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PHOTOGRAPHERS/ARNO NOLLEN ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
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§ 230 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

アルノ・ノレン

Arno Nollen
Countryオランダ Period1990–2000s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

アルノ・ノレンは、人物をわずかな差で繰り返し撮影し、写真集、映像、インスタレーションの連なりとして提示するオランダの作家。《Just》《Still Life》《REGARDE》では、同じ身体や表情の反復を通じて、肖像を見る時間、記憶、欲望、不快感がどのように生まれるかを扱う。

この写真家が変えたこと

肖像写真は、一枚の像にその人らしさや決定的な表情を凝縮しやすい。ノレンは、同じ人物を長く撮り、よく似た写真を何枚も残し、写真集や映像で連続させる。すると人物像は一枚で確定せず、モデルの自己演出、撮影者による照明とフレーミング、鑑賞者の見方が、写真ごとの差として現れる。反復によって、一人の身体を一枚の完成された像へ固定する働きが弱まり、モデル、撮影者、鑑賞者の三者がどこで像を作っているのかが作品の問題として残る。

Keywords 連作写真 Just Still Life REGARDE 肖像 反復 写真集 見ることの倫理
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

1990年代オランダ――単独の肖像から「連作で見る」写真へ

アルノ・ノレンは1990年代以後、写真、映像、写真集、インスタレーションを行き来しながら人物像を反復してきた。Fotomuseum Den Haagは、彼の制作で中心となる単位を「photo series」とし、一枚ごとの完結よりわずかな差をもつ反復が映画と写真の境界領域で働くと説明している*1

Fotomuseum Den Haagは、実験映画と写真で身体、欲望、心理的緊張を扱ったフランス・ズワルチェスの回顧展で、女性身体を介して心理へ踏み込む後続世代としてArno Nollen、Hester Scheurwater、Paul Kooikerを挙げている*23。ノレンの人物連作は、静止画だけの系譜ではなく、写真と映画が交差するオランダの視覚文化の流れからも理解できる。

2006年にMaison Européenne de la Photographieが刊行した《Netherlands Now; l’école du nord(北の学校)》は、2000~05年のオランダ写真を俯瞰する26作家の一人にノレンを含め、リネケ・ダイクストラ、ポール・コイカー、コース・ブロイケルらと同時代の写真文化の中に置いている*5

Photography Nowの記録でも、2000年代以降の個展や《Just》の展示歴が確認でき、作品が写真集だけでなく展覧会のシリーズとして継続的に提示されてきたことがわかる*8。こうした環境の中でノレンが選んだのは、一人の被写体を一回の決定的な表情で定義するより、似た像を並べて時間と判断の揺れを残す方法だった。

同時代のリネケ・ダイクストラは、1992〜96年の海辺の若者を、思春期の曖昧さを保つ単独肖像として制作した*24。ノレンは近似した像を反復し、見る時間そのものを長引かせる点で異なる。2002年にはダイクストラがJan Motでハンス・アールスマン、ノレン、ヨハネス・シュワルツの三人展を提案しており、両者が同時代の写真ネットワーク内で接していたことも確認できる*25

照明、ポーズ、モデルとの交渉――一枚の理想像を作らないために

Kunstmuseum Den Haagは、Gerard Fieret、Paul Kooiker、Arno Nollenの三者を比較し、ノレンは照明、ポーズ、切り取り、構図の細部を強く意識し、鑑賞者の視線を意図的に方向づけると説明している*3

一方、Annet Gelink Galleryの《Still Life》は、Hotel Costesで2009~12年に作られた写真と映像について、大規模なスタジオ照明やメイク、スタイリングを避けた撮影状況を記している*4

大掛かりな照明やスタイリングを避けても、立ち位置、シャッターの瞬間、写真の選択と配列によって肖像は編集される。ノレンの「演出」は、豪華なセットより、撮影と編集の小さな判断が視線を作る過程にある。

ノレンの撮影は、偶然のスナップに見える像でも照明、ポーズ、フレーミングを強く制御する。そのことは2001年のKunstmuseum Den Haag展で、ジェラール・フィーレ、ポール・コイカーと比較された際にも明確に指摘されている*3。問題は、制御がそのままモデルの支配を意味するかどうかである。

