アニー・リーボヴィッツ(Annie Leibovitz)の経歴と代表作を、Rolling Stone、Vanity Fair、Vogue、《Women》《A Photographer’s Life》、広告、ジェンダー、セレブリティ文化の批評からたどる。1970年に『Rolling Stone』で仕事を始め、1973年にチーフ・フォトグラファーとなった。1983年から『Vanity Fair』、1998年から『Vogue』でも継続的に活動し、音楽家、俳優、政治家、作家、スポーツ選手などを撮影してきた。写真集と展覧会『A Photographer’s Life: 1990–2005』では、雑誌の依頼仕事と、家族やスーザン・ソンタグを含む私的写真を、一つの時間の流れとして編み直した。
リーボヴィッツは、雑誌の人物写真を、取材現場で被写体を記録する仕事から、編集、広告、企業スポンサー、美術館まで含めて人物の公的イメージを組み立てる仕事へ広げた。『Rolling Stone』では現場への密着から肖像を作り、『Vanity Fair』『Vogue』では衣装、場所、照明、スタッフを統合する演出へ発展させた。《Women》では女性像をめぐる規範と多様性を捉え、『A Photographer’s Life』ではセレブリティの公的肖像と、家族やスーザン・ソンタグとの私的記憶を一つの時間の流れに編み込んだ。重要なのは、肖像写真の意味を「一枚の画面」だけでなく、「その像がどのような過程を経て社会に記憶されるか」まで広げた点にある。20世紀後半、著名人や政治家のイメージは雑誌、広告、写真集、美術館を行き来しながら、公共的な記憶を形づくった。リーボヴィッツは撮影だけでなく、編集や広告、展示まで人物の意味を形づくる条件として捉えた。セレブリティを劇的に見せる演出と、名声、ジェンダー、親密さ、権力が公的イメージへ変わっていく仕組みを一つの肖像表現の中で結びつけた点に、彼女の写真史における重要性がある。その結果、写真家の仕事は撮影の瞬間だけでなく、写真が社会へ広まり、記憶として定着する過程にまで及ぶものになった。
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目次 · Table of Contents
アニー・リーボヴィッツの経歴――Rolling StoneからVogueへ
リーボヴィッツは、報道写真とスタジオ撮影の双方を長く手がけてきた。National Portrait Galleryの略歴では、彼女がRolling Stoneで注目され、1973年に同誌のチーフ・フォトグラファーとなり、1983年にRolling Stoneを離れるまで142点の表紙を撮影した経歴がまとめられている。*1 International Center of Photographyでは、Rolling Stoneでリチャード・ニクソン辞任や1975年のローリング・ストーンズのツアーを含むフォトエッセイを発表し、Vanity FairとVogueでは、俳優、作家、音楽家、アスリート、政治家、実業家の肖像やファッションを撮影した経歴が紹介されている。*2 彼女の活動は、音楽・政治の雑誌取材から映画、ファッション、広告、写真集、美術館へと展開し、人物写真が流通するさまざまな場を横断してきた。
リーボヴィッツが写真を始めた頃の作品には、後年の著名人肖像に先立って、旅や移動の経験が色濃く刻まれている。Hauser & Wirthの作家略歴によれば、リーボヴィッツはサンフランシスコ・アート・インスティテュート在学中の1968年夏に初めてカメラを購入し、初期作品にはベイエリアの風景や、サンフランシスコとロサンゼルスを結ぶハイウェイで撮られた写真が含まれる。*3 PBSの『American Masters』紹介は、彼女が当初は絵画を学ぶつもりで同校に入り、二年次を終えた夏に母と日本を旅したあと写真への関心を深め、サンフランシスコへ戻って夜間の写真クラスを取り始めたと記している。*28 Hauser & Wirthは1970〜83年の初期作品を独立したプロジェクトとして扱い、報道、旅、音楽現場の写真を同時期の作品群として紹介している。*4 旅や道路を撮った初期作品を経て、1970年代にはRolling Stoneの取材現場が主要な制作の場になった。
Rolling Stone――取材現場とドキュメンタリー
