エド・ルシェ(1937–)は、ネブラスカ州オマハ生まれ、オクラホマシティ育ちのアメリカの美術家。1956年にロサンゼルスへ移り、Chouinard Art Instituteで商業美術を学んだ。Plantin Pressで活版印刷を経験し、広告制作や『Artforum』のレイアウトを経て、1960年代から絵画、版画、写真、映画、アーティストブックを制作してきた。現在もロサンゼルスを拠点に活動している。
ウォーカー・エヴァンスやロバート・フランクの写真集から強い影響を受けたルシェは、さらに撮影前に題名と数を決め、対象、キャプション、順序、余白、判型、商業印刷、部数までを一つの作品設計に含めた。どの写真を、どの規則で、どの順番に、どのような本として流通させるかを作品の中心にしたことが具体的な転換である。車載カメラや撮影委託も用い、作者の仕事をシャッターを切る瞬間だけに限定しなかった。この方法によって、写真が作品になる条件は、撮影技術に加えて編集・複製・出版・流通まで含む工程として示された。こうした実践は、1960年代以降のアーティストブックやコンセプチュアルな写真にとって、撮影以外の判断まで作品として扱う重要な先例になった。
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目次 · Table of Contents
商業美術とロサンゼルス
ルシェは1937年にネブラスカ州オマハで生まれ、オクラホマシティで育った。1956年にロサンゼルスへ移り、Chouinard Art Instituteで商業美術を学んだ。National Gallery of Artは、1958年にPlantin Pressで印刷機と活字組みを経験し、1965年から67年には「Eddie Russia」の名で『Artforum』のレイアウトを担当したことを記している*1。SFMOMAも、広告の視覚言語とタイポグラフィが、その後の絵画、版画、写真へ続いたと説明する*2。Moderna Museetは、印刷所で本の製造工程を見た経験と、1959年頃にウォーカー・エヴァンス、ロバート・フランク、マン・レイへ関心を持ったことを並べている*3。
Jennifer Quickは、ルシェの商業美術の訓練が、スケール、ペーストアップ、透視図法などの技術と、デザインを組み立てる思考の形成に関わったと論じている*52。MoMA回顧展カタログからの抜粋は、当時のレイアウト制作が写植、ペーストアップ、印刷所とのやり取りを含む工程であり、ルシェ自身が『Artforum』でダミーと版下を制作していたことを示している*41。2023年のMoMA回顧展カタログは、絵画、ドローイング、版画、写真、アーティストブック、映画、インスタレーションを横断してルシェの活動を扱っている*51。文字、余白、表紙、紙、写真、印刷部数までを制作判断として扱う姿勢は、こうした商業印刷とデザインの経験と連続している。
LACMAの回顧展は、1956年の移住以後、都市景観、俗語、商標、街路がルシェの主要な主題になったと整理している*4。Walker Art Centerは、オクラホマ出身者としてロサンゼルスを外から見たことが、HollywoodやStandard Oilなど都市固有の図像への関心につながったと説明する*5。オクラホマへ戻るルート66では、ガソリンスタンド、看板、低層建築が車窓に順番に現れた。ARTIST ROOMSは、『Twentysix Gasoline Stations』がこの往復路で撮られ、特定の一回の旅を物語る構成ではないと指摘する*6。LACMAが紹介する集合住宅や駐車場のシリーズも、自動車で移動する都市のスケールと結びついている*7。
自動車都市ロサンゼルスとポップ・アート
ガソリンスタンド、駐車場、アパート、看板は、20世紀中葉のロサンゼルスを特徴づける都市景観だった。自動車が生活と都市設計の中心に入り、ガソリンスタンド、ストリップ型商業、ドライブイン型施設が街路景観を形づくっていた*31。戦後の高速道路建設と住宅・商業・産業の郊外化は、都市の機能を道路沿いへ分散させ、ガソリンスタンドの立地や更新にも直接影響した*32。ルシェの反復する機能建築は、個人的な関心の対象であると同時に、戦後ロサンゼルスを成立させた移動、石油、土地利用、商業表示の仕組みを記録するものになった。
