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PHOTOGRAPHERS/RICARDA ROGGAN ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
RR
§ 182 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

リカルダ・ロガン

Ricarda Roggan
Countryドイツ Period1980–1990s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

リカルダ・ロガンは、使われなくなった家具、車、機械、空室を探し、現実の側を整えてから大判アナログで撮る写真家。文学や空間への関心から写真を使い始め、《Garage》《Attika》《Apokryphen》《1971》へ展開した。実在する物を撮っているのに、発見された状態と彼女が作った状態を見分けにくい画面を通して、記録と演出が一枚の写真の中でどう重なるかを問う。

この写真家が変えたこと

出来事の再演や模型を撮るステージド写真が虚構と現実の境界を扱ってきたのに対し、ロガンは、すでに使われてきた実在の部屋や物をそのまま出発点にする。埃を落とし、家具を移し、ときには床や壁まで作り直すが、最後に残るのは精密な記録写真のような一枚である。介入した部屋や物そのものは展示せず、一枚の写真だけを残す。だから鑑賞者は、どこまでが発見でどこからが演出なのかを写真だけでは決めにくい。現実を作ってから撮るという方法によって、ドキュメントと演出を同じ画面の問題として扱った。

Keywords ステージド写真 スティルライフ 8×10アナログ Garage Apokryphen 1971 物の記憶
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

文学と空間から写真へ――部屋を作り、一枚の像にする

リカルダ・ロガンはドレスデンに生まれ、1996年からライプツィヒ視覚芸術アカデミーでティム・ラウタートのもと写真を学び、2002年にディプロマ、2004年にマイスターシューラーを修了した。2003年から2005年にはロンドンのRoyal College of Artでも学び、1990年代後半から2000年代初頭に制作の基盤を固めた。*1

本人の回想では、写真への出発点はカメラへの憧れではなく、文学と空間だった。子どもの頃は文学に惹かれ、部屋を作ったり空間を考えたりすることを好み、写真は当初そのための実用的な道具だったという。やがて彼女は、空間と物の関係を一枚の像へ定着させる写真そのものに固有の働きを見いだした。2021年の対話では、言葉で説明しきれない領域に入ったとき、物との対話を像として成立させるこの過程は、自分にとって写真という媒体でしか起こらないと説明している。*24 彼女の制作で「部屋を作ること」が撮影より先に来るのはこのためで、セットや空間の操作は、それが写真の平面にどう現れるかを確かめる準備になる。

《Kino》1994–99――映画スクリーンをもう一つの現実として撮る

初期の《Kino》は、1994年から1999年に映画館でアメリカ映画のスクリーンを高感度35mmフィルムで撮り、風景、車、道路、災害、ホテルなどへ分類したシリーズである。Spector Booksは、デジタル化以前の映画館で生じるアナログなイメージへの欲望を背景に挙げている。*9 ロガン自身も映写技師として働いた経験を語り、その記憶は映写機を撮る《APPARATE》へつながった。*2 後の家具や廃屋に先立って、現実と「すでに画像になった現実」を同じ写真の問題として扱った仕事である。

§ 02 / 04 表現の核心

「使用を終えた物」を探し、時間の速度を落とす

ロガンが繰り返し選ぶのは、役目を終えた椅子、机、ベッド、壊れた車、映写機、ゲーム機、空室である。本人は、実用上の価値を失いながら残る物に惹かれると説明している。*2 2021年のインタビューでは、何十年も使われた家具には使用の痕跡が裂け目や角に沈殿しているように感じられ、廃棄される前にもう一度像として残す必要を感じた、と初期制作を振り返る。*24 古い物が対象になるのは、人に使われた時間が表面に残り、その用途が切れようとしているためである。Deutsche Börse Photography Foundationも、彼女を痕跡を探す「写真考古学者」と捉え、放棄された建物や家具を探し、厳密な規則で偶発性を減らす工程を紹介する。*3 Zabludowicz Collectionは初期の家具作品を旧東ドイツの物質文化と記憶に結びつけている。*15

