アンデルス・ペーターセンは、1960年代末のハンブルクでバーCafé Lehmitzに通い、常連客と生活を共有しながら近距離の白黒写真を撮った写真家である。1978年の写真集『Café Lehmitz』から、刑務所、老人施設、精神科病院、ロンドンのSoho、世界各地の《City Diary》まで、同じ場所へ滞在し、人との距離を縮めながら撮影を続けた。クリステル・ストレムホルムからの影響、写真を被写体へ返す行為、近距離の画面と写真集編集の関係を中心に見る。
戦後ヨーロッパの主観的ドキュメンタリーには、ペーターセン以前から二つの重要な先行例があった。師クリステル・ストレムホルムはパリのPlace Blancheでトランス女性たちと長く付き合い、被写体との関係を写真から排除しなかった。エド・ファン・デル・エルスケンは『Love on the Left Bank』で1950年代の左岸のボヘミアン生活を写真小説として編集し、ペーターセン自身もこの本を若い頃の「学校」のような存在だったと回想している。《Café Lehmitz》では、数年同じバーへ通い、客からも撮られ、約350枚のプリントを店の壁に貼って写った人が持ち帰れるようにしたことで、親密さを被写体との時間と写真の交換から作った。1980年代以降のナン・ゴールディンが既存の友人・恋人の生活圏を自己史的な日記へ構成したのに対し、ペーターセンはバー、刑務所、老人施設、精神科病院などへ外から入り、長期滞在によって内部の関係を形成した。近距離、フラッシュ、深い黒は、先に決めた「アウトサイダー写真」の様式ではなく、この滞在と交換の方法から生じた。
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ストレムホルム
ペーターセンは1966年にストックホルムでクリステル・ストレムホルムの写真学校へ入り、同時期に社会批評的なルポルタージュを志向するSaftraの共同設立にも関わった。*1 ストレムホルムはパリのPlace Blancheでトランス女性たちと長く付き合い、外部から「特殊な人々」を分類する報道ではなく、友人として共有した生活から写真を作った。Foto Colectaniaは《Les Amies de Place Blanche》と《Café Lehmitz》を師弟の二系列として並べ、共感、長期的関与、写真集のシークエンスを共通点に挙げている。*16 Moderna Museetも、ストレムホルムの写真学校がOtto Steinertの「Subjektive Fotografie」の教育を受け継ぎ、その学生のなかでもペーターセンがストレムホルムの主観的写真を最も明確に継承した一人だと位置づけている。*20 ペーターセンが受け継いだのは、黒の強いプリントという外見より、写真家自身の感情と被写体との関係を記録の条件として認める態度だった。
ファン・デル・エルスケン
エド・ファン・デル・エルスケンの1956年刊『Love on the Left Bank』は、パリ左岸の若者、恋人、酒場、ボヘミアン生活を、匿名的な報道の連続ではなく主人公を設定した写真小説へ編集した。ペーターセンはこの本を若い頃の「学校」のような存在だったと回想し、個人的な経験を一冊の世界へ組み立てる写真集の力を学んだと述べている。*17 《Café Lehmitz》は物語上の主人公を設定しないが、単写真の集積でもない。抱擁、喧嘩、踊り、眠り、視線を連続させ、バーで共有された時間そのものを編集の単位にした。ストレムホルムからは関係の作り方、ファン・デル・エルスケンからは写真集の主観的な連鎖を受け取り、それらがCafé Lehmitzで別の形に結びついた。
Café Lehmitz
1967年頃にCafé Lehmitzで撮影を始めた時期から、カメラは一方向の記録装置ではなかった。本人の回想では、店でカメラが人から人へ渡り、客同士が撮り合い、彼自身も撮られるところから関係が始まった。*6 その後ペーターセンはハンブルクへ戻るたびに店へ通い、時には厨房で寝泊まりしながら常連、恋人、セックスワーカー、船員、夜を過ごす人々を撮った。*6 DGPhはこの仕事を、後に「personal documentary」と呼ばれる、撮影者の生きた経験と被写体との関係を前景化する先行例として紹介している。*4 近距離の画面は、あらかじめ「周縁的な共同体」を主題化して外部から接近した結果ではなく、同じ場所へ居続け、撮る/撮られるを共有した生活から生じた。Café Lehmitzでは、撮影者と被写体を明確に分ける報道写真の位置関係そのものが揺らいでいる。 ROSPHOTOはこの系列を、常連客の生活へ入り込んだことから生まれた「主観的写真」の古典として位置づけている。*5
350枚を壁に貼る
ペーターセンはCafé Lehmitzの写真を完成後に美術館だけへ持ち込んだのではない。本人の回想では、約350枚のプリントをバーの壁に貼り、写った人が欲しい写真を持ち帰れるようにした。*6 別のインタビューでも、バーの人々を「family album」のように撮ったと語り、写真を彼らの生活から切り離すことを望んでいなかった。*7 この交換があるため、後から美術館や写真集で見る抱擁、眠り、酔い、傷、裸身は、撮影者だけが所有した秘密とは異なる条件で作られている。ただし、当事者との信頼と、作品が不特定多数へ流通した後に生じる観客の視線は同じものではない。Café Lehmitzの倫理的な特徴は、親密さがあったという事実と、出版後のヴォワイユリズムの可能性が併存する点にある。
近距離と強い黒
