ザビエ・リバスは、都市周縁、空地、国境、採掘地、金融街などを撮り、写真をアーカイブ文書、テキスト、地図、映像と組み合わせるスペイン出身の写真家。《Sundays》《Sanctuary》《Concrete Geographies》《Nitrate》では、土地の現在像と、そこへ残る利用・排除・植民地経済の履歴を長期調査から組み立てる。
ドキュメンタリー写真は、現場にあるフェンス、空地、鉱山跡を具体的な証拠として残せる。しかし、そのフェンスを作った法律や、アタカマの硝石から生まれた利益の移動先までは画面に写らない。リバスはその限界を作品の外へ追い出さなかった。《Sundays》では五輪後バルセロナの空地と実際の使われ方を撮り、《Concrete Geographies》では国境設備を撮影し、《Nitrate》では採掘跡の写真に古写真、企業文書、地図、映像を組み合わせた。写真を現在の痕跡を確認する証拠として使い、写真に写らない制度・所有・労働・資本の履歴は別の資料で追う。一枚の風景にすべてを語らせず、異なる種類の証拠を照合して場所の歴史を組み立てる方法にした。
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目次 · Table of Contents
社会人類学と写真――目の前の物から始め、写らない履歴を調べる
リバスはバルセロナ大学で社会人類学を学び、その後ドキュメンタリー写真を学んだ。University of Brightonの研究プロフィールは、写真、アーカイブ、テキストを用いて都市、地理、歴史を調査する実践として彼の仕事を整理している*1。Fotografia a Catalunyaも、社会人類学と写真教育の双方が制作の基盤にあることを紹介している*2。Oral Memoriesは、バルセロナ大学で社会人類学を1990年に修了し、英国Newport School of Art, Media and Designで1993年にドキュメンタリー写真を学んだ経歴を具体的に記録している*20。MACBAの作家プロフィールでは、《Sundays》から《Nitrate》まで、場所の現在像を歴史的・政治的な調査へ接続する継続性が確認できる*22。TANKのインタビュー見出しで本人は、自分の関心を「物体からその歴史へどう移るか」と要約している*23。この順序が、彼が写真を使う理由を説明している。カメラはまずフェンス、採掘跡、空地の現在の状態を具体的に固定できる。しかし、その物がなぜそこにあり、誰が所有し、どの制度や取引で作られたかは像の外に残る。そこで写真を調査の入口にし、画面から読み取れない原因を文書、地図、アーカイブへ追っていく。人類学と写真は、同じ情報を二重に示すのではなく、見える現在と写らない履歴を分担している。
《Sundays》――バルセロナ五輪後の周縁を、余暇から読む
1994–97年の《Sundays》は、バルセロナの空地、工業地帯、道路脇などで家族や友人が日曜の余暇を過ごす場面を撮った初期の代表作である。Banco de Españaは、都市の公式な公共空間から外れた場所と人々の使い方をリバスの主要な関心として紹介している*3。所蔵作《Untitled, Bellvitge》では、郊外の地面と即席の余暇が同じ重さで写り、都市計画が予定しなかった利用が可視化される*4。1992年五輪後の都市周縁で、ピクニックや散歩に使われる空地を撮り、再開発計画と実際の土地利用の差を記録した。 MACBAは《Sundays》を1994〜97年のシリーズとして所蔵し、都市周縁の空地や工業地域でピクニック、散歩、休息、遊びが生まれていた点を具体的に紹介している*18。
《Sanctuary》《Concrete Geographies》――出来事の後に残る構造物を撮る
MACBAの《Nitrate》展は、《Sundays》から《Sanctuary》《Concrete Geographies》へ進む過程を、都市周縁の研究が領土と排除の問題へ広がった流れとして構成した*5。《Concrete Geographies》では、セウタとメリリャのフェンス、削られた地面、立入を制限する構造物を撮る。University of Brightonはこの仕事を、スペイン領北アフリカの国境フェンスを通して領土、移動、排除を調べる研究として記録している*9。人が画面からいなくても、フェンスの高さ、道路の切断、破壊された地表には政策が物理的な形で残る。リバスは越境のドラマを撮る代わりに、ドラマを繰り返し生み出す設備そのものを連作の対象にした。 2008年の《Nòmades》では、バルセロナの空地から約60家族のロマが追い出された後、重機で壊された地面とコンクリートの亀裂を36点の連作として撮っている*21。人物の追放そのものを撮影せず、追放後に残った物理的な痕跡から出来事を辿る点で、《Concrete Geographies》と同じ問題設定がより具体的に見える。
写真だけでは所有や契約が写らない――資料を同列に置く
リバスの展示で文書や文章は、写真を分かりやすくするキャプションではない。《Concrete Geographies》の研究記録は、写真グリッド、テキスト、資料を組み合わせ、国境の風景を一枚の意味へまとめない構成を示している*8。本人がTANKで自分の関心を「物体からその歴史へどう移るか」と表現したのは、カメラに写るフェンスや地面だけでは、それを作った法律、所有、行政判断が見えないからである*23。《Nitrate》では同じ問題がさらに明確になり、砂漠の採掘跡だけでなく、企業資料や金融・所有の記録を横に置いて、チリで採られた硝石が英国の資産へ変わる経路を追う。「写真に写る現在」と「文書に残る原因」を別々の証拠として並べ、両方を照合して読む構成にしている。
《Nitrate》――アタカマからロンドンまで資本の経路を追う