8×10アナログ――遅い工程を撮影前の判断に使う

本人は、現在も8×10インチのアナログ大判カメラを使い続ける理由として、現実の一部を画面として定義できる明晰さと、遅く手間のかかる作業工程を挙げている。*2 さらに別の対話では、スマートフォンで先にスナップを見ると像が早く決まりすぎ、空間を頭の中で組み立てる感覚が弱くなると述べ、大判撮影ではまず空間を三次元のまま考え、待ち、まだ見えていない像を探す時間そのものを重視している。*24 大判カメラでは、撮影地点、光、物の位置、背景の小さな痕跡まで事前に決めなければならない。公式サイト掲載の批評文「Von den Dingen」は、ロガンがフィルムを後から作り替えるより、撮影前の現実へ直接働きかけ、最終的な画面を準備することを強調している。*20 ロガンにとって大判撮影の遅さは、空間を三次元のまま観察し、物の配置とカメラ位置を決め、撮影前の現実を一枚の画面へ整理するための時間として使われている。*24

《Stuhl, Tisch und Bett》《Schacht》――部屋を撮る前に作り直す

初期の家具作品では、捨てられた椅子や机、ベッドを見つけた場所から運び出し、簡素な撮影空間へ置き直した。KW Institute for Contemporary Artは、日常的な物が一見自然に置かれているようで、画面の精度が演出を示し、実空間への小さな介入によって元の意味や用途から切り離されると説明している。*4 《Schacht》《Attika》では介入がさらに空間全体へ及ぶ。Friezeの2008年評は、《Schacht》で床が新しく流し直され、窓や扉が石膏ボードで塞がれ、《Attika》では空間が徹底して掃除されていることを指摘し、作品を単純な「東独の廃墟写真」と読む見方を退けている。*8 FOTOHOFの写真集『Schacht/Attika/Stall』も、空に近い室内と大判写真の細部を、消えゆく東ドイツの記憶と結びつけて解説している。*12

《Garage》《Baumstücke》《RESET》――車、森、機械にも同じ撮影規則を適用する

ロガンの操作は室内だけに限られない。《Garage》では事故車を正面性の強い空間へ置き、損傷した車体を広告写真にも標本写真にも見える状態へ変える。Galerie EIGEN + ARTは《Garage》《Baumstück》《SET》《RESET》などを画像付きで公開しており、対象が変わっても、孤立させ、背景を減らし、細部を凝視できる画面を作る方法が連続していることを確認できる。*6 「Von den Dingen」は、森の撮影でも枝葉を剪定し、ゲーム機の《RESET》でもステッカーを剥がし表面を整えるなど、ロガンが「見つけた状態」をそのまま保存していないことを記す。*20 Sammlung Philaraの「Ex Machina」は、こうした旧式機械や装置を用途から切り離し、整えられた空間の中で一種の類型として見せる仕事をまとめている。*16

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《SET / RESET》――廃機械を写真の平面へ還元する

《SET / RESET》では、使われなくなったゲーム機や機械が、作動していた場所の騒音や利用者を失い、矩形、穴、画面、色面の組み合わせとして現れる。写真集『SET RESET EXITS SEDIMENTS』は2008年から2011年頃の複数シリーズをまとめ、キプロスで撮影した仕事も含めながら、空間と物に残る時間を連続した冊子の中で読ませる。*7 ここでは写真集のシークエンスも重要で、個々の物の由来を説明するより、似た静けさと構造を持つ画面が連なることで、用途を終えた物が別の視覚秩序へ移る。

《Apokryphen》――遺品を所有者の物語から一度切り離す

Apokryphen》は、バッハ、ベートーヴェン、ハイデガー、シュニッツラー、ブロッホらに関係する私物や遺品を、小さな銀塩プリントとして同じ条件に近づけて撮るシリーズである。公式サイトは2013–15年の各作品と、貝殻、眼鏡、懐中時計、補聴器などの具体的な物を一覧できる。*11 PIN. Freunde der Pinakothek der Moderneは2016年に同シリーズ5点を収蔵し、著名人に属した記念物を元の展示文脈から外して同一の中立的な設定へ移す方法を説明している。*19 Spector Booksの図録『Apokryphen』は、このシリーズを独立した出版物としてまとめた。*10 作者の伝記を写す代わりに、手垢や摩耗、奇妙な形だけを残すことで、物が「誰のものだったか」という知識と、写真の中で「何に見えるか」がずれる。