同時期、都市を自動車移動と道路沿いの商業景観から捉える議論は建築分野にも現れていた。Reyner Banhamは1971年の『Los Angeles: The Architecture of Four Ecologies』で、フリーウェイ、平地、丘陵、海岸を横断し、自動車で経験されるロサンゼルスを建築史の対象として扱った*49。Robert Venturi、Denise Scott Brown、Steven Izenourの『Learning from Las Vegas』も、看板、駐車場、ストリップ型商業など、近代建築が低く評価してきた「普通」の環境を分析対象にした*50。道路から見える商業景観は、1960〜70年代に美術と建築の双方で新しい観察対象になっていた。ルシェの写真本も、自動車の速度と視点から都市を読む同時代の関心の中に位置づけられる。Gettyの2025年研究書も、ルシェと都市・建築研究を横断して街路アーカイブを読み直している*27。
1962年、ルシェはPasadena Art Museumの「New Painting of Common Objects」に参加した。National Gallery of Artは、Dada、Jasper Johns、Robert Rauschenberg、広告と商標の図像が初期の文字絵画へ結びついた過程を記している*1。Whitneyは、大衆文化の図像によってポップ・アートと接し、写真本の反復、規則、出版形式によってコンセプチュアル・アートとも結びつくため、単一の運動へ収まりにくい作家と説明する*24。Gettyが1950〜80年のロサンゼルス美術を振り返った展覧会では、ルシェらが大衆文化と大量生産の仕組みを用い、従来の展示空間とは異なる生産・流通経路を探った点が強調されている*36。写真本は、道路沿いの文字と建物を主題にするだけでなく、商業印刷そのものを作品の生産と流通に組み込んだ。
写真本の規則・デッドパン・複製
ルシェは撮影前に題名と規則を設定した。本人はMoMAの音声で、本そのものを作品として考えたことを振り返っている*9。1965年のJohn Coplansとのインタビューでは、『Twentysix Gasoline Stations』について、写真を撮る前に題名とタイポグラフィを決めていたこと、写真を独立した「美術写真」として扱う意図が薄かったことを明言している*41。『Twentysix Gasoline Stations』では「26」とガソリンスタンドが撮影条件になり、MoMAは簡潔なキャプションと均一な配置によって、写真が資料一覧のように見えると説明している*10。Margaret Iversenは、この先行する題名を撮影の「指示」と捉え、既製の対象、自動車、抑揚の少ないスナップを同じ体系として論じている*15。写真は、あらかじめ決めた構想を実行し、本の構造を成立させる要素として扱われた。
《Shell, Daggett, California》を含む写真には、ぼけ、傾き、不均衡な余白がある。Whitneyは意図的に平板で、素人的にさえ見える外観と説明する*11。Metropolitan Museum Journalは、エヴァンスやフランクの緻密な構図と比べ、ルシェでは画像が本全体のデザイン要素として扱われると論じている*14。Kunstgeschichteの論考は、ルシェ自身が写真本を「事実」や「レディメイド」の集積として語った発言と、それをDuchampのレディメイドへ接続してきた後世の解釈を検討している*53。一方、Aron Vinegarは、ルシェ以後の写真を説明する際に常用される「デッドパン」「無関心」「事実」という語そのものを検討し、無表情に見える写真にも世界への特定の応答の仕方があると論じている*44。ガソリンスタンド、集合住宅、駐車場、街路だけを選び、似た距離と乾いた調子で並べることで、都市は車で通過し、看板と機能建築の連なりとして認識される。
Gettyによれば、ルシェは1963年から78年に十六冊の写真本を作り、手作業の豪華本ではなく高速の商業印刷機と大部数を選んだ*12。『Twentysix Gasoline Stations』初版は400部で、Whitneyは無料配布または低価格で販売されたと記す*11。RISDの所蔵記録では、1967年の第2版500部、1969年の第3版3000部への増刷も確認できる*29。Walker Art Centerは、こうしたオフセット印刷の本を、1960年代に視覚情報を広く流通させた作品形式の一つに位置づけている*13。
