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PHOTOGRAPHERS/PHILIP HENRY DELAMOTTE ·建築写真 ·UPDATED 2026.09
PD
§ 327 — Photographer Index — 建築写真

フィリップ・ヘンリー・デラモット

Philip Henry Delamotte 1821–1889
Countryイギリス Period1839–1860s Channel写真史の論点 · 建築写真
Abstract

1852年から1855年を中心に、ロンドン万国博覧会のクリスタル・パレスがハイド・パークからシドナムへ移築・再建される工程を連続撮影した英国の写真家。柱の設置、梁と足場、蒸気機関、作業員、歴史展示の搬入、開館式までを追い、『Photographic Views of the Progress of the Crystal Palace, Sydenham』に160点を収録した。1850年代の建築写真が完成建物だけでなく、建設の時間と産業労働を記録する媒体へ広がった過程を示す。

この写真家が変えたこと

クリスタル・パレスの新しさは、完成した外観だけでは説明できない。規格化された鉄骨とガラスを一度解体し、別の土地で再び組み立てる建築だったからである。デラモットはその性格に合わせ、一つの建物を工事段階ごとに何度も撮り、160枚の順序そのものを建設の記録にした。写真を見る側は「最初の柱」から梁、足場、展示物、開館までを遡って比較できる。この連続撮影は、後にprogress photographyと呼ばれる建設記録の早い実践として研究されている。完成後や1936年の焼失後にも、柱、梁、足場、展示物がどの段階で現れたかを写真の順序から遡れる。

Keywords クリスタル・パレス 建築写真 建設記録 カロタイプ 産業写真 連続撮影
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

1851年万博後、解体されて再建される建築

ジョゼフ・パクストンが設計したクリスタル・パレスは、1851年のGreat Exhibitionのために大量の規格化された鉄とガラスを短期間で組み立てた建築だった。The Metは、そのモジュール構造が材料と建設方法を外観そのものに露出させ、当時きわめて新しい建築だったと説明する*1。博覧会後、建物はハイド・パークで解体され、シドナムへ移して拡張再建される。Royal Collection Trustの解体中の写真は、巨大建築が一度「部材の集合」へ戻った状態を示す*5。この建物を説明するには完成写真一枚より、解体と組立の途中を記録する連続撮影が適していた。

画家・教師が「工事の進行」を撮る委嘱を受ける

Historic Englandはデラモットを、写真家・画家であると同時に初期のprogress photographyを実践した人物として紹介し、1852年の写真技術書とKing’s College Londonでの教育歴も記録している*2。National Gallery of Artには《Steam Engine near the Grand Transept》などが所蔵され、工事現場を建築・機械・労働の複合した場所として捉えたことが確認できる*3。本人が写真を選んだ動機を長く語る一次資料は乏しいが、委嘱内容と作品の順序からは、図面や完成予想図だけでは残らない「その日にどこまで組み上がっていたか」を固定することが撮影の実務的な役割だったと判断できる。

§ 02 / 04 表現の核心

「最初の柱」から始まる時間の記録

British Libraryの1855年アルバムには《First column of the building. August, 1852》《First rib of the Nave. October, 1852》のように、工事段階そのものを題名にした写真が順に収められている*6。前後のページを比較すると、柱、梁、足場、展示物が加わる順序を追える。London Picture Archiveが公開する160点のコレクションも、資材搬入、構造体、歴史展示、開館までを連続して追える形で保存している*21。The London Archivesは、この160点が会社重役の依頼で撮影され、建設写真がポートフォリオ刊行前から『Illustrated London News』の図版にも用いられた経緯を紹介している*7

鉄、ガラス、足場を画面の主役にする

The Metの《The Upper Gallery》では、鉄骨の格子と足場が画面全体を占め、装飾された完成空間より構造体の反復が前面に出る*1。《The Colossal Head of Bavaria in the Nave of the Crystal Palace》では巨大な石膏模型と未完成の内部が同時に写り、展示物がまだ工事資材と同じ空間に置かれている*4。建築の近代性を「完成した透明な宮殿」として見せるだけでなく、ボルト、梁、足場、仮設床が作る途中の景観まで写真の対象にした。V&Aは1851年の建物が規格化されたプレハブ部材を生産ライン式に組み立て、約2,000人の労働者によって短期間で完成したことを説明している*24。デラモットの連続撮影も、建物を「完成形」だけで扱わず、柱、梁、ガラス、機械、展示物という段階へ分けて記録する。本人が建築の規格化と写真の連続性を意識的に対応させたと断定できる資料はないが、部材を反復して組み上げる建築だったからこそ、日付の異なる写真を比較する方法が構造の変化を具体的に示した。

