エドワード・バーティンスキーは、鉱山、採石場、工場、船舶解体、油田、水利施設、農地など、資源の採掘・加工・輸送・消費によって変形した土地を撮ってきたカナダの写真家。『Manufactured Landscapes』『Oil』『Water』『Anthropocene』では、遠隔地に分散した産業現場を長期のシリーズとして結び、色彩、反復、地形のパターンを保った画面の中に環境負荷を置く。工業都市での経験、ニュー・トポグラフィックス以後の風景写真、美と環境危機をめぐる論争、労働・消費・航空視点への批判が、その写真の主要な論点である。
バーティンスキーが現代風景写真に加えたのは、人間に改変された土地を、採掘、製造、輸送、消費、廃棄まで続く産業システムとして撮ったことである。ニュー・トポグラフィックスが郊外や工業施設を風景の主題へ入れた後、彼は石油、水、鉱物など一つの資源を追い、地理的に離れた現場を長期の連作で接続した。企業や特定の現場だけを告発する構図を避け、私たちの日常生活が依存する資源と、その供給過程で変形する土地を同じ連作の中に置いた。環境問題を遠い被害現場として切り離さず、消費する側を含む産業文明の風景として見せたことが、彼の仕事の核心である。
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目次 · Table of Contents
工業都市と暗室
バーティンスキーは1955年、オンタリオ州セントキャサリンズに生まれた。父は自動車工場で働き、街には工場とウェランド運河を往来する大型船があった。*1 11歳の頃、父が暗室設備、カメラ、フィルムを手に入れたことで自由に撮影と現像を試せるようになり、現実がフィルム上で別の像になることに惹かれたと本人は振り返っている。*2
少年期には風景を描いていた一方、成長したセントキャサリンズでは工業と農業が隣り合っていた。写真は、その両方を現場で観察しながら、地形、設備、色、反復を一つの画面へまとめられる媒体になった。後年の産業風景は、自然への関心と、生活のすぐ近くにあった生産活動への関心が同じ視野へ入ったところから始まっている。*2
「Evidence of Man」
1976年にライアソン工科大学で写真を学び始めた際、初期の課題の一つが「Evidence of Man(人間の痕跡)」だった。バーティンスキーは故郷の古い運河を撮り、この課題によって、人間という種が土地へ残す痕跡を外部から観察する視点を得たと後年説明している。*3 在学前後には自動車工場や鉱山でも働き、産業を抽象的な主題だけでなく、労働と物質の現場として経験していた。*3
1981年、ペンシルベニア州フラックヴィル近郊の採鉱地で、掘削によって変形した土地に出会った。バーティンスキーは、その風景こそ自分の時代に即した主題だと感じ、そこから鉱山、鉄道切通し、採石場、尾鉱、工場、廃棄物へ対象を広げたと振り返っている。*2 自然景観の外側に産業を付け加えたというより、日常生活を成立させる物質がどのような土地から来るのかを、風景写真の主題として追い始めた転換だった。
ニュー・トポグラフィックス
学生時代からバーティンスキーは、1975年の「New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape」と、その周辺の写真家を参照していた。本人はスティーヴン・ショア、ルイス・ボルツらに触れ、自然を称揚する風景写真から、人間によって形づくられた土地を抑制して記述する方法への転換に影響を受けたと述べている。*3
同時に、バーティンスキーはアルベルト・レンガー=パッチュ、チャールズ・シーラーの工業写真、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、抽象表現主義なども参照してきたと語っている。*4 Art Canada Instituteも初期作品に絵画と写真の交差を指摘している。*5 ニュー・トポグラフィックスから「人間が形づくった土地」という主題を受け取りながら、色彩、反復、崇高を思わせるスケールを強く残したことが、その後の産業風景の基礎になった。
産業風景の美と告発
バーティンスキーは企業や特定の当事者を糾弾する写真を目指さず、自分たちの生活に不可欠な産業世界へ鑑賞者を「再接続」したいと説明している。*3 National Geographicのインタビューでも、美そのものを目的にしたのではなく、色、質感、構図、光を使いながら「何が起きているのか」という驚きを画面に残すことを重視している。*4 National Gallery of Canadaが作品を「disturbingly sublime」と評するように、鉱滓の橙色、採石場の反復、灌漑地の幾何学には、損傷と視覚的な秩序が同時に現れる。*6
Jennifer Peeplesはこの矛盾を「toxic sublime」と整理し、美/醜、安全/危険、巨大さ/微小さが同居する像が、通常は遠くにある汚染地へ注意を向ける契機になりうると論じた。*7 一方で、その美しさが環境負荷を鑑賞可能な景観へ変える危険も残る。バーティンスキーの形式は「美しいから批評的」なのではなく、産業文明への依存と土地の損傷を同じ視覚経験の中に置くことで、その両義性自体を批評の対象にしてきた。
