ジャン=ピエール・カゼムは、精巧な仮面をつけたモデルを写真、映像、ライブ・パフォーマンスで撮影した。《Pause》《Mona Lisa Live》《First Ladies》を通して、広告・ファッション撮影の技術、動く身体と固定された顔、写真が虚構へ与える記録らしさを考える。
カゼムは、精巧な仮面でモデルの表情を固定し、写真が顔の類似、髪型、衣装、照明、既知の物語から人物を認証する仕組みを分解した。《Mona Lisa Live》では大量の複製によって誰もが知る顔を生身の身体へ装着し、《First Ladies》では公的女性像を別人の身体と公式肖像の規約から再構成する。仮面の内側で呼吸し、重心を変える身体はライブで時間を持ち、写真では歴史上起きなかった場面が既成の過去のように固定される。ファッション撮影、特殊メイク、パフォーマンス、静止写真を一つの工程にし、肖像の同一性を本人の顔だけに帰属させず、社会的役割とメディアの反復によって成立する像として扱った。
本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。
目次 · Table of Contents
ファッション写真から、顔が作られる仕組みの検討へ
カゼムは1968年にパリで生まれ、ファッション誌、広告、映像制作と現代美術のあいだで活動した。1990年代末から2000年代初頭には、モデルのポーズ、照明、特殊メイク、画像修整が人物像を精密に設計し、広告と現代美術の双方で人工的な身体が広く流通した。The Guardianは彼の仕事を、ファッション、イメージ、アイデンティティの関係から紹介している。*1 カゼムは商業写真で培った技術を使い、顔が内面を自然に表すという理解より、人物がどの視覚的な規約によって認識されるかへ関心を向けた。
仮面の顔とライブの身体
カゼムは《モナ・リザ》を、ポスターや絵葉書の複製によって遍在し、神秘的でありながらほとんど匿名の顔になったため選んだと語っている。*2 モデルが精巧な仮面を装着すると表情と視界が制限され、姿勢、歩幅、呼吸が場面を支える。Färgfabrikenは、この条件によって撮影がパフォーマンスとなり、モデルと自分の身体、外界、観客との関係が変化すると説明した。*3 仮面は有名な顔を即座に認識させる一方、動く身体との不一致を持続させ、写真になる前の時間を作品へ加える。
《Pause》では同じ仮面を着けた五人の裸身が鏡面を含む空間を歩き、《Mona Lisa Live》ではモデルが台座上に立ち続けた。Sperone Westwaterは、写真、映像、パフォーマンスが重層する制作として整理している。*4 ライブの観客は呼吸と持続時間を目撃し、後に写真を見る観客は、その時間を一枚の過去として受け取る。カゼムが写真を選ぶ理由は、作られた行為へ「すでに起きた出来事」の外観を与えられる点にある。
固定された表情が身体の演技を強調する
通常の肖像では、目や口の変化が感情の手がかりになる。カゼムの仮面はその変化を固定し、肩の傾き、腕の位置、歩幅、呼吸による胸部の動きを強く見せる。Eyestormの解説は、仮面がモデルのカメラ意識を弱め、設定された場面へ身体全体で応答させると説明する。*5 顔から心理を読む肖像の習慣が、身体の重心、仮面の物質、演じ続ける時間へ分散する。
「本人らしさ」を顔・身体・文脈へ分ける
《First Ladies》では、仮面の造形、髪型、衣装、直立した姿勢、公式肖像を思わせる照明、シリーズ名が、公的人物の記憶を呼び出す。Christie’sの作品記録は、シリーズが大型Cプリントとして流通し、政治的アイコンをライブの役から独立した写真作品へ固定している。*6 同一性は顔の類似だけでなく、複数の視覚的規約が一致した時に生じる。
継ぎ目の少ない仮面、均質な照明、大型プリントは、作り物を実在らしく見せる。同時に、動かない表情、眼球の位置、皮膚と首の境界は人工性を残す。観客は何を根拠に人物を認識し、どの程度の不一致まで同一人物として受け入れるかを試される。写真の細部は真偽を即座に判定する材料より、人工物の説得力が作られる工程を見せる。 *5
