、後年の展覧会資料が位置づけている。*4 東川町の2012年東川賞資料は、1991年のイエメン撮影を機に、順光の下で地表を精密かつ均質に写す方法が確立したと整理している。*38 広島市現代美術館の回顧展も、「TRANSIT」から「gazetteer」「CC」「JP」へ至る制作を、地表への継続的な関心と撮影・出力技術の更新を軸に構成している。*6

1980年代の都市・風景写真

松江が活動を始めた1980年代後半、日本では都市や土地を、名所や作者の心情を示す背景とは別の単位で捉える仕事が並行して現れていた。宮本隆司は解体中の建築を撮った「建築の黙示録」を1986年に発表し、建物の破壊と都市の変化そのものを記録した。*29 畠山直哉は同じ頃、「Lime Hills」で石灰石鉱山を撮り始め、のちに採掘地、工場、コンクリートで形成される都市を、物質の移動と生産の連鎖として結んでいった。*30

松江も都市、採掘地、道路、建物を撮るが、建築の消滅を都市史へ結びつける宮本、資源から都市までの因果を追う畠山とは異なる方向へ進んだ。自然地形、住宅地、墓地までを同じ撮影条件で扱い、場所ごとに異なる物語を与える前に、地表を一定の方法で記録する形式を組み立てた。この比較が示すのは、1980年代後半以降の日本写真で都市や土地を何として捉えるかという問いに対し、宮本、畠山、松江がそれぞれ異なる単位と方法を選んだことである。

§ 02 / 04 表現の核心

松江の発言と制作を通して繰り返し現れるのは、写真家が撮影時に重要だと判断したものだけを、写真の内容にしてよいのかという問題である。人間の視線は現場で中心と背景を分け、見たいものを選びながら風景を見る。これに対してレンズは、撮影者がその場では意識しなかった舗装、窓、人影、植生まで同時に記録する。松江はその機械的な記録能力をできるだけ残すために、地平線、影、ピント、撮影高度、画面範囲を厳しく設定した。本人は、道路写真を拡大すると現場では気づかなかった工事の履歴まで記録されていると語り、カメラを「機械」として性能限界まで使うことを自らの方法として説明している。*1

カメラの記録と人間の視線

大学で扱ったランドサット画像では、地表は地点ごとの情報を読み取る画像として処理される。衛星画像と松江の写真を同一視することはできないが、画像の内部から肉眼では把握しきれない情報を読み取る態度には連続性がある。松江自身も、人間の目は現場ですべてを正確に見ているわけではない一方、レンズはその場の情報を保持すると説明している。*1

松江の撮影では、判断する場所が被写体の強調から撮影条件の設定へ集中する。何を主役にするかを画面内で強調する代わりに、どの光、角度、高さ、ピント、範囲なら地表の情報を広く残せるかを先に決める。別の対談でも、自身の方法をカメラの原理に忠実な「正攻法」と説明し、機械の性能をできる限り引き出すことを制作の明確な部分として語っている。*2 森山大道の模倣から離れて自分の写真を探した経験、地理学と画像処理の訓練、カメラを機械として使い切ろうとする考えは、主観的な強調だけに写真の根拠を置かなかった松江の制作を、それぞれ別の側面から支えている。*1

地平線・順光・影

地平線と空を外し、晴天の順光を選ぶ規則は、奥へ向かう視線の流れを抑えながら、画面全体の細部を残すために働く。国立新美術館での松井みどりとの対談では、手前と奥のスケール感を近づけ、画面全体を一つの面として扱うことと、情報量を多く保てる光が結びつけて説明されている。*3 広島市現代美術館も、この規則によって中心と周縁の区別が弱まり、写り込んだ要素が画面上で同程度の明瞭さを持つと整理している。*6

清水穣は、松江の通常の形式について、地平線の「向こう」へ視線を誘導する構図を閉じ、空間的な深さの代わりに高解像度の情報へ注意を向ける方法だと分析している。*32 平面化は細部を減らす操作ではない。斜めの航空写真のように遠方へ視線を導けば、手前から奥へ見る順序が生まれる。真上から撮れば地形の高低は模様に近づく。松江は斜め下をほぼ正面から捉え、凹凸を残しながら、特定の一点だけが画面を支配しにくい構成を作った。*32 ゾルタン・ソムヘギも、地平線の排除と影の最小化による平面化を、特定の中心や自然/人工の優先順位をつくらず地表を扱う松江の方法と結びつけて論じている。*24

