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PHOTOGRAPHERS/EDWARD S. CURTIS ·ピクトリアリズム ·UPDATED 2026.09
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§ 360 — Photographer Index — ピクトリアリズム

エドワード・カーティス

Edward S. Curtis 1868–1952
Countryアメリカ Period1890–1910s Channel表象を批判的に読む写真 · PICTORIALISM
Abstract

1868年、アメリカのウィスコンシン州ホワイトウォーター近郊に生まれたエドワード・カーティスは、北米各地の先住民を撮影し、写真、文章、語彙、録音を1907〜30年刊の全20巻『The North American Indian』へまとめた写真家である。プラチナ印画、フォトグラヴュール、衣装や場面の演出による統一された像は広く流通する一方、「消滅する民族」という植民地主義的な時間観を強化した。同化政策、資金、先住民協力者、映画、現在の共同体による再解釈まで追う。

この写真家が変えたこと

『The North American Indian』では、撮影規模に加えて、数千ページにわたる出版構造そのものが一つの歴史像を形成した。カーティスは肖像、風景、衣装、儀礼を同じピクトリアルな階調へ整え、20巻の本文、20のポートフォリオ、約2,200点の図版、録音、幻灯、映画へ連結した*6。その結果、一枚の演出写真が孤立せず、「同化政策が進行する現在」を「失われつつある過去」として読む時間観が、数千ページにわたって反復された*5。時計を消した《In a Piegan Lodge》は、その編集原理を視覚化した一例である*9。一方、この巨大事業はアレクサンダー・B・アップショーらの先住民調査者、通訳、文化的仲介者、多数の被写体の参加による共同制作でもあった*29。同じ画像にはカーティスの「消滅」物語だけに収まらない情報が残り、記録写真が歴史像を形成する力自体が再検討されている。現在、人物名や共同体の知識を写真へ戻す再解釈が進み、美的完成度、民族誌的情報、植民地主義的編集、先住民側の参与が同じアーカイブの中で検証されている。

Keywords The North American Indian フォトグラヴュール 先住民表象 サルベージ・エスノグラフィー ピクトリアリズム 植民地主義
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

同化政策と「消滅」観

カーティスはシアトルで肖像写真館を成功させた後、1899年にC・ハート・メリアムとジョージ・バード・グリネルの招きでハリマン・アラスカ遠征へ公式写真家として参加した。Smithsonianの年譜では、その翌1900年にグリネルとモンタナのブラックフット保留地でサンダンスを見た後、南西部での撮影を始め、1904年には大規模出版計画を公表している *17 。写真館で個人肖像を作る仕事から、科学者・民族誌家と移動しながら社会全体を分類して記録する仕事へ視野が広がった時期が、後の20巻の出発点になった。

近年のジェン・ローズ・スミスは、この起点を人物肖像だけでなく土地の問題から再検討している。1899年のアラスカ遠征でカーティスが接した科学調査、資源調査、土地の分類を、後の先住民表象と土地収奪が交差する植民地的な地理知の形成として分析している *34 。これは後年の全作品をアラスカ経験一つから説明する因果論ではないが、人物を「部族」と「地域」へ分けて配置する20巻の構造が、同時代の土地・民族分類と切り離せないことを示す研究である。

この時間観は被写体選択にも作用した。学校、賃労働、鉄道、市場、洋装、連邦政策といった同時代の要素が画面から減り、伝統衣装、馬、ティピー、儀礼、自然景観が代表像として選ばれやすい。写真は現実の一部を精密に残しながら、どの部分を「その文化らしい」と認定するかによって別の現実を弱める。カーティスの仕事は、保存と排除が同じ記録行為の内部で起こりうることを具体的に示している。

当時の民族誌学と写真の関係も一枚岩ではなかった。Smithsonian系のアーカイブには、政府機関や人類学者が言語、物質文化、儀礼を別の分類原理で収集した資料が大量に残る*17。カーティスはその学術的権威を取り込みつつ、富裕層向けの豪華出版とピクトリアル写真の美学を組み合わせた。この二重性が、行政資料とも純粋な美術写真集とも異なる『The North American Indian』の強い権威を作った。