《1971》――ティム・ラウタートの写真を50年後に再演する

2022年のMdbK Leipzig展で紹介された《1971》(2021)は、教師ティム・ラウタートが1971年にニューヨークで撮影したウォルター・デ・マリアのスタジオ写真を、約50年後にライプツィヒの旧紡績工場で再構成した仕事である。MdbKは、ロガンが場所や物を見つけ、変形し、再演した後にアナログで撮る制作を回顧しながら、このシリーズを初期作と新作をつなぐ位置に置いた。*5 ここでは、ラウタートの1971年の写真が再演の参照点となり、その再演が再び写真にされる。過去の写真と現在の空間が、再構成と撮影を通して一つの制作工程の中で往復する。*5

《Offerte》――広告看板の大きさから商品名を抜く

2016年の《Offerte》は、二本の手が日用品を持つ写真を大きく引き伸ばし、2021年にブレーマーハーフェンの屋外看板で展示された。Kunsthalle/Kunstmuseum Bremerhavenは、広告媒体と同じ規模で提示しながら、価格や商品名、宣伝文を伴わない点を企画の核としている。*14 小さな物を無背景に近い状態で見せるロガンの方法が都市広告のスケールへ移されると、見る側は「何を売っているのか」を探す視線を使わされながら、答えを与えられない。撮影時の孤立化と展示媒体の選択が同じ問題を作っている。

§ 04 / 04 批評・受容と他の写真との接点

ラウタート、デマンド、ウォール――記録と演出を比べる

ロガンが学んだティム・ラウタートは、オットー・シュタイナートのもとで学んだ後、社会ドキュメンタリーと、写真そのものの仕組みを検討する「Bildanalytische Fotografie(画像分析的写真)」の双方を手がけ、1993年から2008年までライプツィヒ視覚芸術アカデミーで教えた。Museum Folkwangは、ロガンをヴィクトリア・ビンシュトック、トビアス・ツィローニーらと並ぶラウタートの教え子として挙げている。*23 Zabludowicz Collectionの「Recent Photography from Leipzig」も、ロガン、ビンシュトック、ファルク・ハーバーコルンらHGB出身者を同じ展示に集め、共通項を慎重な客観性、概念的な厳密さ、写真メディアそのものへの問いとして説明した。*22

マルティン・ホーホライトナーの論考は、ロガンの空間をステージド写真の文脈で扱いながら、トーマス・デマンドらの「モデル世界」との違いを、現実に存在する場所と作られた状態が同時に残る点に見ている。*21 同じ論考はジェフ・ウォールの「near documentary」にも触れるが、ロガンの場合は出来事を再現するより、実在する物や場所から出来事の痕跡を減らし、静かな画面へ整えていく。*21 そのため彼女の演出は、虚構を本物らしく見せるためのものというより、現物が写真の中でどこまで別の状態へ変わりうるかを確かめる工程として理解しやすい。

「旧東独の廃墟写真」で終わらない――演出が記録性を支える

ロガンの初期作は、出身地と撮影場所から東独の記憶と結びつけて論じられてきた。Zabludowicz Collectionは家具や空室を社会的記憶の担い手として読み、FOTOHOFも東ドイツの消滅を重要な背景に置く。*15 一方、Friezeは2008年の段階で、作品の意味を廃墟のロマンティシズムへ限定すると、彼女が床を作り、壁を塞ぎ、物を動かす制作工程を見落とすと指摘した。*8 したがって初期作を「消えた東独の記録」だけで説明すると、画面ができるまでの重要な部分が抜け落ちる。Zabludowicz Collectionは、旧東ドイツに位置するライプツィヒで、安価な旧工業空間と活発な美術教育・ギャラリー環境が若い写真家の活動を支えたことも紹介している*22。これはロガンの主題を都市史だけで説明する根拠にはならないが、HGBでの教育と旧工業空間が近接していた制作環境を知る手掛かりになる。歴史の痕跡を持つ現物を使いながら、その痕跡を減らしたり並べ直したりしてから撮るため、写真には記録と演出が同時に残る。