絶対ピントと高解像度

この構成には高解像度が必要だった。清水穣は松江の方法を「絶対ピント」と呼び、人間の目が「この程度なら合って見える」と判断するパンフォーカスとは区別している。無限遠に合わせたレンズの原理を出発点にし、人間が見ることを基準にしない光学的な条件として説明した。*32 ここで「絶対」は完璧さの評価を意味せず、肉眼の見え方を尺度にしないという意味を持つ。

清水はさらに、高解像度の画像では一枚の一部を拡大すると、その中から別の像を取り出せる「情報の深さ」が生じると論じた。*20 道路、窓、人影、岩盤、樹木まで判別できる解像度があるからこそ、遠近や中心の強調を弱めても、各地点の密度や形の違いは残る。『gazetteerCC』所収の清水論も、空間的な奥行きの代わりに、高解像度で詰め込まれた情報の厚みへ注意を向けることを松江の形式の要点としている。*27 高解像度の役割は精細さの誇示に尽きない。撮影時には主役でなかった箇所まで、後から検討できる状態で残すために必要だった。

この条件はカラー化にも影響した。松江はカラーで撮影していても、アナログのカラープリントでは求めるピントと情報量を維持できず、十分な品質のデジタル・スキャンとプリントが可能になってからカラー作品を本格的に発表した。『gazetteerCC』の解説も、デジタル技術が「絶対ピント」と過剰な情報量をカラーで成立させたことを制作史の転換点としている。*27 デジタルは新しい外観を加えるための技術というより、以前から求めていた記録密度をカラーでも保つ条件になった。

gazetteer/CCの地名コード

「gazetteer」は地名事典を意味し、「CC」は都市コード、「JP」は都道府県を示すコードをタイトルに使う。東京都写真美術館は、2001年から制作される「CC」で、作品名に撮影地の都市コードを付すことをシリーズの基本構造として説明している。*7 写真集『jp0205』も青森と秋田を上空から撮った像を地理的なコードで編み、複数地点を連続して比較できる構成を取る。*15

この命名法は、場所を無名の抽象パターンへ変えるためだけのものではない。「美しい山」「巨大都市」といった作者の形容をタイトルから外しながら、撮影地は名前やコードとして残す。ゾルタン・ソムヘギは、松江が有名/無名、自然/人工といった対象の序列を設けず、各地点を百科事典的に蓄積する点を指摘している。*24 高解像度の画面には道路、建物、植生、地形の具体的な差が残り、地名やコードがそれを特定の地点へ結び直す。同じ撮影規則を使いながら個々の場所を比較できるのは、この視覚情報と地理的な索引が組み合わされているためである。

主役をつくらない撮影設計

松江の画面には劇的な陰影や中心人物が少ないが、撮影者の判断が弱いわけではない。松井みどりは、中心をつくらず細部を均等な強さで受け入れる松江の視覚を「非個人的」なものとして論じ、近景・中景・遠景を一人の主体が統合する通常の風景写真とは異なる構造を指摘した。*3 一方、松江自身は真昼の強い光への嗜好や、情報量の多さに感じる快感も語っている。*3

空撮では飛行地点、時刻、太陽の向き、高度まで計画し、地上でも撮影場所と光を細かく選ぶ。*2 artscape Japanは、「gazetteer」や「CC」の多くが航空機からの空撮ではなく、松江自身が移動しながら丘、崖、塔、高層建築など撮影可能な高所を探して作られたことを指摘している。*5 完成した画面で作者の存在が目立ちにくいのは、判断を放棄した結果ではない。人物の表情や劇的な明暗を選ぶことより、広い範囲に細部を残すための場所、時間、光、ピントを選ぶことへ判断を集中させている。

