ヨーシフ・キライは、同じ場所を別の日時と角度から撮影し、継ぎ目を残して接続する《Reconstructions》で知られる。後期社会主義下の郵送芸術、subREAL、1989年後のブカレスト、建築教育をたどり、なぜ写真を一瞬の保存ではなく、再訪によって変わる記憶の媒体として使ったのかを考える。
《Reconstructions》は、写真の時間を一回の露光から、再訪と編集が重なる長い時間へ拡張した。キライは同じ場所へ戻り、フィルムとデジタル、異なる焦点距離、日付の刻印を混在させ、プリントの重複や切断面を画面に残す。建物の改変、樹木の成長、政治体制の交代、撮影者の移動が一つの像に現れ、遠近法の統一と単一の現在が揺らぐ。写真に記録された場所と時刻を「客観的断片」として扱いながら、その選択と接続が主観的な記憶を作る工程を示した。ルーマニアの体制転換を一枚の象徴へ要約せず、個人と社会の記憶が反復、欠落、再配置によって更新される過程を読む写真へ進めた。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
ティミショアラの実験教育と建築
キライは1970年代、ティミショアラのバウハウス的な美術学校で学び、芸術、新技術、ネオ・コンストラクティヴィズムを結びつけたSigmaグループの教育環境に触れた。その後ブカレストの建築大学を卒業し、建築実務を経て、インスタレーション、パフォーマンス、写真を用いる現代美術へ戻ったと本人が語っている。*1 建築で得た空間把握と複数視点への関心は、後の《Reconstructions》で異なる位置と時刻を接続する基盤になった。
写真を行為の保存と流通の媒体にする
1980年代のルーマニアでは、前衛的な行為を公的展示へ載せ、国外の観客へ届ける経路が限られていた。キライは身体を使った行為を写真にし、郵便で国外へ送った。本人が「パフォーマンス写真」と呼ぶこの方法では、写真が行為の痕跡を保存すると同時に、国境と時間を越える作品そのものになる。*1 後年、キライは写真を通して自分が経験したことをよりよく理解できると語っている。*2 可搬性、複製可能性、経験を後から読み直せる性質が、制約の多い環境で写真を選ぶ理由になった。 *3
1989年以後のsubREALと写真教育
1989年の政変後、キライはカリン・ダンとsubREALを結成し、廃刊した美術雑誌《Arta》の写真アーカイブを引き取った。作品写真、展示記録、人物写真を再配置し、社会主義期の美術制度が何を保存し、どの芸術家像を作ったかを検討した。*4 1995年にはブカレスト国立芸術大学の写真・ダイナミックイメージ部門の創設に参加し、写真を時間、空間、記憶を研究する独立した美術実践として教える制度形成にも関わった。*5
《Reconstructions》— 異なる撮影時点を継ぎ目に残す
初期の《Reconstructions》はフィルムで撮ったスナップを手作業で組み、1990年代末には日時を画面へ記録できるカメラ、さらにデジタル処理を導入した。*1 技術の更新は継ぎ目を消す方向より、異なる日時の断片が同じ空間を主張し合う状態を保つために使われる。重複、飛躍、誤差が、記憶の構成要素として見える。
「客観的断片」から経験と記憶を組み立てる
個々の露光には特定の場所、時刻、焦点距離が記録される。キライはそれらを「客観的断片」と呼ぶが、どの断片を選び、どこで重ねるかは撮影者の判断に属する。ARTMarginsの対話では、客観的な撮影片から主観的な現実が組み立てられる矛盾が制作の核として論じられている。*1 《Reconstructions》の建物は継ぎ目で折れ、同じ人物が二度現れ、異なる方向の影が一つの道路に重なる。経験をそのまま保存した一枚より、再訪、選択、継ぎ合わせによって更新された記憶が画面に残る。
建築を学んだ経験は、都市の空間を複数の部分から構成する方法に表れる。道路、集合住宅、広場、鉄道、広告、建設現場は、政治体制と経済の変化を受ける表面として撮影される。Anca Poterașu Galleryは、《Reconstructions》を知覚、時間、同期、記憶の関係を調べる写真アッサンブラージュとして説明する。*6 建築は安定した背景より、撮影のたびに形を変える歴史的な場として現れる。
1980年代の東欧では、郵送芸術が小さな作品、指示、写真を国境の外へ送る重要な回路だった。キライが行為を写真にした理由も、出来事を複製し、別の場所と時間の観客へ届けられるためである。ARTMarginsの対話では、ライブの経験が写真を通じて別の観客へ届く一方、写真が行為を変形することも語られる。*1 可搬性と保存性が、検閲と制度の条件へ応答する形式になった。
都市の反復撮影とポスト1989年の変化
市場経済化後のブカレストでは、広告、建設、撤去、私有化によって街路景観が急速に変化した。キライはD-Platform、RO-Archiveなど建築家、芸術家、人類学者との調査にも参加し、都市変化を複数の専門知から追った。*7 《Reconstructions》の再訪撮影は、変化前と変化後を二枚で比較するだけでなく、その間に撮影者が何を忘れ、どこへ戻ったかまで画面へ含める。
作品は都市の大規模な変化だけでなく、家族写真、作家自身の影、身近な人々を含む。Paris Photoでのオーロラ・キライとの展示は、二人のアーカイブを通じて、1980年代から1990年代の限られた資源と高い期待の中で写真が芸術として認識されていった経緯を示した。*8 個人的な資料を国家史の例証へ単純化せず、誰かの記憶が公共的な歴史と交わる接点を作る。
写真、コラージュ、パノラマの連続性
キライは銀塩写真、カラー写真、ポラロイド、映像、デジタル処理を使うが、媒体の新旧を進歩の序列として扱わない。異なる時点を隣り合わせ、画像の間に欠けた時間を残すことが一貫している。MoMA所蔵の1986年から1990年の写真コラージュにも、後年の《Reconstructions》へ続く視点の連続と時間の断裂がすでに見える。*9 デジタル処理を導入した後も継ぎ目を消さず、手作業の境界に記憶を編集した痕跡を残した。
パノラマの連続視野へ複数の時刻を重ねる
複数写真を接続した画面はパノラマに似るが、撮影位置と時刻が異なり、重複と欠落が残る。Anca Poterașu Galleryの作品画像では、建物の線が境界で折れ、同じ人物が反復し、影の方向が途中で変わる。*6 一地点から連続した視野を与える通常のパノラマに対し、《Reconstructions》では画面が広がるほど視点の不一致も増え、全体像が複数の訪問から作られたことが目に入る。
キライの写真には作家の影や、カメラを構える位置の痕跡が残ることがある。Anca Poterașu Galleryの《Letting the Days Go By》は、少し異なる角度、次の写真へ持ち越される断片、背景の作家の影を、記憶が形成される細部として説明する。*10 場所を歩き、選び、継ぎ合わせた主体が、画面の幾何と反復に刻まれる。
再訪のたびに書き換わる記憶
キライにとって写真は過去へ打ち込む錨である一方、現在の経験が増えるたびに意味を変える断片でもある。Fotofestiwalは、経験の蓄積によって個人的、集団的な記憶が変化する点を回顧展の中心課題とした。*7 重複した建物、途中で消える車、継ぎ目をまたいで二度現れる人物は、過去の一場面へ現在の知覚が入り込んだ編集痕となる。
ポスト社会主義の写真は、旧体制の傷跡や市場化の混乱を説明する資料として読まれやすい。キライの像にも広告、建設、撤去、私有化の変化が刻まれるが、継ぎ目と反復によって街は単純な「体制転換前/後」へ分かれない。撮影者が戻った時期、立った位置、選ばなかった断片までが、歴史を理解する視点の部分性として残る。 *7
写真史では一回の露光が出来事の核心を捉える「決定的瞬間」が強い規範になった。《Reconstructions》は一枚の内部へ再訪、待機、技術更新、都市改変を持ち込み、撮影時間を数年へ引き延ばす。H401の展覧会も、この継続的な調査を記憶の層として紹介した。*11 一つの瞬間を決定版として残す代わりに、後の訪問が過去の写真へ食い込み続ける形式を定着させた。
subREALの制度批評と個人制作を区別する
subREALでは既存の美術写真アーカイブ、制度、芸術家のイメージを共同で批評した。個人名義の《Reconstructions》では、自ら撮影した断片と長い時間の蓄積が中心になる。両者はアーカイブへの関心を共有しつつ、前者は美術制度がすでに作った写真群を再配置し、後者は自分が場所へ戻るたびに増える写真群を接続する。MNACの回顧資料と個展資料を分けて読むと、共同制作の制度批評と個人の記憶実践の方法の違いが明確になる。*4
Art EncountersとJecza Galleryの資料は、キライの活動を社会主義期の実験写真、subREAL、1989年以後の都市と記憶を結ぶ長期的な制作として整理している。*12*13 《What About Y[Our] Memory》《Borrowed Memories》《Constructed Geometries》では、個人写真、家族の記憶、都市空間、異なる撮影時刻が重なり、記憶を過去の保存物より現在の編集行為として扱う展開が明確になった。*14*16*17
Paris Photoや国際的な写真プラットフォームで紹介された作品群も、《Reconstructions》の継ぎ目、反復、複数視点をキライの中心的な方法として伝えている。*15*18*19 近年の《Ecology of the After Life》では、解体や放置を経た物質と写真アーカイブを組み合わせ、体制転換後の記憶を都市景観だけでなく、残存物と廃棄の循環へ広げている。*20
- ヨアヒム・クスター ― アーカイブの欠落と歴史的記憶を写真、映画、再演で扱う。
- ナン・ゴールディン ― 私的な時間と写真の連続を、スライドショーと写真集で構成した。
- ロザンジェラ・レノ ― 既存写真とアーカイブの制度から、忘却と所有を問う。
- アグライア・コンラート ― 都市を長期撮影し、画像群を空間的なアーカイブへ展開する。
- コンセプチュアル写真 ― 撮影結果だけでなく、反復、編集、分類、再構成の手続きを作品化する。
- アーカイブ・アート ― 保存資料の権威と欠落を再配置によって考える。
- ポスト社会主義写真 ― 1989年以後の都市、制度、記憶の移行を東欧から扱う実践。