Frac Grand Largeの教育資料は、ノレンの人物像をファッション誌の理想化された美の反対側に置き、写真家がモデルとの親密さを作ろうとする一方、被写体は単純化された一枚の像になることを拒む、と説明している*26。長い撮影でわずかな表情や姿勢が何枚も残るのは、この不一致を消して「完成した女性像」を選ぶためではなく、撮影者の演出とモデルの抵抗・自己演出が一つに決着しない状態を配列として残すためだと理解できる。

本人も、男性鑑賞者やギャラリストが作品を裸体の快楽へ還元することに強く反発し、写真が対話や議論を開くことを望むと語っている*18。したがって、若い女性の反復を「親密さ」だけで美化することはできない。作品は欲望を利用しながら、その欲望がどの像を選び、どう意味づけるのかを鑑賞者側へ返す。

§ 02 / 04 表現の核心

反復する肖像――最小の差が時間を生む

《Just》の解説でFotomuseum Den Haagは、反復する写真が鑑賞者に無意識のうちに比較、想起、連想を起こし、魅了、興奮、拒否、不快感まで異なる感情を引き出すと述べている*1

Fries Museumも、ノレンの作品をシリーズとして紹介し、同じ主題を追うことで時にごく小さな差だけをもつ写真群が生まれると説明している*14

この反復が必要なのは、人物の「本当の顔」を一枚に封じることを避けるためである。同じ人物でも視線、肩の角度、服装、距離、光が少し変われば印象は変わる。複数の静止画を続けて見ると、鑑賞者は前の像を記憶しながら次を読むため、写真は動かなくても時間が生まれる。

Landscape Storiesの《She, passed by, …again》は1997年と2013年をまたぐ人物写真を連続して公開し、タイトル通り「再び見る」行為をシリーズの構造へしている*12

見ることの快楽と不穏さ――肖像の倫理を作品の外へ追い出さない

Tichy Ocean Foundationの所蔵解説は、ノレンが公共空間で出会った若い女性をより閉じた空間で撮影し、被写体の同意がある一方で、信頼と不信、記録と性的な視線のあいだに緊張が残ると明記している*2

PlacArt Photoが紹介する写真集《REGARDE》には、1999年のNoorderlichtによる批評として、若い女性を反復して見る視線の越境性を指摘する文章が収録・引用されている*17

ここで同意の有無だけを確認して倫理問題を終えることはできない。誰がカメラを持ち、誰の身体が繰り返し見られ、どの像が編集者によって残されるのかという非対称性がある。ノレンの作品は、その不穏さを作品の外部の問題として切り離すより、鑑賞者自身がどこまで見続けるのかを問う場として読む方が適切である。

1999年のKunsthal Rotterdam《A Girl’s Pornography》では、一枚の拡大スナップと六本の映像を置き、恐怖、露出欲、好奇心が重なり合う状態を、鑑賞者がテレビのチャンネルを替えるように複数映像を「ザッピング」して、自分で関連づける構成にした*16。ここでは写真家だけが視線を管理するのではなく、鑑賞者自身の選択が作品の連鎖を作る。反復と映像化が必要なのは、誰が誰を見ているのかという力関係を、撮影現場だけでなく展示空間にまで持ち込むためでもある。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Just》――アーカイブを八つの連作へ再編集する

2016年の《Just》では、ノレンが1997~2016年のアーカイブから数百点を選び直し、八つの新しい写真シリーズとしてインスタレーションを構成した。Fotomuseum Den Haagは、写真、映像、アーカイブ資料、照明を含む展示全体を一つの作品として紹介している*1

ノレンの公式サイトに残る《Just》関連の書籍情報は、展示内の「storyline」が48ページの本としても制作され、展覧会空間と出版物の間を往復したことを確認できる*11

この再編集は、撮影した時点が作品の最終形ではないことを示す。古い像を別の並びに置けば、人物同士の関係や時間の読み方が変わる。ノレンにとって写真集と展示は、出来上がった写真を収納する容器に留まらず、反復の速度と順序を設計する媒体になる。

