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PHOTOGRAPHERS/JOSÉ ANTONIO HERNÁNDEZ-DIEZ ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
JH
§ 223 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

ホセ・アントニオ・エルナンデス=ディエス

José Antonio Hernández-Diez
Countryベネズエラ Period1990–2000s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

ホセ・アントニオ・エルナンデス=ディエスは、剥製の「聖犬」を保存ケースに収め、牛の心臓を聖心像と医療機器へ接続し、豚皮のスケートボードやスニーカーのブランド記号を作品にしたベネズエラの作家。《San Guinefort》《Sagrado corazón activo》《La Hermandad》《Thinkers》では、宗教、科学、若者文化、消費財が互いの「信じさせる力」を借りる。映画・ビデオの訓練から始まり、写真も彫刻も、身近な物が権威や欲望を帯びる瞬間を作るために使われた。

この写真家が変えたこと

《San Guinefort》の聖犬、《Sagrado corazón activo》の牛の心臓、《Thinkers》のスニーカーは、宗教、医療、ブランドが「信じられるもの」を作る仕組みを同じ視野へ置く。初期ビデオでは出来事をループさせ、《San Guinefort》では観客に聖犬へ触れさせ、《Thinkers》では広告写真の明瞭さで哲学者名を読ませる。宗教、消費、若者文化、テクノロジーがそれぞれどう権威を獲得するかに合わせ、映像・物体・写真の役割を作品ごとに決めた。

Keywords San Guinefort Sagrado corazón activo La Hermandad Thinkers 映像インスタレーション 信仰とテクノロジー コンセプチュアルアート
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

1980年代カラカス――映画の時間感覚から、ループするビデオと物体へ

エルナンデス=ディエスはカラカスのCentro de Formación Cinematográficaで学び、映画とビデオを通して制作を始めた。MACBAは彼を1980年代に頭角を現したベネズエラの世代の一人として紹介し、初期の実験映像と、スクリーンや展示ケースを使った作品を回顧展の起点に置いている*2。New Museumも、映画・ビデオの訓練を受け、ベネズエラにおける初期のビデオ作品を手がけた作家として紹介する*1。ICAAが公開するマリア・エレナ・ラモスの1991年論考は、映画への関心からビデオへ進み、さらにビデオ・インスタレーションへ至った経路を当時の制作史として記録している*6。1980年代末の作品では、録画された短い動作をループさせることで、過去に起きた出来事がモニターの中で何度も現在へ戻ってくる。e-fluxはこの電子映像を、魔術的で憑依的な現象として扱った初期実践として説明する*11。1991年の批評でルイス・アンヘル・ドゥケは、1988年の《Los sueños no duran más de cinco minutos》を公的な美術シーンへの登場点とし、当時の「ネオコンセプチュアル」な世代の一人として論じた*4。映画教育で得た時間と反復への関心は、その後の心臓の拍動、機械の作動、犬が物を食べる映像、観客の動作によって変化する作品へつながっていく。

1990年代の国際展――カラカスの街路文化とグローバル現代美術

国際的な活動が拡大した時期は、現代美術を「グローバルな言語」として捉える議論が強まり、欧米中心の制度が問い直された1990年代と重なる。SITE Santa Feは、エルナンデス=ディエスを含むベネズエラの新世代の登場を1980年代末の経済・社会危機とほぼ同時期に置き、地域文化と国際的なポストモダニズムの双方へ関わった実践として説明している*7。MACBAは、ヴェネツィア・ビエンナーレAperto ’93、Reina Sofíaの《Cocido y crudo》(1994)、第1回光州ビエンナーレ(1995)への参加をこの文脈で紹介する*3。Reina Sofíaの展覧会記録は《Cocido y crudo》が異なる文化圏の作家を同一の展示枠で交差させた国際展だったことを示す*18。その国際回路は1999年Carnegie Internationalにも続き、Carnegie Museum of Artの公式記録に参加作家として名が残る*17。New Museumは、ポップやミニマリズムの国際的な語彙をカラカスの街路、宗教、消費財へ接続した点に注目し、「ラテンアメリカ美術」に期待されがちな色彩性や異国趣味の枠から作品を読み解こうとした*1。MACBAコレクションを論じたイヴォ・メスキータも、《San Guinefort》や《Vehículos perfectos》を、若者文化とストリート・ポップが国際的な制度へ入った例として挙げている*21