産業を連鎖で撮る
バーティンスキーのシリーズは一つの被災地や工場だけで完結しない。Joshua Schusterは、採掘、商品化、リサイクルを連続して扱うことで、商品が企業、労働、環境負荷、消費者のあいだを移動する過程が写真に現れると論じている。*8 《Oil》は油田、精製、輸送、自動車文化、廃タイヤ、船舶解体まで石油の生涯を追う。*9 《Water》も水源、ダム、灌漑、農業、塩田、枯渇した土地を並べ、水が集められ、制御され、消費される過程を扱う。*10
原因と結果が地理的にも時間的にも離れている産業文明は、一枚の象徴的な環境写真だけでは捉えにくい。採掘地、製造拠点、輸送網、使用後の廃棄物を複数の場所にわたって並べることで、個々の風景が供給網の異なる局面として結びつく。シリーズという形式そのものが、土地の変化を資源と商品の移動として示す役割を担っている。
産業風景と人物の距離
バーティンスキーは個々の人物の表情より、鉱山、工場、都市、農地を集団的な活動の結果として撮ることが多い。本人も、特定の人物より人間の努力と企業活動が土地へ残した総体を見たいと説明している。*4 遠景や高所からの視点によって、個人の肖像より設備、地形、労働の集積が画面を占め、産業システムの規模が前景化する。
その距離には批判もある。Sarah Jaquette Rayは環境正義の観点から、グローバル消費への加担を示す力を認めつつ、毒性にさらされる労働者の身体や、被害が特定の地域・階級へ偏る事実を「美しい風景」が覆う危険を論じている。*11 巨大な構造を一望する形式は、産業の規模を示す一方、そこで働き暮らす個々の人間が負うコストを弱くする可能性も持つ。
Railcuts/Mines/Tailings
1980年代の《Railcuts》《Mines》では、鉄道建設や採鉱が岩盤を切り開いた跡が中心主題になった。Art Canada Instituteが紹介する《Railcuts #8》では、山肌を横切る線路と列車が、国家建設を支えた鉄道と土地改変を同じ画面へ置く。*5 1996年の《Nickel Tailings》ではニッケル精錬の廃液が作る橙色の流れが現れ、後の「美しさと毒性」の問題が明確になった。*6
Manufactured Landscapes/China
2003年の写真集『Manufactured Landscapes』は、採石場、鉱山、尾鉱、リサイクル、石油、船舶解体などを「製造された風景」という枠でまとめた。*12 中国では2002年以降、旧工場、新しい製造業、石炭、造船、リサイクル、都市再開発、三峡ダムなどを撮影し、世界的な生産拠点へ変わる土地と、その供給網をシリーズ化した。*13
ジェニファー・ベイチウォル監督の映画『Manufactured Landscapes』は、撮影現場や工場の長い労働時間を動画で示し、静止写真が圧縮していた生産の時間を補った。*14 Gerda Cammaerは、映画が美的な写真と社会ドキュメンタリーを組み合わせ、写真家を「美化する作家」か「告発する記録者」かの二択で見ること自体を複雑にすると論じている。*15
Oil/Water
《Oil》は、石油を採掘現場だけで捉えず、油田、精製所、高速道路、自動車文化、廃タイヤ、航空機や船舶の廃棄まで追う。バーティンスキー自身、石油が移動の自由と近代生活を可能にした一方、その依存が環境問題を生んだという矛盾をシリーズの出発点としている。*9
《Water》は自然の水源に加え、ダム、農業、灌漑、養殖、塩田、枯渇した水系までを撮った。*16 NOMAは水の供給、制御、移動、枯渇を横断する作品群として紹介しており、資源を一つの場所ではなく社会的な利用過程として見る構造がより明確になった。*10
Anthropocene
2018年の《Anthropocene》は、バーティンスキー、ジェニファー・ベイチウォル、ニコラス・デ・ペンシエによる共同プロジェクトで、写真集、巡回展、長編映画、教育サイトを含む。*17 AGOでは写真に高解像度映像やARを組み合わせ、採掘、森林伐採、絶滅、都市化などを異なる縮尺で提示した。*18 写真単独で地球規模の変化を代表させるより、映画と展示を組み合わせて時間・規模・場所の差を扱う方向へ進んだ仕事である。
美と環境危機
バーティンスキーをめぐる中心的な論争は、環境破壊を魅力的に撮ることが批評として働くのか、それとも破壊を消費可能なスペクタクルへ変えるのかという問題である。Peeplesの「toxic sublime」は、美しさが汚染地へ関心を向ける入口になる一方、危機を審美化する危険も同時に持つと整理する。*7 Schusterはさらに、「industrial sublime」が畏怖と不安を強調しすぎると、商品、企業、労働、環境負荷の具体的な関係を弱めると批判した。*8
The Brooklyn Railの早いレビューも、尾鉱、油田、工場、船舶解体が畏怖と罪悪感を同時に生むことを指摘している。*19 バーティンスキーの方法は、美を批判の反対側へ置かない。美しい画面が環境危機への注意を持続させる可能性と、破壊を審美的な対象へ変えてしまう危険が、作品の評価を分ける論点として残っている。
中国・労働・消費