物の時間をいったん止める――批評が読んだ「後生」

ロガンの作品では、用途を終えた物が元の場所や所有者から切り離されても、その歴史が完全に消えるわけではない。フーベルトゥス・フォン・アメルンクセンは《Apokryphen》を論じ、写真が物をその場の時間から一度切り離し、使用の歴史と現在の見え方を同時に考えさせると読む。彼はリルケ、ハイデガー、ゲオルク・クーブラー、ヴァルター・ベンヤミンを参照しながら、ロガンの物を、過去の出来事が止まったまま現在へ現れるものとして論じている。*25 これは作家自身の哲学的宣言ではなく批評家による読解だが、なぜ彼女が新品よりも、役目や所有者を失った現物を撮り続けるのかを考える手掛かりになる。《Apokryphen》では、所有者の名前を知ることと、摩耗や形、材質を小さな写真として見ることが同時に起こる。来歴の説明と物の表面が完全には重ならないこと自体が、シリーズの見方を作っている。

日本での受容でも、この「物をもう一度見る」側面が強く読まれた。2005年には東京国立近代美術館の「German Contemporary Photography」に参加し、再統一後の社会変動とデジタル技術の進展を背景にしたドイツ写真の一例として紹介された。*18 ANDO GALLERY掲載の星野太の論考は、客観的な分類よりもロガンの積極的な介入に注目し、用途を失った物に写真の中で別の「後生」が与えられると読む。*17 この解釈を制作工程と重ねると、掃除や再配置は、使用の文脈から少し距離を取り、写真の中で再び見る条件を整える操作として捉えられる。

《APPARATE》から《REVISION》へ――回顧展が示す継続性

ロガンは2013年からシュトゥットガルト州立美術アカデミーで写真を教え、制作対象も室内から機械、映画、再演へ広がった。*1 2022年のLeonhardi Museumは《ATTIKA》《BAUMSTÜCKE》《APOKRYPHEN》と新作《REVISION》、映像作品を並べ、2005年以降の仕事を横断した。*13 対象が変わっても、使用や文脈を失った物・場所を探し、現実側に手を入れ、アナログ写真へ定着させる手順は続いている。すでに歴史を持つ現物へ介入しても、写真がなお記録として見えるのか。その緊張が作品をつないでいる。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ティム・ラウタート ― HGBでの師。2021年の《1971》では、ラウタートが1971年に撮ったウォルター・デ・マリアのスタジオ写真を約50年後に再演した
  • トーマス・デマンド ― 批評上の比較対象。模型を作って撮るデマンドに対し、ロガンは実在する場所や物を残したまま撮影前に操作する
  • ジェフ・ウォール ― 「near documentary」との比較から、出来事を再構成する写真と、出来事の痕跡を減らしていくロガンの違いを考えられる
Movements / Contexts
  • ステージド写真 ― 虚構のセットだけでなく、実在の部屋や物へ撮影前に介入する方法を考える文脈
  • スティルライフ ― 用途を失った家具、機械、遺品を孤立させ、物そのものの見え方を組み立てる文脈
  • コンセプチュアルアート ― 対象の選択、移動、再配置、撮影条件までを作品の構造として扱う文脈
§ REF さらに読む
Das Paradies der Dinge
Ricarda Roggan / Museum der bildenden Künste Leipzig / 2004年

初期の《Stuhl, Tisch und Bett》周辺から、物、時間、写真の記録性を考える展覧会カタログ。本文の出典には使っていない初期資料。

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§ SRC 出典