§ 03 / 04 代表作・シリーズ

Hashima/TRANSIT/gazetteer

1983年の端島で撮られた写真は、後年の均質な俯瞰形式ができる前の仕事である。『Hashima』は、島へ渡る前日から離島までをほぼ時間順に構成した24時間の旅の記録で、松江自身が「旅のドキュメント」と説明している。*31 後年の「gazetteer」のような標準化された規則はまだないが、歩きながら場所の表面を拾い続け、移動の中で土地を採集する制作の初期形がすでにある。

「TRANSIT」では路面、壁、マンホール、瓦礫など、身体に近い距離の地表が画面化される。《Kumamoto, Japan》(1985)はMFAHが同シリーズの一作として収蔵する。*12 その後「gazetteer」では撮影範囲が世界各地の山地、砂漠、森林、都市へ広がり、撮影地の名前と写真を蓄積する長期シリーズになった。広島市現代美術館の「地名事典|gazetteer」は、初期作から「CC」「JP」「LIM」、動画、「makieta」までを通覧し、この展開を一つの制作史として示した。*6

CC/JP

「CC」は都市を地上の高所などから撮り、都市コードを題名に付すシリーズである。「JP」は日本の都道府県を低空から撮影し、ISO 3166-2に基づく都道府県コードを用いる。2005年の《JP-22 08》はSFMOMAに収蔵されている。*11 「CC」の《SYD 20119》(2012)は東京都写真美術館の所蔵作品として公開されている。*13 空撮では飛行地点、時刻、太陽の向き、高度まで事前に計画し、一回の飛行で多数のコマを撮影する。*2

写真集『jp0205』では、ページをめくるたびに青森と秋田の異なる地点が切り替わり、同じ撮影規則の反復によって地形、道路、植生、集落の差が連続して現れる。*15 『JP-34』も広島市、宮島、呉、江田島という複数地点を一冊に組み、単独の大判プリントとは異なる比較の時間をつくる。*16

JP-01 SPK/JP-34

2014年の『JP-01 SPK』は、松江が確立した規則から意図的にはみ出す写真を含む。清水穣は、晴天・順光・正対・地平線なし・低高度・絶対ピントという通常の条件を整理したうえで、この本では雲、斜光、影、斜めの構図、地上撮影が入り込むことに注目した。*32 64点は森林から採石場やゴルフ場、墓地、郊外、都市へ進み、一冊の内部で自然から都市まで複数の地表を連続させる。*32

清水の続論では、墓地が自然と都市、過去と現在の中間に置かれ、地上へ降りた写真から札幌の開拓史や忘れられた人々の痕跡が読み込まれる。終盤の雪景色や住宅写真では、それまで松江が抑えてきた遠景や距離が戻り、土地固有の記憶や世代的な記憶が作品へ入ると論じられた。*33

『JP-34』は広島市、宮島、呉、江田島を収める。倉石信乃は、高所からの遠い視点が、現在の地表に残る歴史の傷へ予想外の距離から接近させると論じた。*16 原爆や戦争を象徴する対象だけを切り出さず、道路、河川、住宅、地形まで同じ精度で記録する構成が、このシリーズの重要な特徴になっている。

cell/動画/TYO-WTC

「cell」は、高解像度で撮られた写真の内部から、撮影時には主題としていなかった人物や物の細部を切り出すシリーズである。松江は、拡大して初めて気づいた情報を写真集『cell』へまとめたと説明している。*1 元写真では小さかった部分が新しい一枚になるため、「撮影時に写真家が見たもの」と「写真に実際に記録されていたもの」が一致しないことを最も直接的に示すシリーズでもある。

2010年からの動画では、画面の大部分が静止して見える長いショットの中で、人、鳥、車などごく小さな部分だけが動く。清水穣はこれを、デジタル技術によって写真の一点の時間と動画の連続時間を接続する「moving photographs」として論じた。*21 『TYO-WTC』では、世界を移動して地表を採集する従来の方法とは逆に、東京とニューヨークの限られた地点を長期間反復して撮影し、建設、交通、人の移動など都市の変化を写真の連続へ取り込んだ。*39 「cell」が一枚の内部を掘り下げる仕事なら、動画と『TYO-WTC』は同じ場所へ時間の差を導入する仕事と位置づけられる。