作業員と蒸気機関が、建築の規模を測る

The Metの《Storeroom with Artisans and Plaster Casts》では、作業員、彫刻の型、資材が未整理のまま同居し、完成後には隠れる制作現場が残る*8。Wellcome Collectionの休憩中の建設労働者は、巨大な鉄骨と人体の寸法差を示し、建築のスケールを抽象的な数値ではなく身体との比較で伝える*9。NGAの《Steam Engine near the Grand Transept》では蒸気機関が建設現場の中心に置かれ、建築写真が機械技術の記録でもあったことがわかる*10

歴史展示の設置まで追う

Wellcome Collectionの彫刻・レリーフの写真では、展示物が完成した「美術空間」に置かれる前の状態が記録されている*14。スフィンクスを写した写真も、後にエジプト展示の演出へ組み込まれるオブジェが工事現場の資材として存在した段階を示す*15。British LibraryのEgyptian CourtやByzantine Courtの記録をたどると、建物の構造だけでなく、世界各地の歴史文化を再現する展示装置がどの順番で組み込まれたかまで読み返せる*19

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

1855年刊『Photographic Views』――160点を一冊の工程表にする

Harry Ransom Centerは『Photographic Views of the Progress of the Crystal Palace, Sydenham』を160点の塩化銀紙写真からなる写真挿図本として保存し、建設、展示設営、開館式までを記録する一冊と説明している*12。British Libraryの個別記録《First column of the building. August, 1852》は、時間軸の起点が明確な題名として印刷されたことを示す*11。写真をページ順に並べることで、撮影日の違いが建設プロセスの章立てへ変わった。

開館式で終わらず、完成後の内部も撮り続ける

1854年6月10日の開館式を写したRoyal Collectionの写真は、工事の終点が建築の完成だけでなく、王室と大規模な観衆を迎える公共イベントだったことを示す*16。National Galleries of Scotlandの《The Indian Court》など完成後のステレオ写真では、視点が工事の進行から展示空間の鑑賞へ移る*17。Historic Englandが所蔵する1859年頃の47点は主に完成内部を記録し、最初の建設アルバムとは別の時期のクリスタル・パレスを比較できる*2

同じ建物を撮り続けることで「ライフサイクル」が残る

The Metの《Views of the Crystal Palace》は1859年頃の47点を一冊のアルバムとして所蔵し、工事完了後も同じ建築が継続的に撮影されたことを示す*20。Harry Ransom Centerには1855年の王室訪問と1859年の完成内部を含む別コレクションもあり、建物が建設現場から観光・展示施設へ変化する過程を複数の写真群から追える*22

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

工事資料であると同時に、事業の広報でもあった

シドナムのCrystal Palaceは教育と娯楽のための巨大施設として再建され、エジプト、ギリシャ、ローマなどの歴史的「Court」を再現した。Historic Englandの解説は、完成建築が世界文化と産業技術を一カ所に見せるヴィクトリア朝の展示装置だったことを説明する*18。デラモットの写真は工事の進行を証明すると同時に、その事業がどれほど大規模で技術的に先進的かを株主、観客、読者へ示すイメージでもあった。連続写真を「中立な記録」とだけ呼ぶと、委嘱者がどの工程と成果を見せたいかという選択が抜ける。

Egyptian Court、Alhambra Court――複製展示と帝国の分類

シドナムへ移されたクリスタル・パレスは、1851年万博の産業展示をそのまま再現した施設ではなかった。V&Aは、1854年の新しい宮殿が古代エジプトからエリザベス朝イングランドまでを十の建築Courtに再構成し、建築と彫刻の複製によって「文化史の百科事典」を作ろうとしたと説明する*24。装飾責任者オーウェン・ジョーンズはEgyptian、Greek、Roman、Alhambra Courtなどを設計し、その内部をデラモット自身が撮影している*25。近年の研究は、シドナムを開館当初から帝国・植民地文化を展示する場所として捉え直しており、インドなどの美術や建築の複製がロンドンでどのような秩序に並べ直されたかを検討している*27。したがってEgyptian CourtやAlhambra Courtを写した写真は、原地の建築を直接記録したものではなく、ヴィクトリア朝英国が他地域の文化を選択し、複製し、分類して展示した空間の記録でもある。この区別を置くことで、デラモットの写真は建設史料であると同時に、19世紀英国が世界文化をどのような順序で可視化したかを検討する資料になる。