Café Lehmitzの写真は、深い黒、粗い粒子、画面端で切れる身体、近距離のフラッシュで知られ、Apertureも数年間の没入から生まれた大胆で親密な白黒写真として位置づけている。*18 しかしペーターセン自身は、写真の中心を様式より、人の欲望、夢、傷を含む「生きていること」へ置き、自分にとって信じられる像でなければならないと語っている。*8 この画面は数年同じバーへ戻り、客からも撮られ、プリントを渡した関係の後に成立している。強い黒や接近だけを切り出すと、被写体がドラマチックな「アウトサイダー」へ変わるが、制作過程では撮影者自身も店の一員として画面の条件に含まれていた。写真の荒さは社会的周縁を強調する装飾より、その場の身体的距離と低照度を引き受けた結果として機能している。
施設三部作
Café Lehmitz以後、ペーターセンは刑務所、老人施設、精神科病院へ長期間入り、《Fängelse》《Rågång till kärleken》《Ingen har sett allt》を制作した。Nationalmuseumはこれらを「Institution Trilogy」として整理し、閉ざされた環境で人へ近づくため長い時間を過ごしたことを強調している。*3 本人はこの系列を、父の死をきっかけに老人施設へ向かった経験など「personal connections」と結びつけて説明している。*1 つまり社会制度を外から告発する写真だけではなく、自分自身の恐れや家族経験を入口に制度内部へ入り、そこにいる人との日常を撮る。この方法によって主観性と社会的記録は対立せず、撮影者がなぜその場所にいるのかを隠さないことが記録の条件になる。
写真集の編集
『Café Lehmitz』は1978年にSchirmer/Moselから刊行され、ペーターセンの写真集制作の出発点になった。ICP Libraryにも初版と後年版の書誌が残る。*10 DGPhは1978年版を同社の出版史を代表する写真集の一つに挙げ、作品が展覧会だけでなく本のシークエンスとして国際的に流通した経緯を紹介している。*11 ペーターセンの制作では撮影枚数が膨大になり、一枚の代表作より、隣り合う写真がどのような感情の流れを作るかが重要になる。Dazedで彼は多数のコンタクトから数百点へ絞る編集過程について語り、写真同士の連鎖を作る作業を重視している。*9 BnFの回顧展図録は約300点を1960年代以降の系列としてまとめ、Nationalmuseumも《Café Lehmitz》から施設三部作までを写真集と展示の連続として扱っている。*12 Nationalmuseumの整理では、「近づくこと」と人間の共通条件という主題が、撮影地を変えながら出版物の編集によって持続している。*3
SohoとCity Diary
2011年にロンドンで撮影した『Soho』では、かつてのCafé Lehmitzと同じように一つの都市地区へ入りながら、過去の再演ではない現代の歓楽街を撮った。MACKの書籍ページは、この滞在制作をSohoの現在を捉える仕事として紹介している。*13 《City Diary》ではストックホルム、東京、サンクトペテルブルクなど異なる都市の写真を年代や場所を越えて混ぜ、個人的な視覚日記へ変えた。Steidlは2012年のParis Photo–Aperture PhotoBook Award受賞を記録し、後に全7巻へ拡張されたシリーズとして刊行している。*14 Hasselblad Foundationの2024年回顧展も、60年の写真を時間・都市の区別を越えて流れとして構成し、人物、動物、身体、夜を本人の人生の反映として位置づけた。*1
親密さとヴォワイユリズム
ペーターセンの写真は被写体との信頼を重視する一方、酔い、裸身、傷、社会的周縁を強いコントラストで提示するため、観客のヴォワイユリスティックな視線まで消えるわけではない。ROSPHOTOは彼の長期滞在と連帯を「anti-voyeuristic」な方法として評価している。*5 ナン・ゴールディンとの比較では、両者がいう「親密さ」の成立条件が異なる。ゴールディンは友人や恋人との関係が写真より先にあり、自分の生活圏を《The Ballad of Sexual Dependency》という日記的編集へ変えたと語る。*19 ペーターセンも関係を先に作るが、Café Lehmitzや施設三部作では、写真家が既存の私生活を記録するというより、特定の場所へ外から入り、長期滞在によって内部の関係を形成する。したがって両者の「親密さ」は同じではない。ゴールディンの自己史的な共同体写真に対し、ペーターセンでは、写真家が他者の共同体へどのように参加し、退出し、その写真を出版するかという倫理的緊張が最後まで残る。 2003年にはRencontres d’ArlesでPhotographer of the Yearに選ばれ、2008年にはドイツ写真協会のDr. Erich Salomon Prizeを受賞した。*15 ドイツ写真協会は受賞理由で、《Café Lehmitz》を起点にした長期的な人物・共同体への接近を彼の写真家としての継続的な特徴に挙げている。*2 Dazedのインタビューでも、ペーターセンは被写体への好奇心と自分自身への問いを同じ撮影行為の中に置いており、親密さを単なる美的効果として説明していない。*9
- クリステル・ストレムホルム ― 写真学校でペーターセンへ「個人的であること」と近距離の方法を伝えた重要な先行者。
- ナン・ゴールディン ― 共同体の内側から親密な生活を撮る後続の比較対象。
- J・H・エングストローム ― ペーターセンに学び、共同写真集『From Back Home』も制作した次世代。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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