中国シリーズでは、誰が作り、誰が消費し、誰が環境負荷を引き受けるのかという問題が強く現れた。Patricia Ballamingieらによる学際的研究は、西側の鑑賞者が巨大工場やダムを「中国の異質な近代化」として見ると、中国の生産と欧米・カナダの消費を結ぶ関係が切断され、「他者化」を再生産する危険があると指摘する。*20 同論考は、その危険に対して、西側の消費者自身が中国の変化と結びついていることを認識する必要を論じている。
映画『Manufactured Landscapes』は工場内の時間と労働を映像へ戻し、静止写真が遠景化しやすい社会関係を別の媒体で補った。Gerda Cammaerは、映画が作家の制作過程と社会ドキュメンタリーを組み合わせ、大量生産と大量消費を鑑賞者自身も参加する問題として提示すると論じている。*15
航空視点と土地
近年の航空写真には別の批判もある。2026年にAthabasca Oil Sandsの表象を検討した研究は、上空からの抽象化が採掘の規模を示す一方、土地を人のいない資源空間として見せ、労働や先住民の土地との関係を後景化する可能性を論じた。*21 総覧的な視点は巨大システムを一枚へ圧縮するが、その土地に固有の歴史、所有、生活を画面の外へ置くこともある。
現代風景写真での位置
バーティンスキーの重要性は、産業風景を初めて撮ったことにはない。ニュー・トポグラフィックスは1970年代に「人間に改変された土地」を風景写真の中心的な問題へ置き、バーティンスキー自身もショアやボルツから影響を受けたと述べている。*3 Catherine Zuromskisは1975年のニュー・トポグラフィックス展と2009年の《Oil》を比較し、石油産業そのものに加えて、石油に依存する西側の日常生活=petrocultureを風景写真がどのように枠づけるかという連続した問題として論じている。*22
Michael Truscelloも《Oil》とミッチ・エプスタイン《American Power》を、ニュー・トポグラフィックス以後のエネルギーインフラを扱う写真として比較し、採掘や輸送の場所を孤立した環境破壊ではなく、文明と生態系が接触する「通過の場所」として読む。*23 バーティンスキーはその系譜の中で、鉱山、石油、水、農業、廃棄を別々の題材にせず、資源が採掘され、加工され、運ばれ、消費され、捨てられる連鎖を数十年にわたって撮った。ICPの「The Great Acceleration」は40年以上の仕事を、人口、資源採掘、交通、水使用、食料生産など相互に関係する地球規模の変化として再構成している。*24
環境写真を被害現場の告発だけに限定せず、近代生活を支える産業システムそのものを風景として扱い、その美しさ、規模、労働、消費、土地の権利までを同時に論争の対象へ置いた点に、バーティンスキーの現代風景写真での位置がある。
- スティーヴン・ショア ― ニュー・トポグラフィックス以後の色彩写真と人工景観。バーティンスキー本人が初期の参照点として挙げている
- ベッヒャー夫妻 ― 工業構造物を体系的に記録したニュー・トポグラフィックスの先行世代。バーティンスキーは類型化より、産業が土地へ残す規模と物質の流れを追う。
- アルベルト・レンガー=パッチュ ― 工業製品や採鉱地を、物の形態と構造として精密に見た新即物主義の先行例。バーティンスキー自身も初期の参照点として名前を挙げている。
- ルイス・ボルツ ― 工業団地や人工景観を抑制して記述したニュー・トポグラフィックスの作家。バーティンスキーが影響源として挙げる
- アンドレアス・グルスキー ― 巨大スケールと資本主義的風景で接続する参照点
- ニュー・トポグラフィックス ― 1975年に「人間に改変された風景」を写真史の中心的な問題へした先行文脈。バーティンスキー自身が在学中に強い影響を受けたと述べている。
- ドキュメンタリー ― 環境危機を直接告発ではなく風景経験として可視化する方法
- Art Gallery of Ontario - Manufactured Landscapes
- The Anthropocene Project - Exhibition
- Edward Burtynsky official - Films
- TED - Manufactured landscapes and green education
- TED - Photographing the landscape of oil
- Saatchi Gallery - BURTYNSKY: Extraction / Abstraction
- The New Yorker - Edward Burtynsky's Epic Landscapes
- Bowdoin College Museum of Art - Manufactured Landscapes
- PBS / Canada Files - Edward Burtynsky Interview
- ICP Shop - Edward Burtynsky: The Great Acceleration (exhibition catalogue)
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
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