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PHOTOGRAPHERS/ROBERT HOWLETT ·肖像写真 ·UPDATED 2026.09
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§ 338 — Photographer Index — 肖像写真

ロバート・ハウレット

Robert Howlett 1831–1858
Countryイギリス Period1839–1860s Channel写真史の論点 · 肖像写真
Abstract

1831年にイングランドのサフォーク州に生まれ、1850年代にロンドンで活動したロバート・ハウレットは、王室委嘱、クリミア戦争帰還兵の肖像、風景、産業写真を手がけた写真家である。代表作は、当時世界最大級の蒸気船Great Easternの建造現場と、その設計者イザムバード・キングダム・ブルネルを撮った1857年の系列。人間、鎖、船体、足場を同じ画面に入れて巨大な工業設備の尺度を伝え、写真を新聞版画やステレオへ展開したことで、産業の記録が公共的なニュース像になる過程を示した。

この写真家が変えたこと

ハウレットは、Great Easternの建造を、設計者ブルネルの肖像、船体、進水装置、作業員まで連続して撮影し、それらを写真プリント、ステレオ、新聞木口木版へ展開した。巨大船の規模は数字に加え、人間、鎖、足場との比較によって身体的に理解できる像となり、ブルネルの肖像では巨大な進水チェーンが人物の職業と産業計画を同時に説明した。写真を新聞へ直接印刷できなかった時代、撮影像を版画へ翻訳して大量流通させたこの仕事は、産業現場の写真が公共的なニュース像へ変換される早い事例となった。完成した機械に加えて建造途中の設備や労働も残したため、英雄的な技術者像と工業生産の現場が同じプロジェクトの中に保存された。

Keywords Robert Howlett Isambard Kingdom Brunel Great Eastern 湿板コロジオン 産業写真 Photographic Institution Illustrated Times
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

Photographic Institutionと職業写真家ハウレット

ハウレットは1852年頃に写真を始め、ロンドンNew Bond StreetのPhotographic Institutionで活動した。Photographic Institutionはジョセフ・カンドールらが設立した商業写真の拠点で、肖像、美術作品の複製、出版、委嘱撮影を扱っていた。National Portrait Galleryは、ハウレットがここで王室からラファエロ作品の複製とクリミア戦争帰還兵の肖像制作を依頼され、Great Eastern以前から複数の用途に応える職業写真家だったことをまとめている*8。National Galleries of Scotlandのカンドール資料も、同機関が出版と写真を結ぶ場であり、ハウレットが1850年代半ばにその仕事へ加わったことを示す*22

《In the Valley of the Mole》は、Great Eastern以前のハウレットが田園風景も自主的に撮っていたことを示す*7。現存作には風景、王室・文化人の肖像、戦争帰還兵、産業現場が含まれ、短い活動期間の中で商業写真館が求めた複数のジャンルを横断していた。Great Easternの仕事は、この多用途の職業実践の中から生まれた大規模な委嘱だった。

ハウレットは1855年12月にPhotographic Society of Londonへ選出され、会員記録にはNew Bond StreetのPhotographic Institutionが住所として残る*23。翌1856年には『On the Various Methods of Printing Photographic Pictures upon Paper』を刊行し、アルブメン紙、plain paper、アンモニオ硝酸法、プリントの退色と保存までを扱った*24。大型湿板を扱う撮影者であると同時に、印画工程と保存を文章で体系化する技術者でもあった。

写真化学者トーマス・フレデリック・ハードウィッチとは1855年のPhotographic Societyで知り合い、光学と化学の実験を共同で進めた。ハードウィッチは1856年の印画技術書にも協力し、ハウレットは序文でその助言に謝意を記している*27。撮影と印画を支える化学知識は、写真協会と専門家同士の共同実験の中で更新されていた。

§ 02 / 04 表現の成立と核心

Great Easternの尺度

Great Easternは全長約210メートル、当時それまでの船を大幅に上回る規模を持ち、建造と進水自体が英国の技術力を示す公共的なニュースだった。The Metの《The Bow of the Great Eastern》は、船首を足場と木材の中から崖のように立ち上げ、周囲の地面や小さな人影によって大きさを読ませる*3。V&Aも、人物や小舟を画面へ含めることで船体の巨大さが比較可能になったと説明している*1。鉄板や鎖の精密な描写と人間の身体を同じ画面へ置くことで、読者が経験したことのない巨大工業物の規模が視覚的な比較へ置き換えられた。

撮影に使われた大型カメラと湿板コロジオンは、鉄板、リベット、鎖、木組みを細部まで写せる一方、現場で感光・露光・現像を素早く行う設備を必要とした。V&Aは大型のスライディング・ボックスカメラと暗室テントを含む作業を紹介している*1。The Metの船尾写真は、建造物を足場や工事の途中を含む状態で残しており、産業写真が完成品の記録と工程の可視化を同時に担えることを示す*4

Great Easternの連作は、巨大な設備と、その足元で作業する人間を同じ事業の異なる尺度として写した。《Men at Work Beside the Launching Chains》では、鎖とドラムの前に複数の労働者が置かれ、機械の寸法を身体との比較で理解できる*5。ブルネルを中心に据えた肖像と作業者を含む現場写真は、同じ造船事業を設計者、労働、設備という異なる単位で撮り分けている。

ブルネル肖像

1857年の《ブルネル肖像》では、人物は無地背景のスタジオに置かれず、Great Easternを進水させる巨大な鎖のドラムの前に立つ。The Metは、この写真が船の建造記録の委嘱から生まれ、英国の産業革命を象徴する技術者と英国の巨大工業プロジェクトを一枚へ結びつけたと説明する*2。NPGは、ポケットへ手を入れ、帽子と葉巻を身につけた姿勢が、仕事の現場で成果を当然のものとして扱うような印象を作ったと読む*9。人物の背後にある機械まで写し込むことで、ブルネルの顔貌、職業、計画の規模、産業の時代が一つの肖像に重なった。

§ 03 / 04 代表作・複製媒体

新聞版画への展開

Great Easternの写真は写真プリントの購入者から新聞読者まで広く届いた。The Metは、1858年1月16日の『Illustrated Times』特集にハウレットの写真をもとにした9点の木口木版が掲載されたと記録している*3。V&Aは、この種の新聞委嘱を写真報道がまだ成立途上だった時期の比較的珍しい仕事として位置づけている*1。写真原版をそのまま大量印刷できない時代、写真家が現場で作った構図を版画職人が木口木版へ翻訳することで、船体、工事現場、ブルネルの姿が全国規模の視覚ニュースになった。撮影から複製、配布までの流れそのものが、19世紀後半の報道画像の生産構造を示している。

ステレオと共同制作

Great Eastern関連ではジョージ・ダウンズとのステレオ写真も制作された。NPGのステレオ肖像は、ブルネルと巨大鎖を左右一対の像にし、立体視装置で奥行きを再構成する鑑賞形式へ展開している*10。The Metの油圧ラム写真はロバート・ハウレット、ジョージ・ダウンズの共同名義で、London Stereoscopic Company向けに制作された系列に属する*6。Great Easternの視覚像は、ハウレット一人の単独プリント、共同制作、ステレオ会社、新聞版画へ分岐し、同じ工業プロジェクトが異なる作者名と鑑賞装置を通して流通した。

Crimean Heroes

Great Easternの前年、ハウレットはカンドールとクリミア戦争帰還兵を撮影した。National Army Museumは、ヴィクトリア女王が帰還兵を視察した後に写真撮影を求め、《Sergeant Glasgow》などが制作された経緯を伝える*12。《Colour-Sergeant Macgregor》はAldershotでの帰還兵撮影の一例である*13。National Galleries of Scotlandは、カンドールが整った英雄像をスタジオで撮る一方、ハウレットが病院や海軍施設で重傷者も撮ったと整理しており、共同プロジェクト内部にも異なる表象があったことを示す*11

NGAの《Crimean Braves》は、ハウレットとジョセフ・カンドールの写真がPhoto-Galvano-Graphic Companyの複製工程へ移された例である*15。NGAはPhoto-Galvano-Graphic Companyも独立した制作者として登録し、撮影者、共同制作者、複製会社が一つの画像の成立に関与した記録を残している*17。《ジョン・ドライデン》のような肖像も現存し、ハウレットの短い活動は産業、軍人、文化人を横断する職業写真の実践として捉えられる*16

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

産業の英雄像と現場

Great Easternは技術的野心の象徴であると同時に、進水の難航や商業的失敗を抱えた事業だった。Brunel Museumの船体プリントと関連コレクションは、完成後の象徴像と建造・進水の各段階を併せて残している*18。同館のGreat Eastern資料には、ブルネルの肖像、巨大な船体、進水装置、労働の各段階が同じプロジェクトの記録として残る*19。写真は成功を宣伝する力を持つ一方、足場や油圧装置、作業員まで写り込むため、工業プロジェクトが人と物の複雑な組織であることも保存した。

Great Easternは工学技術そのものが大衆的な見世物になるヴィクトリア朝の視覚文化にも組み込まれていた。近年の美術史研究は、巨大船を科学、資本、ショーマンシップが混ざり合うスペクタクルとして捉え、ハウレットの写真に写る小さな作業員や管理者が船体の異常な規模を観客へ伝えたことを指摘している*25。そのため連作は造船技術の記録であると同時に、工業化の規模そのものを見せるメディアでもあった。

NGAの作家ページは、ブルネル以外の肖像やクリミア戦争帰還兵を含むハウレットの現存作を公開している*14。Gettyにも短い活動期間に制作されたハウレット作品が所蔵されている*21。Photographic Institutionでの委嘱、王室関連の複製、帰還兵、Great Easternの大型湿板写真、ステレオ、新聞版画では、撮影された原版が版画家、印刷会社、出版社、立体視市場を経て公共的な像へ変換された。後の産業写真と報道写真が大量印刷と結びつく以前に、現場撮影と複製媒体が分業で接続されていた構造を具体的に残す点で、ハウレットの仕事はメディア史上も重要である。写真を社会へ届ける仕組みそのものが、作品の意味と受容を形づくっていた。

ブルネルと進水用鎖の肖像は、現在MoMAの写真コレクションにも収蔵され、展覧会で繰り返し提示されてきた*20。19世紀の工学事業を伝える委嘱写真が、美術館では人物肖像、産業写真、初期写真の構成を同時に考える作品として残ったことで、ハウレットの短い活動は、写真が産業社会の公共イメージを作る過程を示す実践として読み直されている。

1858年12月の『Liverpool and Manchester Photographic Journal』はハウレットの死を報じ、本人より作品の方が広く知られていたこと、優れた技術者として写真界から評価されていたことを記した*26。27歳で活動が途切れたため後年の理論的展開は残らなかったが、同時代の写真界は、ハウレットを印画技術と多様な委嘱に通じた専門家として認識していた。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ジョセフ・カンドール ― Photographic InstitutionとCrimean Heroesでハウレットと協働した写真家・出版者。
  • フィリップ・ヘンリー・デラモット ― Photographic Institutionの共同設立者で、建築・工業・クリスタル・パレス解体記録を残した同時代写真家。
  • ウィリアム・イングランド ― London Stereoscopic Companyと旅行・博覧会写真を通じ、写真を複製市場へ流通させた同時代の比較対象。
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§ SRC 出典

出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。

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