アーティストブック史にはルシェ以前の実験もある。Clive Phillpotは『Twentysix Gasoline Stations』を先駆的なbookworkと評価しつつ、Bruno MunariやÅke Hodellなど1950年代から60年代初頭の先行例を挙げている*45。Johanna Druckerも、戦後のアーティストブックで安価な複製物という理念が重要なパラダイムになった一方、それだけでジャンル全体を定義することには慎重である*46。ルシェの独自性は「最初」であることより、題名、写真、順序、余白、判型、商業印刷、価格、流通を同じ作品構造として徹底した点にある。2026年刊行の三巻本カタログ・レゾネも、書籍、版画、写真エディションを同じ版・出版活動の連続として整理している*47。
撮影装置・委託撮影・作者性
《Every Building on the Sunset Strip》ではモーター駆動のカメラをピックアップトラックに載せ、街路の両側を連続撮影した*18。『Thirtyfour Parking Lots in Los Angeles』では、場所を指定して航空写真家へ撮影を依頼し、撮影後の選択と編集を行った*19。SFMOMAはこの委託を、作家自身が撮ることと、アイデアを設定し画像を組み立てることの境界を問う仕事として説明する*21。
Quickは、ルシェが経験した広告や印刷物の制作では、撮影、文字、レイアウト、製版、印刷を一人で完結させず、複数の専門作業を調整しながら最終形を決めることが普通だったと論じる*52。『Every Building on the Sunset Strip』の制作過程を扱ったQuickの研究も、写真を切り、貼り、連結し、長い街路像へ編集するペーストアップの工程に注目している*55。ルシェの作者性は、シャッターを切る行為だけでなく、何を数えるか、どの道路を走るか、どの視点を採用するか、誰に撮影を任せるか、どの写真を残し、どの順に印刷するかという判断に分散している。
近年の写真論は、カメラの自動性と作者の行為を単純に対立させず、機械的な撮影を利用すること自体が作者の判断になり得ると論じている*54。ルシェでは、撮影条件の設定、委託、選択、編集、配置までが制作の一部になっている。
『Twentysix Gasoline Stations』
1963年の『Twentysix Gasoline Stations』は、ルート66沿いの26のガソリンスタンドを簡潔なキャプションとともに並べた、ルシェ最初の写真本である。Reed Collegeも、初版400部から複数回増刷された出版物として記録する*30。各写真は旅の劇的な物語を作らず、場所名とブランド名によって道路上の地点として読まれる。ガソリンスタンドは、自動車、石油、広告、移動を支える機能建築であり、ルシェ自身のロサンゼルスとオクラホマの往復生活と直結していた。同時にそれは、戦後西部で発達した「車から利用する都市」の基礎単位でもあった*31。ルシェは道路を旅情の象徴にするより、移動を成立させる施設を番号、ブランド、地名で並べ、自動車社会を日常的なインフラの側から見せた。
刊行直後の評価は、現在の位置づけとは大きく異なっていた。1963年9月の『Artforum』でPhilip Leiderはこの本を早くも取り上げたが、評価は否定的で、DadaやDuchampのレディメイドとの関係から読んだ。後年の研究は、この反応を『Twentysix Gasoline Stations』が既存の写真や美術の分類に収まりにくかった例として扱っている*53。1965年のCoplansとの対話では、ルシェ自身も写真を「美術写真」として権威づける方向から距離を取り、写真、タイポグラフィ、製本を一体化した量産物として本を説明した*41。1972年のDavid BourdonやA. D. Colemanとの対話を含む一次資料集でも、ルシェは写真家としての技巧より、出版物をどう設計し、作り、流通させるかについて具体的に語っている*40。題名、写真、タイポグラフィ、製本を一体化した量産物という形式は、当時の写真や美術の既存分類に収まりにくかった。