仮面の制作には特殊メイク、彫刻、型取り、肌の着色が関わり、写真の照明はその人工皮膚を実在の顔に近づける。CNAPとEyestormの作品資料では、仮面が単なる小道具より、作品の彫刻的な部分として扱われる。*7 近づけば硬さや継ぎ目が見えるが、適切な距離では著名人の顔として認識できる。この距離の変化が、写真の解像度は真実を明らかにするという期待を逆転させる。細部が増えるほど人工物の説得力も増す。 *5
《Pause》—静止する顔と動く身体
2002年の《Pause》は、鏡面を用いた建築的な環境で、人物、反射、仮面、映像、写真を組み合わせた。Färgfabrikenは、鑑賞者の位置と反射によって作品の空間が変わる展示として紹介する。*3 題名の「停止」は写真の一瞬と、ライブの身体がポーズを保つ時間を結ぶ。人物は完全な静止画へ移行せず、動く身体にも戻らない中間状態を生み、肖像が時間を凍結する行為を物理的に経験させる。
《Mona Lisa Live》と名画の身体化
《Mona Lisa Live》(2003)は、裸のモデルがモナ・リザの精巧な仮面を着け、光の中の台座に立つパフォーマンスである。Sperone Westwaterの資料は、Deitch Projectsで初演され、プラハ・ビエンナーレとRubell Family Collectionでも展示された経緯を記す。*4 世界で最も複製された絵画の顔が生身の身体へ移ると、名画の神秘性と見世物的な魅力が同時に現れる。絵画、彫刻、ファッションショー、写真撮影の姿勢が一つの場面に重なる。 *8
《First Ladies》— 公的肖像を別人の身体で再構成する
《First Ladies》は、米国大統領夫人の顔、衣装、礼儀、メディア露出が公的役割を作ってきたことを、その外観を別人の身体へ装着する。作品は2005年のニューヨーク展で発表され、後に市場やコレクションへ流通した。 政治権力の中心に近接しながら独自の公職を持たない「ファーストレディ」という位置が、肖像の借用と代理によって可視化される。 *6
カゼムはMisi Parkとの協働など、ファッション媒体でも仮面、キャラクター、身体の演出を続けた。AnOtherは、ファッションの「白いウサギ」として知られる像を、魅力と不気味さが共存する仕事として紹介する。*9 商業と美術を別の領域へ分けず、どちらでも人物像が照明、服、顔、物語によって作られる点を考える。ただしファッションの魅惑から距離を取らず、自らもその表面の力を使うため、作品は拒絶と加担の間にある。
《Mona Lisa Live》の会場では、観客はモデルが呼吸し、姿勢を保つ時間を共有する。写真では、その時間が一瞬の奇妙な肖像へ圧縮される。Sperone Westwaterの資料がパフォーマンス歴と写真作品を同じ制作史として扱うのは、二つの鑑賞が互いを変えるためである。*4 ライブでは仮面の固定と身体の疲労が見え、写真では表面と構図が強くなる。時間のある身体が静止像へ変換される差が作品になる。
精巧な仮面の目の穴からモデルの視線が見える一方、顔の筋肉は動かない。この不一致は人形や死体に似た不気味さを生むが、身体は呼吸し、姿勢を保っている。Eyestormは、顔の読み取りと人間心理を揺さぶる点を作品の特徴としている。*5 見る側が微細な顔の動きから人格を推測していることが、反応を返さない表面によって露出する。
ステージド写真とパフォーマンスを一つの制作過程にする
1970年代以降、パフォーマンスの写真は行為の記録として展示され、1980〜90年代のステージド写真は撮影のために場面を作った。カゼムは観客の前で持続した行為を、後に完成度の高い写真へ変換する。ライブの不安定さと写真の確定性が一つの作品過程に入り、《Pause》の写真がパリの写真機関で展示された経緯も、この往復を記録している。*3