資金・出版・調査網

1906年にJ・P・モーガンの支援を受けたことで、カーティスは数十年に及ぶ撮影、調査、製版、出版を継続できた*4。『The North American Indian』は1907年から1930年まで20巻と20の大型ポートフォリオとして刊行され、本文、約2,200点の図版、語彙、口承、音楽などを含む巨大な事業になった*6。豪華な用紙とフォトグラヴュールを使う出版形式は、富裕層、図書館、研究機関が所有する権威ある書物として設計された。

制作主体もカーティス一人ではない。The Morgan Libraryの研究は、アレクサンダー・B・アップショー、ジョージ・ハント、ウィリアム・E・マイヤーズらが通訳、情報収集、文章、文化的助言を担ったことを整理している*10。資金提供者、編集者、研究者、先住民の文化的仲介者、撮影される人びとは、不均衡な権力関係の中で共同事業へ関わった。20巻の統一された「著者カーティス」という外観の背後には、多数の知識と交渉が存在した。

Smithsonianの作家資料を横断すると、完成巻の背後に書簡、フィールド記録、別プリントなどが残り、統一された出版物へ至る選択過程を追える*8。完成した20巻では「カーティスの視点」が均質化されているが、制作資料へ戻ることで、資金、編集、現地協力者、印刷技術が異なる時期にどのように関わったかを分解できる。

計画の完成形は撮影旅行の寄せ集めではなく、最初から長期の編集工程を必要とした。Mick Gidleyは初期巻の校正資料、出版計画、文章の修正を比較し、現地調査から最終巻までに情報の選択・再配置が繰り返されたことを示している *32 。撮影した写真の量だけでなく、どの民族・地域を一巻へまとめ、どの写真を本文挿図と大型ポートフォリオに分け、どの知識を文章へ残すかという編集判断が、『The North American Indian』の統一された世界像を作った。

§ 02 / 04 表現の核心

演出・印画・時間表現

カーティスの代表像は、柔らかな焦点、低い視点、煙や逆光、背景の単純化、伝統衣装の選択によって、人物を時代の特定しにくい空間へ置く*7。《In a Piegan Lodge》では元のネガに写っていた時計が出版用画像から消されており、British Libraryの版と関連資料に改変の経緯が残る*25。時計一個の削除は象徴的な一例であり、シリーズ全体でも近代的な物、制度、生活様式が選択的に減らされ、「近代化以前の先住民文化」という一貫した時間が作られた。

プラチナ印画とフォトグラヴュールの質感もこの時間表現に加わった。NMAIが扱うプラチナ印画は、広い階調とマットな表面によって肌、羽根、煙、背景を連続した調子へまとめ、強い局所コントラストより静かな量感を作る*22。最終的な書籍ではフォトグラヴュールが深い黒と微妙な階調を保ちながら多数部を刷る役割を担った*21。演出、撮影、製版、印刷が連続して働くため、政治性は被写体選択だけでなく、「どのような美しさで記憶させるか」という形式にも及ぶ。

この演出は同時代のピクトリアリズムともつながる。Smithsonian American Art Museumの所蔵情報はカーティスを美術写真史の文脈でも位置づけており*20、柔らかな焦点、逆光、煙、深い階調は、単に民族誌上の誤りを隠す装飾ではなく、当時「芸術写真」として価値を得る視覚語彙だった。そのため政治的問題は美的完成度の外側にあるのではなく、その美しさがどの歴史像を説得的にしたかという形式内部に現れる。

共同制作と先住民の主体

近年の研究では、カーティスの現場を白人写真家が一方的に支配した場としてのみ説明する方法も修正されている。ジョージ・ハントはKwakwaka’wakw社会に深く通じた文化的仲介者として調査と映画制作へ関わり、アップショーはアプサーロークの言語・歴史調査を支えた*10。被写体側も衣装、儀礼、家族関係、人物名に関する知識を持って撮影へ関わった。こうした事実によってカーティスの植民地主義的な枠組みが解消されるわけではないが、その内部にも先住民側の判断と行為が存在したことが資料に残る。