『Every Building on the Sunset Strip』と『Thirtyfour Parking Lots in Los Angeles』
《Every Building on the Sunset Strip》(1966)は、サンセット・ストリップ約1.5マイルの両側を住所順に接続したアコーディオン本である。MoMAによれば、展開すると約25フィートになり、車載のモーター駆動カメラで連続撮影した*18。The Metは、題名がそのまま実行内容を示す作品としてコンセプチュアル・アートの「指示」と結びつける*17。Art Institute of Chicagoも、観光パンフレットや不動産資料に近い形式を借りたコンセプチュアル写真の文脈へ置いている*16。街路を一枚へ収める代わりに、車で通過する時間を長い紙の帯へ置き換えた。Gettyは当時のSunset Stripを、ナイトクラブ、看板、ビルボードが集まる商業文化の場として説明している*12。この本は建物の連続記録であると同時に、広告、娯楽、交通が一つの街路に重なる1960年代ロサンゼルスの見え方を、運転者の横移動に近い形式で保存している。
Quickの研究が示すように、この長い街路像は自動撮影だけで完成せず、撮影後に写真を切り、位置を調整し、貼り合わせるデザイン工程によって成立している*55。本作では「自動撮影」と「手作業の編集」が同居している。道路沿いの建物を平等に記録しているように見えても、どこから始め、どこで終え、どの写真をどう接続するかは、ルシェの判断に依存する。
『Thirtyfour Parking Lots in Los Angeles』(1967)は、日曜朝の空いた駐車場を上空から撮影した本である。MoMAの口述記録では、ルシェが場所を指定し、航空写真家Art Alanisへ撮影を依頼した過程が語られている*19。Nasher Museumは、白線、舗装面、建物の影が抽象的な形へ見える一方、自動車中心のロサンゼルスを記録していると説明する*20。車が消えた日曜朝の駐車場では、白線と舗装面が前面に出て、平日の消費と移動を支えるために確保された巨大な面積そのものが見える。人物と車がほとんどないため、区画線、舗装面、建物の影といった都市インフラの形も前面に出る。
同時期にVenturi、Scott Brown、Izenourがラスベガスのストリップ、看板、駐車場、道路から見える建築を研究対象にしたことは、こうした被写体が建築史や美術史の周縁から分析の中心へ移りつつあったことを示す*50。ルシェとの直接的な影響関係は確認できないが、都市を歩行者の正面視よりも、自動車の速度、看板、駐車面積から理解する視点が同時代に共有されていた。
『Nine Swimming Pools and a Broken Glass』と都市アーカイブ
『Nine Swimming Pools and a Broken Glass』(1968)は、九点のプール写真、多くの白紙、最後の壊れたガラスで構成される。Apertureは制作ノートとペーストアップから、写真が現れないページの間隔も編集判断だったことを示している*22。MoMAも同作をオフセット印刷のアーティストブックとして記録する*23。空白は青いプールの出現間隔を調整する要素として働き、最後の壊れたガラスが題名の規則に例外を作る。写真の内容とともに、「次の写真がいつ現れるか」という読む時間まで編集されている。
サンセット・ストリップの撮影はHollywood Boulevard、Melrose Avenue、Pacific Coast Highwayへ広がった。Getty Research Instituteのアーカイブには、膨大な街路画像、コンタクトシート、『Every Building on the Sunset Strip』の制作資料が含まれる*25。12 Sunsetsでは、Sunset Boulevardを同じ場所ごとに時系列比較できる*26。初期の写真本のために始まった反復撮影が、半世紀以上の都市変化を追うアーカイブへ発展した。1960年代には「退屈な日常」と見えた看板、店舗、ガソリンスタンド、駐車場が、現在では再開発や土地利用の変化を追う歴史資料として別の価値を持っている。