§ 02 / 04 表現の核心

《San Guinefort》――聖遺物を保存装置として作る

1991年の《San Guinefort》は、中世フランスで子どもの守護者として民間信仰の対象になった犬の伝説を、剥製、プレキシガラス、金属、タンク、ゴム手袋からなる展示装置へ置き換えた。Christie'sの作品記録は、1991年作であることと、剥製の犬を工業的な保存ケースに収めた物質構成を確認できる*8。ICAAが公開する当時の展覧会論は、伝説の歴史と技術的構造を並行して分析し、宗教的イメージと機械装置を同じレベルで扱う初期作の重要性を示す*4。New Museumの2003年回顧展では、観客がケースの手袋へ腕を入れ、内部の「聖犬」に触れられる構造まで紹介されている*1。信仰は遠くから眺める図像として提示されず、保存技術、博物館的ディスプレイ、観客の身体動作によって成立する経験へ変換される。

《Sagrado corazón activo》――聖心を牛の心臓と医療機器で作る

同じ1991年の《Sagrado corazón activo》では、カトリックの「聖心」図像が牛の心臓、透明な十字架、チューブ、医療装置によって組み立てられる。MACBAの展覧会資料は、この時期の作品群を作家が「新しいキリスト教図像」と呼んだことを紹介する*2。ICAAが保存する同時代記事には、映画、写真、ビデオへの関心と宗教的イメージを一緒に扱い、新しい図像を作ろうとしていた本人の発言が記録されている*5。MACBA刊行のLatitudesによる論考は、生命維持装置につながれた心臓と聖心信仰が、身体的な「実在」と信仰上の「現前」を同じ作品で競わせる構造を詳しく分析している*20。テクノロジーと宗教は、ここでそれぞれ異なる方法で「現前」を成立させる。脈打つ心臓を生命と感じること、聖心像に神聖さを見ること、その二つが同じ視覚的な説得力の問題として並ぶ。

《La Hermandad》《Arroz con Mango》――スケートボード、豚皮、野球バット

1994年の《La Hermandad》では、豚皮で作ったスケートボードと映像が組み合わされ、若者の路上文化と食物、動物の身体が一つの作品に重なる。Revista Estiloは、三台のテレビ、豚皮で作ったスケートボード、金属・ゴムの車輪から構成され、映像が「揚げる/街で使う/犬が食べる」という三つの時間を同時に見せると記録する*16。Arte Al Díaは、豚皮のスケートボードが犬に食べられる映像まで含めて、鑑賞者の認識を揺さぶる「概念的不協和」の代表例として論じた*13。1997年の《Arroz con Mango》では、観客が野球バットで装置を叩くたびに音声が切り替わり、見る人の動作そのものが作品を進める。New Museumはこの参加型構造を、スポーツに含まれる遊び、競争、力、暴力が切り替わる経験として説明している*1。宗教的な聖遺物からスケートボードへ対象が変わっても、身近な物へ別の規則を与え、慣れた読み方を不安定にする方法は続いている。

《Thinkers》――Hume、Kant、Marxをスニーカーのロゴで読む

《Thinkers》では、複数のスニーカーを積み重ね、ブランドロゴの文字からHume、Kant、Jung、Marxなど西洋思想家の姓を作るカラー写真が制作された。New Museumは、「考える主体」と「買う主体」という二つの自己形成が、広告の記号と哲学者名の上で重なるシリーズとして紹介する*1。The Brooklyn Railは2003年展の《Hume》《Marx》を取り上げ、若者文化とグローバルな消費記号を使う明快さを評価しながら、一部の作品が一行のアイデアへ収束する危うさも指摘した*10。写真の役割は、積み上げた靴を広告写真のように明瞭な一語へ変えることにある。「HUME」と読めた瞬間、商品のロゴと哲学者の権威が、同じ視覚記号の読み取りに依存していることが見えてくる。Galería Freijoでは《Thinkers》の複数作を画像で確認できる*15