シャムーン・ザミールの『The Gift of the Face』は、この共同性を肖像と時間の問題から再検討している*14。「消滅する民族」観だけを軸にした評価では、個々の顔、名前、文化的仲介者との協働が持つ具体性が同じ説明へ集約される。ザミールの研究は植民地主義的な枠組みを否定せず、その内部で肖像が共同体の変化と自己像をどこまで保持しているかを問い直しており、写真ごとの差を検討する批評的な基盤になる。

RutgersとUBC Museum of Anthropologyによる《Old Images / New Views》は、先住民の学者、作家、キュレーターが歴史写真へ新しいキャプションと証言を与え、祖先の像や家族史として読み直す実践を紹介している*11。写真家が与えた題名と出版文脈を唯一の最終意味としないことで、アーカイブは共同体の記憶へ戻される。カーティスの写真を批判的に読む作業では、誰が写り、誰が情報を与え、どの説明が後から付加されたかを細かく戻すことが中心になる。

ザミールの研究は、植民地主義的な枠組みを批判しながら、先住民参加者を再び受動的な「被写体」に固定しない*29。アップショーの教育歴や調査能力は、彼が白人プロジェクトへ情報を供給する役割に限られず、近代的な先住民知識人として複数の世界を横断していたことを示す。カーティス写真の現在的な再読では、こうした個人の複雑な経歴を一般化された部族像へ戻さないことが重要になる。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

20巻とフォトグラヴュール

このプロジェクトでは、巻、本文、図版、ポートフォリオの組み合わせが基本単位になる。Northwestern Universityのデジタル版では各巻の文章と写真を同じ構造で閲覧でき、人物肖像、住居、儀礼、工芸、風景が章の論理に従って並べられている*6。大型ポートフォリオの写真は本文挿図より独立性が高く、鑑賞用の美術写真としての性格を強める。書物の内部で民族誌的説明とピクトリアルな写真鑑賞が隣接することが、プロジェクトの権威を支えた。

20巻は地域と共同体を順に区分し、写真だけでなく歴史、生活、宗教、物質文化、言語資料を同じ巻へ組み込んだ。Library of Congressの書誌には、後半巻まで語彙資料が付され、本文巻とは別に20の大型ポートフォリオが対応する構成が記録されている *33 。巻を追う構成によって、個々の肖像は地理的に区分された共同体の章へ配置され、「北米先住民」の総体を分類する出版体系の一部になる。民族誌的分類と美的な図版が一体化した構造が、カーティスの歴史像に大きな権威を与えた。

NMAIにはフォトグラヴュールの銅版と校正刷りが残り、ネガから最終図版へ至る製版工程が物質資料として保存されている*13。この物質的な工程では、ネガ選択、修整、版制作、紙、インク、写真集の順序まで複数の判断が像へ加わる。演出の問題は撮影現場に限定されず、出版設計まで連続している。

《The Vanishing Race》と映画

第1巻の《The Vanishing Race—Navaho》は、背を向けて遠ざかる騎馬の集団を暗い画面へ置き、題名と構図の双方で「消滅」観を視覚化した*26。これと対照的に《White Man Runs Him, Apsaroke》のように個人名が明確な肖像は、抽象的な「インディアン」というカテゴリーから人物を具体的な家族・共同体の歴史へ戻す手がかりになる*15。同じアーカイブの中に象徴化する像と個人を特定できる像が共存するため、作品群は一つの政治的評価だけでは処理できない。

1914年の映画《In the Land of the Head Hunters》も、静止画と同じ「消滅前の文化保存」という発想を持ちながら、制作過程は単純な民族誌記録ではなかった。University of Washington Pressの研究書は、Kwakwaka’wakwの出演者との協働、演技、衣装、物語、音楽、後世の修復を追い、この映画を異文化間の共同制作物として再検討している*3。伝統的な生活を再演する演出はカーティスの過去志向を示す一方、出演した人々の知識とパフォーマンスがなければ成立しなかった。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

民族誌とピクトリアリズム

カーティスを難しくしているのは、民族誌資料としての情報量と、ピクトリアリズムの美的統一が同じプロジェクトに重なっていることである。民族誌的記録なら近代的な衣服、学校、商品、賃労働、政策の影響も重要な情報になる。しかし代表像では、それらが伝統衣装、自然景観、儀礼、肖像の静けさに比べて弱く扱われた。Morgan Libraryが示すように、この選択は同化政策が進む現在を画面から減らし、「文化の本当の姿」を過去へ求める視覚を作った*10