ポップ・アート、コンセプチュアル・アート、写真史
広告、商標、Hollywood、日常語を扱う絵画によって、ルシェは西海岸のポップ・アートと結びつけられた。写真本では題名、数、反復、撮影委託、商業印刷が制作を規定する。Whitneyは『Twentysix Gasoline Stations』を、ヴァナキュラーな主題によってポップ・アートと接し、連続構造とデッドパンな提示によってコンセプチュアル・アートを先取りした作品と説明する*11。National Gallery of Artも《Every Building on the Sunset Strip》をコンセプチュアル・アートの文脈で公開している*28。現在の「コンセプチュアル写真」という評価は、後年の展覧会と批評によって定着した側面が大きい*53。
ルシェはウォーカー・エヴァンスとロバート・フランクを重要な参照として挙げている*9。Metropolitan Museum Journalは、『Twentysix Gasoline Stations』の見開きがエヴァンスの『American Photographs』を想起させる一方、ルシェが構図的な完成度を意図的に弱め、画像を出版物全体の一要素へ変えた点を強調する*14。1978年のニューメキシコ大学博士論文も、エヴァンスとの比較とDuchamp的な指示・既製物の問題を論じている*8。Sylvia Wolfの研究は、1961年のヨーロッパ旅行写真や未発表写真まで含め、ルシェの写真を本のための補助素材に限定せず、文字、看板、グラフィック感覚が他媒体へ通じる制作として検討した*42。2023年の『ED RUSCHA / NOW THEN』も、ポップとコンセプチュアルという既存分類を越え、絵画、文字、写真、書籍、映画を横断してルシェを捉え直している*51。
Walker Art Centerの「The Last Picture Show」は、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ブルース・ナウマン、ルシェらを、1960年代に写真をコンセプチュアルに用いた初期例として位置づけた*43。LACMAによる「New Topographics」の再構成展は、1975年の参加者であるベッヒャー、ルイス・ボルツ、スティーヴン・ショアらとは別に、ルシェをWalker Evans、Robert Smithson、Dan Grahamとともに歴史的な先行例として提示している*33。ベッヒャー夫妻は1959年から共同制作を始め、固定した視点と条件で産業建築を比較する独自の系譜を築いていた*35。ルシェが道路移動、住所、題名、商業印刷によって都市を本の順序で読ませたのに対し、ベッヒャーは撮影条件を統一して写真同士の形態比較を成立させた。
同時代の南カリフォルニアでは、John Baldessariも写真、文字、フリーウェイ、看板、ストリップ型商業といった日常的な素材をコンセプチュアル・アートへ取り込んだ*37。写真の技巧的完成より、撮影の規則、言語、既製イメージ、制作工程を作品の中心へ置く実践は、西海岸で並行して展開していた。
デッドパンとロサンゼルスの政治性
事務的な題名、数え上げ、住所、駐車場の区画線は中立な記録に見える。Metropolitan Museum Journalは、ガソリンスタンドや道路建築を、戦後アメリカの広告、商品、移動、流通のシステムと結びつけて読む*14。Gettyの2025年研究出版も、初期写真本のシステム性を、商業メディアや管理の論理を取り込む両義的な実践として検討している*27。人物の少ない画面は都市の構造を見やすくする一方、そこで暮らし働く人々をほとんど示さない。何を同じ重みで並べ、何を画面外にするかという選択が、都市の見え方を決めている。
Vinegarは、ルシェの写真に使われてきた「デッドパン」「無関心」「事実」という語を検討し、均等で感情を抑えたように見える画面も、世界への特定の応答の仕方を持つと論じている*44。LACMAはルシェが消費文化、大衆娯楽、変化する都市景観をアメリカ社会の主題として扱ってきたと整理している*4。Alexandra Schwartzの研究も初期作品を、急速に変化するロサンゼルスの文化的・政治的景観を読む窓として位置づける*34。Sarah Garlandはルシェの写真本を、戦後ロサンゼルスの工業化された景観を斜めから提示する「距離」と、感情を冷却した見せ方によって結びつけている*38。