女性像、裸身、ファッションをめぐる緊張
仮面を着けた女性の裸身では、顔は有名人や固定された表情として読める一方、身体は呼吸し、姿勢を変え、観客の前へさらされる。このずれは主体を不安定にするが、女性身体を鑑賞対象として反復する危険も持つ。The GuardianやParis Artの批評は、魅惑、人工性、客体化が同じ画面に共存する点を問題にした。*1 仮面が社会的な役割を批判していても、裸身の見せ方まで自動的に批判的になるわけではない。 *10
誰の顔に見えるか、どの歴史画像を思い出すか、ライブを見たか、静止画だけを見たかによって、カゼムの写真が持つ認証の強さは変わる。公式サイトに残るファッションや共同制作も、仮面を広告的な即時認識と結びつけてきた。*11 写真が文脈と既視感から「すでに起きた出来事」の外観を作る工程を、仮面と身体の不一致によって示した。
大統領夫人は、法的な権限の範囲とは別に、国家、家庭、品位、時代のスタイルを代表する写真像として流通してきた。《First Ladies》はその顔を交換可能な仮面にし、公的人物の認識が個人の行為よりメディアの反復に依存していることを露出する。同時に、女性を夫の政治的履歴へ結びつける制度も再演されるため、批評と再生産の緊張が残る。Sperone Westwaterの解説も、顔を見ると大統領とアメリカ史の連想が自動的に生じる点を強調する。*12
カゼムの写真とパフォーマンスは、Perrotin、パリの写真機関、プラハ・ビエンナーレ、Rubell Collectionへ展開し、《Mona Lisa Live》が一回限りの見世物ではなく、ライブ、記録写真、美術館展示を往復する作品として受容された。*13*14*18 ギャラリーの作家アーカイブと作品一覧を見ると、仮面を用いた肖像は《Mona Lisa》《First Ladies》だけに閉じず、ファッション、裸身、映画的な場面へ反復されている。*16*17*15
ヒューストン美術館の《Mona Lisa: Problematics of Identity Theory I & II》所蔵記録は、有名な顔と別人の身体を接合する問題が、パフォーマンスの記録に加えて独立した写真作品として収蔵されていることを確認させる。Smithsonianの展示資料が説明するように、ファーストレディは法定の公職とは異なりながら、政権と国家を視覚的に代表してきた役割であり、カゼムが顔、衣装、姿勢を交換可能な形式として扱う背景を具体化する。*19*20
- 伊島薫 ― ファッションの演出と死の物語を共同制作し、肖像を架空の出来事へ変える。
- シンディ・シャーマン ― 映画と大衆文化の女性像をセルフ・ステージングで再演した。
- 森村泰昌 ― 美術史の人物像へ自らの身体を挿入し、アイデンティティと複製を問う。
- マイケル・ジャニシェフスキ ― 仮面、衣装、身体の行為からジェンダーと権威を扱う。
- ステージド・ポートレート ― 人物、光、衣装、背景を構成し、肖像の現実らしさを考える。
- パフォーマンス写真 ― ライブの身体と写真による固定を一つの作品構造にする。
- ファッション・コンセプチュアル写真 ― ファッションの照明と表面を、アイデンティティとメディア批評へ使う。
- WorldCat - Jean-Pierre Khazem bibliography
- Library of Congress - Jean-Pierre Khazem
- NDL Search - ジャン=ピエール・カゼム
- Artist-Info - Jean-Pierre Khazem
- Sperone Westwater — Jean-Pierre Khazem ↗
- Färgfabriken — Jean-Pierre Khazem & Andreas Angelidakis: Pause ↗
- AnOther Magazine — Jean-Pierre Khazem and Misi Park ↗