《Still Life》《REGARDE》と写真集――静止画を読む速度を設計する

《Still Life》では、写真とフィルムを同じ展示に置くことで、人物の一瞬と持続する時間が並置された。Annet Gelink Galleryの資料は、ホテルという半私的な場所を舞台に、被写体がカメラへ自分をどこまで見せるかが作品の緊張を作ると説明している*4

Rijksmuseum Research Libraryは2015年の『Photography Arno Nollen』を、写真、写真集、肖像写真を主題とする刊行物として登録している*21

同館には2004–05年のDe Hallen Haarlem展に合わせた『Arno Nollen』図録も所蔵されており、連作が展示空間だけでなく出版物の順序としてもまとめられてきた経緯を確認できる*22

FAULT Magazineは、Paul Kooiker、Maria Heidenとともに制作された《Hooked》を写真集/共同プロジェクトの文脈で紹介しており、ノレンの仕事が個展の壁面だけでなく出版のネットワークでも読まれていたことがわかる*7

Noorderlichtはノレンを1964–2022年のオランダ写真家として記録し、《Wonderland》シリーズをオンラインで公開している*9。個別作品への入口と連作単位の閲覧が併存していることも、ノレンを一枚の代表作だけで整理しにくい理由を示している。

Frac Grand Largeの所蔵データベースでは、2008年のモノクロ作品などノレンの個別写真をコレクション単位で確認できる*13。個別作品が所蔵される一方で、作家自身の方法は一枚を象徴化するより、複数像の間に生じる比較を重視している。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

オランダの人物写真の中で――ダイクストラやコイカーとの違い

PhotoQは、アムステルダムの写真美術館Foamで行われた「見る欲望」をめぐる議論の中にノレンを置き、ファッション写真や欲望の視線と接続して紹介した*6

Leiden Universityの写真研究サイトがPaul Kooikerについて、写真固有の技術的な限界を利用しつつ映画や絵画も参照する作家として論じていることは、ノレンと同時代のオランダで、肖像を人物記録に限定しない実験が広がっていた背景を示す*20

2001年のKunstmuseum Den Haag展は、Fieret、Kooiker、Nollenの女性像を直接比較した*19。ノレンは人物を一定規則の標本へ揃える類型学にも、完全なスナップにも寄らず、連続する近接像の差から鑑賞者の記憶と欲望を動かす。

「親密な肖像」という言葉だけでは足りない

Mediamaticに残るノレン本人のページは、写真だけでなく映画、リズム、ファッションなど複数の関心と過去の制作資料をまとめており、静止画の作家に限定しにくい活動を示している*15

写真・カルチャー誌FLATTの紹介も、プロのモデルに限定しない人物を撮る作家としてノレンを取り上げ、スタイリングを抑えた見え方を特徴としている*18

Foamが公開するKoos Breukelの作家ページには、2005年に撮影されたArno NollenとNatacha Juliacの肖像も掲載され、ノレン自身が同時代のオランダ肖像写真の人的ネットワークの中で被写体にもなっている*10

ノレンの連作では、同じ人物をわずかな差で繰り返し、写真集や映像、展示で順序を与えることで、鑑賞者に比較とためらいが生じる。肖像は一枚で人物の同一性を保証する像ではなく、モデルの振る舞い、撮影者の演出、見る側の判断が時間の中でずれる連続体として提示される。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ポール・コイカー ― 女性像、写真集、反復を通じて「見ること」自体を扱った同時代の比較対象。
  • リネケ・ダイクストラ — 継続的な肖像によって人物の変化と時間を捉えたオランダ写真の重要な比較軸。
  • ジェラルド・フィーレ ― 即興的な人物写真を通じ、ノレンの制御された視線との対照を成す。
Movements / Contexts
  • シークエンス/連作写真 ― 単独の代表作より、写真同士の差と順序から意味を作る方法。
  • 写真集・インスタレーション ― ページや展示空間を使って鑑賞の時間と順序を設計する実践。
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