写真の座標 Photo Coordinates
PHOTOGRAPHERS/ERIK STEINBRECHER ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
ES
§ 237 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

エリック・シュタインブレッヒャー

Erik Steinbrecher 1963–
Country1990s / 1990年代 Period1990–2000s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

エリック・シュタインブレッヒャーは、新聞・雑誌・書籍から集めた画像、自作写真、彫刻、印刷物を組み合わせるスイスのコンセプチュアル作家。《Couch Park》《Superfundi》《Mondfotografie》《HITS》では、写真を一枚の完成作として固定せず、収集、再撮影、並べ替え、出版できる素材として扱う。写真集を作品そのものにする方法によって、イメージの意味が原典より編集と流通で変わることを示す。

この写真家が変えたこと

シュタインブレッヒャーは、既存の印刷画像と自作写真を同列に集め、コピーし、切り離し、再配置してきた。写真の作者性を、シャッターを切る瞬間だけでなく、イメージの出所、選択、隣接関係、再掲載される媒体にも見いだしたことが彼の仕事の核である。《Couch Park》の巨大な画像アーカイブ、《Mondfotografie》の再撮影、数多くのアーティストブックは、写真の複製可能性を制作手順そのものに組み込み、1990年代以後の写真をアーカイブ、出版、展示の回路から捉え直した。

Keywords Couch Park Superfundi Mondfotografie HITS アーティストブック 画像アーカイブ 再撮影 ファウンド・イメージ
§ WORKS 作品を見る

本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。

目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

建築、彫刻、写真、出版を分けない1990年代の実践

シュタインブレッヒャーは1963年バーゼル生まれのスイス人作家で、ベルリンを拠点に活動してきた。Staatliche Museen zu Berlinの略歴は、写真インスタレーション、映像、オブジェ、彫刻、グラフィック、アーティストブックを横断する実践と、documenta X(1997)への参加を記している*3。HFBK Hamburgの資料にも、1990年代半ばから《Prospekte》《Farmpark-Box》《COUCH》《Baumann》《Gras》など、展示と出版を並行させてきた経歴が残る*16

ETHでの建築教育は、後の写真集やインスタレーションを理解する重要な背景である。Akademie Schloss Solitudeは、シュタインブレッヒャーがETH Zürichで建築を学び、ミロスラフ・シークやハンス・コルホフの建築事務所で働き、1992–94年にはETHで助手を務める一方、すでにドローイング、オブジェ、写真、空間インスタレーションを制作していたと記録する*24。建築、物、画像を並行して扱う制作はこの時期から続いている。壁、動線、物の配置を扱う建築的な経験と、画像を切り出し、並べ、異なる配置へ組み込む制作が初期から重なっており、後の写真集やアーカイブでも「何が写っているか」と同じ程度に「像をどこに、何と並べるか」が問題になる。

写真には、彫刻や建築とは異なる役割がある。シュタインブレッヒャーの仕事では、写真は複製しやすく、持ち運びや切り抜きが可能で、異なる並びへ繰り返し組み込める。Les presses du réelは、彼の活動を建築・彫刻と写真/出版の二つの大きな軸から説明し、刊行物自体が独立した作品として機能すると整理している*5

《Couch Park》――二万点を超える画像を制作の基盤にする

《Couch Park》は、シュタインブレッヒャーが新聞、雑誌、書籍、写真、複製物などから収集した巨大な画像アーカイブを公開するプロジェクトである。MoMAは、都市、身体、自然、技術、性、暴力などを含む2万点以上のイメージを、開かれたスタジオのような空間で並べ替え、関連づけて見せる展示として紹介した*1。KW Institute for Contemporary Artも、写真、切り抜き、複製を元の文脈から切り離し、互いに等しい強度で配置する「イメージの公園」として説明する*2

なぜ集め、並べるのか――保存より「動かせる状態」を作る

シュタインブレッヒャーの画像アーカイブは、資料を保存して完結するものではない。2017年の対話で本人は「分類するのが好きだ。それはゲームだ」と述べ、古い画像コレクションを高速でスキャンした理由について、むしろ「これらの画像を片づけたい」と語っている*25。聞き手がそれを保存・アーカイブ化だと言い換えると、同じ「画像への注意」がスタジオに散在する日用品や購入物にも向けられていることが話題になる*25。収集した像や物は、分類、変形、再配置を繰り返せる作業中の素材として扱われる。《Couch Park》の二万点超の画像が会場で再配置され続けるのも、アーカイブを完成した秩序として固定しない姿勢の表れである。

このアーカイブでは、撮影者の名や掲載媒体が最初の読み方を決めない。高級雑誌の写真も匿名の切り抜きも自作写真も、隣の像との関係で別の意味を持つ。既に社会の中を流通している画像として写真を扱う姿勢が、以後の出版物の基盤になる。

§ 02 / 04 表現の核心

写真を撮ることと、写真を選ぶことを同じ制作へする

シュタインブレッヒャーの方法では、カメラで新しい写真を作る行為と、既存画像を拾い、複製し、並べる行為が明確に上下づけられない。Galerie Barbara Weissの「Counter Images」資料は、イメージ、再生産、鋳造、模倣、コピー、ダブルといった操作を通じ、既存の日用品や画像をわずかに異化する実践として彼の仕事を論じる*4。オリジナル性を理念として否定するより、画像の周囲にある文脈を実際の操作で変えていく。

写真の複製可能性によって、同じ像を本、壁、コピー、再撮影へ展開できる。媒体と隣接関係が変わるたびに、像の意味も変化する。《Couch Park》では収集が展示になり、《HITS》ではその蓄積が書籍のページ順へ変換される。複製可能性そのものが、像同士の連想を生む具体的な制作条件になる。

《HITS》――三十年の収集をページの連鎖へ変える

《HITS》(2015)は、約30年にわたり集めた写真、図版入り書籍、新聞・雑誌写真、アーカイブ画像、モンタージュを、169ページの大判書籍へ編集した作品である。Les presses du réelは、膨大なコレクションを連想的なコラージュとして見せる本と紹介する*6。University of Toronto Press Distributionも、約200点のカラー図版を収める出版物として、その長期的な収集と編集を記している*7

一枚ごとの説明を減らすことで、ページをめくる読者は、形、身振り、色、主題の飛躍から画像同士の関係をたどることになる。写真集の順序、見開き、反復、間隔そのものが、画像同士の関係を作る。edcatに50冊以上の関連刊行物が登録されていることも、出版が制作の中心を占めていることを示す*13

《Mondfotografie》――再撮影で「月の写真」を読み替える

《Mondfotografie》(2014)では、シュタインブレッヒャーは既存の月の写真を集め、それを再撮影するときにレンズの前へ指を置く。Les presses du réelによれば、満月の像はその遮蔽によって暗い三日月のような形へ変わり、写真の読み方そのものを扱う46ページのアーティストブックになる*10。edcatも、Edition Patrick Freyから刊行された写真集として書誌を記録する*11

シュタインブレッヒャーが操作するのは、すでに「月」として流通している写真である。指という極端に単純な介入で月齢が変わって見えるため、写真の指標性は消えないまま、像の解釈だけが簡単に書き換わる。Swiss National Libraryの写真集展も、この本を写真の可能性自体を問い直す例として取り上げ、指で月相を模擬する方法を紹介している*12。同じ記録像が、簡単な操作と文脈の変化によって別のものとして読まれる条件が主題になる。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Superfundi》――丘、溝、墓を連ねて架空の土地を作る

《Superfundi》(2007)は、丘、溝、墓を写した白黒写真を雑誌のような形式で連ねる。Les presses du réelは、個別には地形の断片である写真が、連続して読むと原始的で荒廃した「奇妙な領土」を作ると説明する*8。edcatも、Graves、Hills、Topography、Trenchesを主題とする64ページのアーティストブックとして記録している*9。Centre de la photographie Genèveは同書を自館の出版物として刊行し、同年に《Stubborn Statue》も共同出版した*14

匿名的な地形を反復すると、個々の撮影地の特定よりも、一つの架空の地理が前面に現れる。Le Journal des Artsが同名展をCentre de la photographie Genèveでの個展として記録しているように、写真集と展覧会は同じ系列を別の速度で経験させる*15

《Stubborn Statue》――報道写真の「情報価値」を外して読む

2007年にTomas Kadlcikと制作した写真集《Stubborn Statue》は、Keystone通信社が新聞向けの「情報価値」に乏しいとして配信しなかった写真から構成される。Art Metropoleの書誌によれば、二人はその廃棄候補を選び、本文の写真からキャプションを外して一冊にまとめた*28

この本では、報道写真の意味が画像だけで完結しないことが具体的に見える。ニュース編集では役に立たなかった像が、選択と配列を変えることで、出来事の説明から切り離された奇妙な連鎖として読まれる構成になっている*28。写真を捨てる側の編集と、拾って本にする側の編集が同じ素材へ異なる価値を与える。《Couch Park》や《HITS》で続く「既存画像を選ぶこと」は、個人的な収集だけでなく、マスメディアが何を有用な写真として流通させるかという制度にも接続している。

アーティストブックを作品そのものにする

《Mondfotografie》を刊行したEdition Patrick Freyのカタログには、《Gras》と同書がシュタインブレッヒャーの継続的な写真出版として掲載される*17。Motto Distributionも《Mondfotografie》を、月の既存画像を再撮影して新しい像へ変える独立したアーティストブックとして扱っている*18。JRP Editionsの《Minimalist Kitsch》は、彫刻、日用品、イメージの簡潔な操作をまとめるモノグラフで、写真集に限らない彼の「少ない手つきで意味を変える」方法を確認できる*19

作者=出版者という同時代の場――ヨアヒム・シュミット、セリーヌ・デュヴァルとの比較

2010年代には、既存画像を集めて本として再編集する実践そのものが、写真と出版をまたぐ一つの同時代的な場として明確に意識されていた。2015年のFriends With Booksでは、シュタインブレッヒャー、ヨアヒム・シュミット、セリーヌ・デュヴァル、エリザベス・トナードが「artist and author as publisher」を主題とする同じパネルに招かれ、画像収集、配列、出版の戦略を議論している*26。翌年のOne Thousand Booksも、1980年代初頭からファウンド写真を扱うシュミットと、マスメディア画像を収集し多数の印刷物を独立作品として制作するシュタインブレッヒャーを同じアーティストブックの文脈で紹介した*27。共通するのは「撮影者だけが写真作品の作者である」という前提を弱めることだが、シュタインブレッヒャーでは本の外に彫刻や日用品が常に残る。既存写真の上に物体を重ねて再撮影する作品まで含め、ページ、物体、展示空間を往復させる点に、彼固有の編集観がある*22

この大量の出版は、作品を普及させるためのカタログではない。本という規格そのものが、画像を固定された壁面から切り離し、手に取り、順番に見て、別の場所へ持ち運べる形へする。写真の流通性が制作形式へ直接変換されている。

展示では画像と物体の境界を崩す

STAMPAの作家資料には、写真だけでなくオブジェ、インスタレーション、出版物を往復する長い展示歴がまとめられている*20。シュタインブレッヒャーの会場では、印刷画像が壁に並ぶだけでなく、彫刻や家具的な構成と隣接し、画像を見る身体の位置も変わる。《Couch Park》が「アーカイブを閲覧する場所」であると同時にインスタレーションだったことは、写真を額装された平面に限定しないこの姿勢をよく示す。

本・写真・オブジェクトを同じ展示空間で扱う

シュタインブレッヒャーの写真集は、展示後に作品をまとめる記録物という位置に収まらない。2013年のFriezeは、彼が書籍、ポスター、招待状、挿入物を含む100点以上の印刷物を制作してきたことを踏まえ、写真、映像、彫刻、コラージュ、ファウンド・オブジェクトが印刷物と相互に「付属物」のような関係を作る展示を論じている*22。ファウンド写真の上にファウンド・オブジェクトを重ねて再撮影し、別々の素材が一つの物理空間にあったかのように見せる方法も、写真、物、ページの境界を固定しない実践の一部である。

ベルリン国立美術館群の「UBER ALLES」も、アーティストブックを映画、写真、彫刻と並べ、展示のグラフィック・レイアウト自体を一冊の本へ連続させる構成として紹介している*23。本は複製媒体であると同時に、手に取られ、順序を持ち、他の物と組み合わされるオブジェクトでもある。シュタインブレッヒャーにとって写真の意味は、プリントの内部だけで決まらず、ページ、ケース、壁、隣の物との配置によって更新される。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

ファウンド・イメージの時代に、写真家の仕事を「編集」へ開く

1990年代以後、写真は美術館のプリントだけでなく、新聞、雑誌、広告、コピー、インターネットを含む大量のイメージ環境の中で読まれるようになった。シュタインブレッヒャーは、大量のイメージ環境を説明の主題にせず、収集と再配置をそのまま制作手順に組み込んだ。《Couch Park》では2万点超の画像が作者名より連想関係で組まれ、《HITS》では30年分の資料がページのリズムへ変わる*1

写真家の仕事には、すでに存在する像を選び、何と隣り合わせ、どの媒体で見せるかを決める編集も含まれる。多数のアーティストブックを整理するedcatの書誌は、その実践が数十年にわたる制作の骨格であることを裏づける*13

複製・再配置される写真を制作の中心にする

シュタインブレッヒャーの写真史的な意味は、写真が複製物として社会を流通する性質を制作の核にした点にある。《Mondfotografie》では既存の月写真が再撮影で別の月相へ変わり、《Superfundi》では別々の土地の写真が編集で一つの架空領域になる。画像の意味はネガや撮影地だけで完結せず、コピー、指、ページ、見開き、展示場所を通って更新される。

彼が写真を使い続ける理由は、三次元の物や場所を薄い像へ変換し、その像をコピー、再撮影、印刷、ページ、壁へ繰り返し展開できる点にある。Friezeが記録するように、ファウンド写真の上へファウンド・オブジェクトを置いて再撮影し、別々の素材が同じ空間にあったように見せる操作は、その可搬性を最も端的に示す*22。建築で培った空間への意識、アーカイブの分類、アーティストブックのページ送りは、いずれも像を「配置を変えられる物」として扱う方法に結びついている。

複製可能な画像を扱うほど、選択と配列には厳密さが必要になる。どのコピーを選び、どの順番で出会わせるかが制作上の判断になる。美術館、写真センター、出版社、書店という異なる回路をまたぐ彼の活動は、写真を単独のプリントから、編集と流通を含む視覚文化の物体へ広げた。1990年代以後の写真をアーカイブやアーティストブックから考えるとき、シュタインブレッヒャーは「撮ること」と「既にある画像を読むこと」を同じ制作へ接続した作家として位置づけられる。

ジェフ・ウォールとの比較――構築された一枚と編集された系列

1990年代のシュタインブレッヒャーを同時代の写真と比較すると、作者性の置き場所がはっきりする。FriezeはDocumenta Xの《Farmpark》(1997)を、カッセルの広告空間へ予想外の物語を入れた点でジェフ・ウォールのライトボックス《Milk》(1984)と比較しながら、ウォールが一瞬を精密に作り込んだのに対し、シュタインブレッヒャーは16枚のファウンド・イメージを用い、似ている/違う、見慣れている/奇妙という揺れを連鎖させたと指摘している*21。同じ公共空間で大きな写真を提示しても、前者が一枚の構築された場面へ作者の制御を集中させるのに対し、後者では選択、順序、設置場所へ作者性が分散する。

この対照は、1990年代以後に作者性が撮影に加えて、既存画像の選択と編集にも広がった状況を示している。Friezeがシュタインブレッヒャーの当時の仕事を、見つけた写真と自身の写真を「筋書きのない物語」のような系列に編集し、ヴィトリーヌや本で展開する実践として記述していることは*21、《Couch Park》や後の写真集を一貫した編集行為として読む根拠になる。撮影、発見、複写、並べ替えを同じレベルの制作行為として扱う点に、シュタインブレッヒャーの特徴がある。

§ REL 関連する写真家・運動
Movements / Contexts
  • コンセプチュアルアート ― 写真、彫刻、印刷物を同じ操作の素材として扱い、作品の意味を選択・反復・配置の規則へ置く点で接続する。
§ REF さらに読む
§ SRC 出典