《Nitrate》は、チリ・アタカマ砂漠の硝石採掘と、イギリス企業、金融市場、邸宅へつながる資本の流れを写真、文書、商品、地図から追跡する長期プロジェクトである。University of Brightonの「Traces of Nitrate」は、鉱物が採掘地から商品、株式価値、英国の資産へ変わる経路を共同研究で調べたと説明している*6。World of Matterの《Sites of Capital》では、採掘地から離れたロンドンの金融空間や所有の痕跡も同じ物質史の一部として扱われる*10。Acción Cultural Españolaは、写真、ポリプティク、テキスト、映像を組み合わせ、写真自体の記録能力も検討する展示として紹介している*24。砂漠の写真だけを植民地主義の象徴として読ませず、硝石がどこへ運ばれ、どの財産へ転換されたかを追うことで、風景の政治性を見た目の印象から経路の検証へ移している。
写真集『Nitrate』――研究を読む順序へ編集する
『Nitrate』の写真集は、展覧会の記録集というより、画像と歴史資料をページの順序で読ませる研究媒体として作られた。University of Brightonの書誌は、複数の研究者によるテキストを含む出版物として同書を記録し、個人写真家の作品集を越える共同研究の性格を示している*7。Van Abbemuseumのライブラリー資料も、硝石採掘、植民地経済、写真の関係を扱う出版として同書を位置づける*11。読者は砂漠や建築の写真を見た後、同じ本に収められた研究文で所有者や資本移動の事実関係を確認できる。逆に研究文では代替できない採掘跡や建物の現在の状態は写真で確認する。二つの資料種を役割分担させた編集である。 ICP Libraryには1998年のリバスの出版物『IMAGO』が所蔵されており、研究型の大規模プロジェクト以前から写真を書物として流通させていたことも確認できる*16。
MACBAの《Nitrate》――展覧会を「ドキュメンタリー装置」にする
MACBAの展覧会では、《Sanctuary》《Concrete Geographies》《Nitrate》が一つの空間に置かれ、写真、アーカイブ、映像、歴史資料を行き来しながら読む構成が取られた。MACBAの出版記録には、カルレス・ゲーラやルイーズ・パーブリックらによる論考を含む展覧会出版が残り、作品の解釈が研究者との協働に開かれていたことが分かる*12。The Photographers’ Galleryも《Nitrate》を、採掘地と金融資本、植民地史を横断する写真研究として紹介している*13。Acción Cultural Españolaは、この展示で写真が歴史を読み直す道具であると同時に、何を記録できるのかを問い返される対象にもなっていると説明する*24。壁面には完成写真と文書・映像が並び、観客は異なる証拠を同じ会場内で照合する。
《It Would Never Be Quite the Same Again》――チリと英国の離れた出来事を写真・文書でつなぐ
《It Would Never Be Quite the Same Again》は、《Nitrate》から派生した2015年のプロジェクトで、チリと英国の離れた場所で起きた抵抗や破壊、記念化を、写真、作家テキスト、原資料の複製によって関連づける。ProjecteSDは、1907年にマベル・ルーミス・トッドが撮った南米の風景写真を出発点に、マーガレット・サッチャー像の破壊などを含む複数の出来事を、アタカマ砂漠の爆破の「遠い反響」として組み立てた作品群と説明している*14。World of Matterの硝石関連ページでも、鉱物、風景、労働、資本の像は一つの地域へ閉じず、複数地点を行き来する*15。《Invisible Structures》でも同じ方法が確認できる。SOURCEは、一見すると未開のジャングルに見える場所を、発掘や歴史記述から周縁化された埋没都市の区域として撮ったシリーズとして紹介している*25。現在の景色だけでは「ジャングル」としか読めない場所に、発掘記録を合わせることで都市遺構としての履歴が現れる。リバスは作品ごとに、写真だけでは判別できない過去を別資料で特定している。
出来事を撮らず、出来事を生んだ場所と資料を並べる
リバスの写真には、政治家、警官、労働者の劇的な行為がほとんど登場しない。Apolloの《Nitrate》評は、植民地主義、移民、労働搾取を扱いながら、展示が写真、映像、アーカイブ文書で構成され、ドキュメンタリーと美的な風景の緊張を保っていると論じた*17。The Photographers’ Galleryも《Nitrate》を、1900年頃の硝石工場写真を出発点に、チリの鉱物史を調査する長期プロジェクトとして紹介している*13。画面の静けさ自体に政治性がある、と抽象的に説明する必要はない。政治的な原因がすでに現場から消えているからこそ、リバスは現在の風景を撮り、別の場所に残る資料を持ってきて、両者を同じ展示で照合させている。
《Sundays》の空地から《Nitrate》の採掘・金融網へ
《Sundays》は1992年五輪の前後に作られた企業的なバルセロナ像への応答として始まり、再開発の隙間に残る空地を、地域の人々がピクニック、会話、遊びに使う場面を撮った*19。デヴィッド・カンパニーは、都市計画や不動産の意図だけでは人の行動を決め切れず、未指定の土地が別の共同性を生む点をこのシリーズの中心に置いている*19。後の《Nitrate》では、対象が空地から鉱山、港、金融街、邸宅へ広がり、一つの場所の使われ方より、複数地点を結ぶ商品と資本の移動が中心になる*22。方法が複雑になっても共通しているのは、風景の見た目を社会の説明にしないことだ。《Sundays》では「計画された都市」と「実際の使われ方」の差を撮り、《Nitrate》では「採掘跡」と「そこから生まれた富の行き先」の差を資料で追っている。
- ブルーノ・セラロング ― 報道や政治的出来事を、既存メディアとは異なる時間と制作条件で扱う比較対象。
- 畠山直哉 ― 採掘、都市、土地の形成を写真で追う点を比較すると、リバスのアーカイブと文書を含む方法が見えやすい。
- ドキュメンタリー写真 ― リバスはその証拠性を写真一枚に集中させず、調査・文書・展示へ分散させる。
- コンセプチュアルアート ― 写真を情報・資料・配置の一部として扱う方法論的背景。