LIM/makieta

「LIM」は世界各地の墓地を、墓石、区画、植生、道路を含む地表として撮影するシリーズである。TARO NASUの展覧会紹介は、墓地を死の象徴として特別扱いせず、砂漠、山、都市と同じ視線を適用することで、宗教や地域の文化が刻まれた地表を記録する仕事として説明している。*36 意味の強い題材に対しても感傷的な構図を先に与えず、そこにある細部を同じ精度で残す点に、松江の規則が別のかたちで使われている。

「makieta」は都市や地形の模型を、実景の「CC」と近い見え方へ近づけて撮るシリーズである。松江は2007年にキト、2009年に東京で都市模型を撮り、2016年以降に制作を本格化させたと説明している。*9 実景の「CC」が遠距離を撮るのに対し、「makieta」はマクロ撮影で模型の面全体へピントを合わせる必要があり、本人も撮影技術はむしろ異なると語っている。*9 東京都写真美術館は「マキエタCC」で両シリーズを同じ展示へ置き、実景と模型を同じ縮尺に見えるよう構成することで、写真だけから対象の大きさを判断する難しさを提示した。*8 「広い範囲と細部を一枚に共存させる」という課題を、撮影距離だけでなく被写体そのものの縮尺まで変えて検証したシリーズである。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

New Topographicsとの違い

1975年の「New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape」は、郊外住宅、工業地帯、造成地など、人の手で変えられた日常的な土地を、劇的な光や崇高な自然観を抑えた写真で提示した。*18 2012年のフランス国立造形芸術センターによる「ATLAS」もNew Topographicsを現代風景写真の重要な参照点に置き、類型、連作、人工的に変化した土地を扱う系譜の中へ松江を含めている。*25

外見上の冷静さや作者の感情を前面に出さない態度は共通するが、撮影の単位は異なる。New Topographicsでは「人間によって変えられた風景」という主題が展覧会全体を束ねた。松江は都市や造成地に加え、砂漠、山地、森林、墓地、模型まで同じ規則へ入れる。清水穣も、1970年前後の日本の風景論やNew Topographicsを経た無人風景と比較しながら、「CC」では人物が主役でなくても、住宅、道路、看板、人影、工事の跡が高解像度で残り、都市で行われたことが画面全体へ散在すると論じている。*22 松江は「改変された土地」という主題に加え、自然か人工かにかかわらず、地表を同じ撮影条件に置いたとき何が記録として残るかを検証している。

2005年のドイツの展覧会「Landscape as a Metaphor」は、衛星技術によって地表のほぼ全域が測定・記録される時代を背景に、風景を純粋な自然の表象から、工業化・都市化・社会変化を示す媒体まで含むものとして構成した。そこで松江は、分類され抽象化された自然を扱う作家として、ロバート・アダムス、ルイジ・ギッリ、畠山直哉、杉本博司らと並置された。*37 地理学と衛星画像の経験まで含めると、松江をNew Topographicsの日本版として扱うより、地表が地図・衛星画像・データとして可視化された時代に、風景写真の記録方法を再検討した作家として見る方が実態に近い。

ベッヒャー夫妻との違い

ベルント、ヒラ・ベッヒャー夫妻との共通点は、一定の撮影規則を長期間反復し、シリーズ全体で対象を比較できるようにした点にある。夫妻は給水塔、巻揚塔、溶鉱炉など同じ機能の工業建築を、正面性、白黒、大判カメラ、均質な光のもとで記録し、同じ種類の構造物をグリッドへ配置した。Hamburger Bahnhofは、一つの建築を中立的な空の前に孤立させることと、タイポロジーの表形式を制作の核心として説明している。*26

松江も規則を標準化するが、比較の単位が違う。ベッヒャー夫妻は一棟を画面中央へ置き、同じ機能を持つ建築同士を比較する。松江は一つの建物を孤立させず、都市や地形そのものを画面いっぱいに広げ、「どこで撮ったか」という地名やコードを単位に写真を蓄積する。*27 自然、都市、墓地、模型も別々の類型に閉じない。夫妻が同種の工業建築の形態差を比較可能にしたのに対し、松江の標準化は、異質な地表を同じ撮影条件へ置き、それでも残る密度、配置、地形、建築の差を比較するために使われる。ベッヒャー夫妻との比較の要点は、系譜の直結よりも、標準化した撮影規則を何のために使うかという違いにある。