さらにHistoric Englandが公開するSheffield Courtは、同種のCourtが教育だけでなく、英国産業を実演し、商品を販売して施設運営費と株主配当を生む場でもあったことを明記している*26。デラモットが撮った内部は、芸術史、技術教育、娯楽、商業が分離する前の展示空間だった。写真がその規模と秩序を広報したという側面は、委嘱記録を「中立な進捗資料」とだけ読むより重要である。

1936年の焼失後――失われた建築を検証する資料へ

クリスタル・パレスは1936年の火災で失われたため、デラモットの記録には制作時とは異なる保存資料としての価値が生じた。London Picture Archiveの160点とHistoric Englandの完成後の47点を比べると、どの構造がどの段階で立ち上がり、展示模型がいつ搬入され、完成後に内部がどう使われたかを時間差で確認できる*21。焼失後は、失われた空間の構造と工事段階を比較できる一次資料として、この連続写真が建築史研究に残った。

progress photographyの早い実践としての位置

The Metはこのシリーズを、近代工学の成果を記録した写真の初期例、さらに写真をreportageへ用いた早い仕事として位置づけている*13。建築と写真の関係を扱うGhent大学の研究も、デラモットのクリスタル・パレスを、建築が完成までの各段階を写真で追跡される19世紀半ばの重要な例として検討している*23。後世の特定の写真家へ直接影響したと示す資料は限られるため、系譜を無理に一本化する必要はない。それでも、工事の進捗を反復撮影し、日付・題名・順序を付けて保存するという現在も続く建設記録の基本形式が、1850年代にはすでに写真集として成立していたことは明確である。

Fine Arts Courts――考古学知識を教育と娯楽として展示する

シドナムの歴史展示は、過去の建築様式を正確に並べた教材としてだけ設計されていたわけではない。2024年の『RIHA Journal』研究は、Fine Arts Courtsを考古学的知識を一般へ伝える「視覚化の技術」と捉え、設計者たちが専門知識の権威を示しながら、劇的な演出、物語性、見世物の手法を意識的に使い、教育と娯楽を同時に提供したと論じている*28。実際、ナインヴェ宮殿などの復元は植物や水辺と組み合わされ、失われた遺跡を歩きながら「発見」するような環境として作られていた。デラモットが設計した展示ではないが、完成後の内部写真には、この人工的に構成された過去が、彫刻、復元建築、植生、ガラス屋根の光の中で一つの体験として成立している様子が残る。彼の写真は建築史資料であると同時に、ヴィクトリア朝の観客が世界史や考古学を、学問と娯楽の混ざった空間を通して学んでいたことを検証できる資料になっている。

クリスタル・パレスを家庭へ持ち帰る視覚文化

シドナムの体験は、入場して建物を見る時間だけで終わらなかった。2017年刊『After 1851』の研究は、覗き眼鏡を仕込んだ「peep egg」や骨製の針入れなどの土産物を分析し、それらがクリスタル・パレスの視覚的記録であると同時に、訪問体験を家庭へ持ち帰る物質的な記憶として流通したことを示している*29。デラモットの写真集や単写真も、この広い視覚文化の中へ置くと役割が具体的になる。工事中や開館後の巨大建築を本やアルバムの大きさへ縮めることで、現地にいない人も工程や展示を順番に追え、訪れた人は見た場所を後から再確認できた。さらに建物が1936年に焼失した後には、持ち運べる写真が、失われた内部空間や展示配置を研究できる記録として残った。建設の記録、事業の宣伝、来場者の記憶、焼失後の建築史資料という複数の役割が時間を隔てて同じ写真に重なっている点が、デラモットのシリーズを現在まで重要にしている。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • エドゥアール・バルデュス ― フランスの鉄道・建築・公共事業を体系的に撮影し、国家的近代化と写真を結んだ比較対象。
  • ベンジャミン・ブレックネル・ターナー ― 英国カロタイプの風景・建築を代表し、デラモットと同時代に紙ネガを用いた写真家。
  • 建設進捗写真 ― 同一の工事を反復撮影し、完成像ではなく時間的変化を比較できるようにする記録形式。
§ REF さらに読む
The Crystal Palace and its Contents
W. M. Clark / 1852

Crystal Palaceの展示思想と各Courtの構成を同時代の説明から確認する補助資料。

The Great Exhibition of 1851: A Nation on Display
Jeffrey A. Auerbach / Yale University Press / 1999

万国博覧会とヴィクトリア朝の産業・帝国文化を理解するための背景研究。

§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。