車窓から都市を見る距離感は、ロサンゼルスの都市経験そのものとも関わる。Banhamが描いた都市では、フリーウェイを移動することが都市を理解する重要な方法になった*49。『Learning from Las Vegas』は道路から見える看板や駐車場を、建築を読むための情報として扱った*50。ルシェの写真本では、都市が車から見えるブランド、住所、建物、区画として整理される。その視線によって都市構造は明瞭になるが、生活や労働、階級や人種といった社会関係は見えにくくなる。Los Angeles Timesの批評は、人物のいない建築写真を、公共空間への投資が弱まり、住宅とフリーウェイへ都市のエネルギーが向かった時代のロサンゼルスと重ねて読んでいる*39。ルシェは商標、看板、整然とした区画、車で流れる街路そのものを視覚的な魅力として使う。批判的なメッセージを直接書き込まず、その都市がブランド、道路、駐車面積、反復する建物によって組織されていることを見せる。
都市アーカイブとしての再評価
Gettyの2025年刊行『Ed Ruscha’s Streets of Los Angeles: Artist, Image, Archive, City』は、90万点を超える街路画像を、都市計画、文化地理、建築史、美術史などから横断している*27。Gettyのプロジェクトでは14万点を超えるネガがデジタル化され、同じ道路の変化を数十年単位で比較できるようになった*56。1960年代の「ありふれた」機能建築は、現在では再開発、商業看板、道路景観、土地利用を追う都市資料にもなった。当初は本を成立させるための反復撮影だったものが、同じ場所を撮り続けることで都市そのものの履歴を持つようになった。
影響は写真の見た目だけでなく、本の作り方にも現れている。『Various Small Books』は、ルシェの題名、数量、被写体、版型を引用・反転・再撮影した91のプロジェクトを集めており、後続作家がその写真本を、様式の模倣以上に「再実行できる規則」として受け継いだことを示す*48。ルシェの後世への影響は、デッドパンな画面を似せることより、題名と条件を設定し、写真を集め、順序を与え、出版物として流通させる制作モデルの反復にある。
写真、文字、都市観察、印刷、複製、流通を同じ制作の仕組みに結びつけ、その仕組み自体を後続作家が再利用できる形にしたことが、ルシェの写真史上の位置を特徴づけている。
- ウォーカー・エヴァンス ― 看板、商店、機能建築を抑制された記述で扱い、ルシェ本人が写真上の参照として挙げた
- ロバート・フランク ― 『The Americans』によって写真集の順序と道路経験を更新し、ルシェが1959年に強く反応した写真家
- ベルント&ヒラ・ベッヒャー ― 機能建築の反復と類型を共有するが、撮影条件の統一とグリッドを中心にした点でルシェと異なる
- スティーヴン・ショア ― 自動車移動、ロードサイド、日常的な建築を1970年代のカラー写真へ展開した比較対象
- コンセプチュアルアート ― 規則、反復、委託、複製、出版を作品の条件として扱う文脈
- ニュー・トポグラフィックス ― 人工的な建築環境を非劇的な画面で扱う後続の風景写真。直接影響と方法上の類似は分けて考える
写真本だけでなく、写真、絵画、ドローイング、版画を一つの視覚的実践として捉える研究書。初期写真のアマチュア的な外観、連続性、南カリフォルニアの被写体を横断して確認できる。
1973年と2004年のHollywood Boulevardを同じ方法で撮影し、約30年の変化を上下に並べた写真集。1960年代に始まった街路の連続撮影が、時間比較の方法へ発展したことを確認できる。
〈Some Los Angeles Apartments〉の写真と、それをもとにしたドローイングや関連作品を併置する展覧会カタログ。写真がルシェの抽象と写実のあいだをどのようにつないだかを確認できる。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。