美的完成度と政治性は、同じ形式作用の中で結びついている。フォトグラヴュールの深い階調、光、背景整理が写真を魅力的にし、その魅力が同じ歴史像を繰り返し受け入れさせる。形式そのものが「消滅する民族」という物語の説得力へ関わるため、技法批評と植民地主義批評は、同じ画面の分析から接続する。

23年間にわたる『The North American Indian』の内部にも変化がある。シャノン・イーガンは、各巻の美的・政治的方針がアメリカのモダニズムや先住民表象をめぐる同時代の変化へ応答したと分析している *30。全体を貫く「消滅」観と、巻ごと・時期ごとの変化は併存しており、巨大アーカイブを単一の様式へ還元できない。

アーカイブの再文脈化

現在の美術館は、カーティス作品の美術的価値を認めながら、撮影時の権力関係を明示する方向へ進んでいる。Santa Barbara Museum of Natural Historyは演出とステレオタイプを展示の中心課題に置いている *18 。The James Museumは部族・共同体と協働して人物名や文化的文脈を追記する方法を採っている *19 。この再文脈化によって、写真は「美しいが不正確」または「貴重な記録」という二択から離れ、何が正確に残り、何が撮影者の構想で作られたかを項目ごとに検証できる。

Seattle Art Museumの2018年展《Double Exposure》は、カーティスの100点を超える作品を、Marianne Nicolson、Tracy Rector、Will Wilsonという現代の先住民作家の作品と同じ空間で提示した*2。過去の写真へ注釈を足すだけでなく、現在の先住民作家が自分たちの身体、共同体、土地を撮る作品を並置することで、カーティスが作った「過去のNative America」に現在形の自己表象を対置した。この展示形式自体が、歴史写真の権威を所蔵館だけで解釈せず、撮影された側の後続世代による画像制作と並べて検証する方法になっている。

またLibrary of Congress、Smithsonian、Northwestern、NMAI、Morgan Libraryなどへ資料が分散保存されたことで、完成した20巻と制作過程を照合できる。研究ノート、書簡、銅版、別プリント、未刊資料は、著者の意図を超えてプロジェクト自体を検証する材料となる*17。巨大アーカイブを残した行為は植民地主義的な枠組みを免罪しないが、その枠組みを後世が検証し、修正し、異なる歴史へ再利用する条件にもなった。

Smithsonianが紹介するラリー・マクニール、ウィル・ウィルソンらの現代作品は、歴史的なプラチナ印画や肖像形式を参照しながら、先住民を過去の残存物として扱う視覚へ応答している*8。NMAIの《Indelible》も、古い印画技法と現在の先住民作家を同じ場で扱い、写真技術の継承と歴史像への批判を結びつけた*23。現代先住民作家の作品では、カーティスの像が権威ある最終回答の座から外れ、新しい肖像が反論する対象になる。

20巻は先住民文化を過去へ固定する巨大な視覚体系を作る一方、その規模によって多くの人物、言語、衣服、道具、場所も記録した。現在の研究者や共同体は、その資料を出版時の物語から切り離し、人物名、家族史、撮影条件を付け直している。保存された画像の用途は、撮影者が与えた意味だけで固定されず、アーカイブを利用する共同体や研究者によって更新される。カーティスの資料群は、植民地主義的な記録が批判と再利用の双方へ開かれる過程を現在まで残している。

この再文脈化は、作品を「偽物」と判定して終わる作業とも異なる。Library of Congressの研究ガイドは、カーティス資料を写真史、女性史、民族誌、家族史など複数の研究入口から扱えることを示す*12。制作上の改変を明示したうえで、写された人物、衣服、道具、地名、言語を別の史料と照合すれば、撮影者の構想を批判しながら画像に残った情報を共同体側の歴史へ戻せる。

ニック・ヤブロンは、《The Oath – Apsaroke》が1913年に「未来の閲覧者」へ残す記録事業へ提供された事例を分析している *31。カーティスの一枚の写真は、民族誌、芸術写真、歴史記録、未来へ託すタイムカプセルという異なる制度を横断し、置かれた用途によって時間的な役割も変化した。

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本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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