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PHOTOGRAPHERS/J. D. 'OKHAI OJEIKERE ·タイポロジー写真 ·UPDATED 2026.10
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§ 432 — Photographer Index — タイポロジー写真

J・D・オケイ・オジェイケレ

J. D. 'Okhai Ojeikere 1930–2014
Countryナイジェリア Period1970–1980s Channel写真史の論点 · タイポロジー写真
Abstract

J・D・オケイ・オジェイケレ(1930–2014)は、ナイジェリア南部オヴビオム生まれの写真家である。1950年代から官公庁やテレビ・広告業界で写真技術を磨き、1968年頃に女性の編み髪を長期撮影する《Hairstyles》を開始した。背面・側面からの白黒写真と髪型名を蓄積し、ラゴスの建築を撮った《Eko》にも取り組んだ。写真と髪型名を写真集の連続でたどり、独立後ナイジェリアで移り変わる都市文化と身体装飾を記録した。

この写真家が変えたこと

植民地期の民族誌写真には髪型を集団識別に用いるものがあり、ケイタらのスタジオ肖像では衣服やポーズも人物像を形作った。オジェイケレが画面の中心に据えたのは、女性たちが日々更新する編み髪の造形である。背景と撮影角度をほぼ揃えた6×6判の白黒写真では、背面から見た編み目の方向や高さを一枚ずつ比較できる。《Hairstyles》は《Brush Eko Bridge》や「Ogun Pari」の名称を残し、美容師と着用者が橋の建設や内戦終結をどう編み髪に取り込んだかを伝える。一日でほどかれる髪を同条件で数十年間撮り続け、街の出来事を造形と名称の変遷からたどれるようにした。

Keywords Hairstyles ナイジェリア 髪型 類型 ポストコロニアル
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

ナイジェリア独立とArts Council——職業写真から自主制作へ

オジェイケレは1950年に初めてのカメラを手にし、政府情報部門の暗室やWNTV、広告会社West Africa Publicityなどで写真の実務を学んだ。*1 1967年にはNigerian Arts Councilに加わり、翌年頃から祭礼や服飾、髪型を自発的に撮影する長期計画へ進んだ。*3 依頼仕事を基盤にしながら、自費で文化を記録する制作を並行させた点が、後年の《Hairstyles》の成立条件となる。 1960年の独立後、ナイジェリアは都市生活と国民文化の再編期を迎える。伝統的な装いと西洋風の流行が街路に共存し、服装や髪型は新しい時代の自分を表す手段にもなった。*2 依頼者が主題と用途を決める職業写真と異なり、《Hairstyles》では何を残すかを自ら選び、仕事で磨いた技術によって変化を長期にわたり追った。内戦終結を受けて生まれた髪型名「Ogun Pari(戦争は終わった)」まで記録した点に、日常の造形と政治史の接点が現れる。*22 Arts Councilで祭礼や服飾を扱う仕事と並行し、結婚式や市場で目にした髪型の名前と編み方を自主制作として収集した。*17

西アフリカのスタジオ肖像——人物全体から頭部の造形へ

20世紀の西アフリカでは、スタジオが服装や家具・背景布とポーズを用い、被写体の望む社会的イメージを組み立てる場となった。セイドゥ・ケイタの衣服と背景布、サミュエル・フォッソの自己演出と比べると、オジェイケレが頭部に視線を絞った選択が明瞭になる。*16 本人は髪を一日限りの彫刻として捉え、消えてしまう造形を記憶に残す必要を語った。2000年のFondation Cartier展では、正面像より背面像の方が構造を抽象的に見せられるという撮影上の判断も明言している。*8 一日でほどかれる編み目を背面から画面に定着させれば、数十年後にもその形を比較できる。 植民地期の民族誌写真が身体的特徴を外部から分類したのに対し、20世紀後半の西アフリカでは被写体自身が服装や髪型・姿勢を選び、撮影者と見せ方を調整した。オジェイケレは顔を画面の中心から外したが、自己演出の契機まで消したわけではない。髪型という本人の選択を残すことで、類型的な反復と個人の意志を同じ画面に共存させた。*16 Bisi Silva編の2014年モノグラフはIkem Stanley Okoye、Antawan I. Byrd、Silvaらの論考を収録する。Erin Haneyによる初期ナイジェリア写真史も併録し、髪型写真をより広い歴史の中で考察する構成である。*25 Rania Gaafarは、《Hairstyles》とザンダーの類型、民族誌写真との形式的な接点を指摘する。その一方で、独立後ナイジェリアの文化的な自己表象としても評価している。*26 同じ背面構図に収まる髪が「Ogun Pari」や橋の名をまとうことで、分類写真に似た形式から、独立後の日々の創案を読み取れる。