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

モニターは過去を反復する――映像が必要になる場面

初期ビデオでは、映像の内容だけでなく、同じ出来事を何度も再生する時間構造とモニターという物体が重要になる。MACBA刊行のLatitudesによる論考は、1980年代末のビデオ・ループを、家庭用テレビが録画された過去を現在へ繰り返し呼び戻す「幽霊の機械」のような実践として分析する*20。e-fluxも、この時期のスクリーン/展示ケース作品が電子映像を魔術的で憑依的な現象として扱ったと説明している*11。《La Hermandad》では、三つの映像が、豚皮のスケートボードが揚げられ、街で使われ、犬に食べられる別々の段階を同時進行させる*16。映像は物体の変化を時間として保持する。ビデオは、生命、記憶、消費、破壊のように時間の経過を伴う出来事を反復して見せる役を担い、《San Guinefort》の保存ケースや《Sagrado corazón activo》の生命維持装置とは異なる働きを与えられている。

《Petare 2009》――静止写真だから、都市の密度を自分の速度で読む

写真が都市へ直接向けられた例が《Petare 2009》である。Arte Al Díaは、カラカスの巨大なバリオであるペタレを扱う大規模な写真インスタレーションとしてこの仕事を紹介し、H・G・ウェルズの文章を伴う展示構造を記している*14。壁面いっぱいの静止像では、住宅の集積が一度に視野へ入り、鑑賞者は離れて斜面全体を見たり、近づいて建物の細部を追ったりできる。時間を映像側に預ける初期ビデオと違い、ここでは見る速度を観客が決める。巨大な都市を一つの面として保持しながら、その内部を好きな順序で読み直せることが写真の効果になっている。Wizard Galleryは、映画教育から出発し、写真、ビデオ、彫刻を行き来してきた経歴をまとめている*19。同じ作家の中でも、反復する出来事には映像、触覚を要求する作品には装置、広い都市を同時に読む場面には写真という違いが生まれている。

§ 04 / 04 宗教・若者文化・グローバル化をめぐる受容

ユーモアの即効性と「ワンライナー」批判

エルナンデス=ディエスは、スニーカーで哲学者名を綴る、野球バットで装置を叩く、聖犬へ手を入れて触るといった仕掛けを、短い時間で把握できる形へ整える。その即効性は観客を作品へ参加させる入口になる。BOMBは、日用品、医療器具、宗教的モチーフを反転させるユーモアによって、鑑賞者自身が作品の可笑しさに加担すると評した*9。The Brooklyn Railは2003年の回顧展で、《San Guinefort》の信仰と技術の複雑な結合を高く評価しつつ、《Thinkers》など一部の作品が「ワンライナー」に近づく危険を指摘した*10。ArtNexusの後年の回顧評は、四半世紀を経て初期作を再展示すると、当時の最新技術がすでに旧式化していること自体が新しい意味を持つと論じる*12。機械は時間とともに古び、宗教的な聖遺物と同じように保存・再稼働を必要とする物へ変わっていく。

写真・ビデオ・装置の役割――《Thinkers》は読む、《La Hermandad》は時間、《San Guinefort》は接触

MACBAの回顧展は、初期の実験ビデオ、スクリーン、展示ケース、写真、彫刻、ドローイングを同じ作家の流れとして構成した*2。《San Guinefort》はゴム手袋へ腕を入れて聖犬へ触るため、展示ケースと観客の身体が必要になる*1。《Sagrado corazón activo》は牛の心臓とチューブを実物として置き、宗教図像と生命維持の物質感を同じ場所で経験させる*20。《La Hermandad》は豚皮のスケートボードが変化する三つの段階を映像で同時に保持する*16。《Thinkers》では積み上げた靴が「HUME」「MARX」という一語へ瞬時に読めるよう、カラー写真が広告画像に近い明瞭さを与える*1。《Petare 2009》では都市の膨大な細部が静止したまま残り、観客が距離と時間を変えながら読む*14。この違いを見ると、「読む」「触る」「待つ」「近づく」といった鑑賞行為が、作品ごとに媒体の選択と結びついていることが分かる。

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