規則を破る意味

『JP-01 SPK』が重要なのは、松江自身が長く使ってきた規則を作品の内部で破った点にある。清水穣は、雲、斜光、影、斜めの構図、地上からの視線が入り込むことで、通常の松江作品では抑えられていた距離や時間が写真へ戻ると論じた。*32 墓地を自然と都市、過去と現在の中間に置く構成から、清水は、名前と像が物質へ刻まれ、元の人物や意味から切り離された後も残る写真の状態を墓と重ね、「写真は墓である」という読みを提示している。*33

さらに終盤では雪景色や地上の住宅が入り、清水はそこに札幌の1960〜70年代や個人の経験に結びつく「記憶」という別の距離を読む。会場で撮影地点に気づいた地元の観客が、自身の記憶と写真を照合し始めたことも記録している。*34 この逸脱によって、松江の規則が場所の意味を永久に排除するための教義ではなかったことが明確になる。まず作者が用意する物語や遠近の誘導を抑え、その方法では扱いにくい記憶や時間が問題になれば、規則そのものを変える。一定の形式を守ることより、写真が何を記録でき、何を取りこぼすのかを検証することが優先されている。

俯瞰、統治、国見

高い地点から土地を見る視線には、互いに反対方向の読みがある。清水穣は「makietaTYO」評で、高所から土地を一覧する眺めを支配者の視界と捉え、空撮が軍事的・政治的な意味を帯びてきた歴史から「CC」「JP」「makieta」を読み直している。*23 「CC」の細部へ没入するほど「誰が」「どこから」見ているのかが意識されにくくなり、「makieta」では都市模型を計画し所有する位置と撮影者の位置が重なるため、上から見ること自体の政治性が前面に出るという批評である。

一方、『JP-01 SPK』に寄稿した池澤夏樹は、高所から土地を見る行為を古代の「国見」へ結びつけ、土地を見渡すことを讃え、祝福する行為として読んだ。*35 同じ俯瞰が、一方では管理や監視の視線、他方では土地への愛着を確かめる視線として解釈される。ただし、北海道の歴史を単純な「自然の開拓」として扱うこともできない。清水自身、北海道はアイヌの文化圏であり、開拓を自然と人間の衝突だけで説明すべきではないと注記している。*33 松江の俯瞰写真は、上から見ることを中立的な観察として固定せず、その位置がどの歴史と結びつくのかまで考える余地を残している。

同じ条件で歴史を撮る

『JP-34』は、一定の撮影条件で地表全体を記録する形式が、土地の歴史まで消してしまうわけではないことを示す。広島を撮影した写真では、原爆ドームのような既知の記念物だけを主題化せず、河川、道路、住宅地、港湾、島の地形まで同じ精度で写す。『松江泰治ハンドブック』には倉石信乃の論考「測量の位置―松江泰治、現在までの写真」が収められ、『JP-34』の出版社紹介は、現在の地表を遠い位置から見ることが、予期しないかたちで歴史の傷へ接触する契機になると説明している。*16

ここでは「歴史的に重要な場所」を撮影者が先に指定しないこと自体が方法になる。記念碑と日常の住宅、戦争の痕跡と現在のインフラが同じ解像度で残るため、写真を後から読むと、歴史は象徴的な一点だけでなく、現在の都市がどのように形成されてきたかという問題へ広がる。松江の均質な撮影条件は、撮影時の重要度の判断だけで細部を切り捨てず、後から痕跡を読み取れる状態を保つ。*16

デジタル時代の写真

2010年に鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治、倉石信乃、清水穣が始めた「写真分離派」は、フィルム市場の縮小とデジタルカメラの普及を背景に、「写真とは何か、写真の可能性はどこにあるのか」を改めて問う活動だった。*17 松江が同時期に進めた「cell」、動画、過去のネガのデジタル処理、「makieta」は、撮影した一枚を固定された最終形とせず、画像の一部分、連続時間、過去のネガ、模型へ写真の単位を広げる実践として位置づけられる。

松江の場合、デジタル化は合成によって現実にない像を作る方向へは進まなかった。本人は撮影時に記録された情報を基準にし、画像処理を暗室作業の延長として説明している。*1 その一方で、一枚の一部分を新しい写真へ変える「cell」、静止画に近い構図へ連続時間を導入する動画、実景と模型を同じ形式で扱う「makieta」へ進んだ。カメラが記録したものへの信頼を保ちながら、「写真はどこからどこまでを一枚と呼ぶのか」「静止している必要があるのか」「実景である必要があるのか」を作品ごとに問い直した点に、2010年代以降の展開がある。

国際的な位置

国外では、1994年のFruitmarket Gallery「Liquid Crystal Futures」が、畠山直哉、宮本隆司、柴田敏雄らとともに松江を紹介した。*28 2005年の「Landscape as a Metaphor」は、衛星技術によって測定された地球、理想化された自然、工業化された土地という国際的な風景論の中へ松江を置いた。*37 2012年のフランス国立造形芸術センター「ATLAS」は、New Topographics以後の連作、類型、ポスト工業社会の風景という参照枠から松江を扱っている。*25

美術館コレクションでも、松江は日本国内だけに限定されていない。東京都現代美術館は「Eye to Eye—Seeing」で、世界各地の都市と自然の働きを捉える松江の「camera eye」を「見ること」を考える作品群の中へ位置づけた。*14 SFMOMAも「JP-22 08」を含む複数作品を所蔵し、国際的な現代写真コレクションの中で紹介している。*10

松江の制作は、「俯瞰写真」という一つの様式の反復としては捉えきれない。旅による土地との遭遇、地理学と衛星画像、カメラの機械的記録への信頼、地平線と影を抑える規則、高解像度、地名による索引、規則からの逸脱、デジタルによる写真単位の再検討が連続している。レンズが撮影者の注意を越えて情報を残すという本人の説明は、「cell」で一枚の内部から新しい写真を取り出し、動画で静止画へ時間を加え、「makieta」で実景という条件さえ外していく展開とつながる。*1 松江の方法の中心にあるのは、撮影時に重要だと思ったものだけへ写真を従わせず、カメラが記録した細部を後から読み直せる状態で残すことである。その方法で扱えない記憶、歴史、時間が現れたときには、自ら作った規則も変更してきた。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • 森山大道 ― 『光と影』が写真家を志す契機となり、のちの厳しい批評が「自分の写真」を探す転機になった。
  • ベルント、ヒラ・ベッヒャー ― 撮影条件の標準化と連作性を共有する一方、工業建築を機能別に孤立・分類する夫妻と、異種の地表を場所のコードで蓄積する松江では比較の単位が異なる。
  • アンドレアス・グルスキー ― 高所と大判・高密度の画面という形式上の比較対象。デジタル編集で画面を再構成するグルスキーと、撮影された情報を基準にする松江では像の成立過程が異なる。
  • 畠山直哉 ― 都市と地形を、距離、構造、写真装置の問題として扱う日本の同世代作家。
Movements / Contexts
  • ニュー・トポグラフィックス ― 人間に改変された風景を冷静に記述した1975年展。松江との比較では、無人風景の類似より、自然と人工を同じ撮影規則へ入れる点との差が重要になる。
  • タイポロジー写真 ― 反復する撮影条件と分類によって差異を比較する方法。松江では機能別の類型ではなく、場所名とコードによる地表の蓄積へ展開する。
§ REF さらに読む
LIM
松江泰治 / 青幻舎 / 2015年

世界各地の墓地を扱うシリーズ。都市や自然と同じ撮影規則が、死や宗教と結びついた場所でどう働くかを作品の連なりから確認できる。

青幻舎で見る ↗
Hashima
松江泰治 / 月曜社 / 2017年

1983年の端島をほぼ24時間の流れで構成した初期作。後年の俯瞰・地名コード以前に、旅と土地の採集がどのように写真へ現れていたかを追える。

月曜社で見る ↗
§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。