§ 02 / 04 表現の核心

《Hairstyles》——髪型名と編み目に刻まれた独立後の変化

《Hairstyles》は1968年頃に始まり、最初の七年間だけで千点を超える像が蓄積した。所蔵作品《Two in One Piko》のように個別の髪型名を付すことで、画面の造形と同時代の呼称を一対で残した。*6 Rolleiflexの6×6判と白黒、簡潔な背景・背面中心という撮影条件が、長い連作を貫く。*9 条件を揃えるほど、編み目の方向や量感、髪型名の変化が際立つ。 髪型の名称と形は、同時代の都市そのものを取り込む。《Ife Bronze》は古代イフェの造形を参照する。多層建築を意味するヨルバ語「Onile-Gogoro」も、石油経済期に姿を変える都市に呼応した名称である。*7 《Brush Eko Bridge》では編み込まれた線がラゴスの道路や橋梁を思わせ、橋の建設と髪の造形は、ともに独立後の都市が形を得ていく時間に属していた。*14 古代イフェの造形と当時の都市開発が、一連の頭部像の中に折り重なる。 個々の像に付された名称は、造形と社会を結びつけるもう一つの記録である。建築・都市インフラから祝祭や戦争、社会階層までを参照する髪型名によって、同じ背面像の反復に具体的な歴史が戻ってくる。撮影条件の統一が、時間とともに増える差異を読み取る基準となる。写真集や展示で多数の像を連続して見ると、独立後社会が古い形式を復元するだけでなく、新しい都市語彙を髪へ取り込んでいく速度まで読み取れる。*23 1960〜70年代の石油景気とラゴスの都市拡張は、橋や高層建築を模した髪型にも入り込んだ。美容師と着用者は都市の造形を取り入れ、独自の編み目へ翻案した。*7 ナイジェリアの作家・編集者Dapo Adeniyiは、髪型名と同時代の出来事の関係を論じている。橋や映画スター、政治的独立などを取り込み、日常の機知に富んだコメントとして機能してきたという。*27 《Ife Bronze》《Brush Eko Bridge》《Ogun Pari》という名称は、それぞれ古代の造形やラゴスの橋、内戦終結を写真に結びつける。

《Hairstyles》の背面像——形態を比較する撮影位置

背面からの撮影は、顔つきや表情を中心に人物を読む通常の肖像写真から視線を外す。プリンストン大学美術館所蔵作では頭部を画面中央に据え、編み目の方向や立ち上がり、左右の均衡を明瞭に見せる。*4 《Fro Fro》のような作例では輪郭と髪の質感がほぼ抽象形態に近づく一方、首や衣服・耳飾りが残るため、身体そのものは消えない。*15 この形式は一見すると類型学的だが、ベッヒャー夫妻の工業建築のように対象を固定した機能分類へ収めるものではない。髪型は美容師の技術、着用者の選択、儀礼や流行によって短期間で更新される。U.S. Department of Stateの紹介も、街や職場、結婚式などで見つけた「sculptures for a day」を撮影した点を強調する。*17 構図の反復によって、同じ社会の中で流行が更新される速度が際立った。 背面像には匿名性と個別性が共存する。顔から人物を読む手がかりは減る一方、編み込みの癖や耳飾り、首筋・布地には一人ずつ異なる選択が残る。植民地期の人類学写真には、身体の測定のため正面・側面・背面を規格化する例がある。オジェイケレは編み込みの方向と盛り上がりが最もよく見える角度を選び、同じ構図の中で新旧の髪型を比較できるようにした。*8

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Hairstyles》の制作——美容師、着用者、写真家の分業

《Hairstyles》の造形には、髪を編む美容師と着用する女性、撮影するオジェイケレの三者が関わる。髪型は出来事や流行とともに更新される一時的な造形であり、撮影はその時点の技術と流行を後から参照できる形で残した。*10 Smithsonian所蔵作も、個々の髪型を独立した造形として提示しながら、着用者の身体を画面に残している。*13 オジェイケレは他者が作り、選んだ髪型を同じ条件で撮り続け、比較できる資料へ育てた。一人ずつを捉える肖像の働きに、同条件で比較する類型と、長い時間を蓄積する連続写真の働きが重なる。*11 同館の「Events of the Self」は、アフリカ写真を自己表象やスタジオ文化、連作といった異なる方法から読み直した。*12 MAMCOに収録された本人の発言では、《Hairstyles》を明確に「collective work」と捉えている。美容師の技術と女性の選択、写真家による反復撮影が別々の工程を担い、最終的な像はその接点に成立する。*22 造形の発明は美容師と着用者にも属し、写真家の作者性は撮影と長期編集の側にある。オジェイケレが担ったのは、美容師と着用者が生んだ一日限りの髪を撮影し、名称とともに数十年分の連作として保存する工程だった。

《Eko》と写真集——都市と身体を往復する記録

《Hairstyles》と並行し、オジェイケレは頭飾りや文化行事・都市風景も撮影した。のちにラゴスの建築を長期撮影する《Eko》へ進んだ。*20 髪型には橋や高層建築、都市の俗語が入り込む一方、別シリーズでは建築そのものを撮る。《Brush Eko Bridge》の編み髪と《Eko》のラゴス建築を照らし合わせれば、街の建設事業が身体装飾の図案にも現れた過程をたどれる。 写真集と展覧会では、反復が作品の読み方を決める。《Hairstyles 1968–1999》を連続して見ると、名称や角度・輪郭の差が、個々の髪型を超えた時間の変化として立ち上がる。*22 作家の仕事の中心には、目を引く一枚を選ぶことに加え、数十年にわたり造形を分類・蓄積する作業があった。*18 写真集では膨大な像をページ順に比較することで、造形の系譜が現れる。 近年のMoMA「Ideas of Africa」では《Brush Eko Bridge》を建築、商業、政治的独立と髪型の復興が交差する作品として再提示した。*19 植民地期に後進的と扱われた髪型は独立後に再評価され、都市の橋やスカイラインの建設と呼応しながら更新されていった。*23 そこに刻まれた髪型は、新国家の都市生活が生み出した同時代のデザインでもある。 《Eko》を併せて見ると、《Hairstyles》に橋や高層建築の名が現れることは比喩だけではなくなる。ラゴスでは道路や橋梁・商業建築が都市の輪郭を変え、その変化を市民は髪型の名称と構造へ取り込んだ。オジェイケレは頭部と都市を別々の主題として撮りながら、両者を同じ時代のデザインとして保存したのである。*20 《Eko》の建築写真と照合すれば、都市建設が頭部の造形にも及んだ過程をたどれる。 《Hairstyles》の見開きやページ順は、年代だけでなく形態の類似と名称の違いも際立たせる。ページをめくるたびに、似た輪郭と異なる名称が反復し、鑑賞者は髪型を「珍しい一例」ではなく都市社会が生み出す連続した設計として読む。MAMCOの展示が名称と用途を併記したのも、形を社会的な使用から切り離さないためである。*22

§ 04 / 04 批評と写真史的意義

Fondation Cartier以後——造形美と政治的時間の再評価

国際的な評価が広がるのは1990年代以降である。2000年のFondation Cartier展では、《Hairstyles》64点をナイジェリア国外で初めてまとまった形で紹介した。*8 展覧会後も同財団による収蔵が続き、国際的な受容の足場となる。*24 欧米の美術館や写真コレクションによる収蔵は、アフリカ写真を匿名の民族誌資料から個々の作家の仕事として読み直す動きとも重なる。メトロポリタン美術館の追悼記事も、彼が数十年にわたり文化の変化を内側から記録した点を評価する。*5 一方、国際市場で彫刻的な髪型の美しさに注目が集まると、内戦や都市化を含む時間の厚みが後景に退く。伝統的な装いと西洋風の流行、植民地期の価値観と独立後の意識は、若者たちの日々の装いの中で交わっていた。*2 2024年のagnès b.展も、独立への移行期に制作が形成され、髪型が社会構造と創造性を映すことを再確認している。*21 その受容は、アフリカ写真を匿名の資料として扱ってきた収蔵制度の見直しとも重なった。Walther CollectionやMetの展示では作家名と制作意図に加え、スタジオ文化や自己表象も明示する。写真を誰が作ったのかという背景を歴史の中に示している。*12 《Hairstyles》の国際展示では、彫刻的な輪郭だけでなく、「Ogun Pari」や橋の名が伝える内戦後の言葉とラゴスの建設史も作品を読む手がかりとなる。

《Hairstyles》——一日限りの髪を数十年の年代記へ

《Hairstyles》では撮影形式を揃えることで、数十年間に生まれた造形の変化が比較可能になる。反復する画面は文化の記録であり、新たな形の発明を読み取る基準でもある。*3 Fondation Cartierの展覧会で本人が述べたように、髪型は完成した瞬間から消失へ向かう。*8 反復撮影によって、写真は同じ社会が自らを何度も作り直す過程を比較する装置として働く。 ベッヒャー夫妻のタイポロジーが同種の工業建築を比較し、構造の差を読む形式を確立したのに対し、オジェイケレが比較した対象は人間が毎回作り直す造形だった。スタジオ肖像と民族誌写真の方法を参照しつつ、着用者が日々作り替える造形に主題を定めている。反復された背面像の間には、流行や政治に応じて更新される技術と都市の語彙が刻まれ続ける。《Hairstyles》では、記録の蓄積が流行の移り変わる速度を伝える。*3 撮影条件の揃ったアーカイブでは、保存した過去の形と後から生まれた形の差を、時間を隔てて検討できる。1968年以降に撮りためた背面像の列は、消えていく髪型と次の流行を同じ6×6判で照合できる、都市生活の年代記となった。*8

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • セイドゥ・ケイタとの比較:ケイタが衣服、背景布、ポーズを含むスタジオ肖像で都市の自己像を作ったのに対し、オジェイケレは頭部へ画面を集中し、髪型の変化を長期比較した。
  • マリック・シディベとの比較:バマコで踊る若者や流行服を写したシディベに対し、オジェイケレはラゴスの髪型を同じ角度で反復し、都市の流行を年代ごとに比較できる連作を作った。
  • ベルント&ヒラ・ベッヒャーとの比較:反復と比較という形式は近いが、固定した工業建築に対し、オジェイケレの対象は数日単位で作り替えられる身体上の造形である。
§ REF さらに読む
J.D. ’Okhai Ojeikere: Hairstyles
Exhibition / monograph publications
背面・側面の反復と髪型名を連続してたどれる資料。短命な身体装飾を、独立後ナイジェリアの社会と流行の変化を刻む長期連作として読む基盤となる。
Eko: Landmarks of Lagos
1999
ラゴスの建築を記録した写真集。《Hairstyles》の橋や高層建築に由来する名称と照合することで、身体装飾と都市開発を同時代のデザインとして考察できる。
§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。