Rolling Stoneでは、写真は音楽や政治の記事、表紙、発売時期と結びつき、その時代の出来事と同時に読者へ届いた。Vanity Fairに転載された『Annie Leibovitz at Work』の抜粋では、1975年のツアーで、彼女が「カメレオン」のように現場に入り込み、被写体の世界の一部になろうとしたこと、その一方で、カメラを構えることで被写体との間に距離が生まれ、自分が写真家であることを意識したと回想している。*23 後年のインタビューで、彼女はRolling Stoneで仕事を始めた頃、自分はジャーナリズムをしていると思っていたが、やがて自分には「視点」があり、その視点に従う方が仕事は強くなると気づいたと語っている。*24 取材現場に深く入り込みながら、自らの視点も意識する。その二つの姿勢が重なることで、出来事の記録と人物の肖像が一つの仕事の中で結びついていった。
当時のRolling Stoneは、男性中心のロック文化と雑誌編集のただ中にあった。Àngels Bronsomsの2025年の研究は、1970〜80年代に活動した女性音楽写真家への聞き取りから、編集部の外で働くことが一部の組織的な性差別を回避する条件になった一方、重要な撮影案件は男性へ偏る場合があったと報告している。*46 Bronsomsはさらに、リーボヴィッツを1970年代のロック写真を形づくり、後続の女性写真家の参照点となった存在として位置づける一方、Rolling Stoneで成功する過程で、男性読者を想定した編集上の視覚コードや「男性的なまなざし」に適応したという批判的解釈も示している。*46 1973年にチーフ・フォトグラファーという制作の中核を担う立場に就いたことは大きな前進だったが、その成功は、男性中心の雑誌文化が求める視覚規範との緊張を伴っていた。
Rolling Stoneで身につけた、現場に深く入り込む姿勢は、その後の制作にも引き継がれた。Phaidonの紹介では、『Annie Leibovitz At Work』はリーボヴィッツ自身による制作論として、フォトジャーナリズム、スタジオワーク、ダンサーやアスリートの撮影、作家との仕事、フィルムからデジタルへの移行を扱う本に位置づけられている。*29 報道、肖像、身体表現、共同制作、技術の変化を経験するなかで、彼女は後年、ロケーションや衣装、照明を大規模に統合する撮影へ進んだ。初期のフォトジャーナリズムから後年の演出肖像まで、一貫して、現場と被写体との関係をどう築くかという問いが通底している。
1970年代のカウンターカルチャーから1980年代のセレブリティ文化へ
リーボヴィッツがRolling StoneからVanity Fairへ活動の軸を移した1980年代初頭、アメリカの雑誌文化では、カウンターカルチャーの記録から、セレブリティを中心とする視覚文化へと重心が移りつつあった。Vanity FairのRolling Stone回顧は、彼女が同誌へ参加した1970年を、1960年代のカウンターカルチャーから商業化した1970年代へ移る「転換点」として描いている。*39 1983年の再創刊を振り返るVanity Fairの編集史では、Peopleの成功などを背景に、印刷ジャーナリズムがより画像中心・市場志向へ変化し、「新しいセレブリティの時代」が進んでいたと記している。*38 雑誌文化の変化とともに、彼女の仕事も、音楽や政治の現場に長く滞在して得る写真から、俳優、作家、政治家、実業家を一枚の強い公的イメージへまとめる撮影へと比重を移していった。報道で培った被写体への接近と、Vanity Fair以後の演出性が、一枚の肖像の中で結びつくようになった。
広告と企業スポンサー――American Expressから美術館へ
1980年代後半、リーボヴィッツの肖像は雑誌だけでなく企業広告でも大規模に流通した。Smithsonian National Museum of American Historyが所蔵するエラ・フィッツジェラルドの肖像は、1987年頃のAmerican Express「Portraits」キャンペーンのために制作されたもので、同キャンペーンによってリーボヴィッツはClio AwardとAdvertising AgeのCampaign of the Decade Awardを受賞している。*42 広告では、著名人の個性を一枚の肖像に凝縮する彼女の方法そのものが、企業ブランドのイメージ形成に使われた。
Mark W. Rectanusは、企業広告へ活動を広げた背景を、文化産業の構造から分析している。2002年の研究書『Culture Incorporated』では、一章が「Sponsoring Lifestyle: Travels with Annie Leibovitz」にあてられている。同書は、1980〜90年代に企業スポンサーが広告やプロモーションを通じて文化の価値づけや普及に企業が深く関与していく過程を論じ、リーボヴィッツのセレブリティ肖像を、大衆文化の中で広く消費されるイメージとして位置づけている。*41 著名人の名声、写真家自身の名声、企業ブランドが同じ広告の中で互いを強め合う。肖像写真は個人を表すだけでなく、ライフスタイルや企業価値を広める役割も担った。
広告で始まったAmerican Expressとの関係は、美術館展示にも及んだ。National Portrait Galleryで巡回した《A Photographer’s Life, 1990–2005》はBrooklyn Museumが組織し、American Expressがスポンサーとなっている。*14 広告では企業が著名人の肖像を広く届け、美術館では同じ企業の支援によって写真家の回顧展が公共的な文化として提示される。広告主、出版社、美術館が異なる役割で同じ写真家のイメージに関わることで、リーボヴィッツの肖像は商業メディアと美術制度の双方で確固たる位置を占めるようになった。彼女のキャリアからは、20世紀末の肖像写真が編集、広告、企業文化、美術館を行き来しながら価値づけられていく仕組みが具体的に見えてくる。
サラエボ――演出肖像と並行した戦争報道
企業広告や演出肖像が拡大していた1993年、リーボヴィッツは包囲下のサラエボで戦争報道も行った。Vanity Fairの1993年10月号は、彼女が7月に二週間サラエボへ入り、激しい砲撃と物資不足の中で「サラエボの英雄たち」の肖像シリーズを作ろうとしたと記している。*47 National Portrait Galleryも、《A Photographer’s Life》に1990年代初頭のサラエボ包囲戦のルポルタージュが含まれると説明している。*37 同じ時期、撮影条件を徹底して管理するセレブリティ肖像と、状況をほとんど制御できない戦争報道の双方に取り組んでいた。報道と演出は、条件の異なる二つの方法として並行していた。
Rolling Stone・Vanity Fair・Vogueのポートレート
リーボヴィッツの写真では、被写体そのものに加えて、写真がどの雑誌に載り、どの読者に届くかが作品の意味を左右する。たとえばデミ・ムーアの妊娠した身体は、Vanity Fairの表紙として全国の読者へ向けて提示されるスターの公的イメージになった。リーボヴィッツ自身も、この表紙について、編集長ティナ・ブラウンと妊娠中のスターをどう表紙にするかを話し合ったと回想している。*23 Vogueの《Alice in Wonderland》も、グレイス・コディントンが構想した大規模なファッション企画で、リーボヴィッツが撮影を担った。*27 編集者やアートディレクターとの協働の中で、リーボヴィッツは身体、場所、衣装、視線を組み合わせ、人物像そのものを設計する役割を担った。1984年のブルース・スプリングスティーン『Born in the U.S.A.』のアルバムカバーも、人物の身体と衣服を、大衆音楽を象徴するイメージへと仕立てた代表例である。*21
雑誌の表紙では、人物の顔や姿に、その号の見出し、発売時期、読者がすでに知っている物語が重なる。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真は、夫妻の親密なポートレートであると同時に、Rolling Stoneの追悼号の表紙として記憶された。デミ・ムーアの写真は、妊娠中の俳優の身体であると同時に、映画『ゴースト』後のスター像をさらに押し出すVanity Fairの表紙になった。*6 リーボヴィッツの肖像では、被写体の姿、雑誌の編集文脈、読者がすでに持つ記憶が重なり、人物が「時代の顔」として共有される。表紙として繰り返し目に触れた肖像は、その時代の人物像を定着させる視覚的な記憶となっていく。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ――1980年最後の肖像
1980年12月8日に撮影された《Yoko Ono; John Lennon》は、リーボヴィッツを代表する作品の一つである。National Portrait Galleryによれば、この写真はRolling Stoneの依頼で、夫妻のマンハッタンの部屋で撮影された。裸のジョン・レノンが、服を着たオノ・ヨーコに胎児のように寄り添う姿を写し、撮影から数時間後にレノンが殺害されたことも説明している。*5 解説では、この写真がRolling Stoneの表紙として世界中に広まり、レノンを悼む象徴的なイメージへ変わったことも記している。*5 裸でオノ・ヨーコに寄り添うレノンの姿は、スターとしての男性像に、他者へ身を委ねる脆さと親密さを重ねた。撮影直後の死によってその写真は追悼号の表紙となり、音楽史と雑誌史、追悼の記憶に結びついていった。
American Society of Magazine Editorsは、1981年1月22日のRolling Stone表紙を、1965年以降の雑誌表紙の第一位に選んでいる。*6 この評価は、写真の造形だけでなく、撮影日時、被写体の死、Rolling Stoneの読者共同体、追悼号としての位置づけが一体になった結果である。リーボヴィッツの肖像写真では、人物がどのように写っているかと同じくらい、その写真がどの媒体で読まれ、どの出来事の記憶と結びつくかが作品の意味を変える。
デミ・ムーア――1991年Vanity Fair表紙
1991年のVanity Fair表紙で、妊娠中のデミ・ムーアを裸で撮った《Demi's Big Moment》も、リーボヴィッツの代表的な仕事として知られる。Vanity Fairの公式アーカイブには1991年8月号の記事が再掲載されており、ムーアが第二子を妊娠中だったこと、写真をリーボヴィッツが撮影したことが記されている。*7 ASMEはこの表紙を同じランキングで第二位に置き、映画『ゴースト』後のムーアのスターイメージをさらに押し上げた表紙として説明している。*6 この写真は、妊娠した身体をハリウッドスターの公的イメージとして雑誌表紙の中心に据えた。
Vanity Fair自身も、同誌の表紙がしばしば挑発的な構成を取り、デミ・ムーアの写真を最もよく知られた表紙の一つとして位置づけている。*8 妊娠した身体は、映画スターとしての商品価値、雑誌の販売戦略、視覚的な話題性が、一枚の表紙の中で結びついた。母性の表象とスターの商業的イメージが同じ写真に重なったことが、その後の批評の焦点になった。
この表紙をめぐる議論は、妊娠した身体に母性、セレブリティ、商品性、主体性がどのように重なるのかへと広がった。Michele Pridmore-Brownの論文は、リーボヴィッツ自身の家族写真を含む母性表象を「母性のクィアな消費」という観点から扱っている。*31 Imogen Tylerの論考も、セレブリティ、妊娠、主体性の関係を論じている。*32 Pridmore-Brownは母性表象の消費を、Tylerはセレブリティ文化における妊娠と主体性をそれぞれ検討している。両者の研究は、妊娠という個人的経験が、スターの公的イメージや雑誌の商品性と結びついて表象される過程を、それぞれ異なる角度から捉えている。
Vogueと『Wonderland』――ファッション写真と物語
Vogueでの仕事が本格化して以後、リーボヴィッツはファッションを、被写体に物語上の役割を与えるために用いた。ドレス、セット、ロケーション、小道具を組み合わせることで、俳優やモデルは映画の一場面や童話の登場人物を演じ、ときには写真史上のイメージを引用する存在になる。Phaidonの写真集『Wonderland』紹介では、リーボヴィッツ自身が、ファッションは自分の仕事の中に常にあり、しかし写真が先にあり、写真はジャーナリズム、ポートレート、ルポルタージュ、家族写真、ファッションを包み込むほど大きいと語っている。*9 Vogueの講演記録でも、彼女は自身の仕事ではジャーナリズム、ファッション、ポートレートが混ざり合うようになり、ファッションの仕事では「ジャーナリズムとストーリーテリング」を使っていたと述べている。*25 衣服、ロケーション、演出を重ねながら、人物に物語上の役割を与えていった。
Vogueは、1999年のショーン・コムズとケイト・モスの撮影をラップ文化とハイファッションの交差、2001年のベン・スティラーの撮影をファッション写真の巨匠たちへのオマージュ、2003年のナタリア・ヴォディアノヴァとマーク・ジェイコブスの撮影を『不思議の国のアリス』的な幻想として紹介している。*11 彼女自身も、最初のクチュール撮影ではヘルムート・ニュートン、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペンに触発され、2003年の《Alice in Wonderland》については、物語をよく知っていたため、構想は自然に生まれたと述べている。*25 Hauser & Wirthの展覧会テキストも、彼女のファッション写真には文学、映画、写真史、美術史からの視覚的な引用があると説明している。*10 リーボヴィッツは、スターやモデルにファッション誌上の役柄を与え、そこへ既知の物語や写真史の記憶を重ねて提示した。
大規模な制作体制――助手・スタジオ・ポストプロダクション
後年の大規模な肖像は、複数のスタッフが関わる制作体制のもとで成立している。本人の回想によれば、初期は一人で移動し、機材や照明も自分で扱っていたが、1975年のRolling Stonesツアーで初めて助手を雇い、1977年以降は定期的に助手を使い、1981年には自分のスタジオとフルタイムの助手を持つようになった。*23 その後のロケーション撮影では、ステージ、照明、背景紙、サンドバッグ、送風機などを持ち込み、スタジオマネージャー、アーキビスト、デザインやポストプロダクションまで担う制作環境が整えられていった。
リーボヴィッツはアヴェドンの現場を観察し、長年一緒に働く助手との意思疎通や、どこへでも持ち込める撮影環境の整え方を学んだと書いている。*23 大規模な雑誌肖像では、人物のリサーチ、ロケーション、セット、衣装、照明、撮影、写真の選択、ポストプロダクションまでの全工程を一つの人物像へ統合するディレクションが、写真家の主要な仕事になった。リーボヴィッツのキャリアは、20世紀後半の雑誌肖像で、写真家の役割が、撮影からイメージ制作全体の統括へと広がっていったことを体現している。
『Women』――女性像の長期プロジェクト
《Women》は、セレブリティ、政治家、科学者、農業従事者、兵士、アスリートなどを一つの長期プロジェクトに収め、女性を一つの職業や階級、身体像に固定しない構成を取った。Phaidonの2025年版紹介は、二巻本が30年以上にわたる250点以上のポートレートを収録し、ダンサー、俳優、宇宙飛行士、芸術家、政治家、農業従事者、作家、CEO、兵士、科学者などを含むと説明している。*12 1999年の初版にはスーザン・ソンタグの長い序文が付され、序文では、写真群が、女性が写真の中でどのように見られてきたかという歴史的な問題と結びつけて論じられた。*40
《Women》を女性表象の歴史の中に位置づけるのが、ソンタグの序文である。ソンタグは、女性だけを集めた写真集は、その意図にかかわらず「女性とは何か」という社会的な問いを背負うと論じた。男性だけを集めた肖像集が同じように「男性とは何か」という問いを背負うことはない一方、女性の像は、美しさ、職業、年齢、身体、強さ、母性などの規範と結びついて読まれやすいと指摘している。*40 写真には、女性についてのステレオタイプを確認する働きと、それを複雑化し崩す働きの双方があるとも論じている。*40 最高裁判事、炭鉱労働者、ショーガール、アスリート、母親、俳優を並べる《Women》は、女性の肖像を一つの美しさや役割へ収束させず、女性が社会で担う役割や生の幅そのものを可視化した。
ソンタグは、多様性そのものが理想として掲げられることにも目を向けている。序文では、あらゆる生き方を等価な選択肢として提示する写真の多様性を、消費社会の「判断を保留する」価値観や、個人をライフスタイルの選択として捉えるアメリカ的な自己形成の観念と結びつけている。*40 さまざまな職業や立場の女性を並べることは、単一の女性像を崩す一方、それぞれを等価な「ライフスタイル」の選択肢として見せる働きも持つと指摘している。*40 《Women》は、女性像の幅を広げる試みと、その多様性が消費文化の論理に取り込まれる危うさを同時に含んでいる。
『A Photographer’s Life』と『Pilgrimage』――私生活と記憶
《A Photographer’s Life, 1990–2005》では、それまで別々の文脈で発表されていた写真が、一つの時間の流れに編み直された。National Portrait Galleryは、この展覧会が150点以上の写真で構成され、編集上の依頼仕事と家族や親しい友人の私的写真を含み、リーボヴィッツ自身の「二つの人生はない」という言葉とともに紹介している。*13 Brooklyn Museumも、同展が200点以上の写真からなる展覧会として同館で始まり、同名の写真集を伴って国際巡回したと説明している。*14 雑誌のために作られたスターの公的肖像と、家族、病、死、スーザン・ソンタグとの親密な時間が、一つの時間の流れの中に並べられた。ソンタグを写した1991年の《Susan Sontag. Critic》は、公的知識人としての肖像と私的な関係が重なる具体例でもある。*22 この編集によって、依頼仕事と私生活は別々の写真群ではなく、一人の写真家が生きた同じ時間として提示された。
Catherine Zuromskisは論文「"All One Life"」で、『A Photographer's Life, 1990–2005』を手がかりに、リーボヴィッツのスタイルをセレブリティ写真とスナップショットの複雑な関係から分析している。*30 家族写真を思わせる近さや即時性がスターや作家の公的肖像に入り込み、逆に私的な写真が写真集や美術館を通じて公共の場へ開かれていく。リーボヴィッツの写真に生まれる親密さは、撮影距離だけでなく、私的記録の近さを公的肖像へ持ち込み、逆に私的写真を公共化する往復の中で形づくられている。
公的な肖像と私的記録が交わる背景には、スーザン・ソンタグとの関係そのものが深く関わっていた。Tanja Schwarzenbachの2017年の博士論文は、二人の関係を芸術的な協働として捉えている。とくにソンタグはリーボヴィッツへ直接的な影響を与え、彼女が「表面的な写真家」というイメージから距離を取り、作品により強い真剣さを持たせるうえで作用した。一方、リーボヴィッツはソンタグの私生活と知的生活を記録する記録者になったと論じている。*44 ソンタグは撮られる側であると同時に、リーボヴィッツの主題選択や写真観に影響を与える批評家でもあった。二人の関係では、被写体の外見に加え、撮影者と被写体が長い時間の中で互いの仕事へ影響する関係そのものが肖像を形づくっている。
親密な関係が公共の場へ現れる過程には、セクシュアリティの可視性という問題も含まれていた。Lee Wallaceは2015年の論文で、ソンタグが文学的知識人として築いた公的人物像と、リーボヴィッツとの親密な関係が、写真とセレブリティ文化の中でどのように交差したかを分析している。*45 Wallaceは、ソンタグのバイセクシュアリティが公的には「公然の秘密」として管理されていた一方、1980年代末以降、リーボヴィッツの写真を通じて彼女の像が写真を介したセレブリティ文化の回路へ組み込まれていったと指摘している。*45 《A Photographer’s Life》では、家庭内の親密さ、病、死、リーボヴィッツとの関係が、スターや政治家の公的肖像と同じ時間の流れの中で公開された。個人的な記憶を公共の展示へ移すことで、クィアな親密さも、その人の生を構成する一部として提示された。
《A Photographer’s Life》で人物との関係や記憶を一つの時間に編んだ後、《Pilgrimage》では、人物そのものが画面から姿を消した。Smithsonian American Art Museumは、このシリーズを、雑誌や広告のための周到に演出された肖像とは異なり、彼女自身が対象に動かされて撮った、それまでとは異なる展開として紹介している。*15 人物の姿はないが、同館は、これらの写真もある意味で肖像であり、トーマス・ジェファーソン、エミリー・ディキンソン、ジョージア・オキーフ、ピート・シーガー、エルヴィス・プレスリー、ジュリア・マーガレット・キャメロン、アンセル・アダムズらに関わる場所や痕跡を含むと説明している。*15 人物の顔に代わって、部屋、風景、遺品がその人の存在を示し、肖像の対象は身体から、人物を記憶させる場所や物へ広がった。
NYUのファインディングエイドでは、《Pilgrimage》は、雑誌や広告のための演出肖像とは異なり、リーボヴィッツ自身が対象に動かされて撮った写真として紹介され、風景、室内、過去の生の痕跡を帯びた物が含まれると記している。*33 Library of Congressの記事も、リーボヴィッツが《Pilgrimage》のためにゲティスバーグ演説の草稿や、五ドル紙幣に用いられたリンカーンのガラス乾板ネガを撮影したことを伝えている。*34 歴史的資料や場所も、人の姿を写さずに人物や国家の記憶を宿す対象として撮影された。
リーボヴィッツの評価――雑誌・写真集・美術館
リーボヴィッツの写真は、Rolling Stone、Vanity Fair、Vogueの誌面で広く読者に届いたあと、写真集や展覧会で新たな文脈へと編み直されてきた。ICPは、初期二十年の写真が『Annie Leibovitz: Photographs 1970–1990』として回顧写真集と展覧会にまとめられ、その展覧会がICPとNational Portrait Galleryの共同企画として組織されたと記している。*2 New Yorkerのヴィンス・アレッティは、リーボヴィッツの写真が雑誌では強く見える一方、ギャラリーの壁ではしばしば過剰で平板に見えると批判しつつ、《A Photographer's Life》については、公的な仕事とスーザン・ソンタグとの関係を含む私的写真が混ざることで、これまでより興味深い展示になったと評している。*16 雑誌では写真が見出しや記事、発売時期と結びつき、写真集では複数の写真が時間やテーマによって並べ直され、美術館では個々の写真が作品として鑑賞される。同じイメージでも、置かれる媒体が変わるにつれて、読まれ方も評価の基準も変化する。リーボヴィッツの作品は、写真そのものと、それを意味づける媒体との関係を切り離して考えられない。
雑誌、広告、美術館を横断する成功は、セレブリティや企業文化の価値観をどこまで批判し、どこまで魅力的に再生産しているのかという問いも生んだ。Jörg Colbergの『Photography's Neoliberal Realism』は、リーボヴィッツ、グレゴリー・クルードソン、アンドレアス・グルスキーを取り上げ、入念に作り込まれた写真が、資本主義社会で共有される信念や価値観をどのように視覚化するかを論じている。*35 Colbergは、リーボヴィッツが名声、広告、権力、欲望を魅力的な場面へ変換する方法が、既存の成功像や権力像をいっそう魅力的に見せ、社会の価値観を補強する可能性も問題にしている。
形式と名声――Molesworthの批判
Charles Molesworthは、写真の形式と被写体の名声の関係からリーボヴィッツの肖像を批判的に検討した。2007年の「The Photography of Annie Leibovitz: Form and Fame」で、彼女の著名人写真の多くが、被写体にすでに結びついている身振りやイメージを反復し、ときに名声そのものが、写真そのものの造形的な働きを補ってしまうと批判している。*43 ドナルド・トランプ夫妻の演出肖像を例に、設定や小道具が人物像を読み解く手がかりになる一方、被写体がすでに持つライフスタイルの神話をそのまま増幅する場合があると論じている。*43 演出によって人物像を即座に伝えられることは、既存のスター像を別の角度から見せる強みになる。一方で、すでに広く共有されている神話を、さらに強く固定してしまう危うさもある。
写真の意味を何が支えるのかという問題は、サラエボの報道写真では別の形で現れる。Molesworthは、サラエボで撮られた写真の一部について、その意味が砲撃や新聞社の状況といった背景情報に大きく依存すると評している。*43 1993年のVanity Fair特集では、リーボヴィッツが激しい砲撃下の都市で二週間撮影し、「サラエボの英雄たち」を記録しようとした仕事として掲載している。*47 セレブリティ肖像では、すでに広く共有されている人物像が写真の意味を支える。サラエボの写真では、被写体の政治的・歴史的状況を伝える記事やキャプションとの結びつきが、意味の形成に大きく関わる。セレブリティ肖像と戦争報道では、イメージが意味を得る条件そのものが異なる。
アヴェドン、ペンとの違い
リーボヴィッツの雑誌肖像は、アヴェドンやペンと比較すると、場所と物語を積極的に画面へ取り込む点に特徴がある。リチャード・アヴェドンは、大判カメラ、白い背景、精密な細部によって人物と視線の緊張を作り、写真を単なる事実ではなく「意見」と捉えていた。*17 アーヴィング・ペンは、Vogueの肖像を通じて20世紀の文化人や著名人を幅広く撮りながら、装飾的な背景を避け、抑制された構成の中で人物を見せた。*18 National Portrait Galleryのペン展年譜では、彼がVogueのスタッフとして表紙案に関わり、1943年に同誌初のカラー静物表紙を撮影したことを示している。*19 Art Institute of ChicagoのIrving Penn Archivesには、Vogueを中心とする長期にわたるファッション写真がまとまっている。*20
アヴェドンが背景を削ぎ落とし、ペンが抑制されたスタジオ空間で人物を構成したのに対し、リーボヴィッツは場所、衣装、身体の姿勢、文学、映画、美術史からの引用を加え、人物を物語的な場面の中に置いた。Vogueの講演で、彼女は自分がスタジオよりロケーションを好み、場所が物語を作るかと問われて「できるならスタジオでは働かない」と答えている。*25 Crystal Bridges Museumのインタビューでも、彼女はスタジオが得意ではなく、被写体の自宅やその人に意味のある場所から始めることを好み、それを「感情的な道具」と呼んでいる。*26 彼女の演出では、ロケーションが被写体の記憶や物語を担う。《Christo, Central Park, New York City》でも、人物と特定の都市空間が一つの肖像として結びついている。*36
リーボヴィッツの肖像には、ジャーナリズム、ファッション、ポートレート、ストーリーテリングが交差している。*25 ジョン・レノンとオノ・ヨーコでは親密な身体の形が追悼の記憶になり、デミ・ムーアでは妊娠した身体がスターの表紙イメージになり、《Wonderland》では俳優やモデルが文学や写真史の物語へ置かれる。彼女の肖像では、人物の外見に場所、衣装、身体の姿勢、物語、雑誌の編集文脈が重ねられ、それらが一枚の画面へ凝縮される。その演出は人物像をひと目で伝える力を持つ一方、名声や権力を既存の神話としてさらに強める危うさも伴っている。
- リチャード・アヴェドン ― 雑誌肖像の先行者。白い背景で人物を際立たせた方法は、場所や物語を積極的に取り込むリーボヴィッツとの違いを示す。
- アーヴィング・ペン ― Vogueで長く活動した先行者。抑制されたスタジオ構成は、場所・衣装・物語を大きく展開するリーボヴィッツの方法と対照をなす。
- アンドレアス・グルスキー ― 作為的な写真と現代資本主義の価値観の関係を論じる批評の中で、リーボヴィッツと並べて扱われる。
- フォトジャーナリズム ― Rolling Stone期の取材、表紙、フォトエッセイを通じて、リーボヴィッツが初期に身につけた撮影方法の基盤となった。
- ステージド写真 ― 場所、衣装、身体、物語を組み合わせ、人物を演出された場面の中で構成する方法。
ファッション、演劇、セレブリティの演出を横断し、リーボヴィッツの物語的な肖像表現をまとめた一冊。
ファッション、権力、身体、親密さを横断しながら、女性像への長期的な関心をまとめた新版。
雑誌の仕事と私的な写真を並置し、リーボヴィッツの肖像が記憶と生活へ広がる転換点を示す写真集。
- National Portrait Gallery — Annie Leibovitz ↗
- International Center of Photography — 2009 Infinity Award ↗
- Hauser & Wirth — Annie Leibovitz ↗
- Hauser & Wirth — Annie Leibovitz: Wonderland ↗
- The New Yorker — From Page to Wall ↗
- PBS / American Masters — Annie Leibovitz: Life Through a Lens ↗
- Phaidon — Annie Leibovitz At Work ↗
- Taylor & Francis — "All One Life" ↗
- JSTOR — Annie Leibovitz's Queer Consumption of Motherhood ↗
- Lancaster University — Skin-tight: Celebrity, Pregnancy and Subjectivity ↗
- NYU / New-York Historical Society — Annie Leibovitz photographs ↗
- Library of Congress — Photo Pilgrimage ↗
- MACK / twelvebooks — Photography's Neoliberal Realism ↗
- Art Institute of Chicago — Christo, Central Park, New York City ↗
- Hauser & Wirth — The Early Years, 1970–1983 / Wonderland ↗
- Art Institute of Chicago — Irving Penn Archives: Fashion ↗
- Vanity Fair - Annie Leibovitz contributor biography ↗
- Vanity Fair - Making American Music(本人による回想) ↗
- Vanity Fair - Annie Leibovitz on her 2014 TASCHEN book ↗
- Brooklyn Museum — Annie Leibovitz: A Photographer's Life, 